93 貴女にずっと会いたかったの
投稿が遅れて申し訳ありません。
パラ、パラ、と埃が天井から降り注ぐ。エスティアは片手でそれを防ぎながら天井を見上げる。真上に何かいるのだろうか。呑気にそんなことを考えたその時――白い光が天井から降り注いだ。
エスティアとシュティレを乗せた獣が弾かれるようにバックステップでその場から距離を取り、落下してきた光を見据える。
猫のような姿で黒い泥に覆われたかのようなそれはブルブルと体を震わせ、体に付いている埃や瓦礫をまき散らす。所々黄色の毛並みが見えるそれの体は傷だらけだった。エスティアはその降って来た猫を見つめたまま動けなくなってしまう。
「……ッ!」
心臓が激しく脈打つ。送り出された血液が体を巡り、体温を上昇させていく。だが、エスティアの心は驚くほど冷たく、真冬の夜に降り注ぐ雨にでも打たれているような気分だった。青緑色へと戻っていた彼女の左目は深い青色と赤紫色を混ぜわせたような物へと変わっていく。
エスティアに気付いた猫が顔をコチラへと向ける。顔は無いが、どこか寂しそうに見える。
『エゥト……?』
子猫のように高くか細い声。彼女とは似ても似つかない声。だが、エスティアはそっと両手を広げ――
「おいで」
そう、目の前の彼女へと声をかけていた。深い青色に支配された左目と、キラキラと煌めく澄んだ黄金の右目が目の前の彼女を射抜く。
彼女は小さく鳴くと、ゆっくりおそるおそるエスティアへと近づく。その速度はとても遅く永遠に辿り着かないのではと考えてしまったエスティアは微笑みを浮かべ――彼女へと駆け寄りその体を力いっぱい抱きしめるのだった。
『エス、ト……?』
「そうだよ……っ!」
驚き首を傾げた彼女の言葉にエスティアはすかさず答え、抱きしめる腕に力を込める。彼女の体を包む泥だと思っていた物体は、どうやら人には有害らしい。ジュウッ、とエスティアの露出した素肌が焼け溶けていく。が、エスティアは気にせず、彼女の頭を撫でる。
彼女は傷つくエスティアに気付くと、すぐさま離れようとしたその時――
「エストさん!」
天井から飛び降り、着地したアリスはエスティアを見るなり叫んでいた。そんな彼女の手には魔力を放出し光り輝く聖剣が握り締められている。表情は鋭く、その黄金の瞳は爛々と燃えている。続くように降りてきたエリザも同様の表情を見せていた。だが、エスティアの左目が青色に輝いているのを見ると、その表情を一変させ、驚愕を僅かに浮かべる。
エスティアは軽く微笑むと、首を横に振った。
「二人とも、少し待っててほしい」
「――ですがエストさん!」
「そうよ! ソイツは」
「この子は私の家族なの」
エリザの言葉を遮るように言ったエスティアの言葉はそう言って微笑む。その今にも壊れてしまいそうな微笑みに二人はグッと口をつぐんでしまう。あんな表情を見せられて、口を出せるはずがない。二人がほぼ同時にそう考えた時、エスティアは「ごめんね」といって、抱きしめる彼女へと顔を戻す。
弱々しく今にでも崩れてしまいそうな笑顔でエスティアは、もう一度彼女を強く抱きしめた。
「ずっと私のことを探してたんだね」
『サガ、シテタ。エスト、ズット、ズット……!』
優しい声色に彼女は尻尾を激しく左右に振り元気よく返事をする。その明るい声にエスティアは泣き笑いのような複雑な表情で笑って彼女の頭を撫でる。すると、先ほどまでエスティアの体を傷つけていた彼女の体に纏わりついた泥がボロボロと床を落ちる。
エスティアはまるで髪に付いたゴミを取るように彼女の黄色い毛並みに居座る泥を梳くように落としていく。彼女が気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らす。
「ごめんね。私のせいでツラかったでしょ」
エスティアはそう言って静かに片手をギュッと握り締めた。彼女はスリスリと頬をエスティアの首筋へと擦りつけ、子猫が甘えるような音を喉から零す。その音を彼女もよく出していたことを思い出す。
もう殆どの泥が流れ落ち、その下にある黄色の毛並みがフワリとなびく。その色は随分とくすんではしまっているが、エスティアは絶対に見間違わない。泣きそうになるのを堪え、彼女へと言葉を落とす。
「こんなになっても私を探しに来てくれてありがとう。……君は、グレースは……私と一緒にいて幸せって笑ってくれるかな」
『……エスト? サガス、サガス。ワタシ、ワタシ――』
彼女が穏やかな笑みを浮かべる。それは大好きだった彼女そのものに見えたエスティアの左目がほぼ黒ともいえるほどに暗くなった青色へと変化していく。彼女はそんなエスティアの左目の縁をペロリと舐めると――
