05 初めてなら、仕方ない
「あれが、ゴブリンかな?」
王都近くの草原。大きな岩の後ろに隠れながら二人は、その先に居る一体の緑色の物体を見つめていた。
猫背気味の成人男性くらいの大きさで、枯れかけの葉っぱのようなくすんだ緑色の体のそれは、のんびりと蝶々を無邪気に追いかけている。体の色が人間と同様であれば、気付かなかったかもしれない。
意外と人間っぽいんだな、と二人は内心で思う。だが、あの警戒心の薄さがクリアランクと言われる理由だろう。
「うーん。依頼書を見ると、あれなんだけど……魔物って、みんなあんな感じなのかな……?」
「どうなんだろ。でも、あんなに無邪気な姿を見せられると……」
「倒しづらいよね……」
シュティレが苦笑いを浮かべる。
「あ、転んだ。もぉ、やだなー」
「でも、倒さなきゃ」
「そうだよね……よーし。頑張るぞ」
やる気の削がれたエスティアはのんびり、と立ち上がり。剣の柄を握り締め、岩陰から出る。初依頼がこんな調子で大丈夫かと心配になりつつも、エスティアは無理やり――やる気をひねり出し、表情を引き締める。
だが、意外と距離が近いにも関わらず、蝶を追いかけるのに必死なのか、ゴブリンはまったく彼女に気づくことなく、だらしなく口を半開きにしながら、錆び切った切れ味の悪そうな出刃包丁を振り回し、フラフラと歩いている。
無警戒なのはいいが……あそこまで、子どもの様に無邪気な姿を見せられると、エスティアとしては心苦しい。エスティアは、“魔物ならもっと魔物らしくしてよ”と内心で悪態をつく。その無邪気な姿がどうしても――彼らと重なりかけてしまう。
大丈夫、と自分に言い聞かせるように、彼女は柄と鞘に触れ――
「よしっ、やるか……」
態勢を低くし、居合のような姿勢で剣を構えたエスティアは深く息を吸い込み――吐き出すと同時に、大地を蹴った。しなやかな筋肉から生み出された瞬発力は、まるで突風のごとき速さだ。
ヒュンッ。目にも止まらぬ速さで振り抜かれた剣は、銀色の軌跡を描き、まったくこちらに気付くことのないゴブリンの首筋へと向かい、刃が皮膚を切り裂く。それと同時に、首の骨が折れたのだろう、ゴリッ、という音の後――スパンッ、という音と共に、ゴブリンの頭部が放物線を描きながら宙を舞い、地面へと転がり落ちる。
立ち尽くしていた体の切り口から、大量の赤茶色の血液がドロリ、と湧き出す様に流れ落ち、ゼリーのような粘り気を持つそれは、足元の草原を赤茶色へと染め上げながらゆっくり、と仰向けへと倒れ込み、動くことは無かった。
エスティアは、その光景を見届けたのち、小さく安堵の息を吐きだし、剣に付着したゴブリンの血液を振り払う。フェルターの素振りを見よう見真似でやってみたが、成功してよかった。
まぁ、彼の様にまっすぐに振り切ることはできていなかったようで、死体の首の骨は若干変形し折れているし、首筋の切り口は斜めに入っている。彼が点数を付けるとしたら――ギリギリ及第点、と言って笑うだろう。
そんなことが容易に想像できた彼女はクスリ、と笑みを零した。
「よし、そうしたら、手帳の魔術で解体すればいいだよね」
ポケットから手帳を取り出したエスティアは、目当てのページを探していると。
「――エストッ! 危ないっ!」
岩陰から、様子をうかがっていたシュティレは鬼気迫った表情で叫ぶ。
ゾクリ、と。嫌な気配を感じたエスティアは、弾かれるように右へと飛び込むように転がった瞬間――先ほどまで彼女が立っていた位置に黒い岩のようなものが落ちてくる。
ドゴンッ! という凄まじい音と共に深く抉られ黒く湿った地面が顔を覗かせ、近くにいたエスティアの顔にも雑草や土が飛び散り、表情を歪める。だが、いつまでも大人しく寝ているわけのもいかない。
エスティアは、すぐさま立ちあがり、その場から距離を取り、剣を構える。砂埃から覗くその影は大きい、二メートル近くはあるだろう巨体は、ゆっくりとこちらを向くように動く。
『グルルゥ』
