22.
「今帰ったぞ」
ドアの外から叫ぶような声がすると、ルーシィはびくっと顔を上げた。そして口の端についているクリームや食べカスは御構い無しにドアへと向かって走った。
「お帰りなさい、ヒューイ様!」
ルナはその様子をランドール家にいた頃の自分と重ね、微笑ましく思った。開きっぱなしのドアからはルーシィとヒューイの会話がかすかに聞こえてくる。そしてそれは次第に大きくなった。
「ルーシィ、カス付いてるぞ。ったく……今拭くもんないから後で誰かに拭いてもらえ」
「はい!」
まるで父親と娘のようだ。いや、ふたりだけでなくこの屋敷にいる皆が家族のようだと。その反面で、自分だけが仲間外れであることに寂しさを覚える。いくら親切にしてくれても、誘拐犯と被害者という関係は変わらない。だがそれはきっとランドール家の時と同じだ。繕っても根本が変わることはない。ルナは孤児で、ランドール家の誰とも血は繋がっていない。見た目も中身もまるで違う、別物だ。
「カッツェ?どうかしたの?」
ミレーは廊下の声に耳をそばだて、カップを持ち上げたまま静止しているルナを心配そうに見つめた。
「どこか具合でも悪いの?」
「あ、いえ。何でもないんです」
(エル様もこうして心配してくれた。)
今は隣にいない、姉だった人に想いを馳せる。けれど彼女は姉ではないのだ。長年お姉様と呼ぶことを許してもらっていただけの他人。
(可愛がってもらったのに、何も返せずに。あまつさえ嫉妬までした。本当にバカみたいだわ。)
「カッツェ、ただいま」
気持ちとともにうつむきがちだった頭にはヒューイの手が乗せられた。体温と少しの重さを含んだ手だ。彼はそれ以上のことは言わなかったが、何故だか不思議と励まされているような気がした。
「おかえり、なさい」
「ん」
ヒューイはルナの言葉に満足したのか2往復ほど彼女の頭の上で手を動かして髪をぐしゃぐしゃにした。次第にポカポカと温まっていく胸に、ルナはわけがわからなくなってしまった。なぜこの場所はこんなにも心地がいいのだろう?私は誘拐されたのに、屋敷中にいるのは自分を誘拐した人達なのに……。
「あ!」
ふと何かを思い出したようにミレーは声をあげた。その声に初めに反応したのはヒューイだった。
「な、なんだよ?」
何かしたか? とあわてて身なりを確認しだした。けれど理由がわからずに首を傾げる。ルナも彼の真似してみたが、何があったのかわからない。ヒューイとルナが揃ってミレーの顔を見ると深刻そうに言った。
「私、言われてない!」
「何が?」
「カッツェ、私にも『おかえり』って言ってちょうだい」
胸でできた山に手を乗せて主張すると、ヒューイは「何だそんなことか……」とひどく呆れた。ルナは驚きはしたものの、特に自分が何かやらかしたわけではないと理解して、彼女が望む言葉をかけた。
「おかえりなさい、ミレーさん」
「ただいま、カッツェ」
ルナの言葉に満足して、ミレーはルナの身体を抱きしめた。昨晩と同じようにルナの顔は埋もれてしまったが、今日はすぐに呼吸の確保をすることはできた。顔を出して空気を吸い込むと、目線の先には何やら期待した顔で見つめるルーシィの姿があった。
「えっと、おかえりなさい、ルーシィ」
ミレーにかけた言葉と同じようにすると、今度は頭を突き出した。撫でてほしいのかしら?
