29 魔術師
暗い洞窟の中。眠るエスティアの頭を膝に乗せながら、シュティレは無言で見つめてくるエリザへと視線を向けた。この洞窟に逃げ込んでから、エリザは一言も喋らないことに首を傾げる。
エスティアは先ほどの一撃で魔力を消費しすぎたのか、苦しそうな表情で眠っている。本当であれば、シュティレは自分の魔力を彼女へと分け与えたい所だったが、“流石にお姉ちゃんの前でやるのは……”と考え断念した。
「お姉ちゃん……?」
「……」
シュティレの問いかけに対しても、エリザはバツが悪そうに瞳を伏せるだけで答えることは無い。眠るエスティアの頭を撫でながら、彼女は考える。ここまで落ち込んだ様子は見たことがない、戦う前とは正反対の様子に、シュティレは一瞬だけ“同一人物なの?”と、疑問に思ってしまうほどだ。
無言の時間が続く。シュティレは、エリザになんて声をかけたらよいかわからず、黙っていると、不意にエリザが伏せていた瞳を上げた。シュティレは、瞳を見開く。
「シュティレ……ごめん、なさい……」
エリザは、蚊の鳴くように声を震わせながら、そう言うと、宝石のように綺麗な紫色の瞳から、ポタリ、ポタリ、と滴が落下していく。だが、堪えようとしているのだろう。落ちたり、落ちなかったり、まるで疎雨のように降り注ぐ滴は洞窟の地面を濡らす。
その様子にシュティレは、目を白黒させながらエリザを見つめる。いつも自信に満ち溢れた彼女から流れる涙に目が離せなくなる。だが、エリザは彼女の反応など気にせず言葉を続けた。
「私……貴女に謝らないと、いけないことがあるの……」
「謝らないと、いけないこと……?」
シュティレは思い返してみたが、全く心当たりがないことに首を傾げる。だが、現に目の前のエリザは今にでも死んでしまいそうな表情で両手を地面についている。
「昔……貴女に教えた魔法……あれは……」
どこまでも暗い声でエリザはそう言うが、最後の一言がそれほど言いにくいことなのだろう。何度も口を開きかけては、閉じるを繰り返す。そして、それに比例するように彼女の瞳は影を濃くする。
シュティレはそんなエリザを見つめると、小さく笑みを浮かべ、口を開いた。
「お姉ちゃん、言って? 大抵のことはもう驚かないよ」
シュティレの言葉に、エリザは顔を上げる。その表情は悲しそうな、彼女の心の成長を喜んでいるような複雑な表情。エリザは思う。昔は泣き虫でいつも、姉であるリーベの後ろに隠れていた時とは違う。不安げだった青い瞳は強い思いを秘めている。
エリザはシュティレの膝で眠るエスティアを一瞥すると、静かに口を開いた。
「貴女に教えた魔法……ではなくてね――“魔術”なの」
「魔術……? あの、術式とかのやつ?」
シュティレが微妙な表情をしながら聞き返すと、エリザは「知らないのも無理は無いわ」と小さく笑う。
「魔術とはね、消滅させられた魔法。太古の昔に賢者が創った、魔法の基礎となったもの」
「魔法の基礎?」
「そうよ。魔術は呪文も必要としない、火や水と言った属性に囚われることもない自由を体現したような技術よ。それだけ聞けば、凄いと思うでしょ……でもね……」
エリザはそう言うと、悲し気に笑みを浮かべる。その表情にシュティレは小さく息を呑んだ。今にも消えてしまいそうなその儚げな笑みが、エリザの心の苦しみを訴えっているように見えたからだ。
「魔術を使える者が少なすぎた。強力故に、魔術には特殊な魔力が必要だったの。その魔力は遺伝でも継承でも受け継ぐことはできず。ランダムに授けられる。だけど、それを使える者はその中でもほんの一握り。通常は気付かないで生涯を終えることが多いの」
「ほんの……一握り……」
「そう、私は貴女に魔法だと言って魔術を教えてしまった。だから、貴女は今まで魔術を使っていた、ということになるの」
そこまで聞いたシュティレは首を傾げた。そんなに凄い技術が使えるはずなのに、なぜエリザは悲し気な表情をしているのか。表情から読み取ったのだろう。エリザがぎこちない笑みを浮かべる。
「魔術という技術にそこまでの危険性はないわ。ただね……魔術を使う者――魔術師の魔力に問題があるの」
「魔力? そう言えば、さっき特殊な魔力って言ってたね」
