6.
今日はカトラス家のご令嬢のお屋敷でお茶会が開かれる日だ。毎月決まった日に開かれるそのお茶会は、ルナが参加することを許されている数少ないお茶会の一つだった。ルナは決まったお茶会にしか参加が許されていないのだ。以前はグレンに、今ではルーカスからの許可を得たものだけだ。
ルナは今まではそれがなぜなのか分からなかった。エルは他のお茶会にも参加しているというのにルナだけが許されないのだから。長女のみ参加が許されるのかと一時期ルナは思ったこともあったがそうでないことはすでに理解していた。だから、ずっと疑問だった。
なぜルナは一部のお茶会を除いて参加することが許されないのかを。
理由なんて簡単だったのだ。答えは城を訪れた際に聞こえた声が教えてくれた。
そしてルナの胸には数年越しの答えがストンと落ちてくる。
『自分をあまり他人の目に触れさせたくなかったのだろう』――と。
カトラス家のお茶会は招待される人数が普通のお茶会に比べて少ない。お茶会は情報交換の場所としても用いられると聞くからある程度の人数がいることが普通なのだろう。しかし、カトラス家のお茶会に参加するのはルナともう一人、古くからランドール家との交流のあるシーランド家のご令嬢だけだ。3人だけのお茶会ならば人の目にもほとんど触れることはない。
カトラス家のご令嬢もシーランド家のご令嬢もルナにとても好意的に接してくれていた。それはなぜなのか、今までそんなことルナは疑問にさえ思わなかった。けれども今は何故か気になってばかりいる。目の前で交わされる会話を受け流しながらそれを気付かれまいと愛想笑いを浮かべながらそのことばかりを考える。
それは城での話を、自分が死に神と呼ばれているのだと知ってしまったからだ。
あの時カーティスはルナに何も言わなかった。それはルナが『死に神』と言われていることを知っていたからだろう。そしてきっと目の前にいる彼女たちだって知っているのだろう。
ルナが死に神と噂されていることを。
そう思うと、好意的な彼女たちにも裏があるのではないかと勘ぐってしまう。彼女たちに対してとても失礼なのは分かっている。
けれど今のルナは自分に価値が見出せないのだ。だからこそどんどん悪い方向に考えてしまう。
その感情が外に出てしまっていたのか、あるいはルナの愛想笑いに気付いたのか二人の令嬢は心配そうな顔でルナを見つめていた。
「ルナ様、どうかなさいましたか?」
「いえ、何でもありませんわ」
「そう……ですか。」
再び愛想笑いを浮かべると納得いかないといった顔をしながらも引き下がった。そしてすでに冷えてしまった紅茶の入ったカップに手を伸ばすと、カトラス家の令嬢はいいことを思い出したかのように花が咲いたような顔を浮かべた。
「ああ、そういえば知っていますか? 幸せを運ぶ花屋の噂」
「幸せを運ぶ花屋……ですか?」
言い方から察するに花を見ると幸せな気持ちになれるがそういう意味ではないのだろう。噂になるぐらいだから、普通の花屋とは違うはずだ。どういった店なのだろうか。もともと花に興味のあるルナは少しだけその花屋に興味を持った。ルナが顔をあげると彼女が興味を持ったことが嬉しかったのだろう、作戦が成功したとばかりに笑みを浮かべてからカトラス家の令嬢は少しだけ声を高くして話を続けた。
「ええ。DEARという名前の店なのだけど、その店は薔薇のみが売られていてその薔薇を贈られた女性は幸せになれるそうですわ」
DEAR――それは初めて聞く名前の店だった。
薔薇を贈られると幸せになれるなんて不思議な話である。
「ロマンチックですわね」
それだけを返せば、まだそれだけじゃ終わらないとばかりに声を低くして、顔を近づける。つられてルナとシーランド家の令嬢も聞き逃すまいと顔を寄せ、ティーテーブルの真ん中には小さな顔が三つ集まった。
「ただ、黄色い薔薇だけは例外らしいのです」
黄色い薔薇と聞いて、ルナの頭に浮かんだのは友人に贈るにふさわしい花かしらということだった。黄色い薔薇の花言葉といえば友情や友愛が一般的なのだ。ルナは昔グレンの書斎の下の方の段に並べてあった植物図鑑の絵を思い浮かべた。
「黄色い薔薇は別れたい相手に贈るのに用いられるそうです。この花を贈られて別れた方もいるそうですわ」
「え?」
別れたい……?
