001-男と死後の世界
つまらない人生だった。
毎日のように会社に勤めて、毎日のように動画やゲームで暇を潰して。
趣味と言えるものもなく、月日を無駄に消費するだけ。
俺はそんなありきたりでつまらない男で、死に方すらもありきたりだった。
高い高いビルで、気まぐれに足を運んだ非常階段から足を滑らせて落ちたのだ。
本当に、全くもってつまらない人生だったとしか言いようがない。
しかしそんな普通の人間である俺は、今現在、普通でない体験をしている真っ最中だ。
(なんだこれ……)
呟いたつもりだったが、声帯がないから声が出ない。
いや、声帯だけではない。体の全てが今の俺には存在せず、手も体も足も見えないままに、視覚だけが宙に浮いているような感覚だった。
そしてそんな俺が今いる場所も、見たことがないような場所だ。
周囲はクリーム色一色で明るく、光の玉が無数に浮いているだけ。
この世の何処にもこんな景色は無いだろう。
(そりゃそうか、俺は死んだんだから。……ってことは、ここはあの世か)
死んだ後に来る場所。
誰もが同じように、いずれはこの光景を見ることになる。
それは全く特別なことではないのだ。
そのことに思い当たると、自分が死んだという事実がじわりと現実感を帯びてきた。
(俺、ほんとに死んだんだなぁ……。母さんや父さんには親不孝をしてしまった……)
老後の面倒を見ることも、孫の顔を見せることもなく、そして親よりも早く死んでしまった。
何も執着するものがなかった俺にとって、それだけが唯一の後悔であった。
後悔があるのなら幽霊にでもなれば何かできたかもしれないが、現実にはそんなことにはならないらしい。
あるいは俺の未練がそれほど大きいものではなかったせいかも知れないが。
(ん?)
ふと、そんなことを考えていると、突然体が後ろに引っ張られるような感覚を覚えた。
何事かと視線を後ろに向けると、そこには何やら黒い渦のようなものが生まれていた。
明るい世界に一つだけ穴が空いたような見た目だ。先程まではこんなものは無かったはずである。
(何だ、アレ?)
グイグイと引っ張られる感覚が、徐々に強くなっている気がする。
───と、渦に一番近かった光の玉が吸い込まれた、その直後───『うわああああぁぁぁぁぁ!?』という断末魔のような声が俺の体に響いてきた。
聞こえたのではなく、感じたのだ。
それは少し高い、男の声だった。
渦に飲まれたあの光球の発したものであったと、不思議な感覚が訴えかけている。
(な、何だ今の!? し、死んだのか!? ……死んだ? あれは生き物なのか。魂なのか!?)
困惑する中で、俺の感覚がそう言っていた。
光の玉は確かに男で、渦に呑まれて死んだのだと。
それを理解した瞬間に、俺はふと理解してしまった。
ここに浮かんでいる光の玉は全てが生物の魂とでもいうようなもので、俺も他から見ればあのような見た目をしているのだろう。
そしてあの渦は魂を粉砕する処理機の様なものなのだと。
死んだ人間が生まれ変わっても何も覚えていないのは、アレによって粉々に砕かれているからなのだと!
(ひぃぃい!!!?)
そう理解してしまうと、周囲の魂が確かに生物の様に見えてきてしまう。
人間だけでなく、小さな虫から大型の獣まで、様々な魂がここには存在していた。
それらは例外なくぼんやりとした表情をしていて、意志のないままに渦に引っ張られていくのに、渦に呑まれると大きな断末魔をあげているのだ。
(い、嫌だ! 死にたくない!)
何故俺だけが意思があり、怯えているのかは分からない。
しかしこのままここに居れば、俺も他の魂と同じ様に砕かれて死んでしまうことだけは理解できた。
(逃げなければ!!)
俺は渦に背を向けて、全速力で逃げ出した。
足はない。手もない。しかし何故か動くことはできる。
渦が引くよりも強い力で、渦から離れる方向へ俺は動くことができたのだ。
(これなら……)
逃げられる。そう思ったのも束の間のことだ。
渦が突然一回り大きくなり、引く力も相応に強くなった。
(な、何!)
そしてそれは一度だけではなく、連続して二度三度と渦は成長した。
それによって俺の移動する力と渦が引く力はあっという間に拮抗してしまう。
最早拮抗することはできても、逃げることはできない。
(く、くそ。……う、何だ? 力が、抜ける)
さらに悪いことに、俺が動くための力が弱くなっていくのが分かった。
それは腹が減る様な感覚であり、魂が動くためのエネルギーが枯渇しているのだと直感する。
何かが動くためには、何らかのエネルギーが必要なのは当然のことだったのだ。
やがてそのエネルギーは枯渇してしまい、俺は渦の引力に捕まってしまった。
(くそ、くそ。嫌だ、死にたくない!)
そう喚くことしかできなくなってしまった俺は、渦が大きくなっていくのを、唯々眺めることしか出来ない。
後は他のぼんやりとした魂と同じ様に、引っ張られて砕かれるのを待つだけだろう。
───ふと、その光景を目の当たりにして、天啓が降りてきた。
(何だ、美味そう? 腹が、減って……)
いや、それは天啓というよりも、食欲とでもいうものだったのだろう。
枯渇したエネルギーを補給したい。その欲求が、視界の中に映る魂を美味そうに感じさせていたのだ。
俺は自然と、まるで焼きたてのステーキを差し出された時の様に、目の前の魂に齧り付いていた。
一話で転生まで辿り着かないだって!?