46 落花生
夕食はなんとも暗い雰囲気で行われた。
温かいビーフシチューがその雰囲気で冷めてしまいそうなほどの空気。もうすぐ春だというのに、ここだけはまるで極寒のようだ。
そんな雰囲気の中、なんとも間抜けな声が響き渡った。
『なんとも暗い雰囲気ですなぁ。せっかくのご馳走が台無しですぞ』
スプーンでビーフシチューを掬っていたエスティアとシュティレの手がピシリと音を立てて停止する。その表情は怪訝を色濃く浮かべている。
無理もない、彼女たちのテーブルの上に座る“ぬいぐるみ”が――喋っていたのだから。
「な、な、なっ」
困惑した様子でエスティアはブルブルと震える指でぬいぐるみを指さす。まるで、生き物のように自然な動きで、二本足で立ち上がったぬいぐるみは黒と紫色の別々の色のボタンで作られた瞳でエスティアを見つめる。その表情はどこかふてぶてしい。
そして、イヌのつもりか顔の割には大きすぎるクッションのような大きな黒い鼻を鳴らしたぬいぐるみは、差された彼女の指を左手で払うような仕草を見せ――
『軽々しく、指をささないで欲しいですなぁ』
どこから声を出しているのか、なんとも鼻につくような声色でそう言い放ったぬいぐるみはシッ、シッ、と追い払うように手を動かす。
エスティアの額にピキリと血管が浮かび上がる。何故だかはわからないが、彼女はこのぬいぐるみをぶっ壊さなければと思った。気付けば、彼女は拳を振り上げ、ブンッ、と振り下ろしていた。
だが、ぬいぐるみはまるで予期していたかのように、ヒラリと蝶のように躱す。
『プププ、拙者如きのぬいぐるみすら捉えられないとは、なんとも貧弱ですなぁ。よくいままで生きているものです』
「こんのっ……ブサイク……ッ!」
普段であれば、そんなことを言われてもたいして気にしないのに。なぜか、このぬいぐるみに言われると無性に腹が立つ。エスティアはどうにかして捕まえようと手を伸ばした。が、ぬいぐるみはするりと躱し、逆に伸ばされた腕を足場にし、跳びあがると――彼女の鼻っ面に蹴りを叩き込んだ。
ゴンッ。ぬいぐるみの感触とは思えない、まるで拳大の石をぶつけられたような衝撃にエスティアは思わず鼻を抑え、後ずさった。
あまりにもくだらない戦いにエリザがお腹を抱えて笑い始める。アリスはじっと見つめているが、その瞳には呆れが浮かんでいる。
シュティレはとりあえず、エスティアの鼻に回復魔術を行使し、様子を見守ることに徹する。止めるべきかとも思ったが、別に平気だろう。どうせ、エリザの仕業だとわかっているからだ。
「いってぇなっ!」
『ほーう。この体もなかなか丈夫ですな』
青筋を立てるエスティアを尻目に、ぬいぐるみは肩をグルグルと回すような仕草をして、笑い転げているエリザへと顔を向けた。
ぬいぐるみの表情は変化しないが、その言葉と合わせて気分がいいのは見て取れる。
「ふふ、そ、うね……ふふ、そんな丈夫な体になるとは、ふふ、思わなかったわ」
暫く笑い続けたエリザは席へと座り直しそう言った。そして、怒りの表情を浮かべているエスティアに座るように促すと、コホン、と咳ばらいをした。が、エリザのにやけ顔は直らない。
シュティレにも裾を引かれ、渋々、着席したエスティアは不機嫌面を直すことなく口を開く。
「で、ソイツはなに」
『ソイツとは失礼な』
ぬいぐるみの横槍を無視したエスティアは言葉を続ける。
「もしかして、今日の用事って、これを持ってくるため?」
「そうよ」
間髪入れずに飛んできた答えにエスティアは大きくため息をついた。シュティレも微妙な表情をしている。
「ねぇ、お姉ちゃん。その子は誰なの? お姉ちゃんが作ったんだよね?」
あのぬいぐるみからは、エリザの魔力を微量ながらも感じていたシュティレがそう言うと、エリザは弟子の成長を嬉しく思ってか、満足げに何度も頷く。
「そうよ。この子はねあの無人島の生き残りのまも――エスト。剣をしまいなさい。シュティレ、貴女もよ。まだ、話は終わってないわ」
ぬいぐるみに振り抜かれた魔剣を、アリスの純白の籠手が弾く。同時にシュティレが発動しようとしていた魔術を無効化したエリザは、瞳を鋭くさせ、冷たい声を飛ばした。が、シュティレはともかく、エスティアは武器を下げようとはしなかった。
ギチギチ、と漆黒の刃と純白の籠手が擦れる音が響く。ぬいぐるみはそんな光景をのんびりと眺めている。
「なぜ? コイツはバケモノだ。殺すべき、そうでしょ」
「そうね、でも、ソイツは私の物よ? 勝手なことは許さない」
「エストさん、武器を下ろしてまずは話を聞いてください」
アリスの顔を軽く睨んだエスティアは小さく舌打ちをすると、席へと座る。そして、ぬいぐるみを睨みつけた。
思う。どうして、目の前に敵がいるのに殺さない。しかも、エリザは「私の物」と言った。理由はわからないが、彼女はあれを仲間に加えるつもりだ。
