36 強運とは必然
これは夢だ。そうでなければ、狂ってしまうほど、最悪な風景。
視線が低いということは、恐らく小さな時の記憶を、これは再生しているのだろう。見覚えのある景色は、かつては大好きだった景色。
魔物の襲撃があれど、それなりに平和な村は自然にあふれ、近所の女の子はいつも笑いかけてくれる。大好きな日常。
だが、そんな平和は、一人の人間によって壊された。
――目の前には、眼鏡をかけた細身の男性が、人懐っこい笑みを浮かべている。背が高いのに、猫背気味のそれのせいで、本来より身長が低く見えるのに加えて、気弱そうに見える。が、その姿に異様な恐怖を感じる。
彼は、何かを言っているようだ。だが、耳に水が入っているかのように、全く聞こえない。視線は首を傾げるように動かす。すると、そんな彼の隣に立っている夫婦は、困ったような笑みを浮かべていた。
どうして、誰も……この恐怖を理解してくれないのだろう。村の皆も……どうして、そんなホッとしたような表情をしているのだろう。
視界が暗転、次の風景が飛び込む。森の中を走っているようだ。小さな手足を必死に、動かして走っているようだが、疲れは感じない。まるで、誰かの視界だけを借りて観ているような気分だ。
でも、この視界の体の恐怖は、まるで自分のことのように感じられる。
体の持ち主が、走りながらも、肩越しに振り向いた。けれど、なにも無い。何故この体は走っているのだろうか。
持ち主が振り向いたのだろう。視界が再び戻った瞬間、黒い影が射し込み。
――大丈夫、怖がらなくていいよ。
そう言って、人懐っこい笑みを浮かべた男は、手を伸ばす。
そこで理解する。
あぁ、そうだ、この人から逃げていたんだ、と。
ハッと目を覚ました。
その瞬間、エスティアは口の中に大量に流れ込んできた、砂と海水に大きく咽た。
「ゲホッ……オエ……ッ。ウェッ、最悪なモーニングコール……」
しょっぱいと言っても、背に腹は代えられない。エスティアは海水で口内を支配する砂利に、ご退場を願うと、静かに立ちあがり、見回す。
運よく、島に流れ着いたようだ。木々の生い茂る風景を見ながら、エスティアは自分の周りに広がる砂浜も見渡した。が、エスティア以外に人はいないようだ。
エスティアの脳内に最悪な考えが浮かんでしまう。自分だけ生き残ってしまったのでは、と。そう思ってしまったら戻れない。
両手で自分の顔を覆い、指の隙間からなにも無い砂浜を睨みつける。その黄金の瞳は自分自身への憎悪で塗りつぶされていた。
どうしてこうなってしまった。どうして、守れなかったんだ。どうして、どうして、と。エスティアは、奥歯を噛みしめる。
「シュティレ……」
エスティアは、今にも泣きだしそうな表情で呟く。その声は悲しみと憎しみの色を浮かべている。が、その次の瞬間、彼女の体内に流れるシュティレの魔力が、疼く。それはまるで、“ここに居る”と、教えてくれているような感覚に、彼女は顔を上げる。
「っあ……あ……」
エスティアは、壊れそうな笑みを浮かべ、その瞳から一粒の涙を零した。憎悪を含んだ、その滴は、砂浜へと吸い込まれ、消えていく。
そうだ、どうして諦めかけていたのだろう。エスティアは、自分自身を殴りたい気分になる。諦めはすなわち――シュティレを信頼していない証だ。
一緒に旅をしているのだ。シュティレはあの時とは比べ物にならないほどの成長を遂げている。それに、あの子は運がいい。
「……くっそ……諦めるなんて、今の私らしくない……ッ!」
エスティアは、おもむろに海の中へと足を踏み入れると、浅瀬に突き出ていた巨大な岩へと、拳を振り下ろす。雷鳴のような凄まじい音が響くと同時に、頑丈な岩は、呆気なく砕け散り、破片が辺りに散らばる。強化は解けていないようだ。
傷一つない拳を見ながら、エスティアは嬉しさから微笑を浮かべる。魔力が流れているという事実。それのおかげで、シュティレを近くに感じ、心が折れる心配は皆無になったのだから。
