幕間2 もう一度、幸せの地に向かうために
暗い、暗い、闇の中。ここがどこなのか、アードシアにはわからなかった。だが、自分の父親に言われてやって来た場所だ。その歩みに迷いはない。
何かの音が聞こえる。何かを食べるような咀嚼音と硬いものが砕けるような音。そして、呻き声のようなそれが響くその場所には――怪物に貪られている一人の少女の姿があった。どうして、抵抗しないんだ。貪られる彼女が自分の最愛の家族だと理解した瞬間、彼女は弾かれるように駆け出す。
「テメェら! 何してやがんだぁぁぁぁあああっ!」
最高傑作とも言われている彼女にとって、失敗作とも呼ばれるエラー程度、魔力を使うまでもない。殴ればその白い体は一瞬にして砕け散り、その怪物を瞬く間に消し去ると、滑り込むようにアードシアは少女の体を抱き上げた。
最高傑作とまではいかなくとも、心臓部以外は他の生き物と遜色は無い。ボロボロの小さな体からは鮮やかな赤い血液が流れ、抱き上げた彼女の服を濡らしていく。
左足はもう食い千切られ、体のいたるところには噛みちぎられたような傷ができていた。そんな痛ましい姿の少女にアードシアはその顔に困惑と悲しみを強く浮かべる。
「ナーテ、ナーテ! ああどうして……どうしてなんだ……」
咄嗟に自分が使える中でも一番高位の回復魔法を使い、どうにかして傷を治そうとする。だが、彼女は気付いてしまう――ナーテの魔力核にヒビが入っていることに。
魔力核を持つものにとって、それがたとえかすり傷程度だとしても、それは命取りとなりうる。ナーテは血まみれの手でそっとアードシアの頬を撫でる。
「ごめん、ね」
傷ついた部分から魔力が流れ出しているのだろう。それは耐え難いほどの苦痛となって小さな少女の体を痛めつけている筈だ。にもかかわらず、ナーテは穏やかな微笑みを浮かべ、「ごめんね」ともう一度、謝った。
「なんで、なんで謝るんだ! ナーテ、お前は何も悪くないだろ……ッ! 私が、私が全部悪いんだ、守れなかった私が悪いんだ!」
「アンド……」
「私が、私が! 悪いん――ッ!」
ナーテの唇がアードシアの唇に触れる。ほのかに血の味のするそれに、アードシアは悲痛を浮かべながら瞳を大きく見開き、彼女の小さな唇を受け入れる。
温かくて、それが生きているという証明となって、アードシアはもっと彼女の体温を味わうように抱き寄せ僅かな隙間も埋めるほど強く唇を押し付けた。ナーテはそんな彼女の後頭部を優しく撫でながら、その深紅の瞳から涙を零す。
涙が零れるごとにナーテの瞳からはゆっくりと光が失われていく。顔を離したアードシアは、彼女がちゃんと最後まで顔を見られるように真正面から見つめた。
「ねぇ、アンド。私、アンドのこと大好きだよ。アンドは……私のこと」
「好きだ! 好きに決まってるだろ……ッ!」
悲痛と怒りに満ちていても、精一杯の優しさが篭ったその声にナーテは安心したようで、だが少し寂しげに笑う。
「私、もう満足だよ。その言葉が、やっと、聞けたから」
「何言ってるんだ! お前は、まだ生きてなきゃダメだ! ずっと、私と一緒にいるって言ったじゃないか!」
離さないと言わんばかりにナーテの体を強く抱きしめたアードシア。もう、残っている家族は彼女しかいない。ズルをして生まれた時点で唐突な別れなどわかりきっていたことだ。だが、今までの子たちのように目的のために死ぬならまだしも、ナーテは違う。
こんな死に方を望んでいるはずがない。彼女はずっと一緒にいることを望んでいたのだから。
「約束を破るなんて許さない! 私は、私は……っ」
脳裏に蘇る家族。たとえ、間違った方法だとしても、それが大切な存在であることに変わりはない。それだけは、他の人間と同様だとアードシアは胸を張って言える。
ナーテの手がアードシアの頬を撫でる。血まみれの手は涙が流れたかのような跡を作り、握ったアードシアの手も血で赤く染まっていた。
「私の望みは貴女と……出会った時にもう叶っていたの」
