66 彼女のカギは外れている
夕食を終え、エスティアは一人廊下を歩いていた。本当であれば、シュティレも一緒に帰る筈だったのだが、ティアルマとの会話が思った以上に盛り上がっているために、置いてきたというわけだ。
「にしても、エリザとアリアナはどうしたんだろう……」
夕食に顔を見せなかった二人。メイドの一人が軽食を持っていくのを見ると、二人は一緒に居るのだろうか。だが、それよりもエスティアは見に行かなければいけない場所があった。
歩く速度を速め、手に持っている袋がちゃんとあるかを確認する。
暫く歩き、部屋の前に立ち止まったエスティアは小さく深呼吸をすると、部屋をノックする。だが、返事は帰ってこない。エスティアはもう一度ノックした。
返事はない。まぁ、予想通りだとエスティアは軽く首を回すと、ドアノブを回し、部屋の中へと入る。
「はいるよ」
声で目覚めてくれるかと期待を込めて呼びかけたが、やはり返事はかえってこず、変わりに小さな寝息が聞こえてくるだけだ。
窓から差し込む月明かりに照らされる銀煤竹色の髪が煌めく。少し開いた窓から風が滑り込み、突き刺すようなその冷たさにエスティアはブルリと体を震わせると、急いで窓を閉める。昼間は気付かなかったがどうやら、まだ冬真っ盛りのようだ。
そっと、眠るアリスの頬をエスティアは手の甲で触れる。すると、肌はすっかり冷え切っていた。
「うわっ、ずっと開いてたんだ」
眠っているとはいえ、寒さや感覚はみな平等に与えられるものだ。エスティアはどうしたもんかと辺りを見回す。どうにかして、彼女の体を温めることを考える。
とりあえず布団を首元まで持っていく。すると、気に入らないのか、アリスの眉間にしわが寄る。気づいたエスティアは急いで布団を元の位置に戻すと、ため息を吐き出し、体を震わせた。
寒すぎる。
ため息をついたエスティアは「ごめんね」と小声で呟くと、布団の中に手を入れ、彼女の手を握る。スベスベの肌は少し冷たい。
「どうしよう」
たとえ勇者といえど、彼女はまだ子供だ。流石に風邪を引いてしまう。それだけは避けなければ……エスティアは彼女の手を握りながら考えていると。
「お父さん……お母さん……」
その声にエスティアの息が止まる。押し殺すような声でそう呟くアリスの瞳から涙が零れていたからだ。それを見た瞬間、エスティアの体が鉛の様に重くなっていくのを感じた。
ずっと彼女のことを子どもだと思ってた。だが、心のどこかで彼女を強く勇敢な勇者として見ていたのだ。もしかしたら、たまたま泣いているだけなのかもしれない。嫌な夢を見ているだけなのかもしれない。
「アリス……」
握り締める手に力を入れる。すると、アリスの表情が和らいだがその閉じた瞳からは雨が降り続けている。どうすればいい。エスティアの頭がパニックを起こす。だが、すぐにそれを振り払うように頭を横に振ると、両手で彼女の手を握り締める。
「アリス。泣かないで」
優しく声をかけたつもりでも、エスティアの声が震える。お願いだから、泣かないで。そんな願いを込めた声が部屋に響き、やがて静寂に飲み込まれていった。
いったい、どうすれば彼女は泣き止んでくれる。そう考えたエスティアはグレースが館に来たばかりの頃の記憶が脳裏に浮かび上がる。
暮らしていた村が魔物に襲われ、両親を失い彷徨っていた彼女を館へと招いたのだ。最初は怖がりで、同じぐらいに入って来たレイにくっついていた。そんな彼女は毎晩泣いていた。
――お母さん、お父さん。どうしていなくなっちゃったの。泣きながらそう言って、部屋の隅で震えている彼女をいつも抱き上げて、ベッドへと運び、寝るまで添い寝をしてあげていた。
「……そっか」
握っていたアリスの手を放す。その時、アリスの口から「いかないで」という声が聞こえた気がした。エスティアはフッと微笑みを浮かべると、彼女が眠るベッドへと横たわり、布団ごとアリスを抱きしめる。
これが正解なのかはわからない。だが、エスティアはこれが正解でいて欲しい、と言い聞かせる。
「アリス。大丈夫だよ。ちゃーんとここにいるからね」