「そうよ。魔術師の魔力にはね強烈な中毒作用があるの……例えば、回復魔法や強化魔法を人にかけるとする。すると、そのかけられた人は、その流れ込んだ魔力の虜になってしまう……でもそれは適性がある人だけ、大抵は耐えられない。だから、それを危険視した神族の一人が“魔法”という技術を作り、人々に与えたの……そうして、魔術は安全性の考慮された術式魔術のみとなり、本来の魔術は歴史から消し去られたの」
エリザはチラリ、と眠るエスティアを見やり、シュティレへと視線を移す。その真剣な表情にシュティレは身を固くした。そして思い出すエリザに言われていた“人に使うな”という言葉を。
エリザは小さくため息をつくと、片手で顔を覆った。
「……因みに聞くけど、その子に何回、魔術を使った? あと、やってないと思うけど――直接魔力を流したりはしてないわよね?」
その言葉にシュティレはこれでもかと、肩を跳ねさせ、気まずそうに顔を伏せた。そして、ポツリ、ポツリ、と答える。
「その……回復とか強化で、か、数えきれないくらい使い……ました……あと……何回か、ちょ、直接流し込み、ました……」
顔を真っ赤にしながらそう言ってうつ向いたシュティレ。エリザはこれでもかというほどの太息を吐き出すと、エスティアへと視線を向けた。その瞳は心なしか哀れみを帯びている。
エリザはシュティレとエスティアが、ただの奴隷と主の関係ではないと、何となく感じ取っていたが、そこまで関係が進んでいたことに動揺が隠し切れなかった。
「はぁ……まさか、そんな関係だったのね……あぁ、これじゃあ、引き離すなんて無理だわ……」
「え……?」
エリザの言葉にシュティレは大きく瞳を見開いた。そして、エスティアを守るように抱きしめ、複雑な表情を浮かべるエリザを見つめる。
たった一人の家族であり、大切な存在。それはもう、今は亡き姉や、久々に会えたエリザよりもはるかに大きな存在となっているエスティアを、シュティレは絶対に失いたくなかった。無意識なのだろう。青色の瞳が鋭くエリザを射抜く。
「魔術師の魔力というのはね、適性がないと、その身を亡ぼす程危険な物なの。だから、最初は、その子を守る意味で引き離しと方がいいと思ってた……だけど……」
シュティレへと近寄り、その頭を優しく撫でたエリザはこれまでにないほど穏やかな笑みを浮かべ。
「ここまで強く想い合ってる二人を、私に引き剥がす権利はないわ。それに、今の貴女の幸せそうな顔見てたら、余計にできないわ。ごめんね、意地悪して」
言った通り、魔術師の魔力はその特殊性ゆえに、耐えられる者がとても少ない。大抵は、初めてその魔力を摂取した瞬間に体が耐えられずに、その魔力に命を喰い尽くされてしまうのだ。だから、最初の方こそは二人を一刻も早く引き離すべきだと考えていた。
だが、エリザは先ほどの戦闘で気付いた。恐らくエスティアが何度も耐えたことにより、その体自体が変質したおかげで、シュティレの魔力に適応したのだろう。そして、体に馴染んだシュティレの魔力は、魔剣の魔力がエスティアを支配するのを塞き止めていることも。
エリザは小さくため息をつく。
「ねぇ、シュティレ。これだけは約束して――絶対にあの子を見捨ててはダメよ。それが、あの子を虜にした代償なのだから」
紫色に輝く瞳がまっすぐにシュティレを見つめる。魔術師の魔力に耐えらる人間なんて稀有な存在。奇跡にも等しい出会い。だが、その代償は計り知れない。
魔力に囚われた人間はその魔力から逃れることはできない。永遠に死ぬまでその魔力を摂取し続けなければならず……それはある意味、頑丈な鳥かごに囚われ、甘美な餌を与えられることでしか生きられなくなってしまった、哀れな小鳥。
力の篭った声でそう言われたシュティレは、小さく息を呑み、まっすぐにエリザを見つめ返す。元々エスティアを見捨てる気など毛頭ないシュティレの瞳はどこまでも澄んでいる。
「見捨てるわけない。確かに、私の魔力のせいでエストに取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない……だけど……それを代償なんて思わない。魔力なんて関係なしに、エストを虜にしてみせる。だって――エストのことを愛しているから」
「……そう」
ハッキリとそう言い切るシュティレ。昔より大人びたその表情は、姉であるリーベにそっくりなことに、エリザは言いようのない悲しみの波に襲われる。そして、思ってしまう“私とリーベもこんな、奇跡のような関係だったら”と。エリザは、シュティレの頭を撫でながら、決断する。