『なんだか、聞いていたイメージと違いますなぁ。まるで、狂犬のようですねぇ』
「シュティレ、なにかあったの?」
ぬいぐるみの言葉に、エリザは軽く頷く。確かに今のエスティアは少し様子が変だ。押さえてはいるようだが、仲間にでも噛みつきそうな憎しみの篭った瞳はまるで狂犬だ。
シュティレのことしか考えていな普段の忠犬とは真逆の印象を抱かせる彼女に、アリスの琥珀色の瞳も訝しむように細められている。
「はぁ、まぁいいわ。この子はね――ピーナッツ。あの無人島とかにいたバケモノと同じ生き物よ。でも、安心して、この体に入っている限り、本来の力の二割もだせないから」
机の下でエスティアは強く拳を握り締める。その程度で安心できるわけないだろう。小さく悪態づく。
気づいたシュティレはそっと彼女の拳に手を添えた。が、エスティアの表情が和らぐことは無かった。
アリスはいつでも、動けるように籠手を装着したまま席へと腰を下ろす。一応、会話できる環境になったことを確認したエリザは言葉を続ける。
「私が捕まった時、ピーナッツは私に取引を持ち掛けてきたの」
「取引?」
『拙者が持ちうる情報をすべて提供するんで、命を助けてくださいって頼んだんです。あそこに居ても生き延びれる気がしなかったですから』
エリザは小さく頷く。だが、エスティアはいまいち納得いかないような表情で睨む。
「私はそれを承諾した。そして、その一つとして爆弾や鋼鉄のクジラみたいな未知の技術を手に入れた。正直言って、あの技術がなかったら脱出は不可能だったわ」
「つまり、私たちはピーナッツさんに命を救われたも同然です」
『ぐへへ、照れくさいですなぁ。アリスの姉御にそう言われちゃぁ』
照れくさそうに後頭部をかくピーナッツ。エスティアはそんな仕草を観察するように睨む。シュティレはそんなエスティアを心配そうに見つめる。
思わぬところで借りが出来ている。そうエスティアは考える。だが、振り払うようにブンブンと首を振ると、険しい表情のまま口を開く。
「情報はそれだけ?」
「いいえ。ピーナッツはね……いや、これは本人から説明させましょう」
エリザにそう促されてピーナッツは静かに立ちあがる。
『ではでは、僭越ながら拙者が……エスト殿、あなた方が出会ったバケモノ、すなわち拙者たちは“模倣するもの”と呼ばれる生き物です』
「エラー?」
シュティレとエスティアが同時に首を傾げる。ピーナッツはおもむろに自分の体の真ん中にあるチャックを下げる。そして、その中に手を突っ込み、ゴソゴソと探す様に動かす。その際に、黒っぽい砂がサラサラとピーナッツの体から零れ、僅かに腐臭が鼻腔をかすめた。
いったい、何をしているんだと、エスティアは怪訝な視線でピーナッツを見据える。
探し物はあったようだ。よく見えるように自分の体から、拳大の銀色の石の様な物を取り出し、机へと置いた。シュティレとエスティアは覗き込むように観察する。
エスティアは気付かなかったが、シュティレには、その物体の中身が魔力であることを一目で見抜いた。
『拙者たちはこの石――魔力核という物を体に埋め込み、魔力が尽きるまで動き続ける。いわば、人形のような物です。これを砕かれると、拙者たちエラーは死にます。例外を除いて絶対に死にます』
そう言ったピーナッツはその石を再び体の中へと埋め込むと、チャックを閉める。
「その例外って?」
エスティアの冷たい声が響く。
『エラーには、“幼体”、“成体”、“完全体”の三種類います。成体と完全体には魔力核がありますが、幼体にはありません。エスト殿、シュティレの姉御、エリザ親分に話は聞いています。恐らく、シャールで倒したのは幼体です。石がなかったでしょ?』
「あれが……幼体」
エスティアは思い出す。倒せはしたが、並みの武器では傷一つつかないあのバケモノが幼体だなんて。シュティレも同じことを考えているのだろう。拳に添えられた手が震えている。
『幼体には魔力核が無く、首を斬り落としたり、体を真っ二つにすればすぐに死にます。ですが、成体以降からは魔力核を潰さない限り、体を燃やされようと、死ぬことはありません。ですので、聖都に居たのもおそらく幼体ですな。どうして、そんなタイミングで孵化したのかは不可解ですが』
ピーナッツは不思議がるように首を傾げた。が、エスティアは気にせず、ピーナッツをまっすぐ見つめる。
「……あいつらはどうやって人に寄生するの?」
『一般的なのは完全体が人間に卵を植え付けた場合ですな。完全体まで育つと、“子孫を残したい”という欲求が生まれます。そうして、完全体が人間や魔物に植え付けた卵は、宿主の魔力や生命力を少しづつ喰らい成長します。そして、成体まで育つと、体を突き破り、生まれます。その後は、宿主の皮を被り、宿主の“フリ”をして、他の人間を襲い、魔力を蓄える』