砂埃が晴れると同時に、お腹に響くような低音で唸り声をあげるソイツの姿がはっきりと、夕日のもとに照らされる。
ゴツゴツとした筋肉質の体はゴブリンと同様のくすんだ緑色で、下顎から飛び出す様に生えた牙は腐っているかのように薄黒く輝き、顔は怒りを表しているような凶悪な笑みを浮かべ、その手には、いくつもの動物の牙が括り付けられたような大きな棍棒が握られていた。
エスティアの本能が警報を鳴らす。マズイ、あれは今の私では絶対に勝てない。逃げよう。踵を返そうとした彼女に、目の前の魔物は巨体からは似合わないスピードで突っ込んでくる。
「――なっ!?」
空気を切り裂くほど、鋭く振り下ろされた棍棒を、エスティアは無理やり身体を捻りながらなんとか躱す。だが、魔物の攻撃は止まらない――今度は、彼女を握りつぶさんと左手を伸ばす。あれに掴まれれば、彼女の骨など容易く砕いてしまうだろう。
エスティアは顔を引きつらせながら、伸びて来た魔物の太腕に手を伸ばす。そして、太腕の側面を軸に魔物の顔面まで――飛び上がる。
ピキリ、と軸にした右腕の筋が悲鳴を上げるが、彼女は“潰されるよりマシだ”と体に言い聞かせ、その怪物の顔に渾身の蹴りを放つ。
『グォォッ!?』
ボゴンッ! まるで、大木にでも蹴りを入れたような感触にエスティアの表情が痛みに歪む。そして、その蹴りの威力のまま宙返りをしながら、シュティレの元まで距離を取ったエスティアは吐き捨てるように呟く。
「どうしよう、勝てる気がしない。多分、逃げるのも無理。アイツ脚速い」
目の前の魔物――オーガは彼女に蹴られた場所を左手で摩り、気にするような仕草を見せるが、まったく効いていないのか笑みの様にも見える形相に変化はない。クリアランクのゴブリンならともかく、あれはそれよりも硬く、力も強い、グリーンランクのオーガだ。
本来であれば、ただの人間がオーガに蹴りを入れようものなら“骨が折れてもおかしくない”ほどには強靭な体を持っている。だが、若干痛そうにはしているが、ピンピンしている彼女は、ある意味化け物なのかもしれない。
「……エスト」
小さく彼女の名前を呼んだシュティレは、何かを言いたげに彼女を見つめる、が。踏ん切りがつかないのか、すぐに悔しそうにうつむいてしまう。なにか案があるようだが、言いづらい理由でもあるのだろうか。エスティアは様子をうかがうようにコチラを見つめているオーガを警戒しながら、口を開く。
「シュティレ。もし案があるなら言ってほしい」
「でも……」
「平気。どんな案でも――頑張るからっ」
勝気な笑みを浮かべるエスティア。シュティレは、グッと決意するように拳を握り、エスティアをじっと見つめる。
黄金の瞳と青色の瞳の視線が交差する。そして、シュティレは確信めいたものを感じる。大丈夫、彼女なら――シュティレは右手を突き出し呟く。
「これから、エストに強化魔法をかける……でも、耐えられなかったら死んでしまうかもしれない、それでも――やる?」
「やるに決まってる。耐えればいいんでしょ? 大丈夫、“耐える”のには慣れてるから」
即答で応える彼女。それはまるで、自分が耐えられないことなど微塵も思っていないような、そんな表情の彼女にシュティレの顔から思わず笑みが零れ落ちる。そうだ、彼女はいつだって私たちを裏切ったことなど一度もない。
シュティレの右手が光を帯びた瞬間――その光はまるで、流星の様に放たれ、目の前の彼女へと吸い込まれてゆく。
「強くなれっ!」
そう呟く彼女が、右手で何かを潰す様に拳をギュッ、と握る。それと同時に――
「ガハ……ッ!」
エスティアの全身を駆け巡る、激痛。焼けるような痛み、何かに突き刺されるような鋭い痛み、骨の奥を叩かれるような痛み、締め付けられるような痛み。人間が感じることのできる痛みを全て体験しているのではと感じるほど、様々な痛みが彼女を襲う。
