☆4.ルーカスside
――タタンタタンタタンタタン。
屋敷の書斎に一定のリズムで繰り返される。
――タタンタタンタタンタタン。
日が傾いた頃からずっと、だ。
――タタンタタンタタンタタン。
ルーカスはルナが屋敷を去ったときからずっと変わらずに椅子に座り続けていた。
――タタンタタンタタンタタン。
「坊ちゃん」
「……………………」
「坊ちゃんってば!」
「遅い」
やっと口を開いたルーカスから出た言葉はそれだった。
「坊ちゃん!」
「なんだ!」
「夕食は一人分でよろしいですか?」
「二人分だ!」
「ですが、もう馬車が帰ってきてからもう数刻が過ぎています」
「二人分だ!」
「……かしこまりました」
仕方ないとばかりに去っていったのは、使用人のシンラだ。彼はルーカスが幼い時から一緒に過ごしてきた仲で、使用人というよりも幼馴染の方が近い関係である。だからだろう、シンラは使用人であるにも関わらず、主人であるルーカスに自分の気持ちを隠そうとはしない。そんなところをルーカスは気に入ってはいるのだが、今回ばかりはそれが気に入らなかった。そんな気持ちを察してなのか、不満げではあるがシンラは料理長にしっかりと二人分の食事を用意させるのだろう。あんな態度をとっていてもクロード家の使用人として言われた仕事はしっかりこなす。そうでなければ、この屋敷の統括なんて任せられはしない。
「坊ちゃん、食事の時間はとうに過ぎています」
いつもと同じ時間通りに出された食事を前に人形のように動かなくなってしまったルーカスにシンラは声をかけた。
ルーカスは時間を大切にする。だからこそクロード家の使用人たちは時間通りに行動をする。
全てはルーカスの命令通りに事を遂行するために。しかしルーカスは食事を出された後もルナの帰りを待ち続けた。シンラが帰ってこないのだと告げても頑なに動こうとはしなかった。
「はぁ……、わかりました。もう食事はいいです。水分だけとって寝てください」
仕方ないと呆れたように首を振りながら、シンラは青々とした液体をルーカスに押し付けた。
「…………」
「これを飲むか、ご飯を食べるか、選んでください」
「……食べる」
何が入っているのか全く見当もつかないそれと、いつも食べている食事とを比較したルーカスはしぶしぶ一人で食事をとることにした。シンラもそのことがわかっていてこの液体を出したのかと思っていた彼は次の瞬間、思わず自分の目を疑った。
「美味しいのに……」
そう呟いたシンラがそのなんだかよくわからない液体をゴクゴクと飲みだしていたからだ。ルーカスは唖然として「行儀が悪い」と立ったままそれを飲んでいたシンラをいさめることしかできなかった。
「坊ちゃん、そろそろ寝ないと。明日からまた仕事でしょ?」
それを飲み干したシンラはルーカスを心配そうに、というよりは呆れた視線を送る。
「そうだが? 妻が帰ってこないのに先に寝ろと? お前はルナが心配ではないのか!」
先ほどはあの得体のしれない液体と安心安全のいつも通りの食事を選ぶように言われ、仕方なく一人で食事をとった。だが、本来ならば夫は妻と共に食事をとるべきなのだ。そこを譲歩したのに、今度はルナが帰ってくる前に寝ろという。それはおかしなことではないだろうかとルーカスは声を荒げる。だがシンラはそれに狼狽えることはない。
「そうですよ、寝てください。初めから私は心配なんかしていませんよ。ルナ様をランドール家に送った 御者が先に帰ってきた時点でルナ様は今日帰ってこないんだろうなー、とか思ってます。ランドール家に泊まるんじゃないですか? あそこならどこよりも安全に過ごせるでしょうよ」
毎日、誰よりも長い時間をルナと共に過ごしているというのに薄情な奴だろう。こんな奴に毎日、ルナを任せているのかと思うと少し心配になってきた。
「連絡もなしにか? あのルナが?」
「ルナ様がというか、当主様がといいますか……」
「カーティスさんがどうかしたか?」
