08 優しくありたい
勇者となって早二週間ほどは経っただろうか。ベッドで目覚めたシュティレは、顔を洗い、寝癖を整え、宿の外から聞こえる“音”の元へと向かう。
「はぁぁぁっ!」
ブゥンッ! と勢いよく振るわれた片手剣ほどの大きさの木の棒が空気を斬り裂く。地面に落ちていた木の葉がその風圧に飛ばされ宙を舞う。その一動作を何度も、何度も、繰り返すエスティアの額から汗が流れ落ちる。
シュティレは暫く、彼女がそれを終えるのを傍の木陰に腰を下ろしのんびりと待つ。振るわれる際に出る音は初日より格段に良くなっている。
まぁ、彼には遠く及ばないが。それでも、確実に強くなってゆくエスティアを見つめながら――シュティレは悔しそうに唇を軽く噛んだ。
魔剣を手に入れたことにより、彼女は格段に強くなった。
パーティーメンバーでもある彼女は前衛で必死に戦う彼女のおこぼれを貰い、現在の二人の石の色は“青色”つまりブルーランクとなる。駆け出し勇者としては早い成長に、ギルドの人達は褒めてくれたが、回復と強化しかしていない彼女にとっては手放しに喜ぶことはできなかった。
せめて、攻撃魔法の一つでも使えたらいいのだが……
「……はぁ」
「――どうしたの? ため息なんてついて」
下を向いている彼女の顔を覗き込むようにし、笑みを浮かべるエスティア。朝の素振りを終え、その額と首筋に流れた汗がキラキラと輝いている。だが、完全に油断していた彼女は驚きの声を上げながら仰け反り後ろに倒れそうになる。
すると、慌てた様子でエスティアが彼女の体を抱き留める。汗の香りに混じって鼻腔を掠めるシトラス系の香り。彼女とは同じ洗剤のはずなのに、なんでこんなにいい匂いがしているんだろう、と思いつつ、エスティアの胸元にポスン、と額を当てた。顔は上げない、きっと恥ずかしくて真っ赤になっているから。
「ありがと……でもビックリさせないで……」
エスティアは別に、普通に声をかけただけで、驚かす意図はないと……彼女自身でもわかっている。だが、たまには困らせてやろうという気持ちが働いては仕方ないだろう。
そんな彼女に、エスティアは困ったように彼女の頭に手を置く。
「ごめんごめん。でも、なんかあったのかと思って……シュティレ」
おどけた口調から一変。真剣な声色で名前を呼ぶ彼女に、シュティレは反射的に顔を上げた。その表情には“怒らせたかも”という怯えが混じっている。
彼女は、シュティレの目を見ると、表情を緩め――
「おはよう」
そう一言。
完全に怒られると思っていたシュティレは呆気に取られたように目を見開く。だが、すぐに曇りない笑顔で答える。
「エスト、おはよっ!」
――穏やかな風が吹く草原を抜け、森へとやってきた二人。
今回の依頼目的である“ウッズジャガーの討伐”のために、その魔物の生息地でもある森を歩き回り探していた。
ウッズジャガーとはブルーランクで、木の上で生活する猫型の魔物である。その鋭い爪で、何人もの駆け出しの勇者が大怪我をしたり、運が悪いと死んでいる物もいる。そこで、最近急成長を遂げ、物騒な剣を持ち、美少女を連れ歩くエスティアへと依頼が舞い込んだのだった。
「うーん。いないね……」
「確かに、肉でも振り回せば寄ってこないかな」
「あ、それいいね」
「え、冗談で言ったんだけど」
エスティアは修復された箱から、道中で倒したコィンクダの骨付き肉を一本取り出し、ブン、ブン、と頭上で振り回す。そんな彼女をシュティレは若干離れた場所で見つめるが、その表情は“本当にやってるし”、と言いたげだ。
だが、二人は朝からずっと森の中を歩き回っていた。気づけば太陽は頂点へと移動しており、その光で森を照らし、木漏れ日を作っている。
変わらない景色に心が先に疲れてしまったエスティアは、“もう、魔物が出てくるならなんでもいいや”と、なげやりになってしまうのは、ある意味仕方ないのかもしれない。
「ほーら、肉だぞーでてこーい……お願いだから、でてきてー」
