74 神の生き血を啜れ
階段を上るとそこにはまた広場のように殺風景な部屋が広がっていた。ただ一つ違うのは、数人の神族が立っていることぐらいだろうか。そっと心の指でエスティアは数えると、人数は五人か。全員が武装をしており戦う気満々といった雰囲気だ。
「貴様が、我が同胞を殺した人間だな?」
リーダー格と思われる神族の女性はそう言って、エスティアを冷たく見下ろす。アリスの黄金の瞳とは違い、温かみなど感じさせない金属のような冷たい印象を与える瞳だった。そして、その奥から顔を出す様に明確な侮蔑を感じ取ったエスティアは挑発的に口角を上げる。
そんな態度にリーダー格の彼女以外の神族がざわつく。その時、「穢れた種族め」という言葉がポツリとエスティアの耳に届く。その嘲笑染みた言葉に、“シュティレが一緒じゃなくてよかった”と考える。彼女が神族に尊敬のようなものを持っているのを知っているからだ。
だから、そんな彼女が持っているイメージを壊すような目の前の存在に躊躇など必要ない。それに、急がなければいけない。
「同胞を殺し、この神聖な領域に侵入した罪で貴様を処刑をするところだが、私たちは忙しい。今、ここで大人しく帰るのなら、ここでの罪は不問としよう」
「キーヌ様!? よ、よろしいのですか。こんな……」
キーヌと呼ばれたリーダー格の女性は、話しかけてきた青年神族の方を一瞥し頷く。エスティアはフーっと息を吐き出し――魔剣をその青年の首筋へと躊躇なく突き刺した。
サクッとまるで雪でも踏みしめたような軽い音が聞こえ、時間が止まったかのような静寂が辺りを包む。だが、そんな静寂はほんの一瞬のことで、魔剣が斬り裂いた傷が音を立てる。そして、決壊した土手から川の水が溢れ出す様に、血の川が噴水のように噴き出す。
魔剣が歓喜に打ち震え、噴き出した命を啜り、その刀身の魔力を高めていく。神族の誰もが固まって動けない。状況が理解できていないのだ。エスティアは表情を変えず、青年から魔剣を引き抜く。すると、噴き出した赤色は彼女へと降りかかろうとするが、その前に魔剣の魔力によって啜り尽くされていく。
エスティアの黄金の瞳がギラりと輝き、神族全員を順番に見回しながら言う。
「言ったでしょ? 邪魔したら殺すって」
エスティアの体から流れ落ちるように赤黒い魔力がベチャリ、ベチャリ、と地面へと落ち、蠢いたそれは鋭い牙を持った肉食獣のような姿となって、エスティアの隣に腰を下ろす。顔こそないものの、その口から覗かせる牙からは魔力が滴り、見ているだけで不快感に包まれてしまいそうな気分に陥る神族たち。
キーヌは表情こそ変えないものの、その黄金の瞳から殺気が伝わる。だが、そんな反応を見せてくれたのは彼女だけだった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁッ!」
剣を引き抜いた青年神族が情けない声叫び声を上げながら、エスティアへと斬りかかる。神聖な魔力に守られている一族だからこそ、邪悪な魔剣の魔力に耐えきれなかったのだろう。その青年を皮切りにキーヌ以外の三人の男女がエスティアへと襲い掛かる。
キーヌは咄嗟に止めようと声をかけたが――
「行け」
二体の血濡れた獣がその言葉に応じ、先に駆け出していた青年と、弓を構えた女性へと飛びかかる。同時にエスティアも、青年に続いている槍を構えた男性へと距離を詰め、その槍が突き出されるよりも早く魔剣を彼の心臓部へと突き立てる。
「ご、は……ッ」
まるで、ヘビが牙から毒を流すように魔剣の邪悪な魔力が、聖なる魔力で満たされた男性の体を侵食し体内を流れる血を啜る。
想像を絶するほどの痛みと強烈な不快感、そして自分の体が穢れていく苦しみで男性の瞳からはとめどなく涙が流れ落ち、声にならない声を上げながらガクガクと体を震わせ、その命を刈り取られる。干からびたミイラのようになった男性を蹴り飛ばす様に魔剣を引き抜く。
「や、やめてくれぇぇぇぇぇぇっ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁッ!」