シンラが言葉を濁すなんて珍しい。相手がルーカス以外にならあるのかもしれないが、シンラは彼相手になら何でも思ったことをズケズケという。それがいいことであろうと悪いことであろうと関係なく……だ。そんなシンラが言葉を濁すなんて……カーティスに何かあったのだろうかと心配になってくる。ルナの話によるとカーティスは風邪をひいたそうだ。あの人はあまり体が弱いようには見えないが、人は見た目に寄らないというし……。
「…………いえ、何でもないです。とにかく今日はもう休んでください。明日にでも帰ってくるでしょう」
そういってシンラはルーカスをベッドの中に無理やり押し込み、布団の上からポンポンと二回ほど叩いた。
「俺はルナが帰ってくるまで寝ないぞ」
「どうせ坊ちゃんとルナ様の寝室は違うんですから、そんな子供みたいなこと言わないでください」
「うっ……」
シンラは先ほどとは違い、的確に図星をついてくる。それにはぐうの音も出てこない。
「明日は私が起こしに来ますから」
「別に起こしてもらわなくとも……」
「起きている……ですか? 毎朝ルーカス様はルナ様に起こされる前から起きているのなんてルナ様以外、この屋敷に住んでいるものなら誰でも知っていますけどね。一応ですよ」
それどころか追い討ちまでしてくる始末だ。こいつは一体、どこまで追い詰めれば気がすむのだろうか。布団から少し顔を出してキッと睨みつける。けれどそれはやはりシンラには効かないのだ。
「いいですか? 寝てくださいよ」
わざわざ去り際にシンラはとどめとばかりに釘を刺して去っていった。
「起きてください、坊ちゃん!」
ドンドンドン。静かな部屋と寝不足な頭に力強くドアを叩く音が鳴り響く。ルナは夜に帰ってきているのではないか、という淡い期待ははかなくもこの大きな音によって壊された。
「うるさい。起きている」
この騒音を今すぐに止めさせるためにドアから顔だけ出し、起きていることを告げる。するとシンラはルーカスの顔に自分の顔を近づけた。
「あ、その顔。起きてるというか寝てないんじゃないですか」
「起きていることに変わりはないだろう」
「寝て起きるのと、一晩中起きてるのとは全く違いますよ!」
「朝から騒ぐな。頭に響く」
「それは坊ちゃんが寝てないからですよ。はあ……まあ、いいです。ご飯の支度は済んでますから」
時間通り、規則的に進むということはとても素晴らしいことだと思う。だが今日に限ってはそれすら恨めしい。
ここには、自分の前にはルナがいないというのに時間は何事もないとばかりに進んでいく。それはまるでルナには自分が必要ないのだと言われているようで気に入らなかった。
「いらない」
「ルナ様が帰ってこなかったからってふてくされてないで、しっかりご飯食べて働いて来てください」
食事をとる気分ではないと部屋に戻ろうとしたルーカスの腕をつかみ、シンラは引きずるようにして廊下を歩いて行く。
シンラはルーカスと同じ歩幅で、ルーカスと同じくらいの速度で歩く。
いつもと違うのは後ろにルナがいないこと、そしてこの長い廊下を一度も止まらずに歩ききったこと。
「いいですか? 朝ご飯はその日のエネルギー源となるわけで……」
毎日の楽しみであったはずの朝食。それもルナがいなければただのエネルギー補給に過ぎない。全く味を感じないこの目の前の食べ物を完食しなければならないなんて、どんなにきついことだろう。
一年前は、ルナがこの屋敷に来るまではそれが当たり前のことだったはずなのに、その当たり前のことさえも今のルーカスには苦痛以外の何物でもなかった。
「はあ、仕方ないですね……」
わざと聞こえるような声でため息を大きくついたシンラはルーカスの頭の上から腕を回し、右手でガッチリとルーカスのあごを固定した。そして左手にはいつの間に出してきたのかもわからない、昨晩ルーカスが目にした得体のしれない液体が並々と入ったガラスのコップが握られている。そしてそれをルーカスが拒絶するよりも早く、彼の口に流し込むのだった。