「シュティレ、貴女には話さないといけないことがある――貴女の姉、リーベの最後について」
「え……? 姉さんの……最後……?」
シュティレの脳裏に浮かび上がるは、弱々しく笑って逝った最愛の姉の笑顔。シュティレが考える限り、幸せに終わりを迎えた筈。だが、目の前のエリザはそんなことを否定するように、暗い表情で瞳を伏せ、地面へとついた手は震えている。
「……私がリーベを……殺したの」
「……え? な、何言って……姉さんは……病気で死んだんだよ? お姉ちゃんは、姉さんを治そうとしてくれたじゃない……それを、こ、殺した、なんて……変なこと言わないでよ……」
シュティレは狼狽えながら、ぎこちなく口角を上げた。
「確かにリーベは病にかかっていた……だけど、あれは薬で治る程度だったの。だけど……あの時、いい気になっていた私は、魔術の危険性を知っていたのに、リーベなら平気だからと言って……魔術を使ったの……」
「そ、んな……っ」
「結局、リーベは魔力に耐えられず、その命を喰い尽くされた……そして、どんどん弱っていくリーベを見ていられなくなって、怖くなった私は……逃げたの……最低よね……シュティレ、本当にごめんなさい」
そう言ったエリザは、両手で顔を覆い、小さく嗚咽を漏らした。話を聞いていたシュティレは、言葉を失う。だが、実感を得られないのか。全く怒りを感じないシュティレは、そっとエリザの肩に手を置く。
ビクリ、とこれでもかと体を震わせたエリザは、恐る恐るシュティレを見つめる。
「確かに、姉さんを殺したことは許せそうにない……だけどね? 私は、もっと許せないことがあるの。姉さん、最後に言ってた“最後にエリザに会いたかった”って……この意味わかる?」
普段は優し気な声色からは想像できないほどの、冷たい声にエリザは瞳を見開く。深い悲しみに満ちた海を漂うように揺れる怒りの船。シュティレは、姉の最後に恋人が居なかったことが、どうしても許せなかったのだ。
シュティレは、エリザが口を開くよりも早く、畳みかけるように言葉を続ける。
「どんなに私が泣きわめいても、姉さんはずっと貴女を呼んでいた。でもずっと私は……きっと事情があるんだって自分を納得させてたのに……ッ! 怖くて逃げた? ふざけないでよ」
シュティレは、その手に風の剣を創り上げると、その刃を項垂れるエリザへと向けた。
「姉さんは、姉さんはっ! きっと来てくれるって……ッ、待ってたんだよ……それなのに、それなのに……」
「……返す言葉もないわ……今も昔も……私は臆病者だから……怖いことからはすぐ、逃げ出す。今だって本当は逃げたい……けど……ッ」
エリザは顔を上げ、凍てつく風を纏った剣を正面に捉えながら、シュティレを見つめる。
「これだけは逃げちゃダメだって思った。でも、許されるなんて思ってない……でも、もし……貴女が罪を償うチャンスをくれるというのなら――」
一呼吸置いたエリザは向けられた、風の剣の刃の部分を掴み、自分の心臓へと切っ先を向けさせた。突然のことで、シュティレは驚愕の表情を浮かべる。
シュティレの風の剣は、ただの剣ではない。彼女の心を現す様に燃えるようで、しかしそれでいて、夜風に吹かれる氷原の如く鋭い風を纏った刃。
その刃は、躊躇なくエリザへと牙を立て、その掌を凍り付かせる勢いで傷つけ、赤い滴が剣を伝い、硬く冷たい地面へと落ちる。
「私の命を貴女に捧げたい。私の心はもう、あの子に捧げてしまったけど……私の全てを貴女の為に使わせて欲しい」
「お姉ちゃん……」
「どんなことがあろうと貴女を守る。そこに居る子と一緒に、シュティレ、貴女を守ることをどうか……」
エリザは縋るような視線でシュティレを見つめた。紫の瞳が揺らめく。
シュティレは、暫く黙ったままエリザを睨みつけるように、見つめ返していたが……フッと、風の剣を消し去り――微笑みを浮かべた。
「じゃあ、一つだけ約束して? 全部終わったら、一緒に姉さんに会いに行こ?」
「シュティレ……ッ」
エリザが小さく頷くと、シュティレは満足げに頷いた。
冬が終わる。そして、そして、そして、春風、春の息吹、命を呼ぶ風が吹く。温かく、全てを包み込んでしまいそうな優しさを纏った風は……




