81 フクロウの泣き声
鋼鉄の鳥の背に乗り、吹きつける風など気にすることなく、エスティアははるか遠くに見える――魔王城を見つめていた。
温かい太陽の光ですら凍り付かせそうなほどの冷たい黄金の瞳。体中から湧き出るような憎悪はパチパチと燃え盛る炎のような熱を秘めているようにも見える。そんな彼女の隣に座り、同じように魔王城を見つめるシュティレもその青い瞳を怒りに滾らせていた。
――おそらく、魔王城に貴女たちが探している、スライがいると思われます。
エスティアの脳内を跳ねるようにその言葉のみが再生され続けていた。その言葉が跳ねるたびに彼女の中の憎悪は燃え上がり、許されない罪の意識がパラパラと雨のように降り注いだ。
あぁ、やっとだ、やっと、会えるかもしれない。エスティアは笑いたくなるのを必死に堪えるように口元を抑える。すると、その行動を見ていたシュティレはキュッとエスティアの左手を握り、指を絡める。
「シュティレ」
魔王城を見据えたまま、エスティアが名前を呼んだ。その声は、憎悪を体中から垂れ流している人間が発するものなのかと思ってしまうほど、晴れやかで澄んでいた。
ずっと、彼女が傍に居てくれるからこの憎悪に囚われることは無いだろう。エスティアは絡められた指をキュッと握り返し、温かさをその手から、体へと焼き付ける。この温かさを忘れるなという思いを込めながら。
「あと、もうひと踏ん張りだ」
「うんっ」
瞬きをも忘れたかのように見入っていたエスティアがシュティレへと顔を向けた。やはり、瞬きをほとんどしていなかったのだろう。真っ赤になった瞳からポロっと零れた涙。その涙が瞳を潤すために流れたとわかっていても、どこか悲しみで流れてしまったかのようにも思えたシュティレはその涙を掬う。
「二人で帰ろうね」
エスティアは一瞬だけ、瞳を見開くとすぐにその優しく瞳を細め「うん。絶対」と囁いて、シュティレの頭を優しく撫でた。
空路とはいえ、余りにも静かすぎる道中にエリザとアリスは首を傾げながらも、目の前にそびえる魔王城を見上げた。エスティアとシュティレも同様に見上げる。が、その表情はどこか拍子抜けしているようだった。
魔王城という物騒な名前なのだ。もっと黒くて如何にも恐怖を助長させるような見た目だと思っていたが、案外見慣れた形だった。だが、シャールのような温かさはなく、ただただ無機質な物悲し気な雰囲気に包まれている。
それはまるで、生き物などいないかのように。
――異常だ。一度、ここに来たことがあるアリスとエリザは同じことを考えていた。この魔王城がある領地全てから生物が抹消させてしまったかのような静けさ。前回はドラゴンなど高ランクの魔物が門番代わりにいたはずなのに。一度、倒したとはいえ、なにもいないというのは少しおかしい。
考えても仕方ないだろう。おそらく二人にそんなことを言っても気にするとは思えない、とアリスとエリザの二人は胸の中で不安のため息をついた。
「ここが、魔王城……」
そう声を漏らしたエスティアに、アリスとエリザの表情が強張る。その声がどこまでも憎悪に満ちていると理解させられてしまったからだ。声色はいつも通りなのに、その声からは怒り、恨み、悲しみ、あらゆる負の感情がドロドロと、湧き出ている。
人間の声なのか、思わず二人はそう考えてしまったことを後悔した。エスティア・リバーモルという人間はれっきとした人間だ。こうなってしまう理由があるだけで、普通の人間なのだ、と。
エスティアが振り向く。その表情は怒りに満ちたような、だができるだけ平常心でいようとしているために浮かべた笑顔は余りにも酷い顔だ。握り締めた拳は小さく震え、地面を踏みしめる足は乾いた地面を砕く。彼女がどれほどの感情を秘めているかなど、一目瞭然。
アリスとエリザは言葉を発することすら許されないような空気。だが、その時、シュティレが口を開いた。
「行こう」
優しく微笑んだシュティレはそう言って、先に進み始めるエスティアの背中を追いかける。
『……凄まじい気迫ですなぁ』
「これで、アイツがいなかったらどうなるやら」