ルナは頭の中でカトラス家のご令嬢の言葉を繰り返して固まってしまった。
黄色い薔薇の花言葉――薄らぐ愛、別れよう
あまり一般的ではないが、この意味をとってのことだろう。
ルナの顔を見てカトラス家の令嬢はなんてことないように言葉を続ける。
「でも、黄色い薔薇以外を贈られれば幸せになれるとの噂ですわ」
「赤い薔薇、贈られてみたいですわ」
「あら、旦那様に頼んでみてはいかが?」
「そうね。頼んでみようかしら」
「ルナ様もルーカス様に頼んでみてはいかがかしら」
「いえ、私は……」
そうは言いつつも一度はもらってみたいと思う。けれどすぐにそう思う資格すらないというのに……と自分の気持ちを押し殺す。
贈られるとしたら黄色い薔薇だろう。だがきっと優しいルーカスなら頼めば赤い薔薇を買ってくれるのだろうとも思ってしまう。だがその赤い薔薇にはきっと気持ちはこもっていない。『買う』であって『贈る』ではないのだから。そんなものを貰ったところでむなしくなるだけだろう。
「そうよ。ルナ様は贈られなくても十分お幸せだわ」
「そうね」
俯くルナとは対照的に、2人のご令嬢はうふふふふと優雅に顔を見合わせて笑うのだった。
その後、少しお茶を楽しんでお茶会がお開きになった。ルナは迎えに来た馬車に乗りこみ、御者に告げる。
「町を見てから帰りたいの」
ルナがそう告げれば、感情がすぐ表に出てしまう御者は顔をしかめた。
「何か必要なものがございましたら、私に申し付けていただければ……」
「なんとなく町の風景を見たいだけなのだけれど……。駄目かしら?」
「……いえ。旦那様のお帰りになられる時間に間に合えば問題ありません」
なんとなくすぐには屋敷に帰りたくないのだ。御者だってルナがわがままさえ言わなければすぐにでも帰ってしまいたいだろう。随分考えてから返事をした後で彼は帽子を目深にかぶりなおして御者台に深く腰掛けると馬車を出した。
揺れる馬車の中から前にいる御者に心の中で『迷惑をかけてしまってごめんなさい』と詫びる。
けれどルナは普段屋敷からあまり出してもらえない。外出が許されるのはお茶会に参加するときと姉に会うために城へ行く時くらいなものだ。それも屋敷と屋敷、屋敷と城を往復するだけ。寄り道なんて許されない。だからこんな時、わがままを言った時くらいしか町を見る機会などない。
これも私の見た目のせいなのかしらと思えば仕方のないことなのだろうと納得できる。だがそれでもずっと屋敷にいるのは少し息苦しくなってしまうのだ。あの話を聞いた後だから今は余計に。
(時間が来たら大人しく帰るから、せめて今だけは。)
そんなことを願ったのが悪かったのだろう。大人しく、今まで通りに帰ればよかったのだ。
わがまま、なんて言わなければよかったのだ。
馬車の窓から見た景色。
そこにはエルが以前ルナに教えてくれたケーキ屋さん、針子屋さん――様々な店が並んでいた。その中には以前エルが気に入っていると話していた宝飾店があった。
なんでも店主のセンスがいいのだとかで、エルは自分で何度も足を運んでいるらしい。楽しそうに話す姉の姿を見て、そんなにも気に入る店とはどんな店なのか気になっていた。外から、しかも馬車の中から見るなんて無理かもしれない。でも雰囲気だけでもと思い、どこにあるのかもわからずにずらりと並ぶ店の列に目を向けた。するとその中で異質なガラス張りの店。外からもよく店内が見えるその店の中に二人寄り添うエルとルーカスが目に入った。
動く馬車から見た光景だ。ほんの一瞬のことだった。それでもルナの目には焼き付いた。
2人が幸せそうに微笑んでいる姿が。