23 - その猟犬、激憤につき
闖入者により巻き上げられた砂煙は、徐々に晴れつつありました。その中からのそのそと、菜優に近づいて来る小さな影がありました。四つ足で地面に這うその姿を認めながら、菜優はその影に語りかけます。
「ケルちゃん。来てくれたんや」
「別に。たまたま…はぁ。あんたの事を思い出しただけだから」
息をぜいぜいと荒らげながら、床から天井を仰ぐ菜優に、ケルはゆっくりと近づき、そして自分の鼻先を菜優の鼻先にくっつけます。そして男達の方へと振り返って、黄金の瞳でぎろりと睨みつけました。
「へえ、あたしのツレが相当お世話になったみたいじゃない。あたしも混ぜてもらえないかしら」
ケルは菜優の前に立ち、緩やかに毛を逆立てていきます。その様子を見て、男どもはじりりと後退りをします。
「ツレに代わってあたしが相手になってあげるから、死にたい奴から前に出なさい」
両目はぎろりと凶暴に輝き、牙を剥き出しにしながら冷たく、冷たく言い放ちます。菜優は気付いていました。ケルは、普段は粗暴な口調でぎゃいぎゃい騒ぎたてるように話すのですが、怒るととても冷たい口調になるのです。
一方の男どもは、十五センチほどしかないはずの、小さな体躯の猟犬を前に怯んでいました。菜優にはあんなに寄ってたかって下品な笑みを浮かべていたのに、その十分の一ほどしかない猟犬が前に出なと促しても、誰一人として前に出たがりません。
「猟犬一匹相手に怖気づいたか。ナユのことはこんなにも可愛がってくれたのにね。クズ共が。遊んでくれないなら負け犬って罵ってやるわ」
誰も近寄りたがらない様子を見て、ケルはまた緩やかに毛を寝かしていきます。ゆっくりと息を吸い、そして。
「逃げ出したやつから殺してやる。どっからでもかかってこい!」
ケルは裂帛の咆哮を浴びせ、全身の毛をひどくひどく逆立たせながら、身体中から殺気を振りまきました。それに怯んで逃げるものを見つけると、ケルは音すら置いていくほどの速度で跳びついては、その首を食いちぎりました。残った男達は逃げたら真っ先に殺されると悟り、無我夢中なままにケルに斬りかかりました。
その恐怖に打ち震えた剣筋を、ケルはいとも簡単に避けていきます。そして斬りかかってきた男達の胴を吹き飛ばし、足を食いちぎり、盾を構えて身を守ろうとしようものなら、盾ごと五体を砕きました。
「きゃははは。あらごめんなさい、加減を間違えたかしら」
嘲笑うように、ケルは戦場を舞い踊ります。男どもの剣は一向にケルの体を捉えられませんし、振るった直後にはその剣が、握っている腕ごと砕かれてしまいます。
まるで嵐のような暴力が、男どもに振るわれました。嵐がケルを中心に渦を巻き、その勢いに耐えかねた者達が、一つ、また一つと吹き飛ばされていきました。
かろうじて嵐の中から這い出た者達も、到底無事とはいえません。ある者は、動かなくなった片足を引きずりながら。またある者は、だらりと垂れた両腕をぶら下げながら。命かながら逃げ出します。
「逃さないわ」
それらを黙って見逃すほど、ケルは甘くありませんでした。音よりも速くケルが駆け出し、空気を裂く音が到達するよりも先に男に組み付くと、大口を開けて、その頭蓋を容易く噛み砕きました。ケルを追ってきた衝撃波が、周囲を切り裂きまわります。
同じように、一人、また一人と討ち取っていくうちに、やがて、返り血で赤く染まった猟犬だけが、築かれた死屍累々の中に立ち尽くしていました。
「虚しいわね。ただ遊んであげただけなのに」
そう零すと、ケルは支社の中へと戻っていきます。ボロボロになったドアをくぐり、菜優の姿を認めます。
