03 さぁ、平和な生活は終わり。剣を取りなさい
「な、なに……が……」
奴隷商人であれば必ずは嗅ぐであろうニオイ。もう、すっかり嗅ぎなれた血の臭いに彼女の表情からは、感情が抜け落ちる。ゆるゆる、と入らない力で、ドアを全開にすれば、濃いニオイが鼻腔を突き刺し、着ていた服の繊維の奥深くまで染み込み、それは体に染みついてゆく。
あまりにも、非現実的すぎて、吐き気すら起きない。脳内を埋め尽くす“そんな、まさか”
彼女はフラフラ、とおぼつかない足取りで、中へと入り――
「ま、まさか……」
いつもだったら、子どもたちが走り回る。白い大理石のタイルは真っ赤に染まり、その中央には一人の少年が横たわっていた。
見たくない。いやだ。やめて。心の中の自分が悲鳴を上げる。この正体を知りたくない、認めたくない。
だが、彼女の願いを壊す様に、雲に隠れていた月明かりが、横たわる物体を照らし――その姿を鮮やかに彼女へと叩きつける。
――淡い水色の髪は、所々が赤く染まり。天竜族の力を使ったのだろう、その頭部から生えていた象徴である角が根元から折られ。握りしめられていた銀色の剣は、彼を守るように粉々に砕け散り。彼の左腕はなくなっていた。
「そ、んな。オリ、バーなの……?」
へたり込むように、彼の体を抱き上げれば、その体はもう冷たく。大好きだった髪色と同じ色をした“瞳”は無残にも抉り抜かれ、ぽっかりとあいた穴に、彼女の嗚咽が吸い込まれてゆく。体中には噛みつかれたような無数の傷があり、まだ乾ききっていない彼の血が彼女のシャツを染め上げる。
「そんなっ、なんでっ……いやだよぉ。オリバァァァッ」
もう、彼が笑う姿を見ることも、彼が成長した姿を見ることも――できなくなってしまった。
エスティアは、もう何も言わない、動くことのない彼をきつく、きつく、抱きしめ、その頬に優しく口づけを落とす。
「オリバー、大好きだよ」
タイルへと寝かせた彼にそう呟いたエスティアは、体中から吹きあがりそうになる怒りを必死に抑え込みながら、大切な家族を見つけるべく階段を三段飛ばしに駆け上っていく。
どうか、一人でもいい。無事でいてください。もし、神様がいるのなら、この希望ぐらい叶えてくださいと、普段願わない神に縋りながら、彼女は二階の大部屋へと向かう。
「あぁ、そんな……」
広間に入れば――二人の少女が寄り添うように息絶えていた。
「レイ……」
綺麗な紫と緑の瞳は彼同様に抉り抜かれ、火炎族の象徴である赤髪は魔力と生命力を使い果たした証拠に、その色は酷くくすんでいる。
そして、なによりも――彼女は衣服を身に纏ってはいなかった。それだけで、エスティアは、その瞳を憎悪でいっぱいにする。
彼女の頬に口づけを落とし、彼女を壁へともたれかかせる。
「グレース……」
猫の獣人である彼女も、レイと同様に衣服を身に纏っておらず。いつも、大事そうに毛づくろいをしていた、美しい黄色の毛並みの猫耳と尻尾は、毛皮だけ剥ぎ取られ、むき出しになったそこは見ているだけで胸が締め付けられる。
そしてなによりも、彼女は生きたまま毛皮を剥ぎ取られたのだろう、その表情は耐えがたい苦痛を物語っている。
レイと同様に、彼女の頬へと口づけを落とし、目を瞑らせ、彼女の隣へと運ぶ。
「ごめんね……ごめんっ」
寄り添うように眠る彼女たちに、自分の上着をかけたエスティアは今にも壊れてしまいそうな悲愴に満ちた面持ちで呟く。謝ったって、彼女たちが許してくれることは無い。もう――話すことは叶わないのだから。
だが、彼女は謝らずにはいられなかった。そうしなければ、心が壊れてしまいそうなほど、彼女は、これを行った犯人と自分自身に憎悪でいっぱいだったのだから。
ゴンッ!!