こともなげに言い放つせいで二人は吐き気すら起きなかった。一度聞いているエリザとアリスは無言でいる。が、雰囲気は固い。
「……見分ける方法はあるの? その、卵を……植え付けられた人を……」
言いにくそうにシュティレがそう言うと、ピーナッツはポテン、とその場に腰を下ろす。
『現状、人間が自力で知る方法はありません。探す方も、植え付けられた方も。ですが、拙者たちエラーはわかります。エラーの宿主には特別なニオイがありますから』
ピーナッツがそう言うと、今度はエリザがそっと口を開く。
「ピーナッツが居れば、人の中に潜むエラーが分かる。そして、その効果を試しに、私たちは帝都へ行って来たわ」
「……帝都には居たの?」
エスティアはどうせ居るんだろうなと思っていた。シャールにすら二体もいたんだ。聖都には数えきれないほどいた。が、エリザの言葉を予想を上回るものだった。
「いたわ。帝都の人間全員が宿主だったわ」
「……は? う、うそでしょ……?」
「お姉ちゃん……さすがに笑えないよ」
シュティレとエスティアは困惑を浮かべながらそう聞き返すと、エリザは静かに首を横に振る。その表情はどこまでも悲しみと悔しさに満ちていた。
二人はゴクリと息を呑んだ。まさか、全ての人間が……もしかしたら自分もという不安が浮かぶ。すると、そんな雰囲気を感じ取ったピーナッツが言葉を落とす。
『宿主に選ばれるのは大抵、魔力が少ない、又は無い人間たちです。主に勇者でもないただの一般人ですな。それに、貴女たちは性行為のご経験がおありで?』
「――ブフッ。なっ。あ、あるわけないじゃん! いきなり、なんてこと聞くの!?」
「わ、私だってないよ!」
予想外の一言に二人は顔を真っ赤にしながらそう叫ぶ。エリザはそんな二人の反応にホッと、内心で安堵の息を漏らした。
『それなら良いことですな。性行為は想い合う者同士でやるべきですからな』
うんうん、とピーナッツは頷きながら言葉を続ける。
『貴女がたのような魔力が多い人間に対しては、完全体は性行為によって卵を植え付けてきます。魔力が少なければ、手が体に触れるだけでも植え付けられるので、手間のかかる方をとるエラーは少ないです。ので、娼婦などとの性行為がなければ安心かと。女性に化けたやつはだいたいがそうしますから』
「そ、そう……じゃあ、一個聞いていい?」
エスティアがそう言うと、ピーナッツは首を傾げる。
「そのエラーの宿主になった人を救うにはどうすればいい?」
黄金の瞳が揺れる。その瞬間、エリザは気まずそうに瞳を伏せた。
『――殺すしかありませんな。たとえ、卵の段階だったとしても、殺すしか選択肢はありません』
「……絶対に? その石とか卵を取り出すとかはダメなの?」
机から乗り出し、エスティアはピーナッツに掴みかかる勢いでそう言った。言葉遣いこそ冷静だが、その表情は泣きそうにも見える。
だが、ピーナッツはちいさく首を振り、エスティアを見上げた。
『エラーは宿主の体と言うよりも、宿主の“心臓”に寄生し成長する物なんです。そこから魔力と生命力を奪い、宿主の行動を覚え、心臓を魔力核へと変質さ、肉体を自分の物へとする。救いは“死”のみ、植え付けられた時点でその人は死んだも同然ですからな。先ほど、拙者の体から、砂が出たでしょう? あれは、つい数時間前までは、ただの綿ですからな。それほど、侵食は早いのです』
「……そ、んな……っ」
エスティアは力なく椅子の背もたれへと寄りかかると、小さく息を吐き出す。その表情は酷く悲しそうで悔しそうで複雑な表情を浮かべている。
そして、フラフラと立ち上がり、エスティアは踵を返すと、肩越しに振り向く。
「もう少し、話を聞きたい所なんだけど……ごめん。今日はもうちょっと休ませて」
言うが早いか、エスティアはそっと部屋を後にしていく。シュティレも急いで立ち上がると「また、明日ね」と言って部屋を後にする。
残された二人は互いに顔を見合わせた。そんな二人の顔には疲れが浮かんでいるようにも見える。
「やはり、様子がおかしいですね」
「何かあったのかしら」
二人の会話にピーナッツが振り向く。その表情に変化が現れることは無いが、漂う雰囲気がどこか不思議そうにしていることが分かる。
エリザは首を傾げる。すると、ピーナッツは扉を見つめながら呟く。
『エスト殿とシュティレの姉御から、ほんのりとエラーのニオイがしてますな。それもとびっきり強い奴のニオイが』
その一言にアリスの瞳が鷹のように鋭くなる。エリザも表情を険しくさせた。
「確か、あの子たち、エストの故郷に行ったって言ってたわよね」
「……そのはずです」
ドアを睨みつける二人の瞳は悲し気に揺れていた。