『幸せだったよ』
そうハッキリ言った。その瞬間、エスティアは彼女の心臓部をその手で貫いた。刃のように研ぎ澄まされたそれは、彼女の体にできるだけ傷がつかないように配慮されている。
音とも言えないものが響き、彼女は一瞬体をビクリと震わせたが、すぐにその口元に零れんばかりの笑顔を浮かび上がらせる。エスティアはそんな彼女の顔を正面に捉えながらその額に口づけを落とす。
彼女の体を貫いた手が小さな石ころを握り締め、彼女の背中を突き破る。ザラザラと大量の砂が傷口からあふれ出し、床へと落ちる前にそれは霧のように消滅していく。
だがまだ、石は砕けていない。エスティアは若干苦しそうにする彼女を力いっぱい抱きしめる。
「もう、大丈夫だからね。もう、なにも心配しなくていい」
彼女の明るさを現すような黄色の石をキュッと握り締める。あと、ほんの少し力を入れれば砕ける。エスティアは脳裏に蘇る幸せすぎた生活を思い浮かべながら、精一杯の笑顔を浮かべた。
「ありがとう」
パキン、と手からそんな音が響き、中に貯蔵されている魔力が流れ出す。ビリビリと痺れるような刺激が腕を伝う。が、エスティアは気にもせず、ポロポロと崩れ始めていく彼女の頭を優しく撫でる。
元から弱っていたのだろう。触れた傍から崩れていく彼女。エスティアはもう一度小さく「ありがとう」と呟く。
いつも、元気で笑顔が素敵だったグレース。まるでトウモロコシの甘い香りでもしそうな色鮮やかな黄色い毛並みはフワフワで太陽の香りがしていた。レイといつも一緒にいて、そんな仲良しな二人を見るのが大好きだった。できれば、二人を一緒にしてあげたいとも考えていた。
だが、それはもう叶わない。
エスティアは小さく息を吐き出し、もう声すら出せないほどボロボロに崩れた彼女をまっすぐ見つめる。その左目は青く、右目は黄金色に輝いていた。
「さようなら。大好きだよ」
その言葉に安心するように彼女の体が溶けるように消滅してしまう。霧のように消えていく彼女に手を伸ばしかけてやめたエスティアは口元に微笑を浮かべ、彼女が完全に消えるのをただ見送る。
次会えた時はもっといっぱい抱きしめて、いっぱい笑い合おうね。そんな言葉を胸の奥深くで呟きながら、エスティアはそっと彼女の心臓を砕いた手を胸の前へと持っていき、祈るように瞳を閉じた。
時間にして数分にも満たないだろうか。静かに瞳を開いたエスティアの左目は燃え盛るような赤紫色へと変わっている。そして、一番の変化は彼女が纏う雰囲気だろう。ビリビリと肌を突き刺すようなプレッシャーは泥のようにまとわりついてくるようだ。
それを一番最初に感じ取ったアリスは小さく息を呑み込み、なにもかける言葉が無い自分を呪った。エリザも険しい表情でエスティアを見ていたが、獣の背で眠っているシュティレを見つけると即座に彼女へと近づき無事なことを確認する。
「……魔力切れを起こしてるだけか……よかった」
エリザが安堵の息を漏らすと、エスティアが彼女たちへと顔を向けていることに気付く。その顔は笑っているような泣いているような複雑なものだった。
「二人とも、シュティレのことを任せたいんだけどいい?」
「……貴女はどこに行くのですか」
表情を険しくさせたアリス。あの彼女が大切な家族を託したのだ。たとえ、信頼関係が築かれていたとしても理解しがたい二人。エスティアは困ったように眉尻を下げると、腰に収まる宝剣を隣に居る獣へと咥えさせる。
「最後の戦いに行ってくる」
「では、私も一緒に――」
「ダメ」
ぴしゃりと言い放つエスティア。その両目は色は違えど強い気持ちを燃やしている。
「これは、私たちの戦いだから」
そう言ってエスティアは自分の左目へと手を当てる。様々な感情が織り交ざっているからだろう。赤、青、黄色などの複雑な色を浮かべているそれを見たアリスは“あれが、虹色の瞳……本当に虹色だ”と思った。
「誰も巻き込めない。だって、これは世界を救うためでも何でもない――ただの復讐なんだから。それに、そんなにボロボロのみんなを連れてはいかない」
アリスとエリザの表情が曇る。そんな二人の姿は酷い物だった。あらゆるものから守る純白の鎧全体にいくつものヒビが走り抜け、今にでも砕けてしまいそうだ。二人の露出した肌には無数の切り傷や火傷が刻まれており、とても戦える状態には見えない。
加えて、エスティアは魔力は見えなくとも、感覚で二人の魔力がもうほとんど残っていないこともわかっている。まぁ、全快の状態だとしても連れていかないが、とエスティアはその言葉を飲み込む。
