52 ストーンプリンセス
かき消された砂埃から姿を現したシュティレ。そんな彼女の背後には十数体物の魔術で創り上げられた魔物たちが追従している。
風を纏ったオオカミ、二メートルはある槍を握り締めた氷の魔物、本物より少し小さいが、巨大な角を持った鎧昆虫。どれもが本物のように呼吸をし、敵であるリーザベルを睨みつけていた。その圧巻の光景にエスティアはドクン、と自分の心臓が高鳴るのを感じる。
最初の時とは比べ物にならないほど、頼もしくなった彼女。エスティアは“負けてられないと”呟く。
「ごめんね、エスト。そんな鎖、私がすぐに解いてあげるから、ちょっと待っててね」
フワリと微笑んだシュティレはそう言うと、エスティアのはだけた胸元に手を置くリーザベルを鋭く睨む。すると、それに反応するようにシュティレの魔物たちも『グルル』と呻き声を上げ、いつでも飛びかかれるぞといわんばかりの体勢を取る。
「貴女が、シュティレね?」
「貴女がリーザベルでしょ」
ほぼ同時にそう言った二人の間に流れる空気が変わる。密閉されているにもかかわらず、どこからともなく冷たい風が吹いてくるような奇妙な空気。シュティレの青色の瞳がスっと細くなり、エスティアとリーザベルを交互に見やる。
早くエスティアを助けなければ。本当であれば、一応交渉とかをするべきなのだろう。だが、今のシュティレの心にそんな余裕は小指の爪ほどもない。なんせ、自分の命よりも大切な存在に手を出されたのだ。それだけで、殺す理由には十分だろう。
「みんな、あの女を殺して」
ポツリと呟いたシュティレの声に応えるように、彼女の後ろで臨戦態勢を取っていた魔物たちが一斉にリーザベルへと駆け出す。石敷きの床を踏み砕き、地響きを轟かせる。地面に倒れていたレインは咄嗟に妨害しようとするが、彼の近くに居た一体の魔物が彼を勢いよく蹴り飛ばす。
「邪魔すると本当に殺すから」
激情を秘めた冷たい声でそう言ったシュティレは、不可視の弓を構えながら、魔物に蹴り飛ばされ、壁にめり込んでいるレインを一瞥した。そして、彼女は弓を限界まで引き絞り――放つ。
「鷲封射」
空気を斬り裂きながらグングンとスピード上げる風の矢が、三羽の鷲の形となって、駆ける魔物と共にリーザベルへと襲い掛かる。が、リーザベルは口元に小さく笑みを浮かべたまま、布で覆われた左目へと手をかけた。その瞬間、レインが叫んだ。
「リーザ! それを使っちゃダメだ!」
内蔵を損傷したのだろう。真っ赤な液体を口から吐き出し、苦しそうな声に、リーザベルは答えない。
パサリと、布が落ちた瞬間、エスティアの背筋に悪寒が走り抜け、思わず顔を上げてしまった。だが、それがいけなかった。まるで意思がないかのように冷たい灰色の左目と彼女の黄金の瞳が交差する。
「少しだけ、大人しくしててね」
「なっ、まさか。シュティレ!」
エスティアは咄嗟にシュティレへと顔を向け。
「エスト?」
「シュティレッ! リーザの目を見ちゃ、ダ――」
エスティアはそれ以上言葉を続けることが出来なかった。何故なら、彼女の体は――石像となっていたからだ。まるで、この空間に広がる石敷きの床の様に生命力を感じさせない姿となってしまったエスティア。シュティレの青色の瞳が大きく見開かれ、石像となった彼女を見つめながら、その口に両手をあてた。
「う、そ……なんで……」
言葉を紡いだ。だが、それはあまりにも小さく弱々しいために、誰の耳にも届かない。
「エス、ト……や、だ……」
口元に笑みを浮かべるリーザベル。そんな彼女の灰色の左目がきらりと輝く。その瞬間、彼女へと襲い掛かっていた魔物と三羽の鷲たちが――動きを止める。
エスティア同様。動かぬ石像となった魔物たち。そのままの体勢で固まるもの、体勢が中途半端の為に冷たい床へと倒れ込むもの、空を飛んでいたためにドスン、とその場に落下し、砕けるもの。まるで、ひれ伏す様にする石像を見つめたリーザベルは満足げな表情でパチン、と指を鳴らした。
