78 穢れなき魂を持つ者たち
「まずい……っ!」
背後からピオーネへと襲い掛かる女性。エスティアは弾かれるように魔剣から手を離し、よろけるピオーネの胸倉を掴み思い切り引き倒す。その際に、魔剣と白銀の剣がエスティアを傷つけ床へと落下していくが、もう痛みというものを感じなくなっているので彼女は気にすることなく、飛びかかっていた女性の顔面に――強烈な頭突きをくらわせた。
「いっ……た」
まるで、岩にでも頭突きしたような音。響くようなそれに大して痛くなかったとしても、エスティアは思わずそう言っていた。だが、気を取られている暇はない。額を大きくへこませ、後退する女性の腹部へと膝蹴りを叩き込む。
ドンッ! と人の体を蹴ったとは思えない音が女性から響く。おそらく、今の一撃で内臓といくつかの骨を砕くことに成功したということだ。
エスティアはフッと、息を吐き出し、衝撃で浮いた女性の体へと回し蹴りを叩き込み、壁際まで吹き飛ばす。ほぼ水平に壁へとめり込んだ女性の口から内蔵交じりの血液が吐き出され、床を染める。
「な、なぜ……私を助けた……っ!」
綺麗にめり込んだおかげで抜け出すのに時間がかかるようだ。警戒したまま魔剣を拾い上げるエスティアに、ピオーネは噛みつくようにそう言った。その声と表情には困惑の色が濃く浮かんでいる。
「私は、貴様の敵だ……それに――」
「お前が死ぬと、アリスが悲しみそうだったから」
「なんだと……?」
剣が鎖骨に当たった際、パックリと開くようにできてしまった傷口を閉じるように手を当てながらそう言ったエスティアは、背後にいるアリスを一瞥した。力なくペタリと座り込んでいるアリスの唇は微かに震えている。
確かに、彼女がアリスを連れ去ったことは許せない。殺そうとしているのかもしれない。アリスとの関係性は知らない。だが、何故か、ピオーネを殺したらダメなような気がしていたエスティア。
だが、ピオーネが言いたいことは何となくわかる。高貴な身分であると信じている自分が、下賤な者と見下している奴に助けられたのだ。これ以上ないほどの屈辱感を感じているということを何となくではあるがエスティアは理解している。
それでも、エスティアに助けないという選択肢はなかっただろう。
「……確かに、私はアリスを連れ戻しに来た。だけど、私の目的はそれだけじゃない」
エスティアはそう言って魔剣を構えると、同時に駆け出す。その速さは、もう強化魔術が切れているとは思えないほどであり、まさに地に落ちる稲妻のごとき。
「私は」
漆黒の刃が“コロセ”と叫び声を上げる。その時、エスティアの脳裏に浮かび上がる沢山の笑顔と、あの言葉。
ブジュリ。魔剣の切っ先が肉を斬り裂き、骨を砕く。耳をつんざくような女性の叫び声に、不快感を感じながらもエスティアは魔剣が頭蓋骨を砕き、貫通するまでその刃を埋める。真っ赤な鮮血と透明な粘着質の液体が混じった液体が異臭を連れて流れだす。
女性の体を激しく痙攣させながら、“中身”が殻を破ろうとする。エスティアは冷たい眼差しでボコボコと突き破ろうとする女性の心臓部を踏みつけた。
「全ての」
軽く踏みつけただけにもかかわらず、もう形を成しているのも不思議なほど内部がボロボロであった女性の肉体はあっさりと、古びた板のように踏み抜かれ、その奥に潜んでいた出来たての“魔力核”を砕く。
「偽物を殺さなきゃいけないんだ……ッ!」
磔にするように頭蓋を貫き壁をも貫いていた漆黒の刃を、乱暴に引き抜いたエスティアはそう叫ぶように言って、振り向く。そんなエスティアの姿に二人が大きく息を呑む。
噴水のように噴き出す血潮が自我を持つかのように、エスティアの左腕を作り上げていく。そして、余ってしまった血液たちは魔剣に啜られ、歓喜の魔力を垂れ流す。
どこまでも邪悪な魔力が纏わりつく彼女の姿はまるで、死神だ。すべての命を奪う“死”という概念に手足が生えているかのような。
「お前は……」
ピオーネが口を開いたその時――
「……ごふっ」
口から大量の血を吐き出しながら、エスティアがその場で膝を付く。
「エストさん!」
弾かれるように立ちあがったアリスが血相を変えて、倒れそうになるエスティアの体を抱き留める。エスティアの視界の奥で白いナニカが蠢くのが見えた。きっと、アレが、最後だ。
もう意識を保っているだけでやっとの状態なのだろう。だがエスティアは肩で呼吸をし、口から鮮血混じりの唾液を吐き出しながら魔剣を握り締め立ちあがろうとする。
「エストさん、動いてはダメです! 本当に死んでしまいます!」
