47 ずっと、想っています
次の日。再びクロックギウム村へとやって来たエスティアとシュティレ。
アリスとエリザとピーナッツは、帝都のほかに近くの村を回って、エラーの宿主となってしまった人を探しに行った。そのうち、この村にも来るだろう。
エスティアは、はやる気持ちを抑えながら、村を歩く。
「エスト、大丈夫?」
彼女の横顔を見ながら、シュティレがそう言うと、エスティアはフワリと寂しそうに笑い、優しくシュティレの頭を撫でる。
その前から少しおかしかったが、昨日、ピーナッツの話を聞いてからもっと様子がおかしい気がする。エラーという生き物が宿主の“模倣”をすると聞いてからだ。シュティレは表情を曇らせながら、そっと彼女の手を握った。
それに、なんだか村の様子がおかしい。昨日も静まり返っていたが、今日はもっとだ。まるで、誰もいなくなったかのような静けさに包まれている。
暫く歩いていると、エスティアが自分の家に向かっていないことに気付いたシュティレ。だが、声をかけようとは思えなかった。なぜなら、彼女は何か確信を持っているように歩いていたからだ。
村の裏手へとやって来ると、そこには小さな森のような物があった。おそらく小さな子どもの遊び場になっているのだろう。
早朝だからか、村同様、ここも静まり返っている。小鳥の囁きすら聞こえない。
ここは別世界だ。シュティレそう感じる。この場所だけ全てと切り離されてしまった、忘れられてしまったかのように寂しい場所。
自然とシュティレの握る手に力が篭り、気付いたエスティアは目元細める。だが、歩みは止まらない。
またしばらく歩くと、少し開けた場所へとやって来た。切り株が一つあるだけの広場。だが、そこだけは優しい雰囲気が漂っている。周りの寂しさに守られるように温かい空気の流れ、シュティレは表情を緩める。
そんな切り株には一人の女性が座っている。フワフワと茶髪を風になびかせ、軽快な口笛を吹く彼女は、こちらに気付くと、優しく微笑む。
その表情にどこかうすら寒いものを感じ取ったシュティレは表情を固くした。
「いつから気付いていたの?」
切り株に腰かけたままのセメイアがそう言う。シュティレは意味がわからず首を傾げ、隣の彼女を見つめた。
エスティアは寂しそうに微笑んでいた。その表情を見ていたセメイアが微笑みを携えたまま複雑そうな表情でいる。
「あの時、砂浜で再開したときに、何となく違和感を感じてたんだ」
エスティアは砂浜で抱きしめた時に感じた寒気を思い出す。あの時は、嫌な記憶を思い出したせいだと彼女は思っていた。だが、違う。
シュティレの手を握りながら、エスティアは意を決するように息を吐き出し、言葉を続ける。
「セメイアが知ってるはずないんだよ……私のエストっていう方の名前を」
エスティアはそう言って瞳を伏せる。あの名前は、村から捨てられ、思い出したくないがために付けた名前だ。自分を守るために着けた鎧のようなもの。
だから、それを故郷の人間が知っているはずがない。エストという名前に慣れすぎていたために、呼ばれた時は漠然とした違和感しかなかったが、ここに来て全て思い出した瞬間、彼女は気付いてしまったのだ。
「……ふふふ」
セメイアが小さく笑う。その声はどこか不安をあおるような暗く淀んだ声だった。シュティレは思わず手に魔力を込める。が、それをエスティアは片手で制すると、まっすぐセメイアを見つめる。
その表情は酷く暗く、悲痛の色を浮かべていた。シュティレは小さく息を呑む。
『ふふふ、あーあ。なんとなくわかってたよ。そこで気付かれんじゃないかってね……でも、仕方ないよね? その呼び方をする“権利”、私にはないんだから』
トン、トン、と踵で切り株を軽く叩いた彼女。そんな彼女の表情はどこまでも寂しそう。だが、その表情を見ていたエスティアは“セメイアの皮を被っていても少し違う”と考えていた。
そんな思いを感じ取ったのか、彼女は小さく吹きだすと、空を見上げる。どこまでも澄んでいて春の木漏れ日が射し込む。だけど、どこか寂し気に見える空。
それはまるで、彼女の心情を現しているようにも見える。
『ほんとに、貴女たちって大親友だったんだね。いや、もう、姉妹とかそういうのに近いものなのかも……』
「……そうかも、セメイアは私の大切な家族だよ。ねぇ、アンタはなんの為にセメイアのフリをしているの?」