懇願するように肉を振り回す彼女をシュティレは止めようと声をかけた瞬間――
ガサリ、とエスティアの横の草むらの奥が揺れ動き、それはドンドンとこちらへ近づいてくる。
気付いたエスティアは静かに魔剣を構えようと、柄に手を伸ばそうとすると――草むらからは突然、一人の少女が飛び出してきた。
「――え?」
この森には似つかわしくない美しいドレスを身に纏った少女は、驚く彼女の胸元へと飛び込み、顔を上げる。まだあどけなさの残る少女の顔は恐怖に歪められ、そのオレンジ色の瞳は潤んでいる。
「た、たすけてッ!」
「エスト! 伏せて!」
少女が助けを求めた瞬間。シュティレは何か嫌な気配を感じ、叫ぶ。エスティアは彼女の鬼気迫る声に従い少女の上へと覆いかぶさる。
シュティレはそこへと杖の先を向け、魔力を込める。ローズウッドの杖の先端が輝きを放ち――
「私たちを守ってッ!」
カッ、と輝き、三人を守るように薄い膜の様なものがドーム状に広がる。初めてだが、とりあえず展開はできた。あとは守れるかどうか……
シュティレは魔力を込めながら集中するように瞳を閉じ――祈る。
――キィィィィィンッ!
草むらから飛び出した一体の猫のような魔物が、伏せている二人に爪を振り下ろす。だが、鉄製の鎧ですら切り裂くことのできる強靭な爪が、彼女の魔力で作り上げられたシールドを破ることが出来ず、甲高い音が森に響き渡った。
シュティレが杖の先を軽く突き上げるように振るう。すると、魔力で出来た膜が波打ち――魔物を天高くへと飛ばす。それと同時に膜を解除し霧散しようとする、防御に使っていた魔力をそのままエスティアへと流す。
「エスト! やってっ!」
「わかったッ!」
強化されたからで立ち上がった彼女は魔剣を居合のように構え、地面を勢いよく蹴った。まるで弾丸のように打ち出された彼女は空中で体勢を崩し、生き物の典型的な弱点である“腹部”をコチラへと晒している魔物を不敵な笑みで見つめる。
構えた魔剣がコロセ、コロセ、と囁く。慣れたつもりだったが、相変わらずうるさい新しい相棒にエスティアは眉を顰める。
まぁ、コロセというのは同意見なので、と内心で同意しつつ、彼女は真っ黒な柄を握り締め――振るった。
腹部を大きく切り裂かれ地面に横たわるウッズジャガーへと近づいたエスティアは、手帳を開き解体の魔術を発動する。光に包まれたウッズジャガーはあっという間に基本素材へと分解され、それを彼女は手際よくポイ、ポイ、と箱の中に放り投げる。
そんな彼女を、食い入るように見つめている少女を、シュティレは辺りを警戒しつつ見澄ます。
艶のある銀色の髪を肩にギリギリつかない程度に伸ばされ、煌びやかで透明感のある水色のドレスは彼女の白い肌によく似合っている。年はおそらく、シュテイレと同い年ぐらいだろうか、幼い顔つきはまだ恐怖を浮かべている。ケガはしていないようだが、所々泥に汚れているが勇者ではないことは明らかだ。
「お怪我はありませんか?」
解体を終えたエスティアが、少女の前で膝を折り心配そうな表情で笑みを浮かべた。少女はビクリ、と肩を跳ねさせ一瞬後ずさるような仕草を見せるが、スカートの裾を握り締めたまま答える。
「……だ、大丈夫です。助けていただき、あ、ありがとうございます」
「そっか……よかった」
ホッと安堵の息を漏らしながら、そう言った彼女は瞳を細める。
「あ、は、はい……っ」
黄金の瞳に射抜かれたように少女はほんのりと頬を染め上げ、恥ずかしそうに答える。その様子にシュティレの心の奥で小さくさざ波が立つような感覚を感じ、振り払うように軽く首を横に振った。
「それにしても、勇者の様に見えませんが、どうしてこんな危険な場所に? せめて、護衛ぐらいは付けるべきだと思いますが」
「そ、それは……っ」
「――え、ちょっ、だ、大丈夫!?」
エスティアの言葉に少女はグッと息を呑み下を向き、スカートの裾を握る手に力を込め、フルフルと震わせた。マズイことを聞いてしまったと彼女は焦りながら少女を心配するように肩に手を置き、それを眺めていた流石のシュティレもその顔に不安が浮かぶ。