囁くように優しく、彼女を驚かせてしまわないように細心の注意が払われた声に、アリスは表情を綻ばせる。そして、エスティアの首筋へと顔を埋めた。
ブルリとその冷たさで体が震えそうになるが、余計な刺激を与えてはダメだと自分を奮い立たせながら彼女の頭を抱き、撫でる。いつもより小さく見えるアリスにエスティアの心が締め付けられる。
「アリス。ゆっくりお休み。大丈夫、ずっと傍に居てあげるから」
撫でながら子守歌の様に、言い聞かせるように何度も優しくそう言い続けていると、安心したのか、アリスの瞳から最後の雨粒が落ちると同時に規則正しい寝息が首筋にかかるのを感じたエスティア。くすぐったさに身をよじろうとしたが、いつの間にか、頭を撫でている手を握られていることに気が付く。
やはり、彼女は子どもだ。たった何歳かしか変わらなくとも。エスティアは目元を細めると、アリスの額に口づけを落とす。
「おやすみ。どうか、素敵な夢を」
そう言ってエスティアは瞳を閉じた。
少し開いているドアの隙間から覗いていたシュティレはため息をつく。が、その表情はどこまでも優しい。
彼女が年下に優しいのはいつものことだ。そう言ったところが好きになった要素の一つでもある。だから、ちょっと嫉妬している自分のことは心の奥深くにでも一旦、引っ込んでもらわないと……そこまで考えたシュティレは音が立たないように扉を閉めると、そのまま部屋へと戻って行った。
次の日。どこからか小鳥のさえずりが聞こえる。
もう、朝が来てしまったのか。エスティアは覚醒しかけている頭を動かし、瞳を開けるように指令を出す。すると、まず視界に映ったのは人形かと思ってしまうほどの整った顔と、宝石のような輝きを放つ琥珀色の瞳だった。
動きかけていた思考を巡らせる。が、エスティアが答えを出すよりも早く、凛とした声が響く。
「おはようございます」
「え、あ、お、おはよう」
まるでなにも無かったように感情を感じさせない挨拶。どこかいつもより冷たく感じるのは、怒っているのか。無理もない、朝起きたら隣で勝手に寝ていたのだから。だが、そうではないようだ。
アリスは自分の頭に回された手を自分の頬へと持っていき、すり寄るような仕草を見せる。その様子にエスティアは瞳を見開いた。
「ア、アリス……?」
「私を心配してくれてたんですよね」
無表情だがどこか温かみのあるそれにエスティアの表情が緩む。一瞬、どうして泣いていたのかを聞こうと思ったが、止める。まだ、そこまでの信頼は勝ち取っていないように思えたから。
「うん。心配してた。……でも、よかった。すっかり元気になったみたいで。体は大丈夫?」
起き上がった二人。エスティアは眉尻を下げ、心配そうにアリスの体を上から下へと視線を動かす。その様子がおかしかったのか、アリスの口元が微妙に上がっている。よく見ないとわからないが、人の顔色をうかがうのには慣れているエスティアの表情が緩む。
「平気です。魔力はまだ完全ではありませんが、今日は晴れです」
外を見ながら答えるアリスは「少し外に出れば、魔力も回復します」と付け加えた。聖剣の加護とは随分と便利な物だなと考えつつ、エスティアは思わず“植物の光合成みたい”と胸の内で呟く。
「いま、失礼なことを考えましたね?」
「え……」
琥珀色の瞳が射抜く。ドキリとしたエスティアは弾かれるように立ちあがると、アリスを立ち上がらせる。
「ごめんごめん。ほら、お腹すいたでしょ? 朝ごはん食べよ」
「あ、ちょ、エストさん」
両肩を掴み体を押すエスティアに、アリスは何かを言いたげに口を開いていたが、空腹には勝てなったのだろう。渋々といったような視線で肩越しに引きつった笑みを浮かべているエスティアを睨みながら、部屋を後にするのだった。
朝食を終えると、今まで姿を現さなかったアリアナとエリザが食堂へとやってきていた。
そんな二人から物々しい雰囲気を感じ取ったエスティアやラーラたちといった全員の顔つきが変わる。片づけをしていたメイドたちは窺うようにしており、その表情は不安げだ。
