32 - 白髪の少女は空腹で
菜優は、村の外れで膝を抱えてうつ伏せていました。溢れ出る涙を抑える事もせず、ただただ泣き叫んでいました。
その様子を、地に突っ伏したまま眺めている一匹の猟犬がいました。彼女は紫苑の毛並みを風に靡かせながら、時折あくびをしています。
「ねえ、いつまでそうやって泣いてるつもりなのよ」
ケルが問いかけても、菜優から返事が返ってくる気配は一向にありません。
「だから言ってるじゃないの。あのおっさんが行かなかったら、あたしがあいつを突き飛ばしてたって。あんた、あいつに食われててもおかしくなかったところを助けられてるのよ」
「だからって、あんな小さい子殺す事もなかったやん」
「ああもう。あいつが人間じゃないって、何度言ったら分かるのかしら。それともなに、あんた人間のくせして、人間とモンスターの見分けもつかないのかしら」
ケルがそう言うと、菜優はまた押し黙ってしまいます。ケルは苛立たしげに牙を剥き出したかと思うと、また一つあくびをかきました。
そんな菜優の手を取って、引っ張ろうとするものが現れました。菜優が顔を上げると、先刻見たような白髪の少女が菜優の方を覗き込んでいました。
「あそぼ」
白髪の少女はそう言いながら菜優の手をぐいぐいと引くものですから、菜優は慌てて立ち上がり、引かれるままに歩き出しました。
ケルはそれを見送りながら、独りごつように言いました。
「えぇ。追っかけなきゃいけないのかしら、あれ」
「まぁ、しばらく様子をみれば良いのではないでしょうかね。そうせねば、ナユもきっと理解はしないことでしょう。それにケル様ならば、後から助け出すことも容易でしょう?」
「好き勝手言ってくれるわね、まったく。あたしだって結構怖いのよ。ナユの腕ごと吹っ飛ばしそうで」
そう言いながらケルは立ち上がって、ううんと一つ伸びをしたあと、のそのそと菜優の後を追いかけました。
一方の菜優は、引かれるままに歩き続けています。やがて同じ白髪の少女が七人ほど、群れているのが見えてきました。彼女達は菜優に気がつくと、それぞれに立ち上がって、菜優を取り囲むように集まってきました。
ここにきて、菜優は初めて違和感を抱きました。この少女達、いくらなんでも似すぎているのです。細かな違いは見られますが、皆が同じような服を着て、同じような顔をして、そして同じように長い白髪をたたえています。
菜優は不意に、握られてた手の感触を確かめるように、親指をその手に這わせてみました。すると細かく柔らかな毛が生えているのが感じられました。この感触、およそ普通の人間のそれじゃない。
そこまで気がついた時には、白髪の少女達は菜優を力強く引っ張りはじめていました。爪を鋭く突き立てて、菜優を右に左に引っ張るのです。狙いは分かりませんが、なんだか危険な雰囲気です。
幸いそこまで力は強くなさそうなので、ありたけの力を振り絞って、少女達を振り払いました。突き立てられた爪が菜優の肌を乱暴に撫ぜて、跡に赤い線を残します。
二、三匹振り払ったところで、正面に向き直ると、大口を開けながら菜優に飛び込んでくるのが見えました。菜優は夢中になって腰に下げたエーテルソードに手をかけると思い切りよく振り抜きました。
抜き身になったエーテルソードが少女の胸元触れると、最初にかちんと硬い感触がしましたが、それをものともせずに。まるでバターを温めたナイフで切るかのように、するすると少女の体に食い込んでいきます。
菜優は、その一部始終をみていました。まるでスローモーション再生しているかのように、その光景が余す事なく目に焼きついていくのです。
翠玉の色の美しい刃が少女の五体を切り裂いて。
前に突き出された腕が、左右に離れていったかと思うと、
次の瞬間には脇腹から肩口にかけて真っ二つに分たれて。
そうなってなお、牙は凶暴に剥き出されたままで。
世界がもとに戻ったころ、大量の血が飛んで来るのが見えて、菜優は目を閉じました。
顔全体にべちょっとした感触が襲ってきて、菜優は目が開けられません。目元を拭おうにも、抜き身のエーテルソードを持ったままで危ないですし、いつまた少女達が突撃してくるかも分かりません。菜優は拭ってもなかなか取れないべっちょりした感触と闘いながら、周囲の気配に気を配っていました。
とはいえ、菜優はそれで相手の立ち位置を察知できるような達人ではありません。右から襲い来るタックルに構えることも出来ず、菜優は地面に転がされました。そこへ傾れ込むように、いくつかの重みが菜優を地面へと押さえつけました。
薄目を開ければ、自分に跨る少女が見えます。少女達の力は貧弱でしたが、菜優にのしかかられた少女達をどかせるほどの力はありません。それ以上開ければ血が入ってきそうな視界の中で、菜優は不思議と冷静になっていました。
ああ、食べられる。この子を子供と見間違ったばかりに。一度助かった命だったけれど、短かったなあ。なんて考えながら。
牙を剥き出した少女が顔を振り下ろした瞬間菜優は目をぎゅっと瞑りました。しかし、いつまで経っても牙が首筋を突き刺すような痛みがやってきません。
どころか、体にのしかかっていた重みもすっかりなくなっていて、すっくと立ち上がる事が出来ました。不思議に思いながらなんとか目を覆っていた血糊をどかすと、紫苑の毛並みを猟犬が揺れる白髪の中で暴れ回っていました。
「ほら。やっぱりあんただってそうするんじゃないの」
不意に紫苑の猟犬が菜友の方を見てにっとわらいながら、そんな言葉を浴びせるのでした。




