31 - 白髪の少女
菜優達はイースターへ戻って来ると、荷車とそれに乗せた農具とを、一緒に天日にかけて干しました。ぽかぽかと陽気に包まれた空の下に、乾いた風が吹き去っていきます。思いの外、早くに乾いてくれそうです。
騒がしいヴァレンタインの町に居る時と比べると、ここイースターは草木が萌え広がり、人々の喧騒はなく、時折家畜達の鳴き声がそこかしこに響き渡るのみです。
菜優はそんなのどかで美味しい空気を胸一杯に吸い込みながら、ごろんと寝転びました。そして目を閉じて、瞼に太陽の暖かみを感じながら、もう一度鼻から大きく息を吸います。太陽と土の香りを綯い交ぜた空気が、菜優の鼻腔を満たしていきます。
しばらくして、菜優の瞼の上に、影が垂れてきました。緩やかに目をあけると、顎先くらいにまで伸びた白髪を菜優のほうへと垂らしながら、じっと菜優の顔を見つめる少女の姿が見えました。
「君は、この辺の子?」
菜優は問いかけてみました。さっきの農夫さんの話には、この村の子には強い偏見があると聞いたばかりでした。でも菜優は子供に害意はないと思っていましたし、それに、自分に対して興味を持たれているのに、それに答えないつもりもありませんでしたから。
「あそぼ」
少女から声が聞こえてきました。菜優がいいよと答える間もなく、菜優を覗き込んでいた少女の顔が菜優の眼前から去るように吹き飛んでいきました。その次の瞬間には先っぽに横に広い金具のついた、木の棒のようなものが鋭く菜優の視界を横切っていきます。
菜優は一瞬何が起こったかを掴みかねていましたが、やがてあの白髪の少女がさっきの棒のようなものに突き飛ばされた事を悟りました。びっくりして跳ね起きると、農夫さんが鍬を持って、こちらを心配そうに見ているのがわかりました。
「嬢ちゃん、怪我はないか?」
菜優はなにがなんだか分からなくなっていました。自分に向かって「あそぼ」と声をかけてきた白髪の少女が突き飛ばされて、おそらくあの子を突き飛ばした農夫さんからは自分の身の心配をされ。自分よりも、突き飛ばされたあの子の方が深刻な状況になっているだろうに!
混乱して二の句を継げない菜優を尻目に、農夫さんは猟銃を構えます。そしてそれをなんと、立ち上がろうとする白髪の少女に向け、引き金を引いたのです!菜優が止める間もなく、弾丸は起きあがろうとする白髪の少女の胸元を見事に貫きました。
少女の胸元から鮮血が吹き出します。白髪の少女はなお立ち上がろうとしますが、次の瞬間にまたパン、と乾いた音がもう一度なりました。白髪の少女の眉間に風穴を開けられ、とうとう、彼女は力なく斃れました。
そして、農夫さんは斃れた少女の元へと歩み寄ります。やがて少女の足を掴んだかと思うと、そのまま持ち上げて逆さに吊り上げるように持ちました。
菜優は、あまりの出来事に、あんぐりと口を開けたまま固まってしまいました。先刻まで自分に忠告してくれた優しそうな農夫さんが、少女を突然に射殺して、逆さに吊り上げている…。
そこまで整理できて、菜優は思い至ってしまいました。と言うことはまさか、血抜きをして、この子を食べる気なのか、と。わざわざ逆さに吊るなんて、それ以外の目的が菜優には思いつきません。
嫌な予感を胸にはらませながら、菜優は恐る恐る聞いてみました。
「え…な、何をしてるんですか」
「何って、血抜きをして食べようと思ってな」
嫌な予想は当たっていました。菜優はみるみるうちに混乱し、頭に血が登ってきて、押し寄せる激情の波を止めることなくぶつけてしまいます。
「おかしいですよ!罪のない子供を殺して、あまつさえ、それを食べるだなんて!」
菜優の絶叫に、農夫さんは怯みます。が、弁明するように、農夫さんはこう続けるのです。
「とは言ってもなぁ。奪ってしまった命、食べてあげないともったいないべ。それに、コレは人間じゃねぇぞ」
「人間じゃない?どっからどう見てもただの女の子やないですか」
「そっかぁ。嬢ちゃんはメニーナを見たことなかったべか。こいつはメニーナ言って、人に擬態したモンスターなんだなぁ」
そう言って、農夫さんは菜優に、逆さ吊りにした少女の体を少し持ち上げて、菜優の方に向けました。
農夫さんは少女を指差し説明してくれているのですが、菜優の耳に届きません。
そのうち、血塗れになった少女の、だらりと力無く垂れた頭の、眉間に浮かぶ血溜まりと、生気の無くなりきった眼と菜優の目が合ったような気がして。菜優は逃げるように立ち去りました。
その様子を見て、退屈そうに寝そべっていたケルが、にわかに立ち上がって菜優を追いかけます。一方の菜優は、無我夢中なまま、ただただ真っ直ぐに走ります。何度かケルが呼び止めようとするものの、菜優は一向に耳を貸そうともしません。
やがて菜優は緩やかに脚を止め、膝に手を置きました。肩で息をしながら振り返ると、あの恐ろしい食人嗜好者達の村は、菜優の遥か後方に見えます。
「ちょっと、ナユ。どうしたのよ、いきなり走り出したりなんかして」
「だって、あの村おかしいやん。罪のない女の子をいきなり殺してさ、食べようとまでするんやに?そんな村にいたらさ、私もどうなってしまうか分からんやん」
菜優はその場に座り込み、膝を抱えながら組んだ腕に顔を伏せます。そして、嗚咽で声色をぐしゃぐしゃにしながらケルに話しています。ケルはそれを、目を点にしながら聞いていました。
「はぁ?あんた、何言ってんの?あのおっさんが助けてくれなかったら、あんた、食われててもおかしくないのよ。おっさんが出張らなければ、あたしが飛び出してたところよ」
「やから逃げてきたんやんか。あっこの村人たちに食べられてはいおしまい、は流石に冗談やないよ」
菜優は怒りと恐怖と混乱を綯い交ぜたような大きな感情の波に飲み込まれていて、もはや言葉が通じていません。ケルはあくびを一つ噛み締めてから、そっぽを向いてしまいました。