だが彼女が、痛みに必死に耐えているとそれに混じるように――何故か、言いようのない幸福感に包まれるような不思議な感覚が彼女を支配する。だからと言って、痛みが消えるわけではない。シュティレの魔力が体に馴染み、痛みが治まりつつ体で剣を地面へと突き立て、杖代わりにしながら彼女は目の前からゆっくりと近づいてくるオーガを睨みつけた。
「こんぐ、らい……っ!」
脂汗を垂らしながら、呻くように声を絞り出し、自身を奮い立たせながら彼女は剣を高く掲げ――振り下ろした。ここから、彼女の剣が届くことは無い。そこに攻撃する意図はない、ただ単に、挑発するために、オーガへと剣先を向ける意図で振り下ろした剣がまさか――“すっぽ抜ける”なんて誰が予想しただろうか。
「いくぞ! このクソやろ――あ、あれ?」
勇ましく叫ぼうとした彼女の右手には、本来あったはずの剣の姿はない。
――ザシュッ! 数秒ほど遅れて、突然響いたそんな音。
『グォッ……』
続くように響いた呻き声と共に、オーガは崩れ落ちるように倒れ、それを最後にオーガが動くことは無かった。そんなオーガの額には、深々と――彼女の手からすっぽ抜けてしまった剣が突き刺さっており、その傷口からはドクドク、とゴブリンと同じような粘液質の体液が流れ、草原を汚していた。
二人の間に流れる時間だけ切り取られたかのように固まる。そして二人は思うだろう――これは、喜んでよいのだろうか、と。
ギギギ、と壊れかけの人形の様にぎこちない動きで、エスティアは眉尻を下げながら、同じような表情をしている彼女を見つめた。シュティレは首を傾げながら、恐る恐る口を開く。
「えっと……や、やったね……?」
「そ、そうだ、ね……わ、わーい。シュ、シュティレのおかげだよ。ありがとう」
微笑んだエスティアは、困ったように笑う彼女の頭を優しく撫でる。すると彼女は表情を一変させ、心から嬉しそうに破顔し、彼女はエスティアの手へとすり寄るような仕草を見せる。きっとシュティレが、犬の獣人であったら、尻尾を千切れんばかりに振っているんだろうな、とエスティアは撫でながら思う。
だが暫く、撫でられていたシュティレが表情を暗くさせる。
「……エスト、どこもケガしてない? 痛いとこはない?」
「え? な、ないと思うけど……シュティレこそ、急に落ち込んで、もしかして、ケガでもした?」
心配した様子で、シュティレの顔を覗き込むが、彼女は小さく首を横に振る。
「私は大丈夫、だって、隠れてただけだし――それより、本当に大丈夫?」
確認するようにエスティアの頬へと手を伸ばした彼女の青い瞳は不安そうに揺れている。そこでやっと、彼女はシュティレがやけに心配している理由を思いつく。
「大丈夫だよ。シュティレの“魔法”のおかげで、逆に体の調子が良いぐらいなんだから」
これは紛れもない本心だ。彼女の魔法を受けてから、まるで自分の体ではないかのような軽さとあふれ出る力を感じている。今なら、あのオーガを殴り飛ばせそうなぐらいには気分がいい。
そんなことを考えながら笑いかけても、納得いかないような表情のシュティレ。エスティアはそんな彼女の体を無理やり抱き寄せる。突然のそれに反応できなかった彼女は驚いたような声を上げ、エスティアの胸元へと納まる。
「エ、エスト――むぐっ」
「平気だから」
抗議しようと顔を上げるシュティレの後頭部を抑え、きつく彼女を抱きしめた彼女は安心させるような声色で“言い聞かせる”どんな反対意見は認めない。彼女が叱る際に時たまやるこれに、従う以外の選択肢はない。まるで、魔法にでもかかってしまったかのように、誰も彼女に逆らうことは許されない。
せめてもの反抗と言わんばかりに、エスティアの首筋を額でつつく。そんな彼女を抱きしめたエスティアの表情は、彼女が見たこともないほど優しかった。
そんな二人を見守るように、オーガの額に突き刺さったままの剣は太陽光を反射し、柔らかく、うっすらと輝いていた。
だが、彼女は気付かない。彼女の剣に――小さなヒビが入っていることに。
王都へと戻り、勇者会にて依頼の報告を終えた二人は、近くの宿の一室で体を休めていた。