そう思いはしたものの、今のルナはとてもじゃないがルーシィの頭をなでてあげられるような状態ではない。だが、一向にルーシィの頭が上がってくることはなく、ずっと突き出したままだ。結局、ルーシィが頭をあげるよりも先にミレーの抱擁から解放された。ルナは自由になった手で待たせてしまった分も含めて、ゆっくりと、丁寧にルーシィの頭をなでた。ルナが頭を撫で終わるとルーシィはさっと頭をあげて、お菓子を食べていた時と同じような顔でヒューイの元へと走っていった。
「ヒューイ様! ヒューイ様!」
「よかったな」
「はい!」
ルーシィは興奮冷めやらぬ様子でヒューイの前でピョンピョンとウサギのように飛び跳ねた。その光景を微笑ましく眺めていると、グルグルとヒューイのお腹から空腹を主張する音が響いた。
「ところで飯、できてんのか? 腹減った……」
「できてはいますがまだコニーが帰って来ていません」
「はぁ? あいつ行ったの城だろ? 何でこんなに遅いんだよ?」
「事故でもあった、とか?」
「コニーに限ってそんなヘマするはずないじゃない!」
つんざくような声ですぐさま否定したミレーは全く帰ってこないコニーにいらだっていた。長く伸びた親指の爪をかじりながら居ても立っても居られずその場を三歩歩いてはターン、三歩歩いてはターンを繰り返しながらウロウロとしていた。
「俺、見てこようか?」
そんなミレーの姿を見ていられなくなったのかブルックが提案しながら、手の中にある片手サイズの袋を腰に下げる。
「飯の時間までに帰ってこねぇのはさすがに心配だからな。行って来てくれ」
「わかりました」
「私も行くわ!」
飛び出して行くブルックの手を掴み、ミレーは連れて行くように頼む。けれどブルックはその手をゆっくり剥がして両手で彼女の手を包み込んだ。
「ミレー、お前はここにいろ」
「何でよ!」
落ち着いたブルックの声とは正反対のミレーのヒステリックな叫び声が食堂内に響き渡る。それまで椅子に座りながらウトウトと舟をこいでいたものやカードゲームを興じていたものが一斉に何事かと振り返る。けれどブルックは全く動揺を見せずに相変わらずの落ち着いた声で、ミレーをなだめるように言い聞かせた。
「コニーが帰って来た時にお前の顔が見れなかったら心配するだろうが」
「…………でも」
「でも、じゃないだろ。俺がいない時にあのトリ頭が見えたら殴っといてくれ。できるのはお前しかいないんだから」
ヒューイがルーシィにするのと同じように、けれどそれよりも優しく頭を撫でたブルック。次第にミレーの顔は頼り甲斐のある女の顔へと変わって行く。
「わかったわ! あのトリ頭をボサボサのボコボコにしてやるんだから」
ブルックがミレーの手を離すと、彼女は任せなさいと両手に力を入れて拳を作った。その様子にブルックは一つ頷いてから、今度こそコニーを探すために食堂のドアノブに手をかけた。
するとドアはブルックが引くよりも早く押し出された。ゆっくりと押し出されるそれを訝しげに眺めながらも、ドアを支えて少しずつ後退した。ドアが半分ほど開くと、ルナの隣で待機していたミレーの目は大きく開いた。そして一目散にドアへと駆け寄った。
「コニー!」
「だれが、トリ頭……だって?」
ドアから少し離れていたルナの耳にもかすかに届くコニーの声。聞き慣れている屋敷の住民たちの耳にも届いたのか、ミレーに続いて他の男たちもコニーの元へと向かって行く。
「コニー」
「俺は鳥じゃねぇ……つうの」
ミレーは疲労困憊といった様子のコニーの脇に手を入れ腰を支える。すると力が抜けたのかコニーはミレーの胸へと顔を埋めた。ミレーはコニーの背中を撫でながら小さな声で『お疲れ様』と労った。そしてコニーを囲む男の一人が深刻そうな顔で「何があった?」と問いかけた。他の者たちもコニーの仇は誰なのかを聞き逃さないように聞き耳を立てている。するとコニーは息をするのも苦しいのか、薄っすらと口を開いてヒューヒューと息を漏らしてから「ビー…………にやら……れ、た」と告げた。
「は?」
「ビーに、思い切り殴られた」
「……」
「完全…………に肩、はずれ……てる」
「……何したのよ」
何も言い出せずに固まっていた者たちの言葉を代表してミレーが言葉を発するとコニーを囲むものたちは一様に呆れた顔を向け、コニーを見下ろした。
「俺は、俺はただ……」
「ただ?」
「カッツェの寝間着姿が可愛かったって」
だいぶ楽になって来たのか、一息でことの原因を告げると一層周りのものたちの目は哀れみの色を濃くした。
コニーの怪我に対してではなく、コニーの空気の読めなさに対して。
「あー……。それはあんたが悪いわ、コニー」
「え!?」
「ああ、コニーが悪い」
「ビーにそれはいかんわ」
「ああ」
「殴られただけでよかったな。ビーの獲物だったら一突きされたら即死もんだぜ」
さすがにけが人の身体を叩きはしないものの、『馬鹿』だの『トリ頭』だの好きなだけ暴言を吐いてはコニーの心を傷つける。だがそんなことを彼らは気にしてなどいない。
「今なんだっけ?」
「槍じゃなかった?」
「ビーはよく我慢したな」
何だ……とぶつくさと文句を言っては引き下がっていった。するとその代わりのように奥で見守っていたヒューイが心底面倒臭そうに大股で歩いてきた。そして膝をつくと荷物でも担ぎ上げるように肩に乗せた。
「いってぇ!」
負傷した箇所に衝撃が走ったのか、苦痛の表情を浮かべているコニー。ヒューイはそんな彼の叫びを無視し、部屋を見回す。そしてルーシィの方へ身体を向けると手招きした。
「ルーシィ、包帯もってコニーの部屋にこい」
「はい!」
「ヒューイ、もっと優しく……」
「お前はお姫様みたいに抱きかかえられたいのか? それならそうと……」
「このままでいい。このままで十分です」
「よし」
コニーを担いだヒューイに、指名されたルーシィ、そして呆れながらも彼を見守るミレーとブルックは続いて食堂を後にする。置いてきぼりのルナは目を丸くしてその光景を見ていた。




