40 爆発の魔女
「……っあ……な、にが……ッ」
地面へとうつ伏せに倒れたエスティアはそう呟き、立ち上がろうとした。が、血まみれの体が動くことは無い。指一本すら動かず、彼女は目の前に立つ仮面の少女を上目に睨みつけた。
一瞬の出来事だった。エスティアが駆け出し、斬りかかった瞬間、不可視の刃が彼女の体をズタズタに斬り裂いたのだった。
なにが起こったのかを理解する前に、エスティアの両掌、背中、両ふくらはぎへと氷の剣が刺さり。小さな氷の釘のような物が関節を貫き。文字通り床へと磔にされた彼女。真っ赤な鮮血が川のように流れ出るのを彼女は暫く見つめる事しかできなかった。
気を失いそうなほどの痛みに加え、流れた血が多すぎる。エスティアは、ゆっくりと冷たくなる体を何とか奮い立たせながら動こうとする。が、ガッチリと固定された関節は全く動かない。
このままでは失血死してしまうだろう。エスティアはぐったりとしているが、その瞳はまだ戦意を失ってはいない。
「っは……はぁ……っ」
仮面の少女は、そんなエスティアの前でしゃがむと、彼女を観察するようにその黒髪を掴み上げた。白い仮面の奥から覗く青緑色の瞳はジッと彼女を見澄ます。その瞳に彼女は言いようのない懐かしさを感じたが、すぐにその考えを振り払う。
どうにかして、目の前の仮面を倒さなければ。
エスティアの表情が痛みに歪む。が、黄金の瞳を怒りに燃え上がらせ、その口元に弱々しく笑みを浮かべた。その次の瞬間、彼女から流れ出ていた“血だまり”から――真っ赤な獣が仮面の少女へと牙を剥いた。
「――ッ!?」
血によって創られた獣が喉笛を食い千切らんと飛び出すと、仮面の少女はパッと、エスティアから手を離すと、しゃがんだまま後ろへと飛ぶ。すぐさま体勢を立て直しながら追撃を仕掛けてくる獣へと氷の剣を突き刺した。獣はそのまま凍り付いてしまう。
その間に、エスティアは体に刺さる氷を全てもう一体の獣に破壊させると、魔剣を柄に立ち上がる。弱々しくも勝ち誇った笑みを浮かべる彼女を守るように血で形成された猫型の魔物は威嚇している。
魔剣は啜った“血”を貯め込み、自分の物として操ることができる。つまりエスティアは自分の血液に魔力を流し使ったのだ。
「油断……したな。これが、私の魔剣の力だ……っ!」
だが、その血液を自分の体内へと戻すことはできない。故に、エスティアは顔を真っ青にしており、柄を握り締める手も震えている。
だが、後ろに守るべきものがある限り、エスティアが倒れることは無いだろう。魔剣はそんな彼女に応えるように傷つけられた筋肉を、その流れた血で一時的ではあるが、仮の筋肉を作り上げた。
エスティアは不快そうに口元を歪めると、魔剣の切っ先を目の前の少女へと向ける。
「お前……なにが目的なの? 約束は破るし、気持ち悪い仮面なんか付けてさ……なんか、ムカつくんだよ」
初対面のはずなのに、どうしてここまで嫌悪感を抱けるのだろう。エスティアは不思議に思う。確かに攻撃を仕掛けられたというのもあるだろう。
だが、違う。まるで、鏡を前にしている気分だ。仮面を付けているせいで、顔なんてわからない。が、体格、髪色。全てにおいて――似ている。
そんな考えを感じ取ったのか、仮面の少女は小さく鼻を鳴らす。その行動だけで、エスティアは嫌悪感をこれでもかと露わにした。
「……約束なんて、破るためにあるもんだろ? 仮面、気に入ってたんだけどな。そこはお前と違うみたいで安心したぜ」
エスティアは少女の声を聞いた瞬間――瞳を大きく開く。
少し低めだが少女の声は、似ている。大好きだった“母”の声に瓜二つだったのだ。最後に聞いたのは六年前だろうか。思わず感傷に浸りそうになるところを、エスティアは爪が食い込むほど強く拳を握り締め耐える。
仮面の少女はそんなエスティアに気にすることなく、言葉を続けた。
「だが、奇遇だな。オレもお前にはムカついてたんだ」
その言葉にエスティアは苦虫を嚙み潰したような表情を見せる。喋り方が、大好きだった“父”に少し似ているのだ。
「お前は……誰なんだ」
絞り出すような彼女の言葉に仮面の少女は、自分の仮面へと手を伸ばした。エスティアの心臓が大きく跳ねる。
「オレは……」
ゆっくりとズレる仮面から覗かせる顎から口元。エスティアの脳内が“見るな、知るな”と囁く。あれを知ってはいけない。
