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7.

 お茶会の帰りに見た二人の姿――それはとても幸せそうに見えた。あまり笑わないルーカスはエルの前ではあんなに自然に笑うのかと涙がこぼれそうになった。

 結婚する前はルーカスがルナに笑顔を向けることが何度かあった。エルに微笑む頻度に比べればそれははるかに少ないものではあったけれど、それでも何度かは向けてくれた。エルに向ける柔らかい、心からの笑顔とは違った。ぎこちなくても確かにルナに向けていた笑顔。それも結婚してからは一度もルナに見せたことはない。いつも変わらず無表情で背の低いルナを見下ろすばかりだった。

(きっと私がお姉様の妹だから笑いかけてくれたのだ。でも、もうお姉様は手に入らない。……王子様と結婚してしまったから。)

 所詮は姉の代替品であると理解しているつもりだった。それが自ら望んだことで、当たり前のことである、と。

 わかっていたことなのに、その事実を目の当たりにするとルナの胸はひどく痛んだ。あふれ出す涙は抵抗をやめ、ドレスに落ちて行った。白いドレスには涙が落ちても変化はない。ぎゅっとつかんでできた皺さえ直に何事もなかったようになくなっていくだろう。けれども、ルナの目に焼き付いたあの映像だけはいつになっても消えてはくれない。目を閉じれば浮かび上がるのはあの光景で、焦点はあの二人に定められている。

(それでもいいと思っていたはずなのに。ああ、なんと醜い嫉妬だろうか。…………図々しい。)

 初めはルーカスといられるだけで満足だった。その気持ちに嘘や偽りはなかった。この1年の間にだってその気持ちに変化などなかったはずなのだ。いや、ルナ自身がその変化に気付かないうちにその気持ちはどんどん肥大化していったのかもしれない。

 あの光景を思い出すたびにルナは欲深くなっていくのを実感した。そしてその度に傲慢な自分が、醜い自分自身が嫌いになっていった。

 ルーカスの顔を見ることすら辛くなり、次第に朝のルーカスの部屋をノックする、というお決まりの行動すら億劫になってきた。けれどそれは数少ないルナの妻としての役目である。放棄することなんて出来なかった。ただただ重苦しい気持ちがルナの心に散り積もっていくだけだった。

 そんなある日のこと、カーティスから一通の手紙が届いた。封筒に書かれた文字はいつも通りの几帳面な兄らしい綺麗な文字だったが、封筒を開けばそこには乱雑な文字が並んでいた。それはカーティスの文字とは違い、ルナが初めて見る文字で読むのも一苦労だった。

 ルナはこの手紙の送り主が本当に兄なのかを疑ったが、空になった封筒を裏返してみればそこには確かにランドール家の印が押してあった。それこそがランドール家もとい当主であるカーティスからの手紙であることの何よりの証拠である。

 何かあったのだろうか?と今度は心配になり、ルナは乱雑な文字を読み解いた。そして『カーティスが風邪をひいた』という情報を得た。けれどもそれはとても信じがたい内容だった。


 カーティスは幼少期から身体が丈夫で、今までに風邪をひいた回数など片手で数えられるほどであった。そんな彼はつい半年ほど前に風邪をひいたばかりだ。その際はランドール家の執事長からルナとエルに手紙が送られて来て、急いでお見舞いに向かったのだ。

 全く風邪をひかなかったカーティスがこの短期間で2回も風邪をひいた。それは驚くべきことで、ルナは戸惑った。手紙をもって部屋をうろうろしては止まって。また何かを探すようにうろうろと。どこにも答えなんてないのに。

(もしかしたらどこか悪いのではないだろうか。もしくは少しオーバーワーク気味だとか……。)

 カーティスとエルはルナのことをよく気にかけては手紙を送ってくるが案外自分のこととなるといい加減なのだ。だからこそルナは心配だった。使用人たちが看病をしてくれているのは分かっている。それでもやはり心配なのだ。

(さっそくお見舞いに行かなくては……)

 真面目で仕事熱心なカーティスはきっと体調が悪くても無理をしてしまうかもしれない。そんなことは容易に想像がついた。そう思うといてもたってもいられなくて、ルナはさっそくルーカスに外出許可を出してもらうことにした。

 いつも多忙でなかなか休暇が取れないルーカスは今日はまる1日の休みが取れたらしく、朝からずっと屋敷のルーカス部屋兼書斎にこもっていた。

 ルナはルーカスの部屋まで早足で向かってからドアの前でピタリと止まった。そしてゆっくり息を吸ってから少しだけ吐いて、朝と同じように三度ノックをした。

「どうぞ」

 いつも通りの抑揚のない声にルナは「失礼します」とドアに向かって一礼してからドアノブを回した。

 ドアを閉めた後に今度はルーカスに向けて一礼し、顔をあげた。ルーカスは部屋に入ってきた彼女を初めは驚いたように目を見開いて見ていたが、すぐに持ち帰っていた手元の書類に顔を向けてしまった。そんな姿にルナは思わずめげてしまいそうになった。けれど兄の一大事だと心を奮い立たせて口を開いた。

