45 目的を忘れるな
宿へと戻ると、どうやらエリザとアリスは戻ってきていないようだ。そそくさと自分の部屋へと引っ込んでしまったエスティアの代わりにシュティレは、隣の部屋をノックし、ため息をついた。
そして、すごすごと力ない表情で部屋へと戻る。
「お姉ちゃんたち、戻って来てないみたい」
シュティレの言葉に気付いているのか、いないのか。エスティアは部屋のベッドと本棚の僅かな隙間にすっぽりと収まるように座り込んでいる。こちらに背を向け、表情はわからないが、湧き水のように滴る暗い雰囲気により、彼女がハッピーにはとても見えない。
後ろ手にドアを閉めたシュティレはどうしたものかと思案する。が、こういった場合に必要なのは人肌なのではという答えを出した彼女は、そっと、エスティアの背中にもたれかかるように座る。
そのまま、シュティレは無言のまま、瞳を閉じ、ただ黙って、彼女へと寄り添う。すると、エスティアの肩が僅かに震え、押し殺すような嗚咽が零れ落ちた。
思わず振り返ろうとして、やめる。きっと、この涙は見られたくないのではと感じたからだ。なんでかはわからない。漠然としたその思いにより踏みとどまったことはどうやら、正解のようだ。
「ご、めん……っ。今は……今だけは……見ないで……私を、見ないで……っ」
蚊の鳴くような声でそう言ったエスティアは自分の正面にある壁に額をつけ、静かに涙を零す。
「うん、わかってる」
シュティレのどこまでも澄んでいて優しい声に、エスティアは感謝しながら、“早く止まって”と願う。が、涙は意思に反して次々と零れる。
どうして涙が出るんだ。エスティアは自分の顔を両手で覆いながら内心で叫んだ。あの封筒のせいだ。あの封筒を見てしまった、知ってしまったせいだ。
せっかく、大嫌いになってたのに。どうして、どうして。
もう何が何だか分からなくなっていた。自分を捨てた筈の両親が、手紙を残していた。そして、隣にあったあの“箱”。開けなくてもわかる、あれは――
「なんで……なんで……っ」
エスティアはグシグシと、乱暴に目元を手のひらで擦ると、ゆっくりと振り向く。そして、おずおずと小さく口を開いた。
「シュティレ……その……」
「どうしたの?」
「……ワガママ言っても……いい……?」
その言葉にシュティレは思わず振り向いてしまう。すると、気まずそうに黄金の瞳を伏せるエスティアの姿あった。その姿はまるで怒られる直前の子どものようだ。
ビクビクと、両手で自分を抱きしめるような仕草を見せ、体を縮こませているせいで、いつもより気弱で小さく見える。初めて見るその姿に、シュティレの胸が締め付けられる。
全く返事を返さないことに、エスティアは不安でいっぱいになっているのか。表情に濃い影を落とし、下を向いてしまう。
ハッとしたように、シュティレは表情を緩めると口を開く。
「言っていいに決まってるじゃん。私にできることならなんでもするから。言ってみて?」
安心させるようにエスティアの手にそっと自分の手を重ね笑みを浮かべる。
「じゃ、じゃあ……抱きしめて欲しい」
恥ずかしそうで少し不本意そうな表情で、上目で様子を窺うエスティア。その姿にシュティレの心臓がこれでもかと高鳴る。
頼ってくれている。あの、エスティアが頼ってくれている。その事実だけでシュティレは天にも昇ってしまいそうだ。やっと、弱いところを見せてくれた。が、きっと不本意なのだろう。だって、表情が物語っているのだから。
シュティレはフワリと笑みを浮かべると、気まずそうにしているエスティアを抱き寄せる。
一瞬、ビクリ、と体を震わせるエスティア。そんな彼女からは悲しみに満ちた匂いが漂う。淀んだそれはまるで、冬の畑のようなニオイだ。
生命は枯れ果て、生きることを諦めてしまったようなそんな悲しみに満ちている。
「シュティレ……もっと、強く抱きしめて」
エスティアが小さな声で言う。
シュティレはいつもよりずっと小さく見える彼女の体に回した腕に力を込め、頭を抱く。引き寄せられるように、力なくエスティアは彼女の首筋に顔を埋めた。
彼女からフワリと春の花のような優しい香りが鼻腔をかすめた。その匂いを肺いっぱいに吸い込んだエスティアはポツリ、ポツリ、と、息を吐き出す様に言葉を紡ぎ始める。