アリスが力いっぱい抱きしめる。どうやって生きているのか不思議なほど、エスティアの体はボロボロだ。加えて、彼女の集中力も途切れかけているせいで四肢を作り上げている血液も形が不安定になってきているようだ。ポタリ、ポタリ、と赤い滴が滴り落ちている。
「がは……っ、ま、だ……コロ、ス、ものが……っ」
アリスの肩に左手を置き、エスティアは立ち上がる。その際に、不安定な物となっているせいで、アリスの肩が血で汚れてしまう。
エスティアは「ごめん」と言ったつもりだが、その声は言葉を紡ぐことはできなかったようだ。だが、もう一度、言い直す暇はない。ふらつきそうになる体に無理やり動くように命令し、魔剣を構え――
「封滅血破ォォォォオオオオオオッ!」
白い肌を赤黒い魔力を帯びた鋭い牙が切り裂く。すると、黒い砂が噴き出す間もなく、漆黒の魔力に飲み込まれ跡形もなく消滅してしまう。
その瞬間、塔に充満していた圧迫感のような物が消えていく。それは、まるで、全て終わったと言いたげなことにエスティアは表情を緩めた。おそらく、神聖な魔力に交じっていたエラーの魔力が今ので消え去ったということだ。
「これ、で、さい、ご……だよね」
エスティアはそう言って倒れそうになるが、まだやることは残っていると自分に言い聞かせながら、ピオーネを見つめた。
「まさか、この塔内にいる偽物を全て殺すなんて……」
「……見える、はんい、だけどね……でも、これでアンタを縛るものはない――心おきなく成仏できるでしょ?」
エスティアのしたり顔で放たれた言葉に、アリスは大きく瞳を見開き、ピオーネとエスティアを交互に見つめる。成仏とはどういう意味なのか。どうして、そんなことを彼女が知っているのか。
アリスのそんな視線を感じ取ったエスティアは肩を竦める。すると、魔力が不安定なせいで、左腕がドロドロと崩れ落ちていく。それは氷が溶けるように足元に血だまりを作る。
「ふっ、私が霊体だと、どうやって知ったのかしら?」
感心したようにそう言うピオーネは剣を投げ捨て、笑みを浮かべた。その表情は晴れ晴れとしている。その様子はまるで、鎖から解き放たれたようだ。
「別に、彼女が教えてくれたんだよ」
「彼女……?」
首を傾げるピオーネに、エスティアはペンダントを見せた。その瞬間、ピオーネは驚いたような表情を見せた。そして、納得したようにエスティアへと一歩近寄り、ペンダントに軽く振れる。
「そう、貴女……まだ、いたのね」
ピオーネの言葉にペンダントは答えない。エスティアは、急に無口になってどうしたのだろうかと首を傾げたが、ピオーネは気にした様子は見せず、ペンダントを軽く一撫でする。その瞳はどこまでも優し気に細められていた。
「アリス」
不意にピオーネが呼ぶ。軽く瞳を見開いたアリスは顔を上げる。
「アリス、ごめんね」
「え……?」
ポンっとアリスの頭に手を置いたピオーネ。アリスは咄嗟にその手を振り払おうとしたが、できなかった。彼女の表情があまりにも、悲し気だったせいだろう。
「逆らえなかったとはいえ、貴女に酷いことを言ってしまった。ごめんね」
「あ、いえ……」
気にしてないとは言わない。それを言ったら嘘になってしまうからだ。アリスの頭を軽く撫でながら、ピオーネはばつが悪そうに笑みを浮かべると、瞳を細めた。
エスティアは、ピオーネの変わりようには驚いたが、もう、彼女に危険性が無いことに気が付いているので、黙って見守る。
そして、ふと、牢屋から出る時に、隣の牢屋に一人の女性の遺体があったことを思い出す。
「アリス。貴女は強い子よ。神族の中でも王になれるほどの力を貴女は持っている。それは、もしかしたら悪用されるかもしれない。純粋な貴女を騙して……って、思ったんだけど」
「ん? な、なに?」
エスティアをチラリと見やったピオーネは、呆れたようにため息を吐き出す。
「貴女には頼もしい人がいるから平気ね。……さて、そこの魔剣使い」
アリスの頭から手を退かしたピオーネはエスティアの方へと振り向く。その真剣な彼女の瞳に、エスティアは表情を正す。
どこまでも美しく澄んだ黄金の瞳。エスティアはどこか懐かしさのようなものを感じながらも彼女の言葉を待つ。
「アリスのこと、頼んだわよ」
真剣な眼差し。エスティアはしっかりと頷き腰に収まる魔剣の柄を力強く握りしめた。その反応にピオーネは満足そうに微笑を浮かべたその時――塔が大きく揺れた。
