29 - 異文化間コミュニーケーションは難しい
「さぁ、選ぶでおじゃる。積荷か、命か」
眼前の男が迫る中、菜優はじりじり引きながら、どうしようかを考えていました。あたりにぐるりと目をやってみますが、すでに大勢の男どもに囲まれていて、逃げられそうにありません。
思案するうち、菜優はある事を思い出しました。そうです。今の菜優には、-戦いに限っては-とても頼りになる友達がいるじゃありませんか。それに、この数。今頃、暴れたくてうずうずしているに違いありません。今こそ、彼女の力を借りるときです。菜優は、-菜優自身が名付けた-その名を、力一杯に叫びました。
「ケルちゃーん!」
菜優の叫び声は幾度かこだまし、野原の彼方へと消えていきました。しかし、いつかみたように、かの紫苑の影が砲丸のように飛んでくる気配などありません。
「助けを呼ぼうが無駄でおじゃるよ。なにせ私には五千人の部下がいるでおじゃる。流石に多勢に無勢というものでおじゃ…」
「五千がなんだって?一がこれなら、五千集まろうがものの数じゃないんだけど」
男の言葉を遮るように、あの勝気な声が聞こえてきました。その方を見やれば、紫苑の毛並みの猟犬が、既に人一人を斃し、そのそばで何かを食べているではありませんか。その声の主、ケルは欠伸を一つかきながら、菜優の方を苛立たしげに見つめて言いました。
「あのねぇ、ナユ。そんな大声で呼ばなくても聞こえるわよ。あたし、ずっと近くにいたんだから」
「え、マジ?ごめん、パニクっとったかも」
菜優は驚きながら謝りました。突然のことに驚いて、ケルが近くにいることすら失念していたようです。
「ああ、あとお腹空いたから食べちゃったけど、別に良いわよね?悪いのはあたしに喧嘩ふっかけたこいつらなんだから」
「ほどほどに…せめて死なん程度にしてあげてね」
「まったく。相変わらず甘いのねナユは」
ケルは食事の手を止めながら、非難するように菜優を睨みました。しかし、そうされても態度を改めるような菜優ではありません。
人を-だけに留まらず、生き物全般を-殺すことが正しいことだと、菜優はどうしても思えませんでしたから。
「まぁねえ。てか、もうお腹空いたん?ご飯足りてない?ごめんな、言うてくれればまた取ってくるのに」
「他人にご飯を任せておいて、どの口が足りないなんて利けるのかしら。飢えない程度には食べれてるから問題ないわよ」
敵に包囲されていると言うのに、なんとも緊張感のない会話が繰り広げられていますが、大丈夫なのでしょうか。
そこへ、地面から這い出るどきつい緑の液体が一つ。突然にケルの鼻先に現れたものですから、ケルはびっくりして少し退きました。
「ああ、ケル様、ご注意くださいな。戦力とは数の二乗に比例するもの。個の力脆弱なれど、油断は禁物ですぞ」
「速攻で片付け続ければ、常に一対一でしょ?それを五千回繰り返せば良いだけでしょ?造作もないわよ」
「…それについては、小生はどのように回答すれば良いのでしょう。そう言う問題ではないと言いたい一方、貴方様なら容易く実現してしまいかねないのが恐ろしいところ…」
悶々と唸るコアトル。呑気に伸びをするケル。そんな二匹を眺めて苦々しい微笑みを浮かべる菜優。
こんな三人を見て、誰が五千もの数の敵―もっとも、五千は相手の言い分であって、正しい数ではなさそうですが―に囲まれて、絶体絶命な状況だと予想できるでしょうか。
おじゃる口調の謎の男-と呼ぶと、なんだか相当な不審者のようです。かわいそうですし、頭領っぽいので頭領と呼ぶことにしましょうか-は和んだ様子の三人を見て、苛立たしげに歯軋りをしました。そして、もはや荷物を渡す気が無いものだと判断したのか、声を荒らげました。
