32 あれは化け物だ、そうなんだ
真っ赤な水しぶきがまるで、噴水のようにあちこちで噴きあがる。これがただの色付きの水なら、その美しさに観衆たちは思わず見とれてしまっていただろう。いや、現に観衆たちは見とれている。
その飛び散った――血と臓物を呆気に取られた様子で。状況も理解できずに。
「ユニセス様ッ!」
状況なんて理解などしていない。だが、血が飛び散った、そのニオイを感じ取った。それだけで、自分の脅威判定を最大まで引き上げるには十分。呆然と立ち尽くすユニセスへと駆け寄ろうとしたエスティアを――
「おいっ! なにしてやがる!」
青年は弾かれるように、エスティアの腕をつかみ上げていた。それが右腕なことにエスティアは舌打ちをすると、黄金の瞳を鋭くさせ睨む。
動けなくなったエスティアを見ていたシュティレは、青年を鋭く睨みつけると、ユニセスへと駆け寄っていく。エスティアは内心でホッとしつつも、黄金の瞳は苛立ちを色濃く浮かべていた。
「お前っ! この状況が分かってないのか!? 早く自分の護衛に戻れよ!」
「そうはいかねぇ! この状況、お前が関係してるんじゃないのか!? 汚らしい魔剣の担い手がァッ!」
青年がそう叫んだ瞬間、エスティアの顔から表情が抜け落ちる。そして――
「うるせぇな……私の剣は……今はユニセス様の物だ。それを邪魔するのなら……ッ」
エスティアの体が光を帯びる。青年に掴み上げられた右手を強く握りしめ、拳を作り。
「黙って、そこで寝てな」
ゴンッ! と、掴み上げられたまま、エスティアは超人的な筋力で青年の筋力を打ち破り、その拳は青年の下顎を捉えた。青年はその強烈な振動に、脳が揺れ、そのままフラ、フラ、と地面へと倒れ込むのをエスティアは無表情で壁際へと蹴り飛ばす。
恐らく数時間は目を覚まさないだろう。エスティアは籠手を装着すると、ユニセスたちを探す。だが、それを遮るように一人の貴族が――彼女へと襲い掛かった。
「だ、だずげで……あががががが、ガガッ」
「な……ッ」
ゴムボールのような外見からは想像できないほどの速度で迫りくる男性貴族を、軽く受け流したエスティア。だが、貴族は人間とは思えない動きで身体を捻り、漆黒の籠手へと噛みついた。
ガキン、と貴族の歯は、漆黒の籠手に傷一つ付けられない。逆に自身の歯を砕かれる。加えて、体格からは無理のある動きにより、首筋の血管が破裂したのだろう、真っ赤な鮮血が吹きだす様に流れ出ている。だが、貴族はまったく痛がることはない。
「アガガ、ダズ、だズ、ゲゲゲで、で、で」
「このっ……放して……よっ!」
まるで狂ったように、噛みつく貴族を殴り飛ばしたエスティア。そのまま、後ずさるようによろける貴族の異常に膨張した腹部を蹴とばす。
ゴロゴロ、とボールのように転がった貴族は、逃げ惑う人たちを襲う貴族へと命中。まるでドミノ倒しのように狂った貴族たちが床へと転ぶ。が、すぐに起き上がり、再び、逃げ惑う貴族たちへと襲い掛かろうとする。
「まったく……なにが起こって――って! シュティレ!? なんであんなとこに!」
エスティアの視線の先には、襲い来る貴族からユニセスを守るシュティレの姿があった。
だが、狂っていようと人間に攻撃はできないのだろう。シールドを張り、近づいた敵には、シールドを振動させて吹き飛ばし、直接的な攻撃はしていない。
なぜ逃げないんだ、と出入り口に目線を向けて納得する。
防犯上か、何も考えていないのか、こんな大きな会場にも関わらず、出入り口が少なすぎるのだ。そして、我先にと押し合いをしているせいで、余計に逃げ遅れている。
エスティアはため息をつきたくなるのを抑えながら、軽く辺りを見回す。そして、出入り口近くの壁へと駆け寄ると、そこに魔剣を突き刺し魔力を流す。
漆黒の魔力は瞬く間に、頑丈な壁を劣化、腐食させ――巨大な出口を作り上げた。そして、近くにいた、怯え切った貴族の女性の首根っこを掴み、放り出す。
「こっちにも出口はあるッ! 早く逃げて!」
突然の怒号。狼狽える貴族を放り込みながら、エスティアはシュティレたちの方へと駆け寄ると、そのまま襲い掛かってきていた貴族たちを問答無用で殴り飛ばし、肩越しにシュティレへと振り向いた。
