第七話
窓から差し込む朝日によって目が覚めた。
体を起こすと、先日までの怠さは感じない。
よく眠ったおかげで体調は万全だ。
時計を見れば時刻は午前八時。
待ち合わせの時間は十時だから、十分に余裕がある。
洗面所で歯磨きをしながら、スマホの画面を眺めた。
そこには水族館のチケット確認ページが開かれている。
便利な時代になったもので、チケットの購入がウェブ上でできるのだ。
今までならわざわざ並んで買う必要があったが、これなら混雑の恐れもない。
土曜日、という事でかなりの混雑を予想していたのだが、これは嬉しい誤算である。
「それにしても、どんな服着て行こうかな」
悲しい事に俺は私服をあまり持っていない。
中学入学から、ほぼずっと制服とバスケの練習着だけでやり過ごしてきたため、お洒落着など一枚もないのである。
これは今度買いに行く必要がありそうだ。
佐原あたりに付いて来てもらうといいかもしれない。
いや、笹山先輩と行くのもありだな。
なんにせよ、このままではまずい。
「仕方ない。これ着て行くか」
高校入学前に買った唯一のジーンズに、ゆったりした薄手セーターを被って鏡の前に立つ。
「……まぁ普通だな、普通」
自分の中で納得させて、家を出た。
‐‐‐
待ち合わせ場所の駅は自転車で10分の距離だ。
だから、家を出るのなんて最悪九時半過ぎでも構わない。
しかし、家に居ると妙にそわそわしてしまって、早くに着いてしまった。
待ち人の姿はない。
当然だ。
だってまだ九時になったばかりなのだから。
十月にもなると、若干肌寒い。
薄手のセーター一枚で来たが、上着くらい羽織ればよかったかもしれない。
つくづく己の季節感の乏しさ、ファッション感覚の無さに呆れる。
自転車をぎゅうぎゅうの駐輪場に押し込み、入念に二重ロックをかけた。
駅と言えば自転車の盗難だ。
高校でも電車通学の生徒はよく盗られていると聞くし、注意していなければならない。
最近は徒歩の笹山先輩と帰っているため、自転車を押して歩くことも多いが、俺の家から学校までの距離は自転車必須だし、盗られると面倒だ。
先輩が来るまで暇なため、自転車のカギを何度もかけては外して繰り返した。
手持無沙汰で異様に落ち着かない。
「そう言えば先輩、どんな服で来るのかな」
先輩の私服を見たことがゼロなわけではない。
同じ部活に所属しているわけで、今までに二度、歓迎会と県大会の打ち上げの際に見ている。
しかし、あまり記憶にない。
当時は入部直後で、別に笹山先輩を意識していなかったしな。
まぁ美人な先輩の事だ。
どんな服を着て来ても似合うのだろう。
楽しみである。
と、そんなことを考えていると、スマホが振動した。
見れば先輩からメッセージが入っている。
『駐輪場にいる?』
顔を上げ、周囲を見渡すと俺の方をガン見している女性がいた。
「笹山さん?」
「あ、やっぱり涼太」
声をかけると先輩はこっちに歩いてきた。
そして俺の全身を眺める。
「大学生みたいな格好だね。普段よりさらに落ち着いて見えるよ」
「ありがとう」
「うん、かっこいい。一瞬誰だかわかんなかった」
「まるでいつもはかっこよくないみたいな言い方ですね」
「あ、いや。いつもかっこいいけど、雰囲気が違うっていうか」
いつもかっこいい。
言わせたみたいな形になってしまったが、そのワードを引き出させてしまった俺は頬が熱くなるのを感じた。
と、それを見て先輩の顔も赤くなる。
「い、行きますか」
「そうだね。うん!」
朝っぱらからこんな調子で、果たして一日平常心を維持できるのか。
既に不安である。
「涼太は水族館とかよく来るの?」
電車に乗り込んだ後、隣に座る先輩は前髪をしきりに触りながら聞いてきた。
「いや、小学校の社会見学以来ですね」
「あ、私と一緒」
「そもそも動物園とかテーマパークとかもそうですけど、昔は興味なかったんで」
「涼太らしいね」
あまり騒がしい場所や人混みは好きではなかった。
それは今でも変わらない。
でも何故か、先輩とは行ってみたいと思った。
不思議な話である。
「先輩もあんまりそういう施設行かなかったんですか? ――あ」
言った後に、先輩の家庭事情を思い出した。
母親がいなければ、機会も減ってしまうだろう。
聞いてはいけない話だった。
しかし、顔を顰める俺を他所に先輩は笑った。
「遊園地だけはたくさん行ったよ。うちのお父さん、大の絶叫マシン好きで」
理由が先輩や弟ではなく、父親の趣味というのに笑ってしまう。
面白い家庭だ。
「動物園は暑いからあんまり好きじゃないし……ほら、うち私も弟もバスケでしょ? 屋外がダメなの」
「あーそれ分かりますよ」
俺もバスケを始めたのは、外で動くのは嫌いだが何か運動はしなきゃな、という消去法の末だ。
先輩の気持ちはよくわかる。
と、そこまで話したら会話が終わってしまった。
気まずい無言の時が流れ始める。
ふと隣の先輩を見た。
相変わらず前髪をいじっている。
気に入らないのだろうか。
俺から見ればいつもと同じく可愛いのだが。
と、先輩の顔にうっすらと化粧が確認できた。
普段の顔の良さを良い感じに引き立てている。
ちなみに服装は上がノースリーブのシャツに灰色のカーディガン。
下は正式名称は知らないが、裾の部分が広がったゆったりとしたパンツを履いている。
大学生が着ていても不思議ではないようなコーデで、先輩によく似合っている。
「笹山さん、服似合ってますね」
「え? あ、ありがと」
急に褒めたせいで、照れられてしまった。
余計に気まずい時が流れる。
何か話題を。
「そう言えば笹山さん。もしデートの場所にゴミ処理場を選んだら来てくれてましたか?」
出てきたのは、一番意味のわからない言葉だった。
「え? 何それ。ゴミ処理場? デートなの? それって。ただの嫌がらせじゃない?」
「来てくれなかったですか?」
「……冗談なら笑って断るし、本気なら本気で断ったかな」
流石の笹山先輩でもゴミ処理場でデートは無理らしい。
やはり佐原の話は適当だった。
しかし。
「まぁどうしてもって言うなら行くかも」
「行っちゃうんすか?」
「彼氏が本気でゴミ処理場を見学したいって言うなら、デートとしては無理だけど付き合うくらいはね」
前言撤回。
やはり先輩は優しいし、佐原の言う通りかもしれない。
「急になんでそんな話? もしかしてゴミ処理場に行きたかったの?」
「まさか」
こっちの話である。
ゴミ処理場でデートなんて、俺もしたくない。
ただ、そんな話をしているうちに雰囲気は和み、あっという間に目的地の駅まで着いた。