「え……?」
暗い青色の目が嬉しそうに微笑むナーテの姿を映す。
「私、ずっと妹が欲しかった。まぁ、ちょっと、大きすぎる妹だけどね」
「何言って……姉さんらしいことしてねぇだろ……」
「あ、それ言っちゃうんだ。……ふふ、だから、こんな小さなお姉ちゃんからの――最後のお願い」
半ば睨むような視線が今にも、泣きそうな表情で口を引き締めるアードシアを射抜く。火炎族特有の赤い瞳は燃え盛るように爛々と輝き、もう殆ど見えていない者の目とは思えない。
「アードシア、貴女の望みを叶えて」
まるで、その瞳に燃え盛る炎によって心までも焼き尽くされてしまいそうな衝撃がアードシアの体を駆け抜けていく。
「な、なにを……私の、望みは……っ……みんなで、暮らし――」
「違うよね」
「――なっ」
ナーテの魔力核に内蔵された魔力が尽きてきたようだ。苦し気に口元を歪め、体の半分がもう砂となって消えていながらも、彼女は二っと笑う。その笑顔が、初めて出会った時を思い出したアードシアはグッと唇を噛みしめる。
「アードシア、叶えるんだよ。絶対だからね」
そう言ったナーテの体が急速に砂に変わっていく。おそらく、彼女が死を受け入れたことによるためだろう。それがわかったアードシアは慌てたように彼女の体を強く抱きしめ、叫ぶ。
「嫌だ! 行くな! ナーテッ!」
まるで子どもが親と離れるのを嫌がるようなそれに、ナーテはクスリと笑う。
「先にあっちで待ってるから。望みを叶えてきなさい。そしたら、またみんなで遊ぼうね」
「い、嫌だ、やめろ……ナーテ、ナーテェェェエエエエエッ!」
穏やかな表情でボロボロに崩れる彼女を抱きしめながら叫んだアードシア。だが、その暗い青色の瞳からは何も流れない。ただ、獣のような悲痛に浸された声は誰もいない暗闇に響き、吸い込まれていく。
どうして、どうして、なにも出ないんだ。アードシアは喉が潰れるほど何度も何度も、「ナーテ」と叫びながら、涙の一つも出ない瞳を恨む。
暫く、「ナーテ」と名前を呼び続けた彼女が突如、その声を止め、息を止める。そんな彼女の腕の中にはもう何もない。欠片一つ残らず、彼女は消滅したのだ。
抱きしめる腕の中に彼女の体なんて残っていない。だが、アードシアは残り香を抱くように体を小さくすると、噛みしめた口から吐息混じりの声が漏れる。
「くっそ、なんで、こんな……こんな……っ」
この問いに答える者などいらない。なぜなら、彼女はわかっているからだ。どうして、こんな結末になったかなど、考えるまでもない。
強く握りしめた拳。爪が皮膚を破り、そこから真っ赤な滴がポタリ、ポタリ、と床を跳ねる。乾いた笑いが彼女の吐息と一緒に吐き出される。
「はは……そうさ、わかっていた……私が、俺が、父さんを裏切ったから……だろ」
彼女の脳裏に浮かんだ、いくつもの光景。メオンが作り上げた設計図を見やすい位置に投げ捨て、門番にエラーの中でも話の分かるやつを設置するように促した。まさか、仲間にまでなるとは彼女でも予想外だったのだろう。フッと鼻で笑う。
そこまでは、お遊びだと見逃されていたのだろう。だが、きっとあれがいけなかった。見えもしない天井を仰いだ彼女は乾いた笑いを零す。
「やっぱ、迷宮でアイツらを招いたのは……マズったか」
そう呟いた彼女に後悔はない。むしろ、やりきったような表情で口角を上げる。
「そうか、そうか……そっか……」
ゆっくりと、立ち上がったアードシア。若干、よろめきながらも天を仰いだ彼女は決意の篭った赤紫色の瞳を爛々と輝かせ、手を伸ばす。
「待っていてくれ、すぐにそっちに行くから……だから」
グッと握りつぶす様に拳を握る。
「この、アードシアが望みを果たすとこ――見ていてくれ!」
ニッと笑った彼女は踵を返す。もうその瞳には憎悪しか浮かんでいない。
さぁ、望みを果たせ。みんなが待っているんだ。早くやり遂げて、みんなの元へ。
世界に望まれたことの無い少女の一歩は、コツン、と大きく響いたのだった。