男女の悲鳴がこだまする。だが、そんな気味の悪い音楽会は数秒すら許されない。獣たちが同時に男女の喉へと牙を突き立て噛みちぎる。血が噴き出す前に獣たちはもう一度喉に食らいつき、おとぎ話の吸血鬼が血を吸い取るなどが可愛いものだと思えるほど強引に傷口から血を啜る。
エスティアはおぞましい食事風景を一瞥すると、その場から動かずエスティアを睨みつけるキーヌへと顔を向けた。
「仲間が殺されてるのに、助けようともしないんだ。神族ってのは随分と薄情なんだね。それとも、アンタが薄情なだけ?」
「……」
無言でいるキーヌは静かに腰のサーベルを引き抜き構える。その綺麗すぎる動作にエスティアは思わず身震いしそうになる。確かに見とれてしまいそうなほど美しい。だがそれはまるで、操り人形が武器を構えているかのようなものをエスティアは感じ取っていた。
瞳からは殺気は感じている。でも彼女の体からは殺気や闘志といったものが全く感じられない。エスティアは魔剣を力強く握りしめる。
「今、ここで帰れば貴女は命が助かるというのに。残念です」
そう言った彼女の声は本当に残念がっているようだ。
「なら、そっちこそ残念だね。私の邪魔をしなければ死ぬことは無いのに。今ならまだ間に合うよ?」
「もう、手遅れです。私たちはもう……」
そう言ったキーヌは笑っていた。だが、その黄金の瞳からは――真っ赤な涙が流れていた。彼女の白磁のような白い顔に赤い線を描き、地面へと落ちていくそれをエスティアは無意識に追ってしまう。
ポタリ。
滴が真っ白な床を跳ね、赤い点を作り上げた。と、同時にサーベルを構えたキーヌが斬りかかる。斬り込む角度、力の入れ方全てに無駄のないそれはエスティアが反応して体を動かすよりも早く、彼女の腹部を切り裂く。
「ぐ……ゥッ」
大きく切り裂かれた腹部は筋肉までその刃が届いていたようだ。溢れ出しそうになる内蔵を咄嗟に手で押さえ、流れ出た血で傷口を塞ぐと両手で握りしめた魔剣を振り上げる。キーヌはそれをサーベルで受け流す様に躱すとそのままエスティアの塞いだばかりの腹部に鋭い蹴りを放つ。
サッと魔剣から手を離し、繰り出された蹴りを半身となって躱したエスティアはその足を両手で掴み、思い切り力を入れるとそのまま――投げ飛ばす。
両手越しにキーヌの脛骨と腓骨を潰し砕いた感触が伝わる。脛はぶつけただけでも強烈な痛みが走る。おそらく意識が飛ぶほどの痛みが彼女を襲っている筈なのに、彼女は表情を変えることなく、空中で回転し地面へと両足で着地する。
種族ゆえに痛みを感じないのか。そんなものは聞いたことないが、エスティアはその手に魔剣を呼び戻すと、素早く魔剣をその場で振り、三つの斬撃を飛ばし、続くように駆け出す。
「お前らはアリスをどうするつもりだ!」
「……」
腹部へと襲い掛かる一撃目を飛び上がりで躱し、そのままの体を捻り首筋を狙っている二撃目を躱し、着地した瞬間にもう一度軽く飛び越す様に足元を狙う三撃目を躱したキーヌはサーベルで漆黒の刃を受け止める。
筋力でなら、強化されたエスティアは大抵の人間をそのままねじ伏せられるだろう。グッと力を入れ、押し込むように体重をかけるが、キーヌはその勢いを利用し力を抜く。抵抗力をいきなり失ったことにより転びそうになるところにキーヌの左拳がエスティアの腹部に突き刺さるかと思われたが――寸でのところで食事を終えた獣がキーヌの左腕へと食らいつく。
「はぁぁぁぁっ!」
怯んだ一瞬のすきを狙い、エスティアは魔剣でサーベルを握る彼女の右腕を斬り飛ばす。黒っぽい血が噴き出す様に流れると血濡れた獣は嫌がるようにその場から飛び退き魔力となって魔剣の中へと還ってゆく。
エスティアはそんな獣の行動には見向きもせず、先ほど潰し砕いた左ひざから先の下腿も斬り落とす。痛みに反応を示さなくても、突然片足が無くなればバランスを保つことは難しい。地面へと倒れたキーヌの喉元に漆黒の刃をつきつけたエスティアは大きくその瞳を見開いた。
「な、うそ……」
剣を突きつけられてもビクともしないキーヌの黄金の瞳はどこを見ているのかわからないほど――濁りきっていた。そして、傷口から流れるどす黒い血液。ドロドロとしていて腐臭を放ち、それはまるで死体が流すようなソレだったからだ。