「シュティレ、君を絶対に見つけ出して見せるからね」
だが、そうは意気込んでも、当てずっぽうに歩き回っても意味は無いだろう。まずは、この島の大きさと、生き物……できれば、人間などの住民の存在の確認。日が昇っているうちにやるべきだろう。
島の大きさは、歩いて一周すればいい。エスティアはすぐさま、周りに注意しながら砂浜を道なりに歩き始める。
「あー、くっそ……なんなの……砂浜がこんなに、歩きづらいなんて……っ!」
慣れない砂に、四苦八苦しながらエスティアが歩き続ける。無理もない。彼女は生まれてこの方、砂浜を歩いたことなんてなかったのだから。
そして、エスティアが苛立たし気に砂を蹴り上げた次の瞬間、彼女は何かの気配を感じ取る。咄嗟に森へと顔を向ける。
足音は聞こえないが、島の奥にある木々たちが、ザァ、ザァ、と大きく揺れると同時に、音も近づいて来ている。狙われていることは明白であろう。
エスティアは、静かに魔剣の柄を握り締め、体勢を低く構え、姿を見せるであろうソレを待ち構える。
十メートルはある木々があっさりとなぎ倒されている。敵は、おそらく巨大。まるで、はるか昔に居たドラゴンでも暴れているかのような。だが、それならどうして、足音の一つすら聞こえないのだろうか。
「……ッ」
一番近い木が揺れた瞬間。エスティアは、気味の悪さを吹き飛ばす様に柄を力いっぱい握りしめると――駆け出し、魔剣を振り抜いた。
目にも止まらぬ速さで振り抜かれ、漆黒の閃光を描いた刃。が、それは呆気なく――飛び出してきた純白の籠手に弾かれてしまう。
甲高い金属音が響くと同時に、エスティアは驚きの声を上げる間もなく――その腹部に強烈な蹴りが突き刺さった。
「ゴ、ハ……ッ!?」
まるで、鉄の砲弾でも腹に叩き込まれたような衝撃。ガリガリと、砂浜を削りながら、穏やかな海へと叩き込まれたエスティアは、巨大な水しぶきを上げた。
口と鼻から海水を飲み、大きくせき込む。すぐさま、猫の様に身を翻し、浅瀬で体勢を立て直そうとするエスティア。だが、彼女が上体を起こすよりも早く――
「ひ……ッ!」
純白の剣がエスティアの顔の真横へと突き立てられる。さすがに恐怖を感じた彼女は、思わず乾いた悲鳴を上げた。だが、あきらめる気は毛頭ない。
エスティアが魔剣を振り上げようとした瞬間、その右手を動かすよりも早く押さえつけられる。そして、その押さえつけた相手の顔が間近に迫った。
竹のすすけたような赤黒い色の髪がまず視界に入る。次に、人形のような無表情の中で輝く、琥珀色の瞳。そこでやっと、エスティアは、ホッと笑みを零しながら、魔剣から手を離すのだった。
「まさか……アリス……?」
「……エストさん、ご無事で何よりです」
アリスは、表情を変えることなくそう言うと、エスティアを立ち上がらせると、聖剣を鞘へと納める。
その無駄のない動作、一つ一つが機械じみていて、知らない人が見れば、その透き通るような容姿も相まって、人形だと思ってしまうだろう。
エスティアは、魔剣をしまい、また砂利だらけになってしまった口を海水で洗い流すと、向き直った。
「えっと……アリスも無事だったんだね、良かった」
「ご心配、感謝します。ですが……」
「わ、ちょ、な、なに……?」
突然、顔を近づけたアリス。お互いの鼻がぶつかりそうなほど近く、お互いの吐息がかかるほどの距離。ふわりと鼻腔を撫でる、澄み渡るような花の香りに思わず、エスティアは思わず、後ずさる。
すると、アリスは一歩、距離を詰める。エスティアが、もう一歩、後ずさろうとすると、アリスは彼女の両肩を力強く掴んだ。
琥珀色の瞳が煌めき。それはまるで、鋭い矢のように黄金の瞳を深くまで見通さんと、突き刺さる。
「あ、の……アリス……ッ」