そう聞いたエスティアはそっと、魔剣へと手を伸ばす。答えによってはここで斬るつもりだ。大切な親友の皮を被ってフリをしているだけでも、十分殺す理由となるが、エスティアはどうして、目の前のソイツがただ生きるために模倣しているとは思えなかった。
『セメイアの為だよ。セメイアはさ、ずーっと待ってたんだよ君のことを……ただ待っていた。それを私は彼女の中からずっと見ていた……村の人間にどんなひどい事を言われても、乱暴されても……セメイアはずっと君が帰って来ることを待っていた』
彼女は首に巻いていたマフラーを静かに解き、地面へと落とした。エスティアとシュティレはとある一点に視線が釘付けとなった。
彼女の首筋にはスッパリと真っ赤な切れ込みがあったからだ。その傷が意味することなんて考えなくてもわかる。エスティアはこれでもかと歯を食いしばり、魔剣を握る手が震える。
『村の人は酷いよ。待っているだけのセメイアを“悪魔の仲間だ”って、言って、あっさり殺しちゃうんだからさ』
カラカラと彼女は笑う。だが、そんな彼女の表情は深い悲しみと怒りを浮かべていることに気付いたエスティアの表情に影が落ちる。
「じゃあ……アンタは村人に復讐するために……」
エスティアの黄金の瞳が悔し気に伏せられる。が、それを見ていた彼女は鼻で笑い飛ばす。
『ふんっ、そんなくだらないことに残り少ない命を使うわけないでしょ。まぁいいや……セメイアの体の中で完全体にまでなっていた私のおかげで彼女は死ななかった。まぁ、心は死んじゃったけどね。体はそのまんま……だから、私は暫く死んだふりして、君の両親が殺されるまでずっと眠っていた。他の人間は卵を植え付けちゃえば、誤魔化せるけど、君の両親は魔力が強いから無理そうだったからね』
なんともないように言い放つ彼女。
「じゃあ、今まで何をして……まさか、セメイアみたいに私を待ってたって?」
エスティアの表情は今にも泣きそうになっている。
『そのまさかだよ? 言ったでしょ、私はセメイアの為に生きてるって。彼女、最後に言ったんだよ“これを渡したかった”って』
そう言った彼女はエスティアへと歩み寄り、一通の手紙を手渡した。
受け取ったエスティアは薄黄色の便箋を観察するように回し見る。そして、丁寧にその封を破り、中に入っていた一枚の手紙へと目を走らせた。
――私の親友エスティア。
貴女が死んだと聞かされて、私は信じられませんでした。
だって、どこに居ても貴女は私の隣に居てくれるように感じていたから。
ねぇ、エスティア、もし、貴女が帰って来たとき、もしかしたら私はいないかもしれません。
だけど、心配しないで? 貴女の育った家だけは絶対に守って見せるから、誰にも触らせないから。
でも、本音を言うとね、帰ってこない方がいいんじゃないかって思ってる、嫌な子だよね。
私、今の村が大嫌い、変わってしまったみんなが怖くて嫌い、貴女を悪魔だっていうあの人たちはもう、知ってるみんなじゃないんだもん。
こんなこと書いてごめん。
エスティア、貴女のこと大好きよ。
ずっと、ずっと、例え私自身が死んだとしても私は、貴女を愛しているわ。
こんな私と親友でいてくれてありがとう。
さようなら。
「セメイア……ッ」
手紙を強く抱きしめたエスティアはそう小さく声を漏らす。
『ほんと、セメイアは凄いよ。あの時、砂浜で君を見たら私の意志に関係なく君に駆け寄ってたんだから。きっと、セメイアという存在が死んでも体が覚えていたんだね。』
「セメイア……セメイア……ッ。ごめんね……ごめんねっ」
エスティアは何度も名前を呼んでは手紙を宝物の様に抱きしめる。ずっと、待っていてくれていた。その事実でエスティアは壊れてしまいそうだった。
この約六年間。エスティアは故郷を忘れることだけを考えていた。捨てたやつらを気にする価値なんてないと決めつけ。だが、現実は違った。待ってくれている人はいた。
そして、エスティアはそんな大切な人たちに“ありがとう”の一言を伝える術がもうないことに気付く。目の前には居るが、アレはもう彼女ではない。
『エスト』
「……なに? って――おまえっ!」
呼ばれたエスティアは顔を上げて、驚愕の表情を浮かべた。隣のシュティレも青い瞳を見開く。
なぜなら、目の前の彼女の体がサラ、サラ、と砂のように崩れ始めているからだ。エスティアは咄嗟に手を伸ばそうとした。が、目の前の彼女は首を横に振る。
『君を悪魔と呼んだ連中を殺すのに、魔力を使いすぎちゃった。君の名前、売れすぎだよ』
「なにを……言って」
『もう、君を悪魔なんて呼ばせない……セメイアの願いだから』
