44 虹色の瞳を持つ少女
少女エスティアはある一つの部分を除けば、どこにでもいる普通の子どもだった。
お気に入りの指定席である、森の切り株に座り。軽快な口笛を吹く小さな頃のエスティアはまるで、光合成をする青葉のように“青緑色の瞳”をキラキラと輝かせながら空を見上げた。
そんな彼女に駆け寄るは茶色の髪をふわふわと揺らす、一人の少女。口笛に釣られた小鳥たち同様、導かれるようにやって来た少女に気付いたエスティアはフワリと微笑む。
「あっ、セメイア! やっと来た! もう、待ちくたびれたよ」
青緑色の瞳が“明るいオレンジ色”へと変化する。その声色と表情も合わさり、エスティアは彼女のことが来てくれたことに嬉しさでいっぱいになっているのは明らかだ。
セメイアと呼ばれた少女は「ごめんっ」と軽く謝ると、飛びつくような勢いでエスティアへと抱き着いた。小さな体のエスティアはそんな衝撃に耐えられず、青々と萌えたつ草の上へと転がり込む。
ふわふわと生い茂る草がくすぐったく、二人は「あはは」と声を出して笑う。
「もーっ! 危ないよ! 怪我したら怒られちゃうよ?」
「えへへ……だって、エスティアに会えて嬉しいんだもんっ! それに、エスティアはいつも私を守ってくれるでしょ? だからへーきっ!」
グリグリとエスティアの首筋に擦りつけていた顔を上げたセメイアは、呆れ顔で太息を吐き出す彼女の頬へと手を伸ばし、邪気のない笑顔を浮かべた。
「セメイアはいつも、そう言って……怪我しても知らないんだからね」
不満そうに口を尖らせたエスティアの瞳が明るいオレンジ色が“ピンク色”へと変化する。すると、セメイアは、クスリと笑う。
「ふふ、エスティアってば嘘つきね。 恥ずかしいならそう言えばいいのに、バレバレだよ?」
「うぐっ……仕方ないじゃん。私の目がいけないんだもん……すーぐ、色変わるんだもん……隠せるわけないじゃんっ」
プイっとそっぽを向くエスティアの瞳がピンクがかったオレンジから、少し“暗い青色”へと変わる。セメイアはゴロンと転がり彼女の隣に寝転がると、真正面から彼女を見つめる。
茶色の瞳が悲し気な表情を見せるエスティアを映す。すると、エスティアはグッと唇を噛んだ。
「エスティア」
「私はこの目のせいで、何を思ってるかすぐバレちゃう……でも、私はみんながなにを考えてるのかわかんない……そんなの、ずるいよ」
「エスティア」
「もうやだよ。みんな変だっていうし……こんな目なん――」
今にも泣きだしてしまいそうなほど瞳を潤ませ、暗い深海のように深い青色へと変わる瞳のエスティアの鼻を、セメイアは思いっきり摘まんだ。
子どもとは言え、力いっぱい摘まれれば相当痛いはずだ。エスティアは違う意味の涙を瞳から零すと、真っ赤になった鼻をさする。
瞳の色を“赤紫色”へと変えたエスティアが口を開くよりも早く、セメイアは口を開いた。
「エスティア、私は貴女の目が大好きよ」
「えっ」
セメイアは驚きでいつもの青緑色へと変わる瞳へと手を翳し、茶色の瞳を細める。
「いつもの色も好きだけど。嬉しい時の色も、恥ずかしい時の色も、悲しい時も、怒ってる時も、どの色もぜーんぶ大好きっ。だって、まるで虹みたいじゃないっ! とても素敵よ」
「で、でも……」
「貴女が不公平だというのなら、私の今の気持ち教えてあげるっ! エスティア、私は今、怒ってるんだよっ!」
「え、あ、なんで……!?」
ムーっと風船のように頬を膨らませたセメイアがそう言うと、エスティアは鼻の痛みを忘れ、慌てた様子で起き上がり眉尻を下げながら聞き返す。
「だって、私が好きな物をエスティアは嫌いって言うんだもん!」
「でも……私の目……変だもん……グルグル色が変わって……っ」
エスティアは近所の年上の子どもたちが言っていた言葉を思い出す。
――あの子の目、気持ち悪いよね。
あんまり仲は良くもなく、たいして話したこともない子だが、その言葉はまるでカギ爪のようにエスティアの幼心に大きな傷跡を残していた。
思い出した瞬間、エスティアの深い青色の瞳から大粒の涙が零れ落ち、寝転がっているセメイアの頬へと落下し、草と土に吸い込まれ養分となる。そうして、彼女の悲しみが無くなればいいのにと、セメイアは考えながら、上体を起こす。
「もうっ! そんなウジウジするエスティアなんて嫌いっ!」