菜優は顔を涙でくしゃくしゃに歪ませながら、ケルに向かって抱きつきました。
「やめなさい、ナユ。汚れるわよ」
「やだ。ケルちゃん、ケルちゃん…」
ケルは丁寧にお座りをして、菜優に抱きつかれるままにされていました。あたりに広がる炎の熱が乾ききった風に乗って、二人の頬に吹き付けてきました。
ケルは建物の中にもうひとり女の人がいる事を認めると、菜優に尋ねました。
「ねえ、アレは信頼できる女かしら」
「あの人は…シイナさんっていって、私に仕事回してくれてるの。悪い人じゃないよ」
「ふーん…」
そう言って、ケルはシイナの事を値踏みするように眺めました。そして、脅すような暗い口調で、シイナに向かって言いました。
「ねえ、そこの女。しばらくの間、この子を頼んだわよ。いい?手を出そうとは思わないことね。心得てなさい。この子に手を出そうもんなら、あたしが黙ってないから。この子が傷つけられるよりも、あたしがあんたのもとにまで駆けつけて、あんたの首を刎ね飛ばすほうが早いんだからね」
そう言い捨てて、ケルはにわかに駆け出そうとしました。でもその体はがっしりと捕まえられていて、動くに動けません。菜優は、ケルの首元にしっかりと抱きついたまま、咎めるように言いました。
「どこ行くつもりなん」
「決まってるじゃないの。一人たりとも逃しはしないわ」
そう言ってケルはまた菜優に背を向けようとしましたが、菜優はその体を一層きつく体を抱きとめられます。
「何よ。離してよ」
「ケルちゃん、ダメ。これ以上は、やり過ぎやに」
諭すように菜優は言い、ケルを引き留めます。ケルが今からやろうとしていることに、菜優は素直に賛同出来ません。
「いい?ああいうのは野放しにするからつけあがるのよ。今ならまだ追えるわ」
「ケルちゃん。さっきも言ったけどやり過ぎやって。なんにも良いこと無いやん。やめよに。お願いやからさ」
菜優はケルの肩をしっかりと掴み、ケルの目を見て主張を続けます。あの男どもが恐れたケルの瞳を正面に捉えて、全く逸らそうとしません。
「ええ。さっきあの女にも言ったけど、あたしはあんたを傷つけたあいつらを赦すわけにはいかないのよ。邪魔するつもりなら、あんたが相手でも容赦はしないわ」
黄金の双眸は鋭く菜優を睨みつけ、重々しい剣幕で脅し立てます。でもその鋭い眼光の中に、そんなことはさせないで欲しいと、懇願するケルを見つけたような気がしました。
菜優は寂しそうに、ケルを抱きとめていた腕の力を緩めます。やがてその手がケルの五体が解放すると、「すぐ戻るわ」とケルは言い残し、菜優に背を向けます。その去る背中を呼び止めるように、菜優は言いました。
「ケルちゃん」
「何よ」
「ほどほどにしたげてね。あの人らにも、あの人らの生活や、家族がおるやろし」
「…まったく。襲われた本人より、なんであたしのが気が立ってるのかしら。馬鹿馬鹿しいったらありゃしないわ」
ケルはそう言い残すなり、音よりも早く去って行きました。菜優はシイナの縄を解いてやると、シイナは菜優に尋ねました。
「ナユちゃん、あの猟犬、一体何者なの?猟犬にしてはやたらに強いし、やけに貴方に懐いているようだけど…」
「イースティアで出来た、私の大事な友達です。ちょこっと喧嘩っ早いし、乱暴なところもあるけれど、とってもいい子なんです」
菜優は、その猟犬が駆けていった先を見やって言いました。
「聞こえてるわよ!後で覚えてなさい!」
…なんてケルの叫び声があたりに響いてきたので、二人は苦々しく笑い合いました。




