9.
「ルナ、おはよう。朝だ」
(お兄様の声……?)
寝ぼけてなかなか動こうとはしない頭でなぜカーティスの声が聞こえるのかを考える。再び瞼がくっつきそうになったところでようやくルナは昨日カーティスのお見舞いに来たことを思い出した。
(でも、お兄様は元気そうで……。安心した私はその後ランドール家の屋敷に泊まったんだった。)
そう、ここはランドール家の屋敷。そこに住んでいるカーティスの声がするのも当然だった。
この場所がルナの部屋でなければ。
「って、何でお兄様が私の部屋にいるんですか?」
カーティスが自分の部屋にいることに気付いたルナは慌てて上にかかっていた布団を押しのけた。そんなルナの行動に驚きもせず、彼は要件を告げた。
「急ぎの用事があってな」
「何でしょう?」
驚いてつい声を荒げてしまったが急ぎの用事なら仕方がない。というよりこんな遅い時間まで寝ている自分のほうに非があるとルナはたたずまいを直した。
「今日はちょっと領地を見に行かなくちゃいけないから、ルナは留守番していてほしいんだが……」
「留守番ですか? でも、屋敷に帰らなくては……」
元より泊まるつもりはなかったのだ。自分が昨夜帰宅しなかったことをルーカスが心配してくれているなんてそんなうぬぼれたことは考えてはいない。だが早く帰るに越したことはない。こんな窓から太陽がさんさんと光を照りだすころまで眠り続ける気はなく、本来ならば今頃は準備を終え帰宅する予定だったのだ。
「悪いがそれはできない。馬車は俺が領地の見回りで使うし、もう一つはメンテナンスに出したばかりで今使える馬車はないんだ」
「え……」
カーティスには聞いてはいなかったが、もちろん馬車は使えるものだとばかり思っていたルナは兄の言葉に驚いた。
「その、昨日は浮かれていて……。伝えるのをすっかり忘れていてな」
「忘れていたなら仕方ないですわ。では、留守番していますね」
頬をポリポリと搔きながら恥ずかしそうに床を見るカーティス。しっかり者の兄が忘れていたなんて意外だったが、忘れるほどに浮かれていたのだ。久しぶりに会えて嬉しかったのは自分だけではなかったのかと思うとルナは嬉しくなった。ほのかに赤くなった頬をカーティスに見られたくなかったルナは兄の背を押した。
背を押され、部屋のドアを見ながらカーティスは「昼頃には帰ってくるから」と告げた。
「あ」
「どうされたんですか?」
数歩歩いてからいきなり振り返ったカーティスはおもむろにポケットに手を入れて何かを探すようなそぶりをした。そしてようやく見つかったとばかりに嬉しそうな顔をしてルナに向かって手を出した。
「そうだ。これ、ルナのだろう?」
「これは……!? ありがとうございます」
嬉しくなったルナは目の前に立つカーティスに抱き着いた。いきなり飛びついた彼女を受け止めてくれた彼の手に乗っていたのは片耳分のイヤリングだった。
それはカーティスの言う通り紛れもなくルナのものであった。
実は昨日寝る前に外した際に片方だけなかったのだ。どこかに落としてしまったのではないかと気付いた時には探すにはもう遅い時間だったこともあり、諦めて後で使用人にも手伝ってもらって探そうとしていたのだ。それが今、カーティスの手の中にある。
「よかった……」
見つかったことに安心するルナにカーティスはおどけたように言った。
「なくしたらエルが悲しむぞ」
「お姉様が?」
なぜエルが悲しむのか、カーティスの言葉を疑問に思ったルナは首を右に傾げた。
「?」
カーティスはルナが何を疑問に思っているのかがわからないといった風な顔をして首をかしげる。2人揃って首を傾げていると、カーティスは当たり前のことのように言葉を付け加える。
「だってそれはエルにもらったものだろう? なくしたらきっとエルのことだから悲しむだろう?」
「? これはお父様からもらったものですよ?」
「……父さんから!?」
ありえないことを聞いたとばかりにカーティスは目をまん丸くした。けれどこれは確かにルナがグレンから贈られたものである。
グレンは亡くなる前日にルナを寝室に呼び出して、このイヤリングを渡した。
今まで一度も宝飾品を与えたことはなかったグレンが「これは特別だ」と言って力強くルナの手にこのイヤリングをにぎらせたのだ。
それからというもの、ルナはこのイヤリングを毎日身につけている。庭の花の世話をするときなど汚れてしまったり、なくしてしまいそうな時以外は必ず肌身離さずつけている。
宝飾品や洋服、様々なものをルナにプレゼントするエルは何度かルナにイヤリングをプレゼントしようと見繕ってきたことがある。だがルナはその度に丁寧に断っている。
ルナにとってグレンからもらったイヤリングは他の贈り物よりもずっと特別なものなのだ。
「えっと……いつ?」
「亡くなる前日に」
「そうか……。父さんは、そのどんな顔をしていた?」
「顔……ですか? そうですね。何かを決心したような力強い目をしていました」
「そうか」
カーティスはそれを聞いてなんだか納得したかのように力が抜けていった。そしてどこか悲しそうな顔で微笑んで、あの日のグレンと同じようにイヤリングをルナの手に握らせた。
「行ってきます」
ルナが玄関まで見送ると告げると、それを聞いたカーティスは笑顔を見せた。ルナは見送りをしただけで、こんなに喜んでもらえるなんて……と思いつつも、心の中が幸せな気持ちで満ちていた。そしてカーティスの笑顔につられてルナまでも笑顔になった。それをそばで見ていた使用人たちもほほえましそうに二人を見つめた。
これはルナがランドール家にいたころはこれが当たり前のように見られた光景だった。
ランドール家の当主がグレンからカーティスに変わったころから、頻繁に会話を繰り返すようになったカーティスとルナはよく行動を共にするようになった。それからというものルナはカーティスが外出するとなると彼の後をちょこちょこと追いかけた。そしてその時にエルが一緒にいれば彼女の手を引き玄関まで一緒に来ては兄の姿を見送っていた。
その度に喜ぶカーティスの姿を見て、ルナが大げさだと思うこともしばしばのことだった。
それでもカーティスに喜んでもらえるのが嬉しくてルナは時間があれば毎日のように帰宅する兄を出迎えていた。
そんなことを思い出していると、ルナの頭にふとルーカスの顔がよぎった。
カーティスとルーカスは全く違う人だということはルナも十分理解している。
カーティスはルナの兄で、ルーカスはルナの夫だ。反応が違うのなんて当たり前のこと。ましてやルーカスが自分のことを愛していないことなんてルナは分かっていた。それでも、分かってはいても、少し寂しく思ってしまう。
カーティスが出かけた後、ルナは帰るのが少し遅くなることをルーカスに伝えた方がよいのではないかと思い始めた。
一日ならまだしも二日も外泊するとなると、ルーカスだけではなく使用人にも心配をかけてしまうかもしれないと考えたからだ。
馬車はなくとも、連絡をする手段なら他にあるだろう。きっと使用人に頼めばクロード家に連絡をしてくれるだろう――とそこまで考えたが、ルナは結局連絡をしないことにした。
ルーカスにはランドール家の屋敷に行くということは伝えてある。ルナが数日の間クロード家に帰らずとも心配などしないのであろう。それにルーカスは宰相という国の仕事を担う、常に忙しい人だ。こんなことで時間をとらせたくはない。
(帰宅後に伝えればいいだろう。)
そうルナは自分に言い訳をした。