汗を流し、夕食も終え。何をするでもなくベッドの縁へと腰をかけた二人は、肩を寄せ合いながら穏やかな時間を過ごす。お互いの呼吸音と外から微かに聞こえる賑やかな笑い声を背景音楽に、お互いの体温を感じながら、シュティレは思う。
――このまま、時間が止まればいいのに、と。だが、“それは願ってはいけない”と、囁く自分がいる。立ち止まってはいけない。足踏みはいい、だが止まってはならない。彼女はどう思っているだろうか。チラリ、と彼女へと視線を移せば、彼女はどこかを見つめながら――
「こんな時間が続けばいいのに……」
「――え?」
まるで、心でも読んだのかと疑ってしまうほど抜群のタイミングで、彼女が呟いた言葉にシュティレは、驚きと嬉しさの混じった表情になる。
「このまま、シュティレと居られたら……」
シュティレは口を開きかけ、止まる。まって、何かがおかしい。彼女が、こんなに素直な筈がない。
彼女はあまり、本心を見せることは無い。別に秘密主義者のようにひた隠しにしているわけではなく、なんとなく、一線を引いているような。そこまで考えて、シュティレは一つの決断に至る。これは、きっと独り言だ、と。恐らく、私が眠っていると勘違いしているのだろう。
試しに、シュティレは沈黙を決め込む――すると、案の定彼女は口を開く。
「こんなこと願ったらダメなのに……でも、今なら言ってもいいよね」
サラリ、と狸寝入りをしている彼女の金髪を掬いながらエスティアは呟く。聞いたこともないような優しい声色で囁く彼女の声に、ブルリ、と体が震えそうになる。
「――君を幸せにできる人が私でありますように」
その一言に、シュティレの心臓がかつてないほどの速さで脈打つ。今、彼女はなんて言った? 何度も頭の中でリピートする彼女の言葉にシュティレは思わず答えそうになる“貴女しか私を幸せにできる人はいないよ”と。だが、ダメだ。今はまだ気持ちを伝えてはならない。
せめて――彼女に相応しい私になるまでは。そう強く心の中で誓う。
暫くして黙りこくったままの彼女を不思議に思い、様子をうかがおうと、シュティレは薄目を開ける。すると――まず視界に映る、こちらを見つめる黄金の瞳。
彼女はこちら見つめていた。
「あ……」
「あ……」
一方は、見られているとは思わず固まり。もう一方は、まさか起きるとは思わず固まり。同時に声を漏らした二人は暫く見つめ合い、恥ずかしそうに小さく吹きだした。
――空に青みがかかり、月明かりがなくなり始める早朝。
「んっ……」
普段から早起きしている癖のせいで、目を覚ましたシュティレは欠伸をかみ殺しながら隣で無邪気な寝顔を見せる彼女を起こさないように、慎重にベッドから出たシュティレは小さく伸びをする。疲れはある程度取れたようで、体の調子は悪くない。彼女は、外から入り込んだ隙間風に彼女は体を震わせながらまだ日の入りきっていない窓から外を眺める。
朝もやがかかり、早朝にも関わらずチラホラと人が外を歩いている。散歩だろうか、寒いのに真面目なもんだとシュティレはもう一度欠伸をかみ殺し、ドアの横に立てかけてある剣へと視線を移す。
傷一つない鞘に傷一つない柄に――シュティレは首を傾げた。
「こんなに綺麗だったっけ……?」
彼女が起きないように声を潜め呟いたシュティレは、剣へと歩みより、よく観察するように下から上へと見つめる。あんまり、剣を見る機会がなかったために詳しいことはわからないが、漠然と感じる違和感に彼女は首を右、左、へと左右に動かす。
「うーん……」
そっと、彼の剣へと手を伸ばす――剣は不自然なほど温かい。それは鉄からできている物とは思えないほどに温かく、まるで人肌にでも触れているような……シュティレは小さく息を呑む。これはもうすぐ“消えてしまう”何故かはわからない。ただシュティレは、感じたのだ。
怖くなってしまったシュティレは、その剣から後ずさり、不安げな表情で眠る彼女の布団の中へと潜り込んだ。そして、彼女の体に抱き着き、その匂いに安心したように再び眠りにつくのだった。
――カタン、と剣が薄く輝いた。