「……どうやら、正常みたいですね」
「……え? なにを……言って……」
顔を離したアリスは、狼狽えるエスティアを見つめながら、口を開く。
「いえ、急に斬りかかられたので、てっきり、海水の飲みすぎで気が触れたのかと思っていました。先ほども、海水を飲んでいたようですし」
「いや! あんな近づかれされたら誰だって、警戒するでしょ!? てか、あれは、口をゆすいだだけだからっ!」
「……それもそうですね。失念していました。でも、あぁ、すれば誰かしら、来てくれるかと思っていたのですが」
アリスがやって来た方向を見ると、聖剣で切り開きながらやって来たのだろう。まるで、ドラゴンでも歩いた後のように、巨大な道が出来上がっている。そして大木は、綺麗な切り株となっている始末だ。
エスティアは、気を取り直す様に息を吐き出すと、口を開いた。アリスは少しズレているような気もするが、素直な子なのだろう。
「ねぇ、アリス。シュティレか、エリザを見なかった?」
「いいえ、見てませんね。私は、つい先ほど目を覚ましたばかりで……起きたら森の中だったので、捨てられたのかと思いました」
アリスの言葉に、エスティアはガツンと後頭部を叩かれたような衝撃で、瞳を見開く。それは、もちろん、無表情で紡がれた彼女の冗談ではない。
あの時、津波に攫われ、全員が離れ離れになってしまった。そうなった場合普通であれば、波打ち際である砂浜か、波打ち際で目覚めるのが普通だろう。だが、アリスは森の中で目覚めたと言った。
森の手前ならまだしも、“中”は異常だ。誰かが運んだか、アリスが嘘をついているという場合もある。だが、エスティアは彼女が嘘をついているという場合を即座に排除した。こんな場所で、嘘をつく理由を思いつかないというのが一番の理由だ。
「じゃあ、もう一個聞くけど……アリス以外の人はいた?」
「いいえ、居ませんでした。私を森の中に置いた犯人らしきものはおろか……生き物がいないのです」
「……んー?」
エスティアの言葉から読み取っただろうアリスは、そう答える。が、最後の一文に引っ掛かりを覚えたエスティアが唸りながら、首を傾げる。
「そのままの意味です。空を見上げようと小鳥はおらず、虫すらもいない。それに……あそこに倒れている木に触ってみればわかります」
「木? んなもん触って――え、なにこれ……?」
聖剣によって切り伏せられた大木に触れたエスティアは、黄金の瞳をこれでもかと開く。
見た目は完全な木。その触り心地は、“木”そのもの。だが、決定的に違うのは、この木からは、生命というものを全く感じない。
切り口はカラカラに干からびているのに関わらず、外見は、生命があることを主張させるように、葉も青々と茂っている。見た目だけなら、完全に模倣しているといえるだろう。
アリスは、森を見据えながら呟く。
「恐らく、ここは誰かが造った場所なのでしょう」
「わからない……けど……もしそうだとしたら、あんまり長居はよくないね。とっとと、シュティレとエリザを見つけて、こんな場所からはおさらばしよう」
「そうですね。ならば念のため、ここに目印を置いておきましょうか……本来の使い方ではありませんが、仕方ありません」
アリスはそう言って、エスティアに距離を取るように促す。聖剣を抜き、静かに構えた彼女の周りを照らす様に眩い光が集まり始める。
エスティアが十分距離を取ったのを確認すると、アリスは聖剣を天高くへと掲げ――
「剣よ指標となれ」
「うわっ、まぶし……っ」
いきなり、目の前がパッと、白む。エスティアは思わず、瞳を瞑る。そして、恐る恐ると瞳を開けば、そこには――天から降り注ぐように、降り立つ一本の巨大な剣が、砂浜へと突き立てられていた。見上げるほどの大きさのそれは、眩い光を放ち、煌めいている。
たとえ日中といえど、太陽のように輝く巨大な剣は、恐らく、この島であれば、どこに居ても、目印となるだろう。