ピーナッツの言葉にエリザが気まずそうに答えると、二人の背中を追う。
「……きっと、いるでしょう」
これはいつもの直感ではない。絶対にここに居るという確信めいたものを握り締めたアリスはそう呟き魔王城の中へと足を踏み入れたのだった。
――ホホーッ、ホッーホッー。
どこからか、まるで、ようこそと言いたげな寂しいフクロウの泣き声が響く。
「中は随分と、イメージ通りのお城って感じだね。魔王城って言うには少し、殺風景な気もするけど」
扉を魔剣で風化させたエスティアは長く続く廊下を警戒しつつも、そう言ったエスティアはドアを一つ一つ魔剣でぶった切り、中を確認する。
扉を開けば、隠れてた警備の魔物でも出てくると思っていたが、どうにも静かすぎる。そう、なにもないのだ。生活の形跡や、生き物がいたという証拠すら。積もりに積もった埃が雪景色ならぬ埃景色を作り上げた内部。
置かれた机やベッドなどは新品同様にもかかわらず、その積もった埃が長い時間を寂しく過ごしていたと物語っている。そのおかしな見た目に首を傾げつつもエスティアは埃のニオイに耐えられなくなり廊下へと戻ると――
「やぁ、エスト」
殺風景な城の内部にしては、場違いに爽やかな声が響く。エスティアはその声が脳へと届く前に、その表情を一変させ、ゆっくりと油の刺さっていない時計の針がぎこちなく時を刻むように振り向いた。そんな彼女の黄金の瞳は悲しみにみていた。
予想はしていた、いつか、いつか、こんな出会いをしてしまうのではと。背後に立っているシュティレが息を呑む音を鋭すぎる聴覚が捉える。だが、鋭くなくとも同じ状況ならきっとエスティアの耳は捉えていただろう。
廊下の奥から姿を現すは青年だった。高い身長に加え服の上からでも分かるほどの逞しい体つき。奴隷としては逞しすぎるその見た目を見間違う筈なんてない。
「はは……そうか……そっか……」
乾いた笑いが口から漏れていた。エスティアはうるさくなり続ける心臓を黙らせたい思いでいっぱいになりながら、その名前を口に出す。泣いているような笑っているような顔で。
「やぁ、フェルター。でも、残念」
没落騎士の息子であり、騎士を目指す最高の騎士見習いであり、大切な家族。だが、彼は死んでしまった。あの日の夜に。
ゆえに、エスティアの黄金の瞳には再会の喜びなど一片たりと帯びることは無い。ただただ、全ての無駄な感情を飲み込むほどの憎悪が沸き上がる。それは、彼に向けたものではない。
じゃあ、誰に向いているのか。エスティアは喉を真っ暗な天井へと向けて吠える。
「私は、お前を……フェルターなんて認めるかぁぁぁぁぁあああああッ!」
空気を震わせ埃を舞い上がらせるほどの怒号。だが、その声は泣いていた。まるで子どものように泣きわめいていた。魔剣を勢いよく引き抜いたエスティアは瞳からボロボロと涙を流しながら、その漆黒の切っ先を彼へと向けた。
彼は向けられた剣先を見つめながら悲し気に肩を竦める。その仕草は彼が困った時に、たまに見せるものだったとよく覚えているエスティアとシュティレはその瞳を怒りに揺らす。
「その感じだと、やっぱり俺たちが本物なんかじゃないってわかってるんだよな」
「ああ、わかってる。だから、その話し方やめてくれるかな……お前を見てると自分の不甲斐なさで頭がどうにかなりそうだからさぁッ!」
「……それは無理な相談だ。俺は、この話し方しか知らないからな」
エスティアが彼目掛けて走り出す。即座にシュティレの強化魔術で向上した身体能力に後押しされ、距離を詰めた彼女の漆黒の剣が彼の逞しい喉目掛けて放たれる。
「エストさん!」
アリスが走り出そうとしたその時、エリザが叫ぶ。
「アリス! そっちは二人に任せなさいっ! あの子たちの邪魔をさせないためにも!」
「――なっ、先ほどまではいなかったはず……っ!」
アリスが振り向いたそこには、廊下を埋め尽くすほどの白色がなだれ込んできていた。三本のカギ爪をキリキリと引きずり、顔が無くともニタニタと生き物全てを嘲笑するかのような笑顔。喉を震わせ、揃うことないようでどこか揃っている不協和音という演奏会。
