71 どうかまた会えますよう
「アリス」
女性はそう言って、微笑み一歩近づく。その穏やかな表情は突き刺すような寒さに差し込む陽射しのような穏やかさがある。だが、エスティアはサッとアリスを守るように魔剣の切っ先を女性へと向けた。
「誰だか知らないけど、アリスに近づくな」
こんな世界に変わってしまったのだ、どこに敵が潜んでいるかはわからない。それがどんなに美しく神々しい女神のような外見で穏やかな雰囲気でいようと、油断はできない。
エスティアは女性を鋭く一瞥すると、女性は魔剣を一瞥した後、悲し気に微笑みながらアリスへと手を伸ばす。
「アリス。大きくなったのね――私のかわいい子」
「え……?」
女性の言葉にアリスの瞳が大きく見開かれ、固まってしまう。エスティアも同様だった。今の言葉の意味がわからないわけではない。だから余計に疑問に思う。
なぜ、今このタイミングで、出てくるのかと。そんな考えが顔に出ていたようだ。エスティアの顔を見た女性は瞳を細める。
「申し遅れました。私――レーラ・エステレラといいます」
「エステレラ……じゃあ、貴女は……」
「はい。アリスの母親です」
間髪入れずに答えが返って来る。エスティアはあの日、アリスが「お母さん、お父さん」と呼んでいたことを思い出し、言葉を失った。
そっと、アリスへと顔を向ける。急なことで混乱しているのだろう。アリスは瞳を見開いたまま、その表情に懐疑の色を濃く浮かべていた。
「本当に……私の……お母さん、なのですか……」
「ええ正真正銘、貴女を産んだのは私よ」
おいでと言うようにレーラは両腕を広げる。アリスがエスティアの顔をうかがうように、視線を向ける。その表情は“行ってもいいのか”と言っているように見えたエスティアは、魔剣を鞘へと納め、頷く。
まだ、色々と疑問は残るが、ずっと会いたかったはずだ。エスティアが一歩下がると、入れ違うようにアリスがレーラの胸の中へと飛び込んでいく。
「アリス」
「――お母さん……っ!」
切羽詰まったような声のアリスは、優しく抱き留めるレーラの胸元に顔を埋め、これでもかと強く抱きしめた。エスティアは一歩下がったところでその光景を見つめながら、もう会えない両親たちを思い出す。最後にああやって抱きしめてもらいたかったな、と。
すると、宝剣を持ったシュティレと、双子がエスティアの元へとやって来る。何も言わずに、全員がその光景を眺める。
「ごめんなさい。貴女を迎えに来るのが遅くなってしまって」
「いいんですっ。こうして、また会えましたから……っ」
「アリス、私のかわいい子」
レーラがアリスの耳元へと口を寄せる。そして囁いた。
「貴女の本当の母親ならそう言ったでしょうね」
「な、なにを……言って……」
困惑の表情で咄嗟に離れようとするアリスの、腹部に違和感が走る。シャツ越しに何か鋭利な物を突き付けられていると理解したアリスはその女性を鋭く睨む。
だが、女性は顔色を変えることなく、チラリとエスティアたちを見やって笑みを浮かべた。その瞳は“騒げば、ここに居る全員を殺せる”と言わんばかりの殺気を孕んでいた。
「私と一緒に来てもらうわよ。アリス・エステレラ」
有無を言わさない殺気に満ちた声が鼓膜を震わせる。アリスは、グッと口を結ぶと小さく頷く。女性はその反応に満足げに口元を歪めると、顔だけエスティアたちの方へと向け、口を開く。
「娘ともう少し、話したいのだけれどいいかしら?」
その言葉にエスティアが訝しむように瞳を細めるが、アリスが小さく頷くのを見て、「アリスがいいのなら」と答える。シュティレたちも同意見だという目線を向けると、女性は幸せそうに微笑んだ。
そして女性が指を鳴らすと――アリスと女性の姿が一瞬にして消える。シュティレとラーラはその光景に驚いたようで、辺りを見回す。
「もともと、魔法を展開してたのかな……魔術師って雰囲気じゃなかったし……やっぱり、神族って謎が多いのね」
「……もしかしたら、衣類に術式を仕込んでいたのかもしれませんね。以前、そんな方法で転移を使う人がいましたから。でも、神族なんて初めて見ました。本当に神様かと思いましたよ」