エスティアの握り締める魔剣がブルブルと震え、額から汗が流れ落ちる。言いようのない、恐怖にも似た感情が滝のように彼女の心を打ち付け震わせる。
少女の鼻までが露わになった瞬間――耳をつんざくほどの爆発音が響き渡った。金属製の床が大きく揺れたと思うと、天井が悲鳴を上げながら軋み、パラパラとホコリが彼女たちへと雪のように降り注いだ。
仮面を外しかけていた少女は、急いで仮面をつけなおすと、奥で輝く青緑色の瞳でエスティアを睨みつけた。その瞳は“お前がやったのか”と言いたげだ。が、エスティアが間抜け面を晒しているの見て、舌打ちをする。
「チッ……あんのクソ魔女……ッ!」
「お前がやったんじゃないの……?」
悪態をつく少女に、エスティアは恐る恐る声をかける。メオンは「殺しに来た」と言っていた。なら、この爆発も殺すためだと思っていたのに、目の前の少女は“予想外だ”、と言わんばかりに今にも崩れそうな天井を見つめている。そして、少女は彼女の方へと顔を向けて答えた。
「はぁ? んなわけあるかボケ! やるんなら逃げてからやるに決まってんだろ! バーカ!」
「な……っ」
バカにされてエスティアは表情をムッとさせ、なにかを言おうとしたが、再び雷鳴のように轟いた爆発音により、彼女は痛みに叫ぶ体に鞭を打ち、未だに眠っているシュティレを抱き上げた。
よくもまぁ、こんな爆発音が響ているのに眠っているられるんもんだと思ったエスティアは、ハッとしたように仮面の少女を睨みつける。
コイツが何かをしたに違いない。生きているという事実に気を取られ、状態にまで気の回らなかったエスティアは自身を“クソッタレ”と内心で呟き、強く非難した。
仮面の少女はまた鼻で笑う。
「今頃かよ。ほんとっ、お前って見かけ通りバカなんだな」
吐き捨てるように呟いた少女はため息を吐き出すと、そのまま言葉を続けた。
「まぁ、いいや。安心しろ、ソイツは明日の朝ぐらいには目を覚ます。それまでは、なにがあっても目を覚まさないがな」
「信じると思う? 今すぐ、シュティレを治せ、じゃないと殺す」
エスティアは瞳を鷹のように鋭くさせながら、怒気をあらわにする。が、少女は肩を竦め飄々とした態度でもう一度ため息を吐き出した。その小馬鹿にしたような雰囲気にエスティアは唇を噛みしめる。
「無理だ。ソイツは特殊でね、効力がある限りどんな解除魔法も効かない。まぁ、魔術ならワンチャンあるかもしれないけどな。それに、お前程度が、オレに勝てるわけねぇだろ」
「お前……ッ!」
少女の言葉にエスティアはこれでもかと憎悪を露わにした瞳で睨んだ。そして、彼女は決意する――絶対にコイツだけは殺す。何があっても殺す、と。
「ふっ……その表情には好感が持てるよ。なんせ、オレも同じことを思ってるからな――さて、そろそろオレは逃げるとするよ。光の勇者まで相手にする時間は無いからな。あばよ」
「待て! 最後に答えろ……お前は誰なんだ!」
踵を返そうとしていた少女にエスティアは半ば叫ぶように声をかけていた。せめて名前だけでも聞かなければいけない。どんなものであれ、シュティレに害を加えたのだ、殺すためにも名前ぐらいは知っておくべきだろうと。
少女は立ち止まる。そして、振り向くことなく答える。
「……アードシアだ。お前を殺すのはきっと、オレの役目だ。だから、それまで死ぬんじゃねぇぞ。エスティア」
そう言い残すと同時に、少女は霧のように姿を消した。
「アードシア……」
そう復唱したエスティアの真正面から、足音が響いてくる。鎧が擦れるようなカシャン、カシャンと音が響く。シュティレを抱えたままの彼女はその音に小さく安堵の息を零す。
その瞬間、魔剣も役目を終えたように血を自身の中へと啜り戻す。そのせいで、エスティアは倒れそうになってしまう――
「エストさん! ご無事ですかっ」
白い鎧が二人を抱き留める。その陽射しのような温もりに、エスティアは笑みを浮かべた。
「アリ、ス……よかった、無事……みたいだね」
少し疲れているようだが、大きなケガをした様子のないアリスに、エスティアはホッと息を吐き出す。が、アリスは眉を顰めた。
それもそのはずだ。確かに太ももには小さな傷が出来ているが、痛みはない。たいして、エスティアの体は血にまみれ、体のいたるところには刃物で切り付けられたような切創が多く見受けられる。
加えて、関節部分には何か刺さっていた痕のような物があり、その傷周りは凍傷だろうか赤くなっている。普通に考えれば、エスティアの方が明らかに重症だ。