「シュティレ、よく頑張ったね。ユニセス様、お怪我はありませんか」
「わ、私は大丈夫だけど……」
「私も、平気で……ッ」
足を捻ったのか、立ちあがろうとしたユニセスは痛みに顔を歪め、立ちあがれない。
「ユニセス様……シュティレ、ユニセス様を連れて外に。他にもケガをした人が居たら治療して欲しい。私は、逃げ遅れた人の避難を済ませてから戻る。それまで、ユニセス様をお願い。いいね?」
「……わかった。気を付けて。絶対に戻ってきてね」
「任せてよ」
エスティアは、そう言って笑うと――駆け出した。
「あ、あぁ……た、たすけ……」
「イダイダイオ、イ、ヒヒ」
初老の貴族にへとにじり寄る、女性貴族。その顔は血まみれで、左右の瞳はグルグルとバラバラに動き、その口からは、ダラダラと血混じった唾液を垂らしていた。
エスティアの表情が苦虫を噛み潰したように歪む。
「あの、症状……まさか……」
駆け出していたエスティアは、その女性貴族の足を払い転ばせる。すると、立ち上がれないのか、その場でジタバタとひっくり返った虫のように蠢いている。エスティアは、そんな女性を一瞥すると、すぐさま振り向く。
「大丈夫ですか? 動けるようでしたら早くお逃げください」
呆気に取られていた男性は、ハッとしたように瞳を見開くと、真っ青な表情で立ち上がり逃げていく。エスティアは、それを追いかけようと下で蠢いている女性の背中を踏みつけ。
「お前の相手は……なっ!?」
エスティアは、言葉を失った。踏みつけていた女性の体がまるで、気の抜けた風船のように萎んでいたからだ。
足にはまるで中身のないブドウの皮を触ったような感触が走り抜けていた。骨、内臓、そんな感触を全く感じないことにエスティアは戦慄する。まるで、脱皮のようだ、と思った瞬間。
『イキキキ、シ、ネネ、シネ』
バラバラの音程だが、意味のある言葉を紡いでいることは明白。
エスティアは目の前に居る、血濡れてはいるが、全身が白濁した人間の姿を見つめる。まるで筋肉が剥き出しになっているような姿で、指は三本、顔にはあるべきパーツが無い。
まるで、生まれたての小鹿のように足を震わせている。そして目の前のソレは――笑っていた。
常人であれば、きっと恐怖していただろう。エスティアの表情に浮かび上がっていた困惑が、抜け落ちた。
『チ、チ、ガガガガ、デデデ、タタ、ススス、ケ』
「……その姿なら」
スっと、鞘から魔剣を引き抜いたエスティア。銀色だった鞘は、魔術が解けたことにより本来の禍々しい漆黒を取り戻し。まるで血が通い始めたかのように、巻き付いた鎖が深紅に染まる。刃も漆黒の滴を滴らせ、会場にまき散らされている血よりも、濃厚な血の臭いが辺りに広がる。
「遠慮はしない。来い、その首、斬り落としてやる」
『……イヒヒヒヒ、タタ、スス、ケケ、テ、テェェェェェエエエエエエッ!』
白濁したバケモノが、体についた血をまき散らしながら、三本のかぎ爪がついた手を大きく振り上げる。が、それが振り下ろされるよりも早く。一歩で、バケモノの懐へと入ったエスティアは、すれ違いざまに一閃。
トンっ、と、バケモノの背後に立ったエスティアは魔剣に付着した黒い液体を軽く振るうと、そのまま一瞥することなく、暴れる貴族のもとへと走り去っていく。
『イ、ア、ダ、シニ、ダグ……』
宙に舞ったバケモノの顔が、最後の言葉を紡ぎ終えることなく、その姿は――砂のように消え去った。
カチリ、カチリ。
それを皮切りに、まるで、私も私も、と言わんばかりに、狂った貴族たちは、肉体という殻を破り、バケモノへと変質していく。そして彼らは――一斉に産声を上げた。
バラバラの音程で放たれた産声は、空気を震わせ、会場に転がっているグラスをその音で破壊する。そして、突如として始まった、“誕生”という名のオペラは、人にも有害であった。
「ッあ、あぁ、アァァァァアアアッ!」
咄嗟に両耳を抑えたエスティア。それでも、完全に防ぐことはできず、キーンという耳鳴りと共に眩暈が襲う。
