30 - 農業の町、イースター
イースターへと続く街道を、菜優は荷車を引きながら進んでいきます。余計な荷物が増えて、引くにも止めるにも余計に力がいるようになったので、菜優は、それまでより多くの休憩を挟みながら歩きました。
そうして歩くこと約五日。とうとう、イースターの街に辿り着きました。暖かな陽気に包まれたイースターには、放し飼いにされたロバやウマ、それに見渡す限りの田畑が見えて、なんとものどかな雰囲気です。
荷車に投げ捨てた男は相当弱っていましたが、一応息はあるようです。また暴れられても困るので、現地の衛兵-ガード、と呼ぶのが一般的なようです-の助けを借りながら、身柄を引き渡しました。
彼自身はお尋ね者ではなかったものの、このような犯罪者の身柄を引き渡すと報奨金があるようです。菜優は五十ティミにもなるお金を受け取りました。
その時に気がついたのですが、荷車には農具が一緒に積まれていました。菜優は改めて農具たちの状態を確認すると、壊れているものはありませんでしたが、そのほとんどは血で汚れてしまっていました。
菜優は慌てました。せっかくここまで苦労して運んできた商品を台無しにしてしまったのですから。それに、元々の期日は往復で十四日。もう五日も使ってしまったものですから、またヴァレンタインに戻ってまた農具を仕入れ直している時間などありません。
それに、農具を一つ一つ洗おうにも、水は希少な資源の一つです。大体は川や井戸から汲み上げてくるものなのですが、菜優には土地勘がありません。井戸も川も、どこにあるか分からないのです。菜優はぐるりと周りを見回してみましたが、井戸らしい井戸は見当たりません。
菜優はほとほと困ってしまいました。が、出来ることはそれほど多くありません。引き渡し先の農家の人へ、正直に打ち明けることにしました。
「すみません、農具をもってきたのですが。その、ひどく汚れてしまって…」
菜優は農具を引き渡しながら、申し訳なさそうに頭を下げました。農夫さんはそれらのうちの一つを掴み取り、しばらく眺めたのちにこう言いました。
「これまたひでえもんだなぁ。おおかた、賊かなんかに絡まれて、返り討ちにしたってとこかい?非力そうに見えるのに、よくやるねぇ」
その声に咎めるような色が全く感じられなくて、菜優は首を傾げました。首を傾げながらも、「あの、いや、私じゃなくて。この子が助けてくれたんです」と、会話を続けるように、隣にいる紫苑の猟犬を紹介しました。
「ははぁ、なんと健気なペットだもんだ。主を守って、立派な子だねぇ」
そう言って男はケルを撫でようとします。ケルは条件反射のようにその手を打ち払おうとしましたが、菜優がその前に鋭く「ダメ」と釘を刺すものですから、なんとかその前足を引っ込ませては後ろに飛び退いて、低く喉を鳴らせました。
「すみません。この子、ケルちゃんって言うんですけど、撫でられるのがひどく嫌いみたいで」
「へぇ、変わった子だねぇ」
農夫さんは残念そうに手を引っ込めると、視線を農具に戻しました。
「まぁ、こっちに関しては、よくある事だから気にする事ねぇべさ。それよか、ちょっと手伝ってくれないかい。こいつらを川へ持っていって、洗ってあげないといけねぇやい」
菜優はそれを聞いて安心しましたが、一方で、農具が血で汚れた状態でやってくることがよくあることなのか、と戦慄しました。改めて、この土地の治安の悪さ-と同時に、日本の治安の良さ-の一端を見たような気がしました。
菜優は農具を荷車に積んだまま、農夫さんに連れられて川を目指します。ものの数分も立たないうちに、しばらく歩いて行っても足がつきそうなほどに、浅く広い川に辿り着きました。
農夫さんは農具を川へ放つと、持ってきていたたわしで一つ一つ磨いていきます。菜優も倣って、たわしを一つ借り、ごしごしと磨いていきます。
「ところでよぉ、嬢ちゃん。あんた、生まれはヴァレンタインなのかい?」
聞かれて菜優は、三重県は津市の生まれだ、と本当のことを言いかけて、口を一度つぐみました。イースティアと国の名前を聞いてもピンと来なかったのに、自分の生まれた街の名前、どころか、国の名前を言っても通じるのか、よくわかりません。
迷いながら菜優は、「日本って言う、とても遠いところからきました」と答えました。
すると農夫さんは苦い顔をしながら、
「流れ着きもの、なのか」
と問うので、菜優は恐る恐る、首を縦に振りました。それを見た男は、困ったとばかりに眉を顰めました。
「イースターじゃあ、そのことは黙っといた方が賢明だべ。俺らくらいの世代の奴らはまだマシなんだがな、俺らよりももっと上の連中や、そいつらにべったりなガキ共は村外の人への偏見が酷くてな。国内の人間に対してもひでえもんなのに、それが国外の人間とくりゃあ、何さ言われるかわかったもんじゃねぇべ」
男は声色に心底からの呆れを滲ませながら話します。そんな男の話を、菜優は農具を磨きながら、静かに聞いていました。
「ま、それでも商売やってる奴らはそこまで問題ねぇかもだけどなぁ。あいつらは、外の世界を見てるだろうし、良くも悪くもドライだべさ」
そう話しているうち、農具が一通り洗い終わりました。荷車に着いた血も川の水に流してしまってから、農具達をまた荷車に積んで運びます。
荷車を引きながら菜優は、先の話を反芻するように思い返していました。イースターはあんなにも暖かな気候なのに、そこにいる人々は冷たい人たちなのかな、と考えてしまうのでした。