「私のことよりも、今は自分の心配をすべきです」
アリスはそう言って、エスティアとシュティレを小脇に抱える。爆発音はいつの間にか鳴りやんではいるが、時折、地震のように揺れ、その度に天井や床が大きくきしむ。
このまま、ここに居ては危険だ。
気を失いかけているエスティアを一瞥したアリスは、息を細く吐き出す。早くエスティアの治療をしなければ。そのためにエリザを見つけ、脱出する。それだけを考える。
「全員、助ける。必ず」
アリスは、エリザを探しに奥へと歩もうとした瞬間――奥からペタラ、ペタラ、と軽い足音が響く。ナニカがちかこちらに向かって来ている。咄嗟に、聖剣を抜こうとした彼女はハッとする。
そうだ――両手は使えない。使うには、どちらか一方を下ろさなければならない。が、今の状況で下ろすことは無理だ。いつ崩れ始めるかわからない地下にいるのだから。
アリスは、足元に魔力を集中させる。敵だった場合。悔しいが逃げるしか手はない。
足音が近づき、そのシルエットが見える。黒い何かは“犬”だろうか。その背には何か乗っているのか。薄らぼんやりではそこまでしかわからない。
アリスが地上へと続く方へと踵を返そうとした瞬間。
「アリス、無事だったのね!」
女性の声が響く。
アリスはその声に思わず立ち止まり振り返る。暗闇から姿を現したのは――黒い狼の背に跨ったエリザだった。その両手には、沢山の銀色に輝く小さなボールのような物が抱えられている。
そんなエリザを追うように大量の肌が白濁した、人型のバケモノが通路いっぱいに現れた。アリスは思わず声を上げた。
「な、なんですか、それは」
まるでヒルのように蠢きながら、我先にと追いかけるバケモノたち。アリスは身の危険を感じ、踵を返し走る。そんな彼女の隣を並走するエリザは「とにかく逃げるわよ」と叫び、彼女が抱えるシュティレをひったくり、狼の背へと乗せる。
アリスはエスティアを両手で抱えると、走りやすくなったおかげか、先ほどよりもスピード上げて廊下を駆ける。が、バケモノたちも速い。このままではいずれ追いつかれてしまうだろう。
アリスは、エスティアをエリザへと預けてバケモノたちを斬り捨てるべきかと思った瞬間、エリザはニヤリと笑みを浮かべながら口を開く。
「アリス、大丈夫よ」
「エリザさん……なにを……」
エリザがすることはいつも予想が出来ない。今回もそれだと確信したアリスはエスティアを落とさないようにしっかりと抱え直すと、あらん限りのスピードで足を動かす。
「さぁ、喰らいなさいっ!」
エリザは両手に抱えた銀色のボールをバケモノ群れへと放った。まるで、風に乗って舞い上がった雪が再び地面へと落下するように、放物線を描く銀色のボールは薄明りの中でパッと煌めく。
その瞬間、雷鳴のごとき爆発音が轟く。衝撃波のような振動が空気を震わせ。オレンジ色の炎がバケモノたちを包む。肉を斬り裂くような音が響き、肩越しに振り向いたアリスは、その光景に思わず目が点になる。
「……え?」
アリスのそんな間の抜けた声は、天井のきしむ音によってかき消された。
エリザの放ったボール。あれは小さな爆弾だったのだ。しかもただ爆発するだけではない。中に仕込まれている小さな鉄の刃が一緒に飛び散り、バケモノどもをミンチへと変えているのだ。
魔王と戦った時までには見たことの無い攻撃方法。アリスは、再び並走しているエリザへと顔を向ける。すると、彼女は得意げな表情を見せていた。
「ふふ、びっくりした?」
「はい、いつの間にそんな技術を?」
魔術が想像力を形にするものだというのは知っている。が、想像にもなにかしらのヒントやルーツといったものがある。彼女はどこでそれを手に入れたのだろうか。
想像力というものは、年齢と共にどうしても浮かびにくくなる。そして、エリザはもうそれなりに“大人”である。ここまでの発想ができるとは、アリスは思えなかったのだ。
「その顔……貴女、失礼なこと考えてるわね? まったく……奥の部屋でこれの設計図を見たのよ。そんで、試しに使ったらちょっと強すぎたみたいで……」
「じゃあ、先ほどの爆発もエリザさんの仕業だったのですね。それで、あの大量のバケモノに追いかけられていると……」
アリスの声には呆れが混じっている。
「そうね。で、なんか、その爆発で……なんか、眠ってたバケモノがぜーんぶ起きちゃったらしいのよね」