「平気、です……」
声を震わせながらそう答える少女。明らかに平気そうには見えない。シュティレはエスティアへと目くばせをすると、彼女も小さく頷き、安心させるように少女の手を優しく握る。
ビクリ、と肩を跳ねさせた少女は恐る恐る顔を上げる。そんな少女の表情は酷く暗く、エスティアはそんな少女の表情に胸の奥が締め付けられるような気持だった。
「なにがあったのか分からないけど、話してみて?」
安心させるように細められた黄金の瞳が少女のオレンジ色の瞳をまっすぐ見つめる。
「……その、護衛が……殺されてしまったのです……それ、で、助けを求めようと森を彷徨っていたら、あの魔物に追いかけられ……ッ!」
殺された護衛のことを思い出しているのだろうか、少女の瞳からは涙が零れ落ちる。だが、その中には悲しみに混じるように強い怒りや後悔のようなものを感じたエスティアはスっと目を細め、口を開いた。
「護衛を……それは……魔物に殺されてしまったのですか?」
「いえ……彼らを殺したのは……」
言いにくそうに下唇を噛む少女に、彼女は次の言葉が出てくるのをジッと待つ。なんとなく想像はできる。先に少女の答えを言うことも可能だ。だが、少女が自分で言うことに意味がある。
「――勇者です」
その言葉にシュティレの呼吸が止まる。
いま、この子はなんて言っただろうか、“勇者に殺された”と聞こえた。自分の心臓が止まってしまいそうなほどの衝撃、彼女の中に浮かび上がるはあの夜の光景。口の中が酷く乾き、自分が今呼吸しているのかすらわからない。
対して、エスティアはその言葉を聞いた瞬間――自分の心臓に冷たい水をかけられたような感覚を感じていた。その次は冷めきった心臓を燃やすかのような勢いで燃え上がる炎。そして、それらをも握りつぶさんと伸ばされる黒い感情にエスティアの表情から感情が抜け落ちる。
優しさは影を潜め、その代わりと言わんばかりに姿を現す憎悪は黄金の瞳から輝きを奪う。
「勇者……そうですか」
少女の言葉を繰り返す様に、エスティアの口から発せられた言葉は暗く冷たい。まるで新月の夜に吹き付ける吹雪のようだ。
だが、無表情のはずの彼女の瞳は獣の様にギラギラと炎をチラつかせる。そのアンバランスさに少女はまるで魅入られてしまったかのように、彼女から視線を外すことが出来なくなったいた。
エスティアは不意に少女へと顔を近づけた。吐息がかかりそうなほど近くで彼女は感情が籠っているのかもわからない冷たい声で囁く。
「その勇者――私が殺しましょうか?」
「……え?」
「だって憎いでしょう? 殺してやりたいほど。だけど、今の貴女にそんな力はないように見える。なら、私が代わりにやりますよ。大丈夫、必ず殺して差し上げましょう」
こんな少女がこんな悲しみを背負っていいはずがない。エスティアは悔しそうに拳を強く握りしめ、噛みしめるように呟いた。だが、起こってしまったものは仕方ない。時を戻すことは誰にもできないのだから。
だから、私は手を差し伸べよう。理不尽な悲しみを背負ってしまった少女の気持ちが少しでも晴れるのであれば……
――チャリ、と鞘の鎖が小さく音を立てた。コロセ、コロセ、と魔剣も言っている。
その様子を見ていたシュティレは一瞬だけ悲し気に目を伏せた。
「……殺しません」
だが、少女が呟いた言葉は彼女の思いとは反するものだった。
「なぜです?」
「捕まえて、然るべき罰を与えます」
先ほどとは打って変わり、即答しハッキリと答える少女に彼女は眉を顰め、不思議そうに首を傾げた。
「甘いですね。今、殺しておかなければ、ソイツはまた同じことをするかもしれませんよ? 今度は貴女が殺されるかもしれない……いや、家族が殺されるかもしれない。それでも――捕まえるべきだと?」
深海からくみ上げた海水のように冷たい声に、シュティレは自分に向けられた言葉ではないとわかっていても、その雰囲気にビクリと肩を跳ねさせた。
