☆5.ルーカスside
口に残る青々とした苦み。
サラダとして摂取しているときには絶対に味わうことはないであろうエグミ。
そしてたまに来る酸味。
結局正体がわからない液体を飲み干したルーカスの身体は、初めは悲鳴を上げた。だがすぐにそれを受け入れ始め、次第に身体は軽くなっていった。
一歩前へ進むたびにルナから一歩遠ざかっている気がして、身体は軽いはずなのに足には砂の入った袋でもつけているのではないかと思うほどに一歩が重かった。
それでも「いいですか? ルナ様は宰相の奥さまです。……宰相の、です」と言われてしまえば、反論もできずに働くしかない。
(ルナは宰相である俺と結婚してくれたのだ。宰相でない俺に何か価値を見出してくれるとは思えない。)
ならばルーカスは働き続けなければならない。一刻でも長く、彼女に価値のある人間だと思ってもらうために。
王様から与えられている仕事部屋、宰相室へ向かって廊下を歩いていると後ろから何者かにより背中に衝撃を受けた。前につんのめりそうになった身体をつま先に力を入れ、何とか耐え、口を開く。
「……何だ」
後ろを振り向くまでもなく、誰かなんてわかる。同期のカイトだ。
「なんだルーカス、休み明けだっていうのに元気ないな」
毎回、毎回、こいつは普通に話しかけられないのかと思う。だがこいつが普通に前から何もせずに話しかけてきたことなど一度もないし、あったらあったで何かほかに仕掛けているのではないかと疑ってしまうのだろうからこいつはこれでいいのだろうとルーカスは自己完結する。
「お前は朝から元気だな」
いつもテンションの高いカイトだが、今日はいつにもましてテンションが高い。ルナがいなくて気が沈んでいるルーカスはムカついて嫌味を言ってやった。
「わかる? わかっちゃうか」
……のだが、こいつに嫌味は通じなかった。それどころか聞いてもいないのに逃がさないとばかりにルーカスの肩に腕を乗せ、自分の話をしだした。
「聞いてくれよ。昨日カレンちゃんに振られてたまたま飲みに行った酒場でめっちゃ可愛い女の子見つけちゃってさ。それはもう俺の好みのドストレートな子でな……」
「その話長いか?」
「同期の話ぐらい聞けよ」
カイトの話なんかもう聞き飽きた。王都の見回り担当だったカイトの担当が城内に変わってからからというもの、1週間に一度はこの手の話を聞いているのだ。それに真面目に聞いたところでどうせ3日と経たずに振られてしまうのがオチだ。
「これがお前じゃなかったら……っな」
「えー」
ルーカスは思い切り腕を回し、カイトの腕をどけた。そして文句を言い続ける彼を無視し、宰相室に急いだ。
カイトにかまっている時間などない。今日は何としても定時前に仕事を終えてみせる。そう意気込んで、部屋のドアを開けるとそこには黒いローブを身に纏った年齢が全くわからない男、国王直属の暗部の一人がそこに立っていた。
「ルーカス様おはようございます」
「……」
予期せぬ事態に固まってしまった頭を何とか回転させ、なぜ暗部の人間がこんなところにいるのかを必死で考える。今は他国との競り合いもなかったはずだ。それに最近どこかで大きなミスをしでかしたという話も耳にしてはいない。
ではなぜ?
「本日はこの書類をお納めいただきたく参上いたしました」
男はルーカスの声に出してはいない疑問に答えたのか、それともただ与えられたことを全うするためなのか、抑揚のない声でどこからか取り出した紙の束を受け取れとばかりにルーカスに差し出した。
書類?わざわざ暗部の一員が持ってくるような書類だと?どんな内容の書類なんだ?