「私……あの村から捨てられたんだ……お母さんとお父さん……大好きなだった人たちに……」
今にも壊れてしまいそうな薄氷のような言葉。だがそれでいて、鉛のように重い言葉はズシン、とシュティレの体の芯を叩く。
彼女にそんな過去があるなんて知らなかった。でも、納得した。時節、寂しそうに笑う彼女の表情に理由がついたからだ。シュティレは、そっと彼女の黒髪を梳くように撫でる。
すると、エスティアは一瞬だけ、何かを思い出したように懐かしそうな表情を見せた。
「村に帰って来たとき。あぁ、やっぱり、捨てられたんだって思った。“死んだはず”って言われ時はびっくりしたけど……理解はできた……でも」
思い出す。村人の表情、視線。すべてに殺意、敵意、が篭っていて、エスティアが生きているという事実に対して、心の底から疑問を感じている。
セメイアがあの時、来てくれなかったらどうなっていただろうか。
「私、あの目を見たらさ……“憎い”って思っちゃった……こんな奴ら知らない。死ねばいいのにって。殺してやりたいって……」
エスティアはドアの隣に放り投げられるように置いた魔剣をチラリと見やる。いつも通り、血のような鎖が巻き付いた鞘が、なんだか怖く見えた彼女はグッと唇を噛む。
あの時、魔剣に囚われかけた。大事な思い出を汚す。あんな村人は知らない。どうして、あんな目で見られなければいけないんだ。こんな奴ら“コロシテシマエ”と魔剣に囁かれ、エスティアは実行しようとした。
「そんなことを軽々しく思った自分自身が嫌い……壊してやりたいって思ったのに……まだ、あの村が大好きでいる私が嫌い……全部嫌い……嫌い……こんな記憶も気持ちも……大っ嫌い」
「エスト……」
「ねぇ、シュティレ……君は……」
ゆっくりと顔を上げたエスティアがシュティレを見つめる。縋るように揺れる黄金の瞳が明かりを反射し、まるで冬の星々のような寂しげな煌めきを放つ。
「私を捨てないよね? ずっと、ずっと、傍に居てくれるよね……?」
シュティレはその言葉と、彼女の表情を見た瞬間に表情を歪めた。そして、思う。この人はまだ“信用”してくれないのか、と。
いつもの確信めいた確認ではなく。本当に捨てられるかもしれないと思っている瞳だ。そのことに気付いたシュティレは泣きたくなった。
そして、深い悲しみと怒りがシュティレの脳内を支配した。青い瞳が射抜くように細くなる。
「エスト……ううん。エスティア。私がどれだけ、貴女のことを想ってるのかまだわからないの?」
怒気の篭った声が部屋をバウンドする。エスティアはビクリと肩を跳ねさせ、困惑の表情で彼女を見つめる。その様子はまるで、飼い主に怒られる子犬だ。
青色の瞳を鋭くさせたシュティレは強引に彼女の顔を引き寄せ、噛みつくように唇を奪った。
「んっ!?」
普段の優しさなどは微塵も感じられない暴力的で、だけど、悲しみが混ざるその口付け。それは、シュティレの心情を余すことなく表しているようにも感じたエスティアは、黄金の瞳をこれでもかと見開く。
怖くなった。でも同時に嬉しかった。“もう気遣いはしなくていいよね”と言ったにも関わらず、心のどこかでセーブをかけている彼女が感情のままに動いている。
と言っても、体は違う。反射的に逃げ腰になってしまうエスティア。だが、シュティレは許さないと言わんばかりに彼女の腰を強く抱きしめ、後頭部をも押さえた。
「んんっ……」
くぐもった声がエスティアの口から漏れる。突然のことで体内の酸素が持たないのだろう。背中に回された手が主張している。普段であれば、やめる場面。
だが、シュティレはうっすらと開いている彼女の口内へと、自身の“舌”を滑り込ませた。ぬるりとした初めての感覚にエスティアの瞳がこれでもかと見開き、首元まで真っ赤に染まる。
シュティレは舌で、彼女の上顎の歯をなぞり、下顎の歯をなぞり、うち頬を撫で。届く範囲を蹂躙すると、彼女の舌に自分のものを絡めた。
「シュ……ティレ……くるしっ」
僅かに唇が離れると、エスティアは短い呼吸と共にそう言う。が、それはシュティレの欲望という名の炎を燃え上がらせる為の薪にしかならない。
