22 - ヴァレンタイン事変
ヴァレンタインへと帰ってきた菜優は、荷物を渡して依頼料を受け取った後、たすけあうジャパンにウサギ皮を引き渡した時の事を思い出します。菜優の背丈を優に超える大男から、二週間ほど後に来いと言われていたのです。
少し早いかな?と思いながらたすけあうジャパンの支店に入ると、やわらかな笑みを湛えたシイラが出迎えてくれました。
「ナユちゃん、おかえり。ホワイトデイはどうだった?」
「ちょっと肌寒かったけど、とても良いところでした。向こうの人もいい人ばかりですね。私みたいな余所者でも、温かに受け入れてもらえましたし」
シイラはそう、良かったねと相槌を打ちます。そして、ナユに伝言があると言うのです。
「そういえば、ガロックが貴方を待っていたわよ。なんでも、ちょっとしたものを作ったって」
「ガロック?」
「あら、紹介し忘れたかしら。あの、ウサギ皮を引き取った大男よ。モノは良いが状態が悪いなんてケチをつけながら」
そう言った直後に、建物の奥から大男がのっそりと這い出てきました。菜優の頭上から降ってくるように、低い声が響いてきます。
「誰が大男だ」
声のしたほうを見やって、そしてにわかに見上げました。いかにも職人気質な、気難しそうな大男が、のそのそと近づいて来ることがわかりました。
「あなた以外に誰がいるのかしら。ミロクは出払ってるし、彼もそんなに背丈もないし」
「他に言い方はなかったのか」
「"大男"が一番ぴったりで分かりやすいと思うのだけれど、ダメかしら」
「ああ、いけ好かん」
菜優は置いてけぼりを食いながら、二人のやり取りを見ていました。ガロックと呼ばれたその大男は、口数が少なく、無愛想な印象を受けました。が、シイラが軽口を叩いてるのを見るに、そんなに怖い人でもないのかなと思いました。
大男-いえ、もう大男と言って怒られるのも嫌なので、今後はガロックと呼ぶことにしましょう-が菜優の姿を認めると、気がついたように声をかけてきました。
「ああ、いつぞやの」
「菜優です。朱鷺風菜優」
「ナユ、か。名の由来は」
「パパが言うには、"野に咲く菜の花のように、優しく強く、美しく。"だそうです。もっとも、菜と優しいしか、私の名前には無いんですけどね」
ガロックはそう聞くと顎に指を這わせ、少しばかり天井を見上げました。そして菜優の方に視線を戻すと。
「なるほど。いい父じゃあないか」
とだけ言って、支店の奥へと戻っていきました。しばらく後に、ガロックは何かを手にして戻ってきました。
「前に持ってきたウサギ皮だがな、神の祝福を受けていてな。何となく、お前さんにぴったりじゃないかと思ったもんでな、余った分でそいつを作っておいた。身につけておけ、そうすれば祝福が、お前さんを助けることもあるだろう」
そう言って、ガロックは茶色い皮の腕輪を手渡すと、そのまま支店の奥へと戻っていきました。腕輪にはくすんだ金の留め具が付けられていて、茶色の中のアクセントとして鈍く輝いていました。
菜優は左手に腕輪をはめると、少しだけ、体が軽くなったような感覚がしました。そして同時にあのウサギの事を思い出していました。一度は手懐けて飼おうかとも考えたけれども、結局は自分の命を守るために奪ってしまった命が、こうしてまた菜優の事を守ってくれる。
ありがたみに堪らなくって、菜優はまた涙を流していました。そして、命を頂いて生きている事を、その命から祝福を受けた事の意味を、菜優は忘れないで生きていこうと、改めて思いました。
明くる日、菜優は仕事を探そうとまたヴァレンタインの街へと向かいます。エーテルソードにクラッカー、そして腕には昨日ガロックから貰った腕輪をつけて、出発です。
街が見えてくると、菜優は異変に気付きました。街からはもうもうと黒煙が上がっていて、散り散りに逃げていく人達もいくつか見えます。
びっくりしながら街の様子を窺ってみると、いくつかの家屋が燃え上がっているではありませんか。それに、剣をもった野蛮そうな男達が数人、村の中で暴れ回ったり、物を盗んだりしているのも窺えます。
菜優は思考が止まりかけましたが、やがてたすけあうジャパンの支社へと駆け出しました。街がこんな状況ならきっと、シイラさん達も危ない。
支社には火の手が上がっている様子がなかったので、菜優は飛び込むように支社の中に飛び込みました。するとすぐ近くに、縄で縛られたシイラが床に転がされているのを発見しました。
駆け寄ろうとしたその瞬間、菜優の後ろ手を掴み取り、引き寄せる者がありました。
「…なんだぁ。女かと思いきや、ガキじゃねぇか」
男は菜優の腕を掴み上げて軽く吊るしながら、値踏みをするような視線を菜優の全身に這わせます。絡みつく視線に嬲られるような感覚が全身を走り、菜優は不快で堪りません。
菜優は堪らず腰元のエーテルソードに手を伸ばしますが、男は素早く反応し、菜優の細腕をひねり上げます。腕が痛みに悲鳴を上げて、菜優は顔を歪ませます。それでも菜優は声を上げず、必死に剣に手を伸ばします。
男がにやにやと下卑た笑みを浮かべて、苦痛に歪む菜優の顔にいっぱいいっぱいに近づいてきます。菜優はその顔に一つ頭突きをかましてやると、怯んだ隙に膝を入れてやりました。しかし、こちらは革の鎧に阻まれて、あまり手応えがありません。
男は顔を真っ赤にしながら菜優にまた掴みかかり、勢い任せに押し倒します。菜優は、びびってちゃだめだ、戦わなくちゃと気炎を吐きます。きかしいくら気を奮わせても、六十キロを超えるだろう男の体をどうにもどかすことは出来ません。両手を塞がれて、腿に体重を乗せられ、菜優は身動き一つ取れません。その内に支社の奥から数人の男がぞろぞろと這い出して来ました。
-おい、どうした。
-生意気なガキを一匹捕まえたんでな。どうしてやろうかと思ってな。
-ルナーに持ってけば売れるんじゃあねえか。
-いや、ニューイヤーに成金の女好きいたろ。アイツのが高く買ってくれんじゃねえか。
-その前に…楽しませてもらうのも悪くねえんじゃねえか。
-お前こんなガキ相手にやれんのかよ。
口々に喋っては、下賤な話ばかりが出てきます。菜優はもう怖くて堪らなくありましたが、それでもキッと唇を結んで、恐怖心を噛み潰しました。男達が談笑しているうちに、次第に腕を押さえつける腕が緩んだのを、菜優は見逃しませんでした。素早く腕を抜いて男の左頬を平手で叩きます。
それに激昂したか、男は菜優の左頬を力強く殴りつけます。口の中から血の味がじわりと滲み出してきます。菜優の胸ぐらを乱暴に掴み、もう一度殴りかかろうとします。
そのとき、轟音と共に壁を突き破って支社に侵入してくるものがありました。それは勢いそのままに男の脇腹に突っ込んで、その五体を容易く吹き飛ばしました。
菜優は、ここで知り合った人達の中でも、こんなことが出来るものは一人―いや、一匹―しか知りません。
砂煙が立ち込め、その姿は見えませんが、きっと彼女に違いありません。助けに来てくれたことが嬉しくてたまらなくて、菜優は両目に涙を浮かべました。
「あんた、思ったよりやるじゃない。それだけ突っ張れれば上等よ。でもあんたも、あたしがいないとダメね」
立ちこめる砂煙の中から、そんな一言が、菜優の耳に届けられました。