「そっか、仕込んでおくのもあるんだっけ……うーん。不思議……本当ね、ビックリしちゃった」
突如として始まる魔法や魔術の話。エスティアは聞いているだけで頭が痛くなるとわかっているので急いで王都に向かって歩き始める。ルトも同じようで、急ぎ足でエスティアの隣へとくると、背後をチラチラと見やりながら話しかけてくる。
「勇者様も、魔術とかの話って苦手ですか?」
「全然わかんないからね。でも、頭は勝手に理解しようとフル回転しちゃうから聞かないようにしてるの」
「わかります。私、あんまり座学とかは得意ではないので。へへっ」
恥ずかしそうに笑うルトの頭を撫で、エスティアは王都へと戻って行く。
王都へと戻り、玉座へとやって来ると一足先にエリザが戻っていた。だが、その表情は酷く暗い。玉座に座るアリアナも表情を硬くし、クシルとトルディアも悲痛な面持ちで――目の前の棺桶を見つめていた。
エスティアは小さく息を呑む。他の三人も、同様の反応を示す。あの棺桶の中身は誰なんだ。小さな希望を握り締めながら、そんなわかりきった答えをどうにかして否定しようとする。すると、クシルがコチラへと顔を向ける。
「そ、んな……」
水色の瞳を真っ赤に腫らし、いくつもの涙のすじが残っているその表情が答え合わせだった。エスティアはゆっくりと、重たい足取りで棺桶の横に両膝をつき、そっと蓋を外した。
そこには、下半身が無くなったコーニエルが納められていた。おそらくクシルがやったのだろう。中身が流れ出ないように腹部が凍り付き、その氷は彼の血で真っ赤な氷となっている。顔は思ったよりもきれいだった。きっとトルディアが整えたのだ。
そんな光景が容易に想像できたからこそ、エスティアは二人の顔を見ることができなかった。遅れたようにやって来た三人も、コーニエルの姿を見て、言葉を失い立ち尽くす。
「コーニエル」
思い出されるは悲し気に笑うコーニエルの姿。エスティアはそっと棺桶の蓋を閉めると、立ち上がり右腰に収まる宝剣を静かに引き抜く。
これがどういう意味なのかは分からない。だが、エスティアはそうしなければならないという思いを感じながら抜いた宝剣の切っ先を彼の眠る棺桶の蓋に置いた。
「わが友よ。貴方のことは一生忘れない。それはここに居る全員が誓おう。だから」
黄金の瞳が悲し気に揺らめき、宝剣の刀身から一滴の水色に輝く水が蓋の上に落ちる。それは瞬く間に薄い膜のように広がり棺桶を包む。
「深い深い、優しき世界でゆっくりと、休んで」
張り詰めた膜がパンッ、と弾けた。その瞬間、彼の入っていた棺桶も一緒に消滅してしまう。それは破壊ではない。誰にも邪魔されない場所で次を待つための解放だ。
エスティアが宝剣をしまうと、トルディアとクシルは張り詰めた糸が切れるようにその場で泣き崩れた。ルトとラーラも静かに涙を零し、その胸に手を当てて祈りをささげる。
ここに居ては邪魔になるだろうか。エスティアはそう考え、シュティレを連れるとそのままエリザも連れて部屋を後にした。
「何があったの」
廊下に出たエスティアはそう言って、エリザを見つめた。そんな彼女はそっと左腕を庇うような仕草を見せる。すると、彼女のフードの中から姿を見せたピーナッツが
『拙者たちは正面門より少し遅めに、エラーブレイクを撒きました。そこで、生き残ったドラゴン型のエラーと戦っていた時です。コーニエル殿がドラゴンの心臓を叩き割ったところまではよかった……だがアイツは――体内にもう“一体のエラー”を隠していました』
「エラーを隠してた……そんなことが」
『シュティレの姉御が疑問に思うのも当然ですな。拙者もあんなタイプは初めて見ました。そして、腹を食い破って出てきたもう一体がコーニエル殿の下半身を食い千切り、エリザ親分の左腕をも噛みちぎったのです』
忌々し気に吐き捨てるピーナッツにシュティレは顔色を変え、エリザの左腕へと手を伸ばす。だが、彼女たちの予想とは反して、左腕はそこにしっかりとある。