すると、エスティア以外の石像が跡形もなく崩れ、砂の様に床へと広がる。だが、エスティアへと視線も心も奪われていたシュティレは気付かない。
「余所見なんて余裕ね」
そう呟いた彼女は手で何かを掬い上げるような仕草を見せる。すると、石敷きの床に散らばっていた砂が、まるで彼女に従うように蠢くと、それは一体のドラゴンとなる。
冷えて固まった溶岩のように黒塗りの体は隆々としており、その奥に控える瞳は彼女の左目と同様の灰色。だが、生き物など住めない池の様に濁っており、生命を全く感じさせない。小さく唸り声を上げれば、大理石のように白く鋭い牙が顔を覗かせる。
リーザベルはそんなドラゴンを一瞥すると、顎をしゃくった。その瞬間、ドラゴンは咆哮を上げ、シュティレへと駆け出す。だが、シュティレは気付かない。
「シュティレお姉さんっ!」
「――え……?」
突然、シュティレの体が引っ張られる。驚いたように見れば、青白い表情のレインが彼女の腕を引き、走り出す。すると、シュティレの背後ですさまじい爆発音が響き渡り、突風が吹き荒れた。
咄嗟にシールドで風から身を守ろうとしたが、それよりも早く、ドラゴンの長い尻尾の薙ぎ払いが二人を直撃。
「キャアッ」
「うわっ」
展開していたシールドのおかげでケガは免れる。が、ドラゴンは、地面へと倒れ込んだ二人が逃げられないように軽く踏みつけ、耳をつんざくような咆哮を上げた。
シュティレはまだ困惑に囚われているのか、気の抜けた表情で石像となってしまったエスティアを見つめている。対して、レインは口から血を吐き出し、苦しそうに肩で呼吸を繰り返す。
「ねぇ、レイン。どうして、その子を助けるの?」
ドラゴンの背後から顔を覗かせた彼女は不思議そうに首を傾げる。無理もない。レインの行動は裏切りと思われても仕方のないものなのだから。だが、レインは真っ青な表情で首を横に振る。
「僕はリーザを助けたんだ」
「意味がわからないわ」
暗い青緑色の右目が、暗い赤紫色へと変化する。
「リーザ、僕は君に人殺しになってほしくない」
レインの言葉にリーザベルは一瞬、両目を見開くと、鼻で笑う。
「それは無理よ。だって、その子がいる限り、エストは私の物にならないんだもの」
「リーザ、諦めるんだ」
体を踏みつけるドラゴンの足に掴まり、レインはまっすぐに彼女を見つめる。リーザベルはその言葉を噛みしめるように小さく復唱し、固まってしまう。その間に、彼はシュティレへと視線を移す。
「シュティレお姉さん、エストはまだ死んでないっ!」
「でも……石に……あっ……エスト……」
レインはその瞳で睨みながら、虚ろな瞳のシュティレへと頭突きを喰らわせた。ガンっと、脳を揺さぶられるような感覚にシュティレはハッとしたような表情でレインを睨む。
「リーザを殺すんだ! そうすれば、エストは助かる! 早くするんだッ!――お願いだよ、リーザを……助けて……」
彼のダイクロイックアイから一筋の涙が零れる。その滴が落ちるたびに、彼の瞳から光が失われ始めていた。シュティレは小さく息を呑む。ドラゴンの足がミシミシとひび割れ始める。
「まだ、人でいるうちに、お願い……」
そう言った彼の手が目が眩むほどの光を発した。シュティレは彼の体から魔力が急激に減っていくのが見えた。普段、人間には見えないはずの魔力は人肌のように優しく、温かい。彼女はその魔力に覚えがあった。彼の剣に触れた時のような感覚。
「レイン、貴方まさか……っ!」
「僕は……僕たちはもうだめだ……だけど、リーザと、あの子なら、まだ、間に合う……ゲホッ」
ドラゴンの足がボロ、ボロ、と風化するように崩れ始める。同時に、彼の体も黒い砂の様にサラ、サラ、と崩れ始め、砂が侵食するように彼の顔を覆っていく。その姿はまるで、波にさらわれようとしている砂の塔のようだ。
最後にリーザベルを見つめたレインは、泣きそうな笑顔を浮かべた。が、リーザベルは無表情で見つめ返すだけだった。
『リィザ……ボクタちは、カゾク、だかラネ……わす、れないで』
