097-アーリスマディオの野望
「貴様……!」
自分で殴りつけ、倒れた娘を前にして素晴らしいだなどと。
ふざけた言葉を口にするアーリスマディオに対して、私はまた怒りが込み上げてきた。
「こんな、ものおおぉぉぁあああ!!」
怒りが私に力を与える。
ミシミシと骨を軋ませて、貫かれた手の痛みも無視して、私は拘束を引きちぎらんと限界を超えて肉体に魔力を注ぎ込んでゆく。
「水を刺さないでいただきたい」
しかし、奴がそう口にした瞬間、地面から土塊が飛び出して私の水月を強烈に突き上げた。
「あぐぉっ……」
息が吸えなくなり、集中が掻き乱されて、魔力が上手く扱えなくなる。
たったそれだけで、私に湧き上がっていたはずの力は一瞬で霧散してしまった。
怒りだけは残っているのに、肉体が言うことを聞いてくれない。
何故、どうして、こんなにも大事なことなのに。
気持ちに反して、私の体はまるで動かない。
「あなたは罪人なのですよ、ドートシール。弁えて頂きたいですね」
「げおっごほっ、な、んだ……」
無力に這いつくばる私を、アーリスマディオはそう罵倒する。
確かに私は奴を謀略によって消そうとしたし、それは悪かもしれない。
「ぎざま、には、言われ、げほっ」
しかしより多くの人々を救うためには教会の改革は急務であったし、何よりも責務をまるで果たさないだけでなく、娘に残忍な暴力を振るった相手にそんなことを言われる筋合いはない。
私が悪であるとしても、奴はもっと酷い悪人だろう。
私はそう確信していたが、奴は私を見下ろしながら、残念なものを見るような目で大きなため息を吐いた。
「はぁ……いいですか、チェレミーは天才です」
「知って、いる!」
「いいえ、分かっていません。私は天才と呼ばれていますが、私などは彼女と比べれば凡人でしかないでしょう。それほどの才覚が彼女にはあるのですよ」
「な、に……?」
確かに娘には才能がある。
あの歳で他の神官たちを従え、ダンジョンに挑むことが出来るほどの魔法の力があるほどだ。
私もその才能を知ったからこそ娘を養子として迎えた。
次代を担う討滅派の有力者として、一般の神官たちを従えるリーダーとして。
しかしその才能がアーリスマディオを超えるほどだとは思っていなかった。
「無意識に呪言をコピーするセンス。そして加減したとはいえ、私の拳に4度耐える程の魔力の扱いなど、私が身に付けたのは8年は修行に打ち込んだ後だった。修行嫌いの彼女が感覚のみでそれらをやってのける。これが素晴らしくなくて何なのですか」
アーリスマディオがそう言うと、奴の足元の瓦礫が少し崩れて、その隙間から娘の姿が顕になる。
「ぅ……こほっ……」
「チェレ、ミー!」
生きている!
弱々しいが、彼女は確かに息をしていた。
奴は加減したと言っているし、殺すつもりはなかったのかもしれない。
しかし私なら確実に死んでいたような真似をされたのは確かで、チェレミーは既に私などよりも魔力の扱いに長けているのだ。
奴の言うことが本当なら、娘は第2階位にも簡単になれるだろう。
もしかしたら、その先にも行けるかもしれない。
そうなれば娘は本当に、教会のトップとして次代を背負う神官になれる。
一瞬そのような考えが頭をよぎったが、では何故アーリスマディオはそれを責めているのか?
言動から察するに、娘に才能があることは奴にとって喜ばしいことのはずなのに。
その疑問は、奴の続ける話によって簡単に氷解した。
「だと言うのに、あなたは彼女に碌な修行をつけず、結果彼女はこの程度の神官になってしまっている」
「何、だと……?」
「あなたは彼女を凡人に堕したのですよ、ドートシール」
つまり奴は、娘の成長が遅いことを残念に思っているのだ。
だがそれは奴が急ぎすぎるからであって、人には成長のための長い時間がある。
娘はまだ幼いのだから、これから才能を伸ばしていけばいいだけだろう。
それに何よりも、娘を痛めつけてトラウマを与えるような真似をしている奴に、私はそんなことは言われたくもない。
「娘を、痛めつけて、おいて、よくも、そんな!」
「まさか……本当に分かっていないのですか? 彼女は私がいなければとうに死んでいたではありませんか」
「何!?」
だが奴は、その時間すらなかったのだと言う。
意味が分からない。
娘は私よりも強く、氾濫においても活躍していたはずだ。
「チェレミーだけではありません。あなたも、あなたの部下も、そしてこの町の人々も、あの悪夢の石を纏った魔物1匹に皆殺しにされていたでしょう」
「そんな、馬鹿な、こと……」
「事実です。あなたは見ていないかもしれませんが、チェレミーは言っていたでしょう? 助けられたと。彼女の拳の傷を見なさい。そんなになるまで殴っても、彼女では手も足も出ていなかったのですよ」
私は絶句した。
娘の怪我は立派に戦った証拠だと思っていた。
それなのに、実は死にかけていたなどと、信じられるはずがない。
だが奴の言う悪夢の石を纏った魔物……奴が仕留めていたあの黒い魔物だろうか?
アレがそんな存在だったのなら、我々の魔法は何一つ通じなかったはずだ。
であれば娘は本当に殺されていたかもしれず、娘が手も足も出ない魔物がいたのなら、私たちが勝てるはずもない。
まさか。じゃあ本当に、たった1匹の魔物に、私たちが全滅させられていた?
「あなたの言う数の力など、所詮はそんな物です。町も守れず、チェレミーも失っていた。だからあなたは罪人だと言うのです」
「……」
何も言い返せなかった。
神官の責務は魔物から人々を守ることで、それを果たせない私には価値がない。
まして娘も死なせるような結果になっていたのなら、それは確かに許し難い低脳だろう。
ああ、だから奴は怒っているのだ。
得心が言った私に、奴はゆっくりと右手を開いて私へと向けた。
「私にはね、嫌いなものが三つあります。一つは神を蔑ろにするもの。一つは修行を怠る神官。一つは個人を大切にしない者。全てあなたのことですよ、ドートシール」
その手のひらの中央に、ゆっくりと光が集まっていく。
これは『天の裁き』だろうか?
「あなた方のようなものが蔓延る教会など、もう必要ありません。あなたを殺し、錬魔派を集めて新たな教会を私が作る。チェレミーも私が引き取って鍛えてあげましょう。そうすれば、神の教えは正しい姿に戻る……! フフ、ハハハハハ……!!」
奴は狂気に飲まれているように私には見えたが、それでも正しさはあると思ってしまった。
私は間違えていて、奴は娘の命を救ったのだから。
だから私が殺されるのも、もしかしたら正しいのかもしれない。
ただ、ああ。娘が殺されることがないということだけに、私は少し安堵していた。
───その時だ。
私が諦めてしまった直後、奴が魔法を放つ直前に、雷鳴のような音と共に赤い何かが私たちの間に直撃したのは。
腕組みをしながら僅かに宙に浮かび、そのままの姿勢でアーリスマディオの放った魔法をいとも容易く霧散させる。
それは灼熱のような赤い髪と、同じように真っ赤な瞳をした、神官の衣装に身を包んだ美しい女性であった。
気づけば100ページ目!
それがアーリスマディオの説教回っスよ奥さん!
次回は一回デルミス視点に戻ります。
あっちもこっちも進めなきゃあいけないから、タイミングを考えるのが難しいね。