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20.

 手持ち無沙汰になったルナは一人、騒がしい食堂に背を向け部屋へと戻った。

 ドアを開けると、先ほどミレーから本でも読んで待つように言われたからか、やけに本棚にぎっしりと詰め込まれた本が目についた。いや本当はもっと前から気になってはいたのだ。ただ部屋の主人に遠慮して手に取らなかっただけ。それも許可が下りた今ではもうほとんどなくなってしまっている。

 まっすぐに進んで背表紙を見て回る。昔からある程度は教養のためとグレンから本を与えてもらっていたルナであったが、目につく背表紙にはどれも見知らぬタイトルが刻まれていた。

 どれから読もうかしら。本棚の本と本の隙間の木に手を滑らせながら移動する。ルナの指の上を過ぎ行く本も下を過ぎ行く本も全てが未知だ。興味をそそる。

(本当は全部読みたい……けど無理、よね……。)

 賭けにルナが負けた場合は養ってくれるとヒューイは言っていたが、もしそれが本当だったと仮定して、ならばいつまでこの屋敷に置いてくれるかはわからない。それに部屋の主人が戻ってくれば賭けの内容に関わらずこの部屋から退かなければいけない。そうすれば本を貸してくれるかどうかも怪しいものがある。

 だが心の中ではまだ少しだけ期待しているのだ。

 3人のうち、まだ誰かが何かしらの感情を持ってくれているのではないかと。昨日ヒューイの言葉を否定したばかりだというのに可笑しな話だ。可笑しくて悲しくて嫌になる。ルナはそんな自分を嗤った。己さえも分からない賭けを、悪者か分からない男としたのだ。分からないこと尽くめだなと嗤うしかなかった。けれどどんな思いを抱こうともルナは待つことしかできない。悠長な話ではあるが、約束の期日を待ってこれから自分がどんな道を進むのか、その時に考えるしかないのだ。

 ルナは本に意識を戻し、部屋を回って、木に手を這わせてもどれも魅力的でなかなか決めることはできなかった。困ったルナは部屋の中心まで戻って目を閉じた。クルクルと、目が回ってフラつかない程度に3回回ってから進んだ。どこへ向かっているかはルナ自身もわからない。本棚がある方向に進んでいるかすらもわからず、しきりに身体の前で手を動かす。少しだけ怖さもあるがそれよりも一番先に指先に触れる本は一体どんな本なのか、期待の気持ちが大きかった。

 数歩進んだ頃、ようやくちょんとルナの指先が木材に触れる。本棚か机か、それとも椅子か。はたまたクローゼットかもしれない。慎重に指の腹を木材の上をまずは左右に這わせていく。凹凸はない。ならば椅子とクローゼットは選択肢から除外される。残るは本棚かテーブルだ。上下に移動させてみて引っかかりがなければ机だし、皮の素材に当たれば本棚である。指を止めていた位置からゆっくりと上に上げていく。ざらっとしたものが触れ、目を開く。

 目の前にあったのは『お菓子の基礎』

 手にとって表紙を見てもタイトルは同じ。ルナはクスッと笑ってしまった。この大量の本の中から選んだものはお菓子の本なのだ。ランドール家にいた時もクロード家にいた時も作っていた、お菓子に関する本。まさか誘拐されてからもお菓子に縁があるなんて笑わずにはいられなかった。

 中を開いて一枚一枚を丁寧にめくっていく。基礎というだけあって正確なレシピはすでにルナの頭の中に入っている。けれど目を通すことはやめなかった。暗記していることを確認するように見入って、終わってしまったら元の場所にと戻した。部屋の持ち主が整理をしているらしい本棚はジャンルごとに固まっており、先ほど埋めたばかりの場所の本を抜き取った。


 やはりお菓子の作り方の書かれた本を。


 長く伸びた髪を耳にかけ、ペラッペラと音を立てながらページをめくっているといきなりトントントンとドアを叩かれた。

 決して大きな音ではないそれにルナの身体は驚いたネコのようにびくっと跳ねた。それ以前に聞こえてくるはずの足音が全く聞こえなかったからだ。今までルナは本を読んでいたし、聴力が優れているだとかいうわけではない。だがいくらなんでも全く聞こえないなんてことはない。近づいてくれば大きくなるそれを聞き逃すわけがないのだ。そろりそろりと怯えながらドアへ近づくとまたトントントンとドアを隔てた向こう側の人物が音を奏でる。それにまた驚き、どこかへ隠れてやり過ごすべきかとルナの脳裏によぎった。すると外から呼びかけるような声がした。

「カッツェ、カッツェ?寝ているの?」

 ミレーの声だ。

 トントントンとまた一つ音を奏でてカッツェとルナを呼ぶ。

「は、はい!」

 ルナは足音の謎を残しつつもドアの向こう側の相手への不気味さはなくなったことに安堵してドアを開けた。

「起きてたのね。もしかして気に入った本でもあったの?」

「え? ええ、ここの本はどれも興味深いものばかりで……」

 ミレーはルナが本に集中していたから気づくのに遅れたのだと思っているらしい。誘拐犯のヒューイの仲間ではあるが親切にしてくれているミレー相手に警戒して出なかっただなんて言えるはずもない。いや、もし目の前の相手がミレーでなくとも言えるはずがない。きっとそんなことを口にすれば彼らは気にしてしまうだろう。傷ついてしまうかもしれない。誘拐犯相手にこんなことを思うのは変だとルナだって分かっている。分かっていて、傷つけたくはないと思ってしまうのだ。だからルナはミレーの考えに同意することにした。

「ねぇ、カッツェ。お茶しない?」

「お茶、ですか?」

「ええ。私とカッツェ、ルーシィで。あ、もしよかったらブルックもいれていいかしら?」

「ブルック、さんですか?」

 ブルックといえばルーシィを馬車に乗せて行った男性のことだっただろうか。昨日今日で会ったたくさんの人物の顔と名前がいまいち一致しない頭でどうにかひねり出す。

「そうそう。あいつ大の紅茶好きなのよ。お菓子はブルックに用意させるし……」

 誘拐犯だなんだというわりにわざわざ意見を聞きに来てくれることに違和感を覚えつつ、今更かと結論づける。そして返事を返す。

「ええ。私は構いませんよ」

 すると途端にミレーの顔は明るくなる。

「なら呼んでくるわね!先に食堂で待っててちょうだい」

「あ、はい」

 廊下を駆けていくミレーの背中を見送りつつ、木に振動が伝わって音がするのを耳で聞き取る。やはり先ほどのはただの気のせいか何かだったのだろう。ルナは先ほどまで腰をかけていた椅子まで戻り、開きっぱなしの本を閉じた。



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