エリザの肩にはいつも通りの風景となりつつあるピーナッツが乗っている。様子を見るかぎりすっかり元気になっているようだ。エスティアは軽く鼻を鳴らす。
「皆さん、お話があります」
アリアナのその一言でルト達が小さく息を呑む。
「今朝、エラーの大群がこちらに向かっているという報告を受けました。おそらく、明日の早朝にはこちらに到着するでしょう」
「え、早すぎませんか!?」
ルトが机から身を乗り出す勢いでそう言う。ラーラやコーニエル達も同様のことを思っていたようだ。言葉はなくともその表情は硬い。
予測では早くて三日だが、そこまで早く来た記録はない。アリアナも少し予想外だったのだろう。小さく頷くと「そうですね」と返す。
「いま、明日の早朝といいましたが、今日の夜にでも来る可能性はあります。そのため、あなた達には今のうちにしっかりと休んでおいてほしいのです」
「待ってください。では、今日の見回りはどうするのですか?」
次はラーラが立ちあがった。彼女たちは昨日の群れを撃退している。まだ、潜んでいると考えているのだろう。だが、アリアナは休めと言った。それは彼女たちにとって“なにもするな”という命令でもある。
もし休んでいる間に、エラーが王都に侵入したらどうするんだ。そんな意見を噛みつくような勢いで考えたラーラ。今にでも喉笛を噛みちぎらんとする気迫が襲うがアリアナは平然と答えた。
「見回りは必要ありません。王都周辺に居るエラーはすべて排除しましたから」
「えっ」
双子が同時に声を上げた。続くようにコーニエルたちやエスティアたちも声を上げた。
いま、彼女は“エラーを全て排除した”といった。いままでは完全体は追い返し、それ以外はどうにかして排除しているという現状だ。排除もルトとラーラがいるからどうにかなっているレベル。普通の人間では幼体ですら倒すのは困難だ。
コーニエルの部下もそんな理由で失っている。故にコーニエルの表情は怒りに歪んでいる。
「……簡単に説明すると、私は“エラーを殺す薬”の開発をしていました。それが、昨日完成し、実験も成功です」
そう言って液体の入った瓶をテーブルの上へと置く。その瓶には炎の様に揺らめく赤色の液体が入っている。日光浴をしながら、アリスは目を凝らす。すると、その液体にはエリザの魔力やアリアナの魔力、様々な魔力が入っていることに気付く。
シュティレは感覚的に魔術師の魔力が入っているとわかったようだ。エスティアは綺麗な色だなと思いながらまじまじと観察している。
クシルやトルディアは微妙な表情でソレを見つめ、コーニエルは半ば睨むようにソレを見つめていた。
「完成が遅れたことは謝らせてください。申し訳ありません」
「……それで、本当にエラーというバケモノどもは殺せるのですか」
深々と頭を下げたアリアナを一瞥し、液体入りの瓶を睨みつけるコーニエル。その声は冷たいが、マグマのような熱を秘めているようにも感じられる。アリアナは一瞬、瞳を伏せると静かに頷く。
「はい。この液体がエラーの体に触れた瞬間、侵食し、心臓部にある魔力核に貯蔵されている魔力を結晶化させ、破裂させます」
「これで、生き残れるエラーは存在しないわ。アイツらは、魔力核の魔力が無くなった時点でお終いなのだから」
付け加えるようにエリザがそう言うと、コーニエルは「そうですか」と力なく呟き、席から立ちあがると、そのまま踵を返す。続くようにクシルとトルディアが立ちあがり後を追いかける。
「私たちはできれば、裏門担当でお願いします」
そう言い残し部屋を後にする。その大きな背中はとても寂し気だった。
辺りに静寂が広がる。メイドたちが食器を洗う音がどこからか響く。エスティアは自分の両頬をパンと軽く叩くとテーブルへと体を乗り出す。その表情は覚悟を決めたように真剣だ。
見ていたシュティレの表情も倣うように変わり、日光浴を終えたアリスも真剣な表情で見つめ、ルトとラーラも獰猛な笑みを浮かべた。
「それで、作戦は?」
エスティアの強気な一言に、アリアナは誰も見たことの無いような肉食獣のような笑みを浮かべた。




