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異世界少女、放浪記。  作者: げっとは飛躍のせつなさ
第1-5章 紫苑の猟犬、ケルとの絆、のおはなし

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27 - まるで、新しい姉妹のような

 そしてしばらく時間が経ち、菜優は落ち着きを取り戻していました。ケルの首元に自分の鼻先を押し当て堪能するように息を吸い込みます。


 一方のケルは、くすぐったさに顔を顰めていました。そして満足したのか、菜優はにわかにケルから離れました。ケルはほっと一息つきましたが、菜優の両腕から解放されていないことに気付きました。


「そういや、ご飯もやけど、お風呂まだよんな。ケルちゃんも血ぃとか砂とかでどろどろやし」


 ケルは首を傾げました。ケルは人語を話す知能はあれど、やはり一端の野良犬。人間の生活文化に精通しているはずもなく、お風呂なんてものは初めて聞くものでした。


 菜優は何も言わぬまま、ケルの体をひょいと持ち上げました。自分より圧倒的に体躯の大きな熊を斃し、大人の男を盾ごと砕くような怪力の持ち主の体が、こんなにも軽いなんて。改めて菜優は、そのことをとても不思議に思いました。


 そして、あえて何も言わぬままお風呂場へと進みます。ケルは何か不穏な空気を感じ取って、菜優を問い詰めはじめます。


「ちょっとナユ?あんた、あたしをどこへ連れていく気なのよ」


「どこって、お風呂やに」


「お風呂って何物なのよ」


「心配せんでも大丈夫やに。気持ち良くて、私は好きやから」


 ケルは、菜優の言う大丈夫を信用出来ずにいました。これまでの菜優の振る舞いを見るに、いけ好かないところもあれど、自分を悪いように扱うような人間だとは思えません。が、嫌な予感がするのも事実です。


 抵抗しようにも、加減をして諦めてくれるような菜優ではありませんし、加減を間違えれば菜優の五体を砕きかねません。ケルはもやもやとした気分のまま、逡巡に逡巡を重ねました。


 そのうちに、ケルは丁寧にバスタブへと放たれました。菜優はシャワーヘッドを手に持ってケルに向けた後、にわかに栓を開きました。


「ナユ?何を向け…わぶ」


 タイミングよく菜優に向けられたケルの顔に、勢いよく飛び出したシャワーが直撃します。突然の襲撃に、ケルはびっくりして暴れ回ります。


「ちょっと、ナユ!ストップよストップ!笑ってないで止めなさいよ!なによこれ、なんなのよこれ!」


「あはは。ケルちゃん、楽しそうやねぇ」


「楽しくなんかないっての!」


 ケルは逃げ出そうともがきますが、足元が濡れて滑ってうまく踏み切れません。ケルはしばらくの間、その場で転び続けました。


 もがいてるうち、ケルはとうとうコツを掴んで、バスタブから脱出することに成功します。そのまま菜優に向かって飛び出して、シャワーヘッドをひったくることにも成功しました。


 ケルはこの諸悪の根源を噛み砕こうとしましたが、不意に全く別のアイデアが頭をよぎりました。それはケルがきちんと反撃できて、なおかつ菜優を傷つけることのない素晴らしいアイデアでした。


「さっきはよくもやってくれたわね。これでも喰らいなさいな!」


 ケルはシャワーヘッドを器用に咥えなおし、菜優に向けました。ケルを襲っていた水流が、今度は菜優に襲い掛かります。


「あはは、ちょっとケルちゃん!やめてよ!」


「やめてって言ったのにやめなかったのどこの誰かしら?」


「誰やっけなー?あはは」


 なんて騒ぎながら、一人と一匹はシャワーヘッドをひったくりあっては、出てくる水を浴びせあいました。


 その日、しばらく菜優が一人きりで過ごしていた洞窟から、絶えることなく笑い声が溢れ返りました。空を見やれば大きな月が、一片も欠けることなく空を照らし出していました。


 明くる日、菜優はベッドの上で目を覚ましました。寝ぼけ眼のままにふと隣を見やると、床にうずくまって眠るケルの姿が見えました。


 それまでの菜優は、この洞窟の中で目を覚ましても、自分の他に人っこ一人、どころか他に生き物がいることなどありませんでした。


 あのどきつい緑のスライムは仲間でこそありますが、大抵はどこかへ出払っていて、呼びかければどこからともなく現れますが、家に留まっている事など多くありませんでしたから。


 それが今や、ちょっぴり意地っ張りで喧嘩っ早いけれど、可愛げのある、気の置けない友達が目の前にいるのです。それが、どれだけ心強いことか。


 菜優はにわかに起き上がって、近くの棚を漁ってみました。そこから毛布を一つ取り出すと、地面にうずくまるケルにそっと被せてやりました。


 そして、ドアを開けて外の様子を見てみました。住居としては十分に成り立っているこの家ですが、やはり洞窟は洞窟で、窓の一つもありません。ですので、太陽を見て時刻を推し測るにはこれしか手段がありません。


 太陽はまだまだ地平線の上に顔を出したばかりで、あたりは薄明の色に染まったままでした。外の空気を胸いっぱいに吸い込んでいたら、かりかりと、岩に爪を突き立てるような軽い足音が近くから聞こえてきました。


「おはよう」


「おはよう」


 しばらく誰かにかけることも、またかけられることもなかった言葉を、その足音の主と交わし合いました。そして、二人で登りくる朝日を、じぃっと眺めているのでした。

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