シュティレは暫く、エスティアの口内を弄ぶ、とそっと唇を離した。
お互いの荒い呼吸が響く。お互いの口から垂れた銀色の糸がなんとも言えない。エスティアは驚きで何も言えないようだ。肩で息をしながら顔を伏せている。
「私の気持ち伝わった?」
息を整え、名残惜しむ銀色の糸を舐めとったシュティレは艶やかな笑みを浮かべる。対して、黄金の瞳を潤ませ、真っ赤な表情で余韻に浸るエスティアは「う、うん……」と熱の篭った声で返事を返す。
シュティレはホッと息を吐き出した。少しやりすぎたかと思っていたが、どうやら大丈夫だったようだ。
「ねぇ、シュティレ……」
不意にエスティアがシュティレの頬へと手を伸ばす。返事をしようとしたシュティレは思わず言葉を失った。
彼女の黄金の瞳が熱に潤み、まるで、底なし沼のように青い瞳を絡めとったからだ。そして、シュティレは気付く。彼女はまだ満足していない、と。
口元に薄く笑みを浮かべたままのエスティアが囁くように、彼女の耳元に口を寄せる。
「……もっと、教えてよ。できれば“残るやつ”がいいな」
その一言にシュティレは思わず咳き込んだ。彼女の記憶上、“残るやつ”と言ったら一つしか思いつかない。咄嗟に思い浮かべるは昔、姉の首筋とかについていたあれだ。
そう確信してしまった瞬間、今度はシュティレの顔から首筋が真っ赤に染まる。ドクン、ドクン、と心臓が彼女まで聞こえてしまいそうな音量で高鳴る。
「い、痛かったら言ってね……その……やり方よくわかんないから……」
「どんなやり方でもいい……一生残るぐらい。なんなら、思い切っり噛みついてもいいよ?」
「……ばかっ」
元気を取り戻し始めているおかげか、壊れる直前か。子どものようにカラカラと笑うエスティアは自分の首筋を良く見えるように動かす。勇者になって以前より筋肉質になった彼女の首筋に、シュティレの喉がゴクリと生唾を飲み込む。
見たことはあっても、やり方なんて知らない。小さく息を吸い込んだシュティレは口を開き、彼女の首筋へと近づけ――
コン、コン。ノック音が響いた。
二人は弾かれるように距離を取る。が、エスティアの背後は壁だ。ゴチン、と思いっ切り後頭部を打ち付けた彼女は後頭部を抑え悶えた。
その様子に、シュティレは思わず吹き出してしまう。エスティアは恥ずかしそうに彼女を睨みつけながら、立ち上がると、ドア越しに声をかける。
「はーい」
「あ、その声はエストね? 今、帰って来たわ」
「おかえり」
「まだ、ご飯食べてないでしょ? 一緒に食べましょ」
よくわかったなとエスティアは思いつつ「わかった」と返事をすると、エリザは立ち去る。おそらく、下で待っているという意味だろう。
会話が聞こえていたシュティレは、恥ずかしいやら、なんやらで顔を真っ赤にしながら「先に行くね」と言って部屋を出ていってしまう。
ポツンと、部屋に取り残されたエスティア。まだ、顔が熱い。先ほどの自分の行動を思い返すと、燃え上がるように顔に熱が集まる。
一体、どうしてしまったんだ。普段であれば、言わないこと言って。自分自身が今、何を思って体を動かしているのかわからなくなっている。
エスティアは細く長く息を吐き出し、表情を引き締める。
「思い出せ……お前はなんのために生きている」
そう小さく呟き、まだ若干痛む後頭部を摩りながら、エスティアはドアの横に投げ捨ててあった魔剣に手を伸ばす。いつ見ても禍々しく、“コロセ”やら色々囁いてくる相棒と呼んでいいのかよくわからない代物。
できれば、早くおさらばしたい物。だが、この剣を手放せなくなっているのもまた事実。何度も危機を助けてくれたソイツの柄を撫でながら呟く。
「大丈夫……私がお前を手放すのはアイツを倒すか、死ぬときだから」
薄れることない。家族の笑顔を思い浮かべながら柄を握り締める。その黄金の瞳は鋭く輝き、憎悪の炎を燃え上がらせ、その奥にある悲しみの民家が燃えている。
「大丈夫……もう大丈夫」
自分の眼窩に収まっている黄金の瞳を一撫でしたエスティアは小さく笑みを浮かべる。
「セメイア……」
悲しみと怒りに塗りつぶされたその声を聞くものは、誰一人いない。