だが、そうして耐えられたのはほんの一握り。防ぎきれなかった貴族や、護衛騎士や勇者たちは、叫び声をあげ、顔中の穴から、血を噴き出し倒れていく。絶命しているのは火を見るよりも明らかだろう。
何とか防いだ貴族や勇者も、意識を失ってしまったのか、一人、また一人、と倒れていく。
数十体ものバケモノが、動き出す。そんなヤツラの目線の先には未だ、平気そうに立っている――
「はっ、死んだ奴や、倒れてるのには興味ないってか……」
エスティアは魔剣を構えた瞬間、白い閃光が横切る。
すると、バケモノの動きが一斉に、ピタリと、停止。理由は明白。そのバケモノたちには、先ほどまであったはずの頭部が――無くなっていたからだ。
「……え?」
エスティアは、唖然とした表情で固まる。
よく見れば、バケモノの切れ口は、まるで高温の熱で斬られた様に焼かれ、血が吹きだすことは無い。宙を舞うバケモノたちの頭部を目で追いながら、エスティアは“綺麗な殺し方”、と内心で呟いていた。が、すぐに彼女は現実へと引き戻される。
「これは、貴女の仕業ですか。魔剣の担い手よ」
純白に輝く剣の切っ先を、エスティアへと向けた少女は、冷たい声で言い放つ。エスティアの表情が、固まる。
竹のすすけたような赤黒い色に、銀色を加えたような色合いの髪。まだ少女の顔つきだが、その琥珀色の瞳はまっすぐに澄み渡り。純白の鎧は太陽のような温かさを兼ね備えている。
出会ったことなどなければ、見たこともない。だが、エスティアは人目でわかってしまったのだ。目の前の少女が、光の勇者一行の中心人物――光の勇者アリス。だということを。
「……っ」
魔剣の震えが体全体に響く。そして、エスティアは理解する。怯えているのだ。
あの魔剣が。聖剣という、とてつもない神聖さを帯びた光に。エスティア自身も背筋に感じたことの無い脅威を感じていた。
アリスは、怪訝をその琥珀色の瞳に浮かべながら、黄金の瞳を睨みつける。
「もう一度聞きます、これは貴女の仕業で――」
「あぶないっ!」
「なっ!?」
エスティアは突きつけられた聖剣の刃を掴み、アリスを自分側へと抱きしめるように引く。その際に聖剣の光が、漆黒の籠手の上からエスティアの手を焼き尽くす痛みが走るが、気にせず、魔剣でアリスの背後に迫っていた――銀色の一閃を受け止めた。
キンッ、と甲高い音が響く。
「お前……なんで起きてるの」
銀色の騎士は答えることなくニヤリ、と笑みを深くする。
そう、彼は、先ほどエスティアへと話しかけてきた青年騎士であった。だが、その顔つきは先ほどの理性ある殺意ではなく、まるで……あの農場で戦ったグリーガのように、殺意を放っていた。
エスティアはアリスを守るように、後ろへと隠すと魔剣を構えなおす。
「お前、気を失ってた筈……なんで」
「……どうでもいいだろ。魔剣の担い手、そこにいるアリスを渡せ」
青年の温度の無い言葉に、アリスが瞳を困惑に揺らした。エスティアは魔剣を構えたまま動くことは無い。
「嫌だね。私はこの子に用があるの」
エスティアがそう答えた瞬間、青年の首筋から――真っ赤な鮮血が吹きだした。
「え……?」
「え……?」
エスティアとアリスが同時に声を漏らす。
青年の首から上の皮が、まるで脱皮するかのように剥け落ちる。その下から顔を覗かせるは、白濁した肌にパーツの無い顔。だが、それは即座に、主を模倣するように、青年の顔を創り上げ、不敵な笑みを浮かべた。
『アリス、ワタセ』
「なにっ!? ぐあぁッ!」
ニタニタ、と笑みを浮かべたままの青年は、予備動作を見せることなく、エスティアの視界から消えると、その次の瞬間にはエスティアの肩口を深く切り裂いていた。だが、命を刈り取るつもりだった青年だったモノは舌打ちする。
『ハハッ、ヨケヤガッタナ。イイネェ……ソこデ、アッケニトラレテル。ヤツトハ、オオ、チガイダゼ』
「なんだ、お前、喋れるんだ」
『ヒヒヒ、オレハ、ユウしュウ、ラしイカラナ』
カラカラと笑うバケモノはそう言って、へたり込んでいるアリスに顔を向けた。アリスは唇を微かに震わせ、言葉を紡ごうとしているが、バケモノはうんざりとした表情で見つめる。