「それにね。私、二人のことすっごく信頼してるよ。自分の命なんかよりもずっと大切なシュティレを任せちゃうぐらいには」
「エストさん……っ」
アリスはその言葉をズルイと思った。そう言われてしまえば従うほかないからだ。
「こんなボロボロの私たちに預けるなんて、その方が危険だと思うわよ」
「エリザさん……」
エリザは挑発的な笑みでエスティアを見つめる。すると、エスティアは肩をすくめた。その余裕そうな仕草にエリザは眉を顰める。
「大丈夫だよ。もうこの城に危険な奴は一体しか残ってないから。……ユーティナが教えてくれるんだ。彼女はここの主だからアイツの居場所も教えてくれる」
「……そう」
なにを言っても無駄だ。エリザはお手上げだといわんばかりにフードの中から何かを取り出し、エスティアへと投げつけた。
「おっと……って、これ」
受け取ったそれはぬいぐるみだった。所々焦げたような跡がある茶色の生地。左右にボタンの目が付いているがそれは微妙に色が違う。そして、顔の割には大きすぎる鼻はクッション生地であったが、少し萎んでしまっている。
いつもなら、軽口の一つでも飛ばすピーナッツはまるで本当の人形になってしまったかのように、手足をだらんとさせ、何もしゃべらない。エスティアはそのぬいぐるみとエリザたちを交互に見やる。
「その子は行く権利があるわ」
「なん、で……ピーナッツ」
エスティアは瞳を伏せる。気に食わないやつだったが、それでも大切な仲間だった。エリザは悲痛な表情を見せる彼女へと微笑む。だが、その紫色の瞳はひどく落ち込んでいる。
「その子は、私が魔力切れで死にそうになったところを助けてくれたの。魔力なんて回復するから要らないって言ったのに……っ」
「エリザ」
「この子も貴女たちと同じ被害者なの。だから……連れて行ってあげて……」
グッと唇を噛みしめるエリザは見ているだけで心が締め付けられる。エスティアはコクリと頷くと、もう何も言わないピーナッツを服の中へとしまった。
「エストさん」
アリスがそっとエスティアの両手を取る。その握り方はとても強く、“行かないで”という意思をヒシヒシと感じ取った彼女は苦笑を浮かべる。
「エストさん……帰って来るんですよね」
その言葉にエスティアは一瞬瞳を見開くと、歯を見せて笑う。その晴れやかな笑顔にアリスはつられて笑いそうになるがキュッと唇を噛みしめ耐える。握った手が無意識に震える。それは、どちらの震えだろうか。
「ちゃんと帰って来るよ。だって、シュティレを一人にはできないもん」
その自信に満ち溢れた声にアリスはほんの少しだけ表情を柔らかくする。が、何故だかその笑みがどこか寂しげに見えたエスティアはそっと彼女を抱き寄せた。
「エ、エストさん!?」
「それに、アリスたちが待っててくれるからちゃんと帰るよ」
「――ッ!」
優しい声。それはまるで、紅茶に砂糖を入れるかのようにすんなりと心の中へと溶けていき、アリスの頬が思わず赤くなってしまう。エスティアはそんなこと気付いている筈もなく、体を押し付けるように強く抱きしめ、彼女の額に自分の額をコツンと当てた。
至近距離で見つめるエスティアの左目にアリスは思わず魅入ってしまう。先ほどまで悲しさを現すような青色だったのに、今では穏やかさを現すかのような青緑色に輝いていたからだ。
「アリス、君はもう私にとって大切な家族みたいな存在だよ。エリザもそう、大切な家族。私の大切な大切な宝物」
言い聞かせるようなその声の心地よさにアリスの力が抜けていく。エスティアはまっすぐに彼女の光り輝く黄金の瞳を見つめながら優しく笑う。
「だから、私を信じて待っててよ。それで、みんなで帰ろ?」
「エストさん……約束、ですからね」
まだ完全に安心しきっていないためだろう、引き留めるような声にエスティアは小さく微笑み、アリスの額へと口づけを落とした。
たった一瞬の柔らかい感触。アリスはカァっと熱くなる顔に驚きを隠せず目を大きく見開く。それが、面白かったエスティアはカラカラと笑って、彼女の頭を撫でる。
「約束。だから、シュティレのこと、よろしくね」
「――はいっ」
体を離したエスティアはエリザへと軽く笑いかけると、腰に収まる魔剣の鞘を一撫でする。いつものように赤黒い鎖が揺れる。が、その音は聞いたこともないほど優しい音だった。
「じゃ、ちょっと行ってくるよ」
「世界を救いに?」
意地悪な声と表情のエリザ。肩越しに振り向いたエスティアは呆れたように笑って――
「そんなわけないでしょ。ちょっとそこまで復讐に行ってくるだけだよ」
二っと笑って歩き始めるのだった。