エリザはそう言って、口を尖らせた。その表情は、まるで“私は悪くない”と言っているようにも見える。
あんな爆発が起こったにもかかわらず、バケモノたちの声は止まない。新たな個体が追いかけて来ているのだろうか。が、アリスは振り向かずに、もう目と鼻の先にまである上り階段へと駆ける。
今さっきの爆発でとうとう建物の耐久力がなくなったらしい。まるでドミノのようにいっせいに崩れ始めているのだ。むしろ、今までよく耐えたと思うほどだ。
「アリス、先に行きなさい!」
楽しそうな笑みを浮かべるエリザに、アリスはうすら寒いものを感じたが、コクリと頷き、狼の背に乗るシュティレを小脇に抱えると、再び階段を三段飛ばしで駆けあがる。
きっと、まだ何かをする気なのだ。巻き込まれては堪ったものではない。
十分、アリスたちが離れたのを確認したエリザは、両手いっぱいに抱えた“爆弾”へと視線を移す。その表情はまるでいたずらっ子のように無邪気さを浮かべている。そんな彼女たちの背後からは無数のバケモノたちが我先にと、追いかけてきている。
『ハヤク、ヤルベキダ。モウ、タテモノガ、モタナイ……シマノ、ジバン、モ、アヤウイゾ』
狼はそう言う。その声色の所々には愉悦の色を含んでいた。
「そうね、あぁ……楽しい時間ってのは早いものね」
エリザは名残惜しそうに両手いっぱいの爆弾を落としていく。そして、そのまま狼は急いで階段を駆け上る。その速さは閃光のようだ。
地上へと戻ったエリザ瞬間、最初とは比べ物にならないほどの爆発音が轟いた。二人を小脇に抱えたアリスは、戻って来たエリザを見つめた。その琥珀色の瞳には呆れが滲んでいる。
爆発音が地面洗響くたびに、島全体が大きく揺れ動く。同時に民家を中心に無数の亀裂が雷のように走る。島自体が危うい状態なのは明らかだ。
エリザは、狼に乗ったまま指を指揮棒のように振るう。すると、海上には突如として巨大な“鋼鉄のクジラ”が姿を現した。体の半分以上が海へと隠れており、全体像は不明だが、その大きさにアリスは驚いたように瞳を揺らす。
エリザは得意げな表情になると、指を振るった。すると鋼鉄のクジラは大口を開ける。まるで“乗れ”と言っているように。
「早く逃げるわよ。そろそろ、島が割れるわ」
エリザはそう言うが早いか、狼はトン、と飛びあがりクジラの口の中へと飛び乗る。アリスも続くように地面を蹴り上げ、クジラの口の中へと飛び込んだ。
クジラが口を閉じると、ほんのりと暗闇が辺りを包むが、それも一瞬のことだった。不思議なオレンジ色の明かりが内部を照らす。
アリスは眠るシュティレと気を失ってしまったエスティアを横たわらせた。すると、エリザは懐から紫色の液体が入った瓶を取り出し、エスティアへと中身を振りかけた。
「……ッあ」
紫色の液体は、まるでスライムのようにエスティアの傷口を覆う。が、彼女が小さく声を漏らした瞬間――パリン、という音と共に液体は砕け散るように消滅してしまった。
エリザは眉を顰めながら「やっぱりだめか」と呟くと、懐から緑色の液体入りの便を取り出し中身を振りかけた。すると、緑色の液体は、彼女の傷口を塞いだ。
だが、表面を塞いだだけで、根本的な治療はできていないようだ。証拠にエスティアの表情は険しい。
「普通の薬草も効きが悪いわね……シュティレが目を覚ましたら治療させなきゃ。とりあえず、エストは無事よ。後は、このクジラが帝国に着くまで休むといいわ」
「そうですか。よかった」
エリザの近くにある椅子に腰を下ろしたアリスは不思議そうに内部を見渡す。すると、周りには見たこともない箱のような物がある。
沢山の数字の書かれた文字盤の端を行ったり来たりしている丸いガラス盤。弦を弾いたような音と共に緑色の波紋が定期的にガラス盤に映る、箱。見たこともないそれに彼女は首を傾げる。それに、奥にある“赤いボタン”はなんのだろう。
見たこともない機械ばかりだ。エリザの横で眠る狼を一瞥した彼女は口を開く。
「これも、あの島でヒントを得たものですか?」
「そうよ。あの爆弾の近くにあったものよ……でも、あれを考えた人は生まれてくる時代を間違えたわね」
「それはどういう……」
アリスはそこまで言いかけて止まる。目の前から聞こえるスー、スー、と可愛らしい寝息。
疲れているのだろう、静かに寝息を立てるエリザに毛布をかけたアリスも静かに眠りへと落ちていった。