「ちゃんとあるわよ」
ローブの下から見せた腕はちゃんと人の腕だった。だが、まだ傷が治っていなかったようだ。鋭い牙で抉られたような傷にシュティレは思いっきりつかんでしまったことを謝ると、エリザも「いいわよ」と返す。
「そういえば、アリスはどうしたのよ」
思い出したようにエリザがそう言うと、エスティアはアリスが、神族であり、自分の母親と再会して、どこかに行ってしまったことと、多分すぐに帰って来るのではということを伝える。すると、エリザは「変ね」と呟き顎に手を当てた。
「なーんでそんなに都合よく、こんなタイミングで来たのかしら」
「そう言われてみれば……ちょっと、タイミングが良すぎるかも……なんで、疑問に思わなかったんだろう」
シュティレとエリザが「うーん」と小さく唸る。その行動に、エスティアは言いようのない不安感が蓄積されていく。母親と会えて嬉しそうなアリスのことばかり考えてしまい、もしかしてとんでもないことになってしまったのでは。
本当の母親なんて言葉だけをどうして信用してしまったんだ。エスティアは、ギリリと奥歯を噛みしめ、どうか杞憂でありますようにと願う。
「どうしよう。アリスを探しに行かなきゃ」
そう考えれば行動あるのみだ。歩きだそうとした瞬間、肩を掴まれたエスティアの背後から凛とした声が響く。
「お待ちください」
振り向くと、そこにはアリアナが立っていた。眉を顰めた彼女はどうやら会話も考えも全て、視て聞いていたようだ。その藍色の瞳が黄金の瞳を射抜く。
「皆さん、こちらへ来てください」
そう言うが早いか、エスティアの肩を押す様に少し離れた部屋へと入るように促されたエリザたちは大人しく移動する。
部屋へと入ると、どうやら使われていない場所のようだ。掃除はされているがソファが二つと机が一つのなんとも質素な部屋。すべての窓がカーテンで閉め切っているために暗い。アリアナは入ると同時にランタンへと魔力を流し明かりをともす。
その光景に一瞬、全員が驚くようにランタンへと注目する。魔力で明かりをつけるという技術は確か無かったはずだからだ。
アリアナは全員に座るように促すと、自身もソファへと腰を下ろし、話し始めた。
「アリスさんが、母親と名乗る人物に連れ去られたと話していましたね」
「まぁ、うん……多分連れ去られた……」
曖昧な返事を返すエスティアに、アリアナはこれでもかと不快そうな表情を見せた。その表情は“王女”とは思えないほどに歪んでいることに、エリザとシュティレは面を食らったような表情をする。
「……神族に会ったと言っていましたね。エストさん、こちらにお座りください」
「え、あ、うん」
エスティアがアリアナの隣へと移動すると、アリアナは気まずそうに一瞬、瞳を伏せると、シュティレへと顔を向ける。なんとも言えない、強いて言うのならば、申し訳なさそうな表情をアリアナは見せていた。
「……シュティレさん」
「は、はい」
「先に言っておきます。これは、必要な行動です。私が愛しているのは妹のティア、あの子だけと宣言しておきます」
「へ……?」
全く意味不明な言葉にシュティレが首を傾げる。隣に座っているエリザもこれからなにをするのかわからないようで真顔だが、その紫色の瞳はジッとアリアナを見つめている。
アリアナはそんな二人の視線に複雑な気持ちを抱きながらも、小さく深呼吸を繰り返すと胸の奥でそっと「ティアが初めてでよかったわ」と呟く。そして、キュッと拳を握ると、エスティアの頬へと手を伸ばす。
「ア、アリアナ……?」
「エストさん。少し、視させてもらいますよ」
「え、なにを言っ――んっ!?」
両手でガッチリエスティアの顔を固定し、アリアナは自らの唇を押しつけるようにエスティアの唇へと重ねる。
驚きで見開かれる黄金の瞳を、アリアナの藍色の瞳が視る。だが、その視線はもっと奥を視ているかのように煌めきその色を深くしていく。まるで、自分の記憶全てを視られているかのようなそれに、エスティアは耐えろと、自分に言い聞かせた。