ムギュッと、エスティアの両頬をつねりながら、セメイアがそう言う。が、彼女は「でも、でも……」と言って瞳を伏せる。
「エスティア! 他の人なんて気にしないでよ!」
「セ、セメイア……」
「たとえ、世界中の人が貴女の目や貴女自身を嫌いになってもっ!」
スっと息を吸い込んだセメイアはエスティアの額に小さく口付けを落とした。
「私は、ずっと大好きでいるからっ! 貴女の親友でいるって約束するからっ! だから……っ」
「セメイアッ」
「私の宝物を……捨てないで」
エスティアは頷くことしかできなかった。そのあまりにもまっすぐで優しい言葉が心の奥深くまでしっとりと沈んでくれたからだ。
「そうだ……私はあの言葉で救われたんだ」
椅子に座っていたエスティアはハッとしたように笑みを浮かべると、もう一度、瞳を閉じ、今度は違う記憶を再生を始めた。
夕方。セメイアと抱き合い泣きあったエスティアは、まるで憑き物でも落ちたかのようにすっきりとした表情で家へと帰って来ていた。
窓から漂う夕食の香り。今日はビーフシチューだ、と幼きエスティアは心を躍らせ、明るいオレンジ色の瞳を輝かせながらドアを開く。
「ただいまー!」
「おっ、帰って来たな、待ちくたびれたぞー?」
満面の笑みを浮かべるエスティアの声に反応した男性が振り返る。
作業台で時計を磨いていた男性こと、父親のエリックは人懐っこい笑顔を浮かべた。エスティアの明るい声で気付いたのだろう。台所で背を向けていた女性が振り返る。
少し強気な眼差しに長い黒髪を揺らす、母親のステラは微笑を浮かべた。
「おかえりエスティア。早く手を洗ってきなさい。もうご飯できるわよ」
「そうだぞー? 腹ペコで死にそうだぜ」
「アナタもよ。時計いじりをしたんだから手を洗ってきて」
ステラがそう言うと、エリックは口を尖らせ、近くの布巾で手を雑に拭う。そして、真っ黒になった布巾をこれ見よがしにヒラヒラ動かした。
おそらく、“これで拭いたからいいだろ?”という意味なのだろう。彼のまだまだ真っ黒な手を一瞥したステラは、これでもかと大きなため息をつく。
「ダメよ。そんなズルばっかしてっ。エスティアが真似したらどうするの? まぁ、私の天使がそんなことするはずないでしょうけど」
ステラは微笑を浮かべ、エスティアを見つめる。その優し気な瞳にほんの少しの威圧感を感じたエスティアはブンブンと首を縦に振る。
それを見ていたエリックはブーブーと口を尖らせ立ち上がる。そしてその大きな両手でエスティアを持ち上げ、肩に乗せた。手のひらから臭う鉄と油の匂いにエスティアは表情を顰めた。
大好きなお父さん。だが、この時ばっかりは嫌いだ。エスティアは抜け出そうとすると、エリックはガッチリと抱きしめる。仕方なく鼻を両手で塞ぐ。
気づかないエリックは、得意げな表情でステラへと視線を移す。
「まてまて、エスティアは俺の天使だぞ? こればっかりは譲れない」
「はいはい、わかったから早く手を洗ってきて? エスティアが嫌がってるわ」
「お父さん……クサイ……」
「なぬっ!? はっはっはっ、すまんすまん。さぁ、行くぞー!」
これでもかと、エスティアを強く抱きしめたエリックはそのまま跳ねるように洗面台へと向かう。
手を洗い終えたエリックとエスティアが指定席へと座り、料理が来るのを今か今か、と待ちわびた様子でいる。
「おかーさん、はやくはやく! もう、お腹すいたよ!」
「そうだそうだー! もう腹ペコで死にそうだ」
無邪気な笑みで瞳をキラキラと輝かせた二人を見ながら、ステラは呆れたような笑みを浮かべ、テーブルへとお皿を並べた。少し甘めに味付けされたエスティアの大好物は、湯気と共に香りを部屋へと充満させ、椅子に座る二人はその香りに口から涎を垂らす。
ステラは“まるで子犬みたい”と含み笑いを零すと、椅子へと腰を下ろす。子どものように瞳をキラキラとさせるエリック。嬉しさを現す明るいオレンジ色へと変化した瞳をキラキラとさせるエスティア。可愛い二人を見つめたステラは幸せを噛みしめるように目を細めた。
「はいっ、どーぞ」
「いっただきまーす!」
「いっただきまーす!」
ほぼ同時にスプーンにすくったビーフシチューを口に含んだ二人は、太陽な笑みを浮かべ、味わう。
夜。ベッドに横たわるエスティアの隣に腰を下ろしたステラは、空のように澄んだ青色の瞳を細め、猫のような触り心地の黒髪を梳くように撫でる。