突然の突き上げるような揺れに、エスティアが転びそうになるのをアリスが咄嗟に腰に手を添え支えると、ピオーネへと視線を移す。すると、ピオーネは揺れによってひび割れていく床を眺めながら口を開く。
「アリス、その子を連れていきなさい」
「ピオーネさん……っ!」
咄嗟に伸ばしかけた手を下ろすアリス。だが、その時、腰を支えていたエスティアの体から力が抜け、四肢を作っていた血液が溶けるように魔剣へと吸い込まれていく。ボロボロだったとはいえ、急に意識を失うとは思えない。アリスはすぐに目の前の彼女がやったのだと気が付く。
鋭い視線に突き刺されながらも、ピオーネは微笑を浮かべたままで立っていた。下からピシピシと不穏な音が響いている。
「ピオーネさん、なにを」
「別に、この塔を壊すだけよ」
「なっ」
驚きで瞳を見開くアリスは、その手に抱えたエスティアを強く抱きしめた。すると、ピオーネは思い出したようにエスティアへと歩み寄る。そして、眠っている彼女の胸元にあるペンダントを引きちぎった。
ブチリ、とチェーンが切れ、十字架が彼女の手に渡った瞬間、エスティアに異変が起こった。神聖な魔力が彼女を燃やし始めたのだ。
「エストさん!?」
ジリジリとエスティアの肌が焼かれていく。それはゆっくりとではあるが、確実に彼女の肉体を炭へと変えていく。このままでは本当に焼き尽くされてしまう。アリスは、鋭くピオーネを睨むと、エスティアをしっかりと抱きかかえながら踵を返し――
「エストさん! 死なないでくださいよ!」
勢いよく塔から飛び降りた。
消えていくアリスとエスティア。雲よりも高いこの場所から飛び降りて生きていられるとは思わない。だが、それは、彼女たちが常人であった場合だ。
ピオーネは軽く手を振ると、魔力で創り上げた椅子へと腰を下ろす。もう、この塔は長くはもたないだろう。濁流のように増していく揺れと、ドラゴンの咆哮にも思えてしまうほどの重低音。何かが割れるような音も聞こえてくる。
だが、ピオーネはくつろぐように背もたれに体を預け、話し始めた。
「最後の瞬間が、アンタと一緒だとは思わなかったわ」
その声はどこまでも優しい。まるで、春風のような軽やかな声はこれから消える者の声とは思えないほどだ。
「……ちょっと、返事しなさいよ」
ピオーネはそう言って口を尖らせた。すると、彼女の手に握られている十字架のペンダントが光り輝き、それは徐々に人型を作り上げていく。
美しい絹のような金髪が空から降り注ぐ太陽の光を反射し、煌めく。女性の形となったそれは、ピオーネが用意した椅子へと腰を下ろし、優雅に微笑む。
「久しぶりね、ピオーネ」
「ふんっ、いつ見てもいけ好かない笑顔ね」
「あら、まだそんな乱暴な言葉使って……」
クスリと笑う女性に、ピオーネはうんざりとしたように口を尖らせる。そんな呑気な会話をしている二人の背後からは不穏な音が響く。そして、ゆっくりと、塔全体に入った亀裂が大きくなっていく。
もう、あまり時間は残されていないようだ。ピオーネは気まずそうに頬を掻くと、最後の言葉を紡ぎ始める。だが、その言葉は、いつも通り、懐かしき世間話だった。
「占い師として、地上の生活はどうだった?」
「とても、楽しかったわ。まぁ、結局見つかって殺されちゃったけどね。貴女こそ、何で死んだのよ……王家の一人になったくせに」
「別に……ヘマしただけよ。ほんと、最悪」
「ふふ、そんなこと言って、本当はあの子を逃がそうとしてくれたんじゃないの?」
女性の言葉にピオーネは「知らない」と言って、そっぽを向く。すると、女性はクスリと笑みを零す。
そろそろ、座っているのも困難になってきたようだ。椅子から立ちあがり、女性へと手を差し伸べたたせたピオーネは空を眺めた。
「こんな結末なんてね。ほんと、最悪な人生だったわ……でも」
ピオーネは女性の方へと向き直り――
「アンタに会えて、最後に話すのがアンタでよかった」
春の花が咲き誇るような可憐な笑顔。女性は一瞬驚いたが、すぐに目の前の彼女のような笑顔を浮かべる。すると、二人の体が光の粒子となって消え始める。もう、時間切れということだ。
「私も、貴女と会えて、最後に貴女と話せてよかった。ありがとう。次会った時は、また友達になってよね」
「……嫌よ」
消えかけていく女性の顔が悲し気に歪む。すると、ピオーネは大息を吐き出す。
「バカね。友達じゃなくて、親友じゃなきゃ嫌よ」
「…ッ! ふふ、そうね。次もまた、親友になりましょう」
二人の体が天へと導かれる。それはまるで、大地へと降り注いだ星が、宇宙へと帰るかのように美しくとも、儚い光景だった。