そう疑問に思いながら気を引き締めて受け取った書類に目を通す。
「人事異動?」
その書類には人事異動について書かれていた。こんなもの、わざわざ暗部の一員が持ってくる書類ではない。そもそも人事異動は宰相である自分に一任されていたはずだ。なのになぜ自分の前には人事異動の決定書があるのだろうか。
疑問に思いながらも目を通してみると、異動先は北の領地。この場所は半端なものは送ることができないからと人員選びは難航していたはずだ。そのはずだったのに、この書類には北の領地から要請されていた人数よりも多い3人の名前が記されている。けれど驚くべきはそこではない。なんとこの書類には国王の調印がされているのだ。
国王直々に人事を決めたというのか? いくら難航しているとは言え、期限はまだ先、そう焦るはずの案件でもなかったはずだ。
「この書類は……」
「すでにその者たちは先日付で北の領地に異動しました」
「は?」
「申し訳ないのですが仕事のローテーションを組みなおしていただきたいとのことです」
「はあ」
「ではよろしくお願いいたします」
開いた口をふさがらないルーカスに対し、男はもう要件は済んだのだというように音もなく去っていった。ちょうど今日新しいローテーション表を組もうと思っていたところだったから、そこまで手間ではない。だが人員管理を任されている自分に何の相談もなく人事異動が行われていたことが少し不思議である。だがこれは国王陛下がお決めになったこと。口は挟まない方がいいだろう。
そして元から組まれていた予定通り、ルーカスは仕事のローテーションを組むことにした。部屋に入ったときに渡された書類には少し驚いたが、それでもやることは変わらないのだ。
「ルーカス」
もう少しで昼の休憩をとろうと思っていた時に、カイトが窓の間からうまく体をねじ込み部屋へとやってきた。きっと早めに昼の休憩でも取ったのだろう。
「今度はなんだ? くだらない話なら聞かないぞ」
「ん、今度は仕事の話。俺のところに何人か回してもらえないかなと思って」
「お前のところ、この前新人入ったばかりじゃないか」
カイトの管轄には先月、新人を3人配置したばかりだというのに。異動させた記憶もないが、まさかこいつ……。女さえ絡まなければまともだと思っていた同僚に疑いの目を向ける。
「違う、違う。別に大けが負わせたとかそんなんじゃないから」
「本当か?」
「全く信用ないな……」
「この前の処理、誰がしたと思っている」
カイトは先日、酒場で2人組の大男にケガを負わせている。周りの証言から男は女性にしつこく絡み、周りもどうにかしようと思っていたが、相手は大男。なかなか手が出せないでいるところにちょうど振られたばかりのカイトが通りがかったらしい。絡まれていた女性とその周りの人たちはカイトに感謝こそすれ、誰も責め立てはしなかったが、男たちは全治6か月のケガを負った。
城屈指の兵のカイトが腕を振るったのにも関わらず、命があっただけで相手にとっては幸運なのだろうが、そもそも兵士たちは暴力行為を禁じられている。だから、わざわざそのことのもみ消しをしなければいけなかった。――ルーカスが。
「ああ、あの件は本当に感謝してるって。んで、今回のは俺のミスとかじゃあなくってな、急に異動が決まったらしくて一気に3人も抜けちまったんだよ。」
「3人?」
「ああ、この前入ってきた奴らがみんな抜けちまった。それで異動先があの北だっていうんだから断れねえわな」
北に3人……。
思わずルーカスは先ほど渡された書類に目を落とした。異動先も人数もピタリと一致する。まさか全員カイルの部署の人間だとは思わなかったが、人員補充も先ほどの指示の一部なのだ。面倒臭いなんて理由で断れるわけがない。
「いつまでに欲しいんだ」
「すぐにでも欲しいところだが……まあ、ちゃんとしたやつ選んでくれや。こっちには何といっても氷の姫さんがいるからな」
氷の姫――それは心を許した相手以外、一切笑いかける事のないエルに付けられたあだ名である。
カイトはこう見えて王族の警護が主な仕事であり、エルとも多少の関わりがあるのだ。そして彼がここまでエルを気にする理由は簡単だ。エルは気に入らないものはすぐに外したがるからだ。それは他の王族にもたまにいるのだが、エルの場合は外す基準がまるで見当もつかない。比較的エルと仲はいいはずのルーカスにすらその理由を教えてくれることはない。それどころかこの話題を口にすると決まって機嫌が急降下するのだ。そのせいで今までなら腕がいいやつを配置していたのだが、エルが来てからというものそうはいかなくなった。
この前配置した三人の腕はそこまでよくないが嫌われてはいなかったから、長続きすると期待していたのだが何か気に入らないことでもあったのだろう。また選びなおさなければいけないのかと思うと気が重くなる。
「で、一人欲しいやつがいるんだけど」
「欲しいやつ?」
女好きではあるが、剣の腕はこの国の5本の指に入るくらいの実力をもつカイトが欲しがる人材だと?どのくらい剣術に優れた者なのだろうと少し興味が持った。
もしくは女か? 女なのか?もしそうであれば了承するわけにはいかない。
「門番だ」
「は?」
「門番の男が欲しい。あ、メガネのほうな」
「ああ」
「んで、配置は姫さんのところ固定で」
メガネをかけた門番というと、確か彼が主に使う武器といえば槍だった気がする。彼は兵士にしては線が細いわりに、背中に大きな槍を背負っているのが印象的だった。彼の配置場所を決める際に、あの槍は場内で使うには不向きであるという理由で彼は門の前に配置したからよく覚えていた。
そんな彼をエルのところ固定だと?
「何を考えている?」
「彼は強いが、使うのは槍だからあんま城内の護衛に向かないことぐらいわかっている。でも彼は剣の腕前は俺には劣るがそこそこの腕前だし、何より姫さんのお気に入りだ」
「エルの?」
「ああ、知らなかったのか? 門番の彼はルナ様と仲がいいんだよ。だから、姫さんのお気に入りになったってわけ。何とも姫さんらしいな。わかりやすくていいが」
ルナが城によく行っていたのは知っていたが仲のいい人物ができていたなんて知らなかった。
「……俺は何も知らないんだな」
それはカイトの耳に届くことなく、泡のようにはじけて消えた。