「ええい、このオリョーウ様に楯突くつもりでおじゃるか、愚か者め!者ども、やってしまうでおじゃる!」
頭領-そういえば彼、前話の終わりにオリョーウって名乗ってましたね-の鶴の一声を聞き、男たちが菜優たちの元へと殺到しました。その音を聞きつけたケルが、怪しげに笑みを浮かべました。
「へぇ、かかってくるんだ。面白いじゃん。あたし、そういうの好きよ」
ケルは黄金の瞳をギラギラと凶暴に輝かせながら、迫り来る男達を片っ端から薙ぎ払っていきました。
その様子はまるで、嵐のように渦を巻く、暴力の塊のようでした。嵐の勢い耐えきれず、一つ、また一つと五体が周囲にばら撒かれていきます。
そんな嵐の中を、一人の女の子がどきつい緑のスライムと一緒に這い出てきました。言わずもがな、菜優とコアトルです。二人はそんな嵐を傍目で見て、ぽつりぽつりと呟きました。
「ケルちゃんって、めちゃくちゃやんな。強さといい、戦い方といい」
「ええ、小生もそう思います」
しばらくも立たないうちに、嵐は収束を迎えました。築かれた男どもの山の上に、ケルが座り勝鬨の声をあげています。五千と言うにはとても少ない賊どもが、方々に散らばっているのを下に見て、残党どもは恐れ慄きました。
「まだやるの?相手になるわよ」
ケルがにっと笑みかけると、頭領を含め、残党どもは蜘蛛の子を散らすように去っていきました。その様子を見たケルが、菜優の方に向き直ります。
「あの頭だけ潰すわよ。良いわよね、ナユ?」
ケルの問いに菜優は、しばらく考えました。そういえばヴァレンタインを発つ前に、お尋ね者の掲示板のことを思い出しました。
あの男がそうかはわかりませんが、部下達の手慣れた感じを見るに、何度も同じことを繰り返しているに違いありません。
「…ナユ?早く答えなさいったら」
ケルは苛立たしげに菜優に聞きます。菜優は少し焦りながら、悪いことをする人たちはどうしてやるのかを思い出していました。
「うーん…生捕りにしたり出来ん?」
「生捕りになんて、どうしろって言うのよ」
言われてみて、菜優は考えました。確かに、生捕りにするなんて発想、人間しかしないかもしれません。なるべくシンプルで具体的な、ケルでも実行出来そうな方法は…と。
そして菜優は閃きました。そう、いつかケルがそうしたように、ちょっとばかし懲らしめてしまえばいいのです。
「んじゃあ、右の手足だけ噛みちぎっちゃって!」
「合点!シンプルで良いわね!」
そう言うが早いか、ケルは矢の如く飛び出していきました。そして遠くで逃げ惑う頭領の元にすぐに追いつくと、一悶着ののちに、頭領の五体を、その足から引き摺るように菜優の元へ持ってきました。
「ケルちゃん、やるぅ」
「ざっとこんなものよ。しっかしこんなやつ、捕まえてどうすんのよ」
「んっとね、イースターに着いたら警察に引き渡すのん。ロープ、余っとったかなぁ」
答えながら菜優は、余っていたロープを見つけ出すと、それを頭領の体にくるくると巻きつけました。また、頭領があまりにもうるさいので、その口を猿轡を噛ませるようにロープでくくりつけました。
男を荷車へ投げ捨てると、菜優の肩口からコアトルが飛び出してきて、咎めるように菜優に話しかけてきました。
「時に、ナユ。知らない人に声をかけ続けるのはあまり関心しませんな。この者のように、悪意を以って接してくる人もおりましょうに」
「え?挨拶はコミュニーケーションの基本やんな?それに、挨拶されて気ぃ悪く人もおらんやろ」
「アイサツ?なんでしょう、それは」
菜優は、挨拶の返ってこない理由がわかった気がしました。が、知己に挨拶しないのも心地が悪いので、素性も知れない人には挨拶はしないよう、気をつけることにしたのでした。




