002-男と死後の世界(2)
衝動的だった。無意識だった。
目の前にあったライオンの魂があまりにも美味そうに見えて、いつの間にかかぶりついていた。
口などなかったはずなのに、魂が変形してまで、そのようにして食らいついていたのだ。
途端、その接触部から旨みだけを凝縮したような味が流れ込んでくるではないか。
(美味い!!)
驚くほど美味しい。
食いちぎるでもなく、溶かすでもなく、ただ何かの栄養だけを吸い取っているような感覚。
しかしそれでいて、極上のスープでも飲んでいるような感覚を覚える。
極度の空腹感を覚えていた俺は、命の危機にあることも忘れてその味に没頭した。
吸って吸って、味がなくなるまで吸い尽くす。
そうして気がつけば、目の前の魂はぼんやりとした状態はそのままに、今にも消えてしまいそうなほどに弱々しくなっているではないか。
姿はライオンという大型獣であるのに、力強さも脅威も何一つ感じない。
しかしその一方で、俺の空腹は満たされ、隅々まで力が漲っている感覚があった。
(奪ったのか。俺が、この獅子から。)
起きた事実をそのまま受け止めるなら、そのままのことを俺はしたのだ。
他の魂から空っぽになるまで力を奪い尽くして、このまま放っておけばこのライオンの魂は消えてしまうかも知れないほどに弱らせてしまった。
(お、俺は……いいのか、こんなことをして)
何か生命の禁忌を犯してしまったようで、強い罪悪感が湧き出してくる。
生物を殺したことなんて、虫を潰したことくらいしか俺には覚えがない。
だというのに、こんなに立派なライオンの魂を痛めつけてしまったのだ。
恐ろしくもあり、悲しくもあった。俺の倫理観にとって、それは酷いことであったのだ。
しかしそんな感傷に浸る俺の感覚に、また断末魔が響いてきた。
見れば、渦の近くにあった魂は全て飲み込まれてしまっていて、その周辺だけが空白地帯のようになっているではないか。
(…………いや、どうせこのままなら、ここにある魂は全部死ぬんだ。俺が奪ったって変わらないじゃないか)
そうだ。俺が今やったことはいずれあの渦がやることで、俺にはそれを気にしているような暇はない。
力を奪って逃げなければ、俺は死んでしまうのだ。
震える体もないのに、恐ろしさで震えているような気すらしてくる。
今は他の魂から力を奪ってでも逃げる。
俺にとって重要なのはそれだけなのだ。
(そうと決まれば……)
俺は周囲の魂に手当たり次第齧り付いた。
満腹感を感じてはいたが、力が多くて困ることはないはずだ。
それに吸えば吸うほど力が強くなっているような感覚があり、またその味も美味であったので、吸えるだけ吸うことにしたのである。
虫、犬、猫、男、女、魚、蜥蜴、蛇、鳥、etcと次から次へと吸っていく。
不思議なことに力の吸える量は魂ごとに異なり、それは生物の大きさとは全く関係がなかった。
外見からではその量は全く分からず、感覚的に力強い魂が多くの力を持っているような気がする程度だ。
そんなこと考えながら20程の魂を吸った時、俺の魂にビキリと鋭い痛みが走った。
これ以上は入らない! と感覚で理解できたために、俺は即座に吸っていた魂から距離を取った。
気がつけば、この空間で自由に動くことには何の不自由もない。
渦を見ればまた少し大きくなってはいたが、吸い込む力はもうほとんど感じられないほどだった。
これならば、逃げることは容易だろう。
(ごちそうさま、ありがとう!)
俺は吸った魂たちにそう叫んで、渦から離れる方向に全力で移動を開始した。
どこまで逃げれば良いかは分からないが、とにかく今はここを離れることにしたのである。
◇◇◇◇◇◇
それから体感時間で数十分ほどだろうか。
どこまでも広がっていたクリーム色の宇宙に、ふと違和感を覚える。
そこら中にあったはずの魂が、前方のある場所からなくなっていたのだ。
しかしその疑問について考えるよりも早く、スピードを出していた俺はそのラインに勢いよく突っ込んでしまった。
ゴウン! と空間が揺れるような衝撃が響く。
(いっっっっっっでえええええええええ!)
何とそこには、クリーム色をした壁が存在していたのだ。
ここから先に魂がないのも当たり前である。
この壁は正しくこの空間の終わりであったのだから。
(何だこれ、壁? 硬いけど、僅かに弾力があるような……)
材質は全く分からないし、何をどこまで区切っているのかも分からない。
しかし上下左右にどこまでも伸びていて、その先はどの方向であってもこちらに向かって僅かに歪曲しているように見えた。
もしもこの壁がどこまでも続いているのなら、きっとこの空間は巨大な球形をしているのだろう。
壁は俺が衝突したところだけが大きく凹んでいたが、それ以外は穴どころか凹凸すら見当たらない。
どこかに出口のようなものがあったりするのかも知れないが、ここから見る限りではそんなものは見当たらなかった。
(これ以上先にはいけないのか?)
チラリと背後を窺ってみる。
距離があるせいか黒い渦はシミのような点になっていたが、逆を言えば相当に距離が離れても見えるほどに大きくなっているのだ。
あの渦がどこまで大きくなるのかは分からないが、ここが魂を初期化するような場所だというのなら、あれはきっとこの空間にある魂全てを吸い込むまで止まらないだろう。
つまり逃げるためにはこの壁を越えなければどうしようもないのだ。
(壊すしかないのか……くそっ、やってやる! でやぁああああ!)
幸にして、凹んだ壁は修復されないらしい。
もう一度体当たりしてみるとその凹みは僅かに大きくなり、小さなヒビが入った。
(痛い! けどこれは、壊せる!)
そのヒビを見て、俺はそう確信した。
二話になっても転生しないってマジ?
転生に説得力持たせようとすると長くなるんだ……。
誤字報告感謝です!