「お仕事中、申し訳ありません。ルーカス様、外出許可をいただけませんか?」

 じっと見つめても一向に返事は返ってこなかった。けれどもルナはめげるわけにはいかなかった。なにせルーカスの許可がなければカーティスのもとへ行くことはできないのだから。


 外出許可を夫にとるという行為は非常に変わっていることらしい。これはルナが以前カトラス家のご令嬢から聞いた話だった。

 出かけてくると伝えることはあっても許可を取ることはないのだと――。だがこの行動はルナにとってはごく当たり前のことだった。ルーカスと結婚するよりも以前は父、グレンの許可がないと外出できなかったし、許可を求めても承諾されない場合は多々あった。むしろ許可されることの方が少ないくらいだった。

 例えばルナの「お茶会に参加したい」という願いは「危ないから」という理由で何度も突っぱねられた。それでもあきらめきれなかったルナが何度も頼んで「信頼のおけるカトラス家の令嬢の屋敷なら……」とやっとのことで承諾を得られたのだ。

 だがそれはルナだけではない。ルナよりもいくばかりか許可されやすいエルでさえも外出許可を得られないことが多々あった。それでもあきらめきれなかったエルはすぐに諦めてしまうルナとは違い、たまに屋敷を抜け出していたようだった。そしてあとから使用人によってグレンの耳に入り、こっぴどく叱られていた。口数の少ないグレンが声を荒げていたことがとても印象的で、あの時のことは数年たった今でも鮮明に思い出せるほどだ。

 父のそんな姿を見た日以来、ルナはめっきり無理を言わなくなった。

「バザールに行ってみたい」「花畑でピクニックがしたい」「夜会に参加したい」

 そんな他愛もない希望は全部押し込んで、誕生日には代わりの言葉を用意した。

「オレンジが食べてみたい」「庭一面の花が見たい」「星が見たい」

 そう告げればグレンはルナの望みをかなえた。

 12の誕生日の翌朝からは毎朝食事の席にオレンジが並ぶようになった。

 14の誕生日には庭一面の花が咲き、それはランドール家の自慢の庭になった。

 17歳の誕生日の翌週には、いつでも星が見られるように庭にはガゼボを作られた。


 そしてグレンが亡くなってからは父の代わりに兄であるカーティスがルナのどんな我侭でも叶えるようになった。

 屋敷から出るとさえ言わなければなんだって。

 だからルナにとって屋敷を出るのに許可を取るのは当たり前のことであり、許可が下りないことも想像にたやすいことだった。

「なぜ?」

 機嫌が悪そうなルーカスは資料から顔をあげることなく、視線だけをルナに向けた。この言葉も予想のできた言葉。ルナは用意していた言葉を返す。

「お兄様が風邪をひいたらしいのでお見舞いに行きたいのです」

「だが……」

「ダメ……でしょうか?」

 渋る様子を見せるルーカスに思わずルナは俯いてしまう。そして自己嫌悪に陥るのだ。

(私を外に、人の目にふれる場所にあまり出したくはないのかもしれない。)

 けれどここで諦めてはカーティスのお見舞いに行くことは出来なくなってしまう。そうとわかっていてもルナの頭には城での男たちの声が繰り返されていて、無理なのかもしれないと諦め始めていた。

「……まあ、カーティスさんの見舞いなら……」

 すると返答に渋っていたルーカスの口から幽かな声が零れ落ちた。ルナはそれを拾ってから勢いよく頭を下げた。

「ありがとうございます」

 糸のような細く長い髪でおおわれたルナの姿をルーカスはなんだか複雑そうに見つめていた。ルナはその目に気付き、申し訳ないと思いつつも予定通りカーティスのお見舞いに行くことにした。

 さっそく見舞いに行くための用意をしなければ……。

 まずルナの頭に浮かんだのはカーティスの好きな桃だった。昨日、庭で花に水をやっているときに庭師が良く熟れてきたといっていたからそれを少し分けてもらおうと決めた。

 そして次はガーベラだ。ガーベラはカーティスの好きな花であり、ルナが庭で庭師から場所を借りて育てている花の一つでもある。それもラッピングして持っていくことにした。沢山の中から選んだのは、カーティスの瞳と同じ色の紅のガーベラだ。渡したら喜んでくれるだろうか、とカーティスのことを思いながら人のいい庭師の元へ向かおうとドアノブに手を伸ばす。

「ルナ!」

 部屋を去ろうとしたルナの背中にいつもよりも強めの声でルーカスは呼びかけた。

「はい! 何でしょうか?」

 身体をビクッと震わせてから振り向くと、ルーカスは少し申し訳なさそうな顔をしていた。ルナがルーカスを見つめると、彼は絞り出したかのように「その……気をつけてな」とだけ言った。

(お兄様のもとへ行くだけなのに何を心配なさっているのだろうか。他の人の目に触れないように? でも、そんなに心配しなくても馬車から顔を出したりなんかしない。じゃあ、他にどんな理由があるのだろうか?)

 ルナはいくつかの想像を浮かべて否定していく。最終的に浮かんだ答えは全て否定されて何も残らなかった。

「はい、行ってまいります」

 ルナは結局これだけ告げて部屋を後にした。


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