『ハッ、こレダカラ、ガキハキレェーダ。ナァ、アリす。オレハ、ムカしカラ……』
肩口を押さえながら苦し気な表情を浮かべるエスティアを、蹴り飛ばし、壁際へと追いやったバケモノは剣を肩に担いで、呟いた。
『オマエノこトガ、キライダッタンダ。タイしテ、ツヨクネェクセニ……セイケンニ、エラバレ。ズットオレガ、アこガレテタ、ユウしャニモナッテ……ニクインダヨ……ダカラ――しね』
「……っ!」
バケモノはそう言って、振り上げた剣を振り下ろした。が、その銀色の刃がアリスへと届くことは無かった。
咄嗟に目を閉じていたアリスは恐る恐る顔を上げれば。泣き笑いの表情を浮かべる青年の顔。それは、アリスがいつも見ていた“彼”の表情だった。
『にげ、ろ……ッ、あり、ス……ッ!』
「あ、あ……」
『た、のむ……にげロォォオオオオオッ!』
青年はそう言って、剣をアリスの隣へと突き刺した。そして、顔を上げた青年はもう……別のモノへとなり果てていた。
ニタニタと、口が裂けるほどの笑みを携えたバケモノは首を傾げる。その無機質な動きにアリスの表情が、少女から勇者へと変わった。聖剣が光り輝く。
そして、そんなアリスへとバケモノはもう一度、剣を振り下ろした。
「借りは返させてもらうよッ!」
『グァッ! キサマ……ッ!』
背後から、バケモノの肩口を魔剣で斬り裂いたエスティア。痛むのだろう、斬り裂かれた右肩を抑えながら、エスティアは荒い呼吸を繰り返す。そして、そんな彼女から流れ出た血を啜った魔剣が刀身に赤い葉脈のような物を浮かび上がらせ、歓喜に震える。
斬り裂かれたバケモノも痛みを感じているのか、よろめく。その瞬間、聖剣が輝いた。
「ハァァアアアアッ!」
アリスは立ち上がると同時に地面を蹴り上げ、まるで瞬間移動のようにバケモノの目前へと迫る。そして、そのまま聖剣を心臓へと突き刺した。
どす黒い血が、吹きだそうとするが、聖剣の光によって焼かれた皮膚からは黒い滴が滲み出るだけだった。が、刺さりが甘いようだ。バケモノがニンマリと笑みを浮かべ、アリスへと左手を伸ばす。
『ヒヒ、アマイゼェェェェエエエエッ! アリすゥゥゥゥウウウッ!』
「そうですね……ですが……っ!」
聖剣が光り輝く。それは、太陽のような熱量を持ち。バケモノの体を焼き尽くさんと、光を強め。
「これ以上、ヴォガンを汚すことは許さないッ! 剣よ斬り裂けッ!」
バケモノの頭上に突如として現れた、巨大な光の剣。
それは、バケモノを斬り裂かんと落下。だが、バケモノは即座にアリスから離れ、躱す。剣が落下した位置には巨大なクレーターが出来上がり、その際に広がった光波は周りの床をその熱で溶かした。
『ハッハー! イマノハころすツモリダッタナ? デモ、ホンキジャナイ。ソレニ、オマエノウゴキ、しッテイル。マダ、フンギリ、ツイテマイナ?』
バケモノの問いかけに答えることなく、アリスは隣で呆気に取られた表情のエスティアへと、視線を移し、声をかけた。
「貴女、戦えるのであれば手伝っていたただけますか?」
「……へ?」
「どんなに、バケモノとわかっていても、恐らく私だけでは倒しきれません。しかも相手は、私に剣を教えてくれた人です。私の癖なども知っているでしょう。それに、貴女はこの敵を知っているようだ……だから……」
エスティアは、アリスの横顔を見つめる。表情こそ無表情だが、その瞳が深い悲しみを訴えているのは、いつも人の顔色や瞳を見ていた、彼女はすぐに見抜いていた。
剣を教えてくれた、ということは、仲が良かったのだろう。そんな人に嫌いだと言われ、あまつさえ、本気の殺気を向けられたのだ。
そして、光の勇者といえど、シュティレと同い年位の少女。放ってはおけない。
エスティアは、そっと魔剣を構え、笑みを浮かべる。
「こんな、魔剣の担い手でよければ、よろこんで」
「……感謝します」
決意の篭った琥珀色の瞳。エスティアは、頷く。
魔剣の漆黒の魔力がエスティアを包む。その瘴気にかつてないほどの憎悪を感じ取ったアリスの体が震える。が、それに負けじと聖剣がかつてないほどの輝きを放つ。
漆黒と純白。相反する魔力を帯びた二人は同時に駆け出した。