エスティアは赤紫色の瞳でステラを見つめ、笑みを浮かべた。
「夜はその色だとわかっていても、いつもドキドキするわ」
「……お母さんは……私の目……嫌い……?」
赤紫色にほんのりと青色の混ざった瞳がステラを射抜く。もし、嫌いだと言われたらどうしよう。そんな不安を抱えたエスティアの声は僅かに震えている。
ステラは一瞬、瞳を見開くとポンポンとエスティアの頭を軽く叩く。その手はどこまでも優しい。
「もうっ、バカね……エスティア、貴女は私の天使よ? そんな貴女がどんな子だって嫌いになるわけないでしょ。お父さんとお母さんはね、貴女のことが大好きよ。その目もぜーんぶ」
「……ほんとに?」
「お母さんが嘘ついたことある?」
その言葉にエスティアは小さく首を振る。
ステラが嘘をつくときは自分の首筋に手を当てる癖がある。だが、今の言葉を言うときに、彼女はそんな素振りは見せなかった。
でも、エスティアはそんな行動を見なくても、彼女が嘘をつくはずないとわかっている。でも、“それでも”と思っていしまうのは、子どもだからだろうか。
まだ、不安げな表情を見せる、エスティアをステラは抱きしめ、言葉を続けた。
「エスティア、他の人なんて気にしちゃダメよ。この世界は広いんだから、きっと貴女を大好きになってくれる人はたくさんいる。そんな人に出会ったら、その人をうーんと大切にしなさい」
そう言ったステラは寂しげな笑みを浮かべていた。
「お母さん……」
座ったまま眠っていたのか。エスティアはそろりと肩越しに振り向き、ドアの外へと視線を移す。
夕日が顔を覗かせ始める外には、シュティレとセメイアは楽しそうに談笑している。何を話しているのかは気になったが、エスティアは気を取り直し、椅子から立ちあがると、作業台へと歩み寄った。
「お父さん……」
作業台には薄っすらと埃が積もっている。きっとセメイアが定期的に掃除でもしてくれたのだろうか。あの時の記憶から全く変わらない作業台には、小さなネジが転がっていた。
――エスティア。このネジはな特別な物なんだっ! これがある限り、時計は時を間違えることは無いんだぞ?
得意げな表情で、手を真っ黒にしたエリックの声が頭に響く。
なんの変哲もないが、エスティアがそれを手に取ると、そのネジは淡い光を帯びる。持ち主の魔力を燃料にほかの部品を動かす役目を担うそれは、微かに懐かしい雰囲気を感じる。きっと、エリックの魔力が微量ながらも残っていたのだろう。
その残り香がまるで、“おかえり”と言ってくれているような錯覚に陥ったエスティアはそっと、そのネジを作業台へと戻す。
「あれ? こんなところに引き出しなんてあったっけ……?」
作業台の下の方へと視線を移したエスティアは首を傾げる。記憶にない引き出し。他の物より、少し新しく見えるその引き出しを彼女はそっと開いた。
すると、中には一通の封筒と小さな箱のような物が入っていた。おもむろに封筒を手に取ると、そこには――私たちの天使が読んでくれますように。と、書かれていた。
「まさか……」
エスティアは振り払うように首を左右に振る。そんなことがあるはずがない。どうして、どうして、こんなものがあるんだ。
胃の辺りが酷く重く、体全体が冷たい。頭もグラグラと視界が揺らむ。封筒を持っていた手が震え、撮り落としそうになった瞬間――
カチ、カチ、カチ。そんな音が響く。体の芯がスっと冷えたような感覚がする。
「あ、あぁ……ッ!」
エスティアは弾かれるように封筒を引き出しへとしまうと、そのまま家を飛び出した。
転びそうになりながら、近くのベンチで談笑しているシュティレへと駆け寄ったエスティアは半ば強引にシュティレの手を握り立たせる。
「シュティレッ!」
「わっ、ちょっ、エスト!? どうしたの!?」
「きょ、今日の所は……帰ろうっ!」
シュティレは立ち上がり、エスティアを見つめる。すると、真っ青な表情の彼女は強引に手を引き、歩き始める。あまりの変わりように駆ける言葉が見つからない。まるで、怯えているような彼女はいったいどうしたのだろうか。
手を引かれながら、シュティレは肩越しに振り向き、セメイアへと声をかけた。一応、一言いうべきだ。
「セメイアさん、また来ます!」
セメイアはその言葉に答えることは無かったが、寂しげな笑みはシュティレの脳内にひどく鮮明に焼き付いていた。