アリスは、聖剣をしまい、エスティアへと向き直る。表情こそ変わらないものの、その琥珀色の瞳は、得意げに輝いていることに気付いたエスティアは、表情を緩め、そびえる巨大な剣をチラリと眩しそうに見つめ、呟く。
「すごいね、アリスって……こんな魔法を、ポンって出せるんだから」
エスティアが、アリスに教えを乞うたところで、恐らくできないだろう。以前、ノーヴェンに“炎属性”の魔法を見せてもらった時は、何となくではあったが、使えると思えた。だが、彼女の魔法は、全くできる気がしないのだ。
才能や、努力ではない。きっと、誰にも真似はできない。聖剣の担い手にしか許されない神の御業ともいえる技術なのだろう。
そして、それを会得しているアリス。例え、聖剣の担い手だからと言って使えるものではない。きっと、血の滲むような努力をしているに違いない。
「でも、大丈夫? 疲れてない?」
「え……?」
自然と、その言葉が出ていたエスティアは、眉尻を下げる。
「あ、いや……ただ、何となく……あんな、凄いことをしたから、魔力とか大丈夫かなって……」
しどろもどろにそう言ったエスティアは、気まずそうに瞳を伏せる。たかが、有志勇者に心配されるなんて、逆に不快に思わせてしまったかもしれない。
だが、どうやら、エスティアの心配は杞憂のようだ。アリスは特に不快に思った様子は見せずに、ジッと見つめたまま、答える。
「……私は、勇者ですから、平気です。それに、光さえあれば、魔力はほぼ無限ともいえるので、魔力に関しても平気です」
「そ、そっか……」
悲し気に瞳を伏せるエスティア。それを見つめるアリスは、やはり無表情。
「ですが……ご心配、感謝します。さぁ、早く行きましょう。夜になっては、探せるものも探せませんから」
「あ、うん……」
踵を返すアリスは、いつもの無表情に――嬉しそうな微笑みのようなものを浮かべていた。が、急ぎ足で、追いかけるエスティアが気付くことは無かった。
太陽が暖かい。だが、体を濡らす水が氷のように冷たく、体を震わせながら、シュティレは自分がうつ伏せで倒れていることに気付いた。その瞬間、急な息苦しさを感じ、弾かれるように起き上がる。
「ここは……」
目の前に広がるは巨大な森。奥は暗く、深いようだ。向こう側にあるだろうと思われる海岸を見ることはおろか、風を感じ取ることすらできない。
周りを見渡しても誰もいない。シュティレは、その瞬間、自分の体を抱きしめるように両腕を回すと、その場で身を縮めた。
そんな彼女の脳内を支配するは、“恐怖”と“孤独”。
「っあ……エス、ト……ッ。ど、どこ……?」
呼吸がうまくできない。まるで、自分の肺が、潰れてしまったかのように、息を吸い込もうとしても、すぐに苦しくなり、シュティレは自分の胸を抑えながら、ハッ、ハッ、と短い呼吸を繰り返す。
酸素が十分に体に行き渡らないせいで、シュティレは自分の手足の痺れと、激しい動機と不安で泣きそうになる。
「い……や……こ、わいよ……っ。エストォォ……ッ」
弱々しい声は、波の音にかき消され、自身の耳に届いたのかも、定かではない。シュティレは、どうにかして立ち上がろうとする。が、体は言うことを聞かず、その場にへたり込んでしまう。
シュティレは、声にならない声を漏らしながら、きめ細やかな砂を握り締めた。その瞬間、彼女は何と無しに横へと顔を向けた。
「――え、あ、な……ま、さか……っ」
太陽の光を吸収し、煌めく短めの黒髪。ぱっと見少年のような出で立ちだが、どこか少女のような雰囲気を携える彼女。見間違うはずがない。
大好きなシルエットは、いつものような優しい笑みを口元に携えている。そんな彼女は、微笑を浮かべたまま、小さく口を開き――
「やっと、会えたね」
そう言ってシュティレの頭を撫でた彼女の瞳は――美しい青緑色に輝いていた。