カラカラと笑みを浮かべていた表情を、真剣な物へと一変させた彼女は目元を細め、エスティアの頭を軽く撫で、踵を返す。
もう、彼女の体は歩いているのが不思議なほどボロボロに崩れている。が。彼女は気にすることなく、切り株へと腰を下ろし。空を見上げた。
木漏れ日が射し込み、彼女を照らす。もう顔中がひび割れていて見ているのも痛々しいのに、その姿はどんなものよりも美しい。エスティアは手紙をギュッと抱きしめる。
『セメイア……悪い子の私は貴女が居る場所には行けないけれど』
ボロボロと崩れた手を空へと伸ばし、もう殆ど見えていないであろう瞳で一筋の涙を零しながら笑みを作った彼女。
『もし……次があるなら……あな、たと……とも、だ――』
最後の言葉を呟く前に、彼女の体はまるで涅槃雪ようにヒラ、ヒラと惜しむように消えていく。
そこに残ったのは、もう時を刻むことを随分前にやめてしまった一個の懐中時計だけだった。
エスティアの家へとやって来た二人。
村の中は悲惨なことにっていた。セメイアの中に居たエラーは全ての村人へと卵を植え付けていたようだ。内部から食い破られた様に血まみれで息絶えている村人たちを発見した時、二人はあまりのおぞましさと脳みそを突き刺すような腐臭に仲良く民家の裏で嘔吐する羽目になった。
エスティアは少し青白い表情で、セメイアの手紙と懐中時計を大事に両手で抱えながら、そっと家の扉を開いた。もちろん、誰も住んでいないので、なにも無いが、エスティアは何故か吐き気を感じながら、ゆっくりと家の中へと入る。
シュティレはその後に続くように入って行く。
「お母さん、お父さん。ただいま」
エスティアはそう小さく言うと、作業台へと向かう。そして、セメイアの手紙を封筒と同じ場所に置くと、小さな箱を取り出した。
カチ、カチ、小さな音が響いている。その箱をそっと撫でながらエスティアは話し始める。
「私の村には特別な技術があるんだ……それが“レーヴェン”」
「レーヴェン?」
エスティアは振り向くと、その箱を開いた。シュティレが覗き込むとそこには、金色の懐中時計が鎮座し、カチリ、カチリ、と時を刻んでいる。が、シュティレは一つ、違和感を感じた――時間が大きくずれているのだ。そして、そのズレた時間を直すためのネジがついていない。
不思議そうに顔を上げれば、エスティアは満足げに頷く。
「それは特別な術式が使われててね。その時計は私が生まれた時に動き始めて、一緒の時間を刻む。そして、私が死ぬと、その時計は止まるっていう仕組みになっててね、面白いでしょ? そんで、十三歳になると貰えてね、この村の人は全員持ってるんだ」
そこまで言ったエスティアはポツリと「私のはもう捨てられたと思ってた」と呟き、時計を一撫でした。小さな頃は欲しくてほしくてたまらなかった時計。思わず表情も笑みを作っていた。
シュティレは彼女の手の上からそっと、時計を一撫でする。
「これがあったってことは……やっぱり、エストの両親はずっと待っててくれたんだね」
「シュティレ……」
寂しげに呟くシュティレの顔を見ていたエスティアは小さく、息を呑む。そして、箱から時計を取り出しす。
エリックの豪快な性格に反して、精巧な作りに細かい装飾の施された時計の裏面には“エスティア”と名前が刻印されている。その名前をなぞりながら、エスティアはグッと息を呑む。
「シュティレ」
真剣な声色でエスティアは彼女の名前を呼ぶ。真剣な表情も合わさり、シュティレはドキドキしながらその黄金の瞳をジッと見つめ返す。
エスティアは何回か、深呼吸した後、フワリと微笑んだ。
シュティレの心臓がドクリと大きく跳ね、顔に熱が集まるのがわかる。もう見慣れた筈の微笑だと思っていたが、どうやら心臓はまだ慣れていないらしい。
「シュティレ、君に渡したいものがあるんだ」
「えっ」
そう言ってエスティアは持っていた金色の懐中時計を差し出す。シュティレは意味がわからず、時計と彼女を交互に見やる。
「え、でも……それ、大事な物なんじゃ」
「だからこそだよ」
エスティアの黄金の瞳が優し気に輝き、時計へと視線を移す。その表情はどこか恥ずかしそうだ。
「この村では昔から、生涯を共にしたい人に渡す風習があるんだ。だから、これを見た時から決めてたの」
エスティアはシュティレの前で片膝を付き、時計を差し出す。
「私の時間、受け取ってくれますか?」
その言葉がシュティレの脳へと届く前に――冷たい風が部屋の中へと吹き込んだ。