だが、それを正面から向けられた少女は臆することなく彼女の瞳をまっすぐ見つめながら口を開いた。
「その時は処刑します。ですが、私はどんな人間にも必ず一度は信じるべきだと思っています……ですから――私の“依頼”受けてくださいますか?」
少女の揺るぎない言葉に、エスティアは小さくため息をつき、呆れたような笑みを浮かべながら右手を差し出した。
「エスト・リバーモル。あっちは、シュティレ。貴女の依頼受けさせてください」
「私は、ティアルマ・ホープスです。ティアとお呼びください」
エスティアは“ホープス”という言葉に引っ掛かりを覚えたが、特に意味はないだろうと、その考えを頭の片隅へと追いやり、彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「あちらです」
「りょーかいっ」
エスティアに抱きかかえられたティアルマは、彼女に教えるように前方へと指を指す。ティアルマが逃げる際にかけた追跡魔法のおかげで迷うことは無い、しかも魔剣の邪悪な魔力のせいか、低ランクの魔物も彼女たちに近づくことはできないおかげで、道中は比較的順調だ。
「……むぅ」
だが、その横を駆け足で付いてくるシュテイレの表情は不満げだ。その視線はチラチラと抱きかかえられた彼女へと向いている。
ティアルマはドレスを着ていたため森を歩くには向かない。そのため、強化魔法がまだ解けていないエスティアが彼女を抱える役目となった。そこまではいいとは思う、仕方ないことだとは理解している。
だが――少し、お互いの距離が近すぎではないだろうか。ティアルマが落ちないようにしっかりと首筋に掴まっているせいで時節、顔がぶつかりそうになっている。しかも、抱きかかえられる、つまりは――お姫様抱っこというやつだ。
「私でもして貰ったことないのに……」
「シュティレ? なにがして貰ったことないって?」
「――え!? な、なんでもないっ!」
「……ふーん」
シュティレの反応に少し考えるような素振りを見せた彼女は、笑みを浮かべた。
「エスト様っ、近いです!」
シュティレが何かを言おうとした瞬間――ティアルマの緊迫した声が彼女たちの耳に響く。エスティアは急いで立ち止まり、足音を殺しながら木の影に隠れ、ティアルマが指し示す方角を警戒した様子で目を凝らした。
すると、川沿いで談笑する五人の男女の姿があった。エスティアはその様子に小さく安堵の息を吐き出した。まだ、森の中に居てくれてよかった。
追跡魔法があるとはいえ、王都にでも入られてしまえば見つけるのは困難だっただろう。だが、念のためだ。彼女は、隣に降ろしたティアルマへと顔を向けた。
「アレですか?」
「はい、間違いありません。彼らのうちの一人――あそこの弓を持った男性に、私の魔力が付いていますから。ランクは恐らく、ブルーランクだとは思いますが、気をつけてください」
ティアルマは小さく拳を握る。
「よし、じゃあ強化も解けてないし、私がなんとかしてくる。シュティレはその間、ティアのことよろしくね」
「……わかった。無理しないでね? 同じブルーランクって言っても、相手の方が人数多いし、経験だってあっちの方があるだろうし……」
「わかってる。でもちょっと不安だから――」
「きゃっ!?」
ギュッと、エスティアはシュティレの体を抱きしめ、その首筋に顔を埋める。
「んっ、ちょ、エ、エストッ!?」
「ごめん……ちょっとだけ……」
自分の匂いを擦りつけるような仕草をするエスティアと、顔を真っ赤にしながらあたふたするシュティレを見つめていた彼女の表情は呆気に取られていた。
数分にも満たないそれはシュティレにとっては数時間の出来事にも感じる。エスティアの背中へと手を伸ばそうと――
「よしっ、これで頑張れる。じゃあ、行ってくるね!」
「え、あ、ちょ……」
満足したエスティアは嬉しそうな顔でシュティレの頭を撫でると、そのまま踵を返し、勇者の元へと向かって行った。