エスティアは左手の籠手を外すと、動かなくなってしまった彼女の心臓部に手を当てる。普通であればドクン、ドクン、と聞こえてくるはずの場所からは何も感じない。生きていないことは明白だった。
嗅いだことのあるものが鼻をかすめる。それは、屍臭だ。目の前のものが死体なら臭うのは問題なく普通のことだ。だがそれは、数日の時が経ち腐敗したものであればの話である。
「いったい……なにが……神族って死んだらこうなるの?」
『いえ、神族も作りは普通の人間となんら変わりはありません』
屍臭を放つほど腐敗しているように見えない死体にエスティアは薄気味悪く思いながらも、気にしているほど暇ではない。まだまだ道は長いのだ。外した籠手を装着し魔剣を握り締めたエスティアは立ち上がり、目の前の上り階段を睨む。
「待っててアリス。絶対に君のことは取り返すから」
瞼を震えわせゆっくりと開いたアリス。どうやら、場所を移動したようだ。まるで鳥かごのような牢屋に閉じ込められ、その周りには多くの神族と思われる黄金の髪と瞳を持った者たちが物珍し気にアリスを眺めていた。
これは一体どういう状況なのか。考えを巡らせたがまだ頭がボーっとしているようだ。軽い頭痛が走り抜け、考えることを諦める。英雄と呼ばれ観衆の目に晒されることには慣れている。すると、そんなアリスのすまし顔が気に入らなかったようだ。
「やはり、地上で育ったから」
「見ろ、地上で育ったからあんなに目つきが鋭いんだ」
「やっぱり、地上で穢れてしまったのね……かわいそうに」
憐れみと軽蔑の眼差し。二言目には「地上で育った」や「穢れた」などの言葉が雨の様に絶え間なく降り注ぐ。この視線は人生初だ。アリスは耳を塞ぎたくなるが、下手に動けば余計なことを言われそうな気がしてそのままの体勢でいるしかない。
暫くアリスを眺めていた神族も微動だにしない彼女に飽きたのか、一人、また一人、と鳥かごから離れていく。すると、帰らずにじーっとこちらを見つめる神族の少年がいることにアリスは気付く。大人に紛れていたせいで全く気付かなかったが、その少年を見た瞬間アリスは黄金色の瞳をこれでもかと鋭くした。
それに気づいた少年はニヤリと笑みを浮かべると、まるで友達にでも会ったかのように右手を軽く上げる。その仕草にアリスは強い不快感を抱く。
「そんな怖い顔をしないでくれよ。僕たちは仲間じゃないか」
少年の顔つきで声は青年というアンバランスな目の前のソレ。アリスの瞳にはその少年が纏う魔力が視えている。くわえて、今の言葉で確信したアリスはその忌々しい名前を口にする。
「貴方とはもう仲間ではありませんよ――スライ」
突き放すような言葉にスライと呼ばれた少年は肩を竦め、ニコリと笑みを浮かべる。だが、その瞳の奥は全く笑っていない。いったい、どんな魔法を使って姿を変えているのかはわからないが、アリスにとってどうでもいいことだ。
魔力がある限り、アリスの瞳を誤魔化すことはできないのだから。だが、それは彼にとっては想定内らしい。彼は鉄格子に近づくと満面の笑みを見せる。
「そんなつれないことを言うなよ。君はもうすぐ」
鉄格子の中からそっと手を伸ばす少年。アリスはサッと奥へと移動し睨みつけると、少年は残念がっているような勝ち誇っているような曖昧な微笑を浮かべたまま言葉を続けた。
「――俺の物になるんだからな」
そう言った彼は少年とは思えないほどの下品な笑みを浮かべ、腹ペコの獣が獲物を恐怖させるような舌なめずりをする。だが、アリスはそんな様子に臆することなく逆に、迎え撃つように彼を睨みつけた。
旅をしていた時には感じなかった嫌悪感で満たされたアリス。魔剣とは違った邪悪に満ちた彼に彼女の体内に残っている聖剣の魔力が“危険だ”、と言っていることもあるだろう。
「そんなことには絶対になりません」
「本当か?」
「貴方のような人の物になるぐらいなら死んだほうがましでしょう。……どうして、貴方はそうなってしまったのですか」
アリスはそう訊いて、後悔した。彼の笑みを見ていたら、今が本性だと言っているとわかってしまったからだ。
「貴方のことは良き仲間だと思っていたのに……っ」
唇を噛みしめたアリスを嘲笑うように彼は笑みを深めた。