顔半分が黒い猫のような見た目となってしまい、チェシャ猫のような笑みを浮かべた彼は、その言葉を最後に、その姿を消滅させた。と、同時に、彼女のドラゴンも溶けるようにその姿を消滅させる。
自由となったシュティレは静かに立ちあがると、目の前で、レインが居た場所をジッと見つめ続け、微動だにしないリーザベルを睨む。無表情で、灰色の左目と暗い青色へと変わる右目。
彼女は今、何を考えているのだろうか。仲間の死を悲しんでいるのだろうか。だが、シュティレにはわからない。フッと息を吐き出した彼女は石像のエスティアをチラリと見やる。なんだか、さっきとは形が違うように見えたが、気のせいだろうと、その考えを投げ捨て、ローズウッドの杖を構える。
「貴女を倒して、エストを返して貰うから」
まっすぐ、矢のように放たれた言葉に、彼女はギ、ギ、ギ、と首を動かし、シュティレへと顔を向けた。三日月のように歪んだ口元、淀んだ灰色の瞳に対して、ギラギラと獣のように輝く暗い赤紫色の瞳。まるで狂ったピエロのような気味の悪い表情に思わず後ずさる。
あれは、バケモノだ。レインは「人だ」と言っていたが、あれはもう違うとしか思えない。
「ねぇ、どうして、みんな、私の前からいなくなるの?」
リーザベルの周りを取り巻くように、濃密な魔力が辺りを包む。瘴気のように立ち込めるその魔力はまるで魔剣の魔力のようにねっとりと、漂う。シュティレはすぐさま、自分の体に魔力を纏い、相手の魔力をシャットダウンすることでどうにか耐える。一歩でも遅れたら、恐らく、そのまま相手の魔力で自由を奪われていただろう。
「ねぇ、どうして?」
冷たく、淀み、ねっとりとした声が響く。囁くぐらいに小さな声にも関わらず、彼女の声は“聞け”と言わんばかりに耳を通り鼓膜を撫ぜ、脳へと突き刺さる。聞いているだけで吐き気がこみあげてくる。早く、倒さなければ。
決心したシュティレは、エスティアへと微笑みを投げかけると、キッと目の前のソイツを睨みつけた。
「ねぇ、どうして?」
「知らない。貴女がちゃんと持っておかないのが悪い」
そう言ったシュティレは苦虫を噛み潰したような表情となる。そして、コツン、とつま先で地面を軽く叩く。すると、無数の氷のオオカミたちが姿を現し、小さく唸った。彼女の心情を現すかのように、酷く冷たく、それでいて熱気のようなチリチリとした痛みを放つ魔力に、リーザベルは微笑みを浮かべ、シュティレへと手を翳す。
「そうね、ちゃんと、持っておかなきゃ……だから、貴女を――殺すわ。そして、私は幸せに暮らす!」
「幸せに暮らすのはいい願いだと思う。だけど、それで誰かの幸せを奪っていい理由にはならないっ!」
シュティレの周囲に突風が吹き荒れ、オオカミたちが喉を天井へと向け、甲高い遠吠えを上げる。
「もう私はあの頃と違う! 自分の宝物は自分で守る!」
そう叫んだシュティレは杖を振り下ろした。
時を少し遡り。大岩から何とか逃げ切り、小部屋へと飛び込んだ二人と一匹。
「あいたた……転ぶとか、最悪。私も年を取ったのかしら」
膝に魔力を流しながら、冷たい石敷きの床に座り込んだエリザは口を尖らせる。そんな彼女の膝にはうっすらと血が滲んでいたが、すぐになにも無かったかのような綺麗な肌へと修復される。それを彼女の肩に乗りながら眺めていたピーナッツは、小さく声を漏らす。
『何回見ても、お見事ですな』
「そんなお世辞言っても、なにも出ないわよ」
『いやいや、本心ですとも』
エリザたちが会話している間。聖剣を松明代わりにしながら、アリスは部屋をぐるりと一周していた。大した広さは無く、エリザたちを視界に入れたまま一周できるほどの広さだった。そして、彼女は気付く――入って来た扉が閉じられていることに。
先ほどのように壊そうと思ったが、分厚い鋼鉄で出来ているのだろうか。軽く叩くと鈍い音が反響し、壊すのに時間がかかりそうだ。そして、彼女はもう一つ気付く。入って来た扉の向かいの壁に、一つの扉があることに。
そして、そこには――古びた張り紙がしてあり、“彼の機嫌を損ねるな。彼はその爪で君を斬り裂くだろう”と、書かれていた。