パリン、パリン、と古びたガラス窓が砕け散り、廊下に散らばる。アリスは聖剣を引き抜くと背後で魔剣を振るうエスティアを一瞥すると、高らかに叫ぶ。
「貴様ら雑魚は全て、この光の勇者アリスが相手をしましょう! この先には絶対に行かせないっ!」
恐らく、あの青年は二人にとって大事な人だったのだろう。だからこそ、この程度の雑魚に邪魔はさせるものか。二人が全力で戦えるように、剣を振るう、それは、誰の為でもない、自分自身の為に。
純白の聖剣がかつてないほどの光を帯びる。その熱気は近くにある壁や絨毯を溶かし、ガラスの無い窓枠を蒸発させていく。白色の偽物たちがその熱に怖気づいてしまう。無理もない、近づいたものは一瞬にして蒸発するとわかっているからだ。
だが、その熱は彼女が“敵”と認識したものにしかその熱を感じ取ることはできないようだ。平気そうな顔のエリザは若干口を尖らせながら、エスティアたちの方に流れ弾がいかないように廊下をピッタリと埋め尽くすように鉄の壁を展開させ、宣言する。
「私も、少しはおこぼれが欲しいものね。さぁ、英雄二人がかりで相手してあげるから」
ニヤリと笑みを浮かべたエリザと、全てを斬り裂くような強気な笑みを携えたアリス。二人の英雄と呼ばれし者の魔力が包む。
「かかってきなさいっ!」
「斬り裂いてみせるっ!」
その声を合図に、戦いの扉が開かれる。
首を傾げ、突き刺す様に襲い掛かる漆黒の牙を躱した彼は寂しげに目元を細めながら、トン、と距離を取る。そして、エスティアの背後から縫うように飛んできた風の矢を躱す。
「本当に殺す気なんだな」
寂しそうで、だけど、どこか嬉しそうな表情と声でそう言った彼は、殺気で満ちた魔力を纏うエスティアを見つめた。魔剣を両手で握りしめたエスティアはハッと乾いた笑いを漏らし、力の篭った声で答える。
「約束したから。あの子と、約束したから。私は躊躇なんてしないよ」
憎悪に囚われず、悲しみにも囚われていないその声はどこまでも穏やかだった。シュティレはその声に表情を引き締めると、不可視の矢をいつでも放てるように構えた。
彼は一瞬、寂しげに微笑む。だが、その瞳にはどこか嬉しさのような物が見える。どうして、そんな顔をするんだ、エスティアはそう問いかけそうになるのを何とか堪える。
「そうか、そうか……よかった。……エスト、シュティレ。そんな君たちにだからこそ教える」
バッと左手をエスティアへと翳した彼は歯を見せて笑う。その笑顔は、本物と全く遜色なんてものはなく、まるでそこに本人が居て、笑ってくれているようにも思ってしまった二人は口を結ぶ。
翳された左腕。半袖から見えている肘にはぐるりと囲むような縫い目のようなものが刻まれていた。フェルターにそんな傷は無かったはずだ。そこまで考えたエスティアはハッと瞳を大きく見開いた。
蘇るあの日の夜の光景。凄惨なそこで最後まで戦っていた彼の死体には……左腕が無かった。そう、確か丁度、あの縫い目がある位置から――
「ここは本物だと言っておく」
そう言った彼は銀色の剣を引き抜き、流れるようにソレを動かし――
「え、ちょっ、なにして……っ!」
彼は左腕を斬り落とした。スローモーションのように、左腕が真っ赤な絨毯の敷かれた床に落ち、流れ出た黒ずんだ液体が吸い込まれていく。
痛みを感じていないかのような表情の彼は剣に付いた液体を振り払い、床に転がる左腕をエスティアの方へと投げた。二人の表情が強張る。
「それは、返すよ」
「な、なんで……」
「別に……俺は、俺になりたいんだ。最後ぐらい。だからさ」
彼は、液体を払った剣を一瞥し、言葉を続けた。
「偽物で悪いが……二人とも、俺の願いを聞いて欲しい」
「ねが、い……?」
銀の剣を構えた彼は笑う。その笑顔は眩しいほど爽やかで懐かしくて、どこか、違うと感じるものだった。
「本気の勝負をしよう。最高で最悪な、勝負を」
その声を合図に、剣を持った“彼”と“彼女”は同時に剣を振るう。耳鳴りのような金属音が轟き、煌めきのような火花が辺りを照らした。
次回の更新は2019年4月6日(土)を予定しております。