エスティアは広間から出た瞬間――目の前の壁を勢いよく殴りつけた。痛みと血が滲み、ツーッと涙の様に流れ出た彼女の血液が壁を伝い、カーペットへと吸い込まれてゆく。歯が砕けそうなほど強く噛みしめた口からは、彼女の吐息が漏れ出る。
「いったい、誰が……ッ!」
彼女の問いに答える者はいない。
確かに奴隷に人権がないとはいえ、少なくとも、こんな目に遭っていい子たちではない。エスティアは憎悪と悲しみでおかしくなりそうになりながらも、三階階を登り――みんなの部屋が並ぶ場所へとゆっくり歩いてゆく。
「お願い……二人とも、無事でいて……ッ」
せめて、二人は生きていて。そう願い歩く。いつもよりやけに長く感じる階段にエスティアは不安を隠せない。怖い。怖い。怖い。
三階へとやってきた彼女を出迎えたのは、濃い血の臭いだった。彼女から、本当の意味で表情が抜け落ちる。まるで、処刑場にやって来たような気分だ。
辺りの壁に飛び散った血飛沫を頼りに、彼女は月明かりでほんのりと明るい廊下を歩く。
そして、見えてきた一番奥――シュティレの部屋の前には、剣を構えたまま、一人の少年が立っていた。そんな彼の本来左腕がある部分は空白となっている。
「あ、あ、あぁぁぁ……ッ、そんなっ、そんなっ!」
何度も転びそうになりながら、エスティアは彼へと駆け寄った。
シュティレの部屋を守るように立つ彼の瞳に光はなく、剣を構えた手は彼女が目の前に居るにもかかわらず、生きているかのように微動だにしない。そっと、鬼のような形相で立ち尽くす彼の頬へと手を伸ばせば、ほんのりと温かい。
「フェ、ルター……」
彼女が彼の名前を呼んだ瞬間――まるで、張り詰めていた糸が切れるように、彼は剣を落とし、彼女へともたれかかるように倒れ込んだ。咄嗟に彼を受け止めた彼女は、その瞳に涙を貯める。
温かいはずなのに、彼からは濃厚に“死の臭い”が張り付いたように、鼻腔をかすめ、彼が生きていないことは明白だった。体中はオリバーとは比較できないほど、深い傷が刻まれ、右腕だって今にも千切れてしまいそうだ。
「ごめんっ、ごめんっ……私は、私……ッ」
もう動かない彼を抱きしめながら、エスティアが呟いていると――
カタン。
それは、彼女の部屋から響く。耳を澄ましていないと聞き逃してしまう音ですら、彼女の耳にはしっかりと届いており、警戒心と小さな希望を胸に抱く。
フェルターを壁へと寄りかからせ、頭を優しく撫でながら、彼の頬へと口づけを落とし。彼女は、目の前の部屋のドアノブへと手をかける。
緊張で、口が乾き、鼓動の音が酷く耳障りに感じる。敵だったらどうしよう。彼らのもとに行けるのならいっそのこと……無意識のうちに、半笑いの表情で彼女は扉を開けた。
「……スト……こ……いよ……」
――部屋の隅。こちらに背を向け、小さく何かを呟く少女。
緩やかに波打つ金髪は月光を反射し、朝見た時と同じ服装。見間違いではない。エスティアは瞳が零れ落ちんばかりに目を見開き、蚊の鳴くような声で呼ぶ。
「シュ、ティレ……なの……?」
だが、彼女は答えることなく、壁に向かって、同じ言葉を繰り返す。
「エスト、たすけて、こわい、こわい」
「――シュティレッ!」
四つん這いになりながら、彼女へと駆け寄ったエスティアは彼女を抱きしめる。
だが、彼女は反応しない。
「こわい、こわい、エスト……エスト」
「シュティレ! 私はここに居るよ!帰って来たよ!」
「こわい、こわい。やだ、やだ」
エスティアは彼女を無理やりこちらを向かせる。だが、彼女は生気を失った瞳で、同じ言葉を紡ぎ続けるだけだ。エスティアの瞳から涙が零れ落ちそうになる。
もっと、早く帰ってきていれば。今日、出掛けなかったら。そんな、たとえ。万が一といった“もし”が彼女を埋め尽くすが、首を横に振る。そんなもの、意味なんてない。
気を取り直し、エスティアは彼女の強く肩を揺するが、彼女はこちらを認識してはくれない。どうすれば、彼女が気づいてくれる? 不安に押しつぶされそうになったエスティアは一つの妙案を思いつく。正常であれば、中々思いつかないが、今の彼女に正常という言葉は欠片も似合わないだろう。
彼女の顔を確認するように頬に両手を添え――
「シュティレ、ごめんっ」
彼女の言葉を奪う。
ここに居るよ。私はここに居るから、と伝えるように。エスティアは彼女を押し倒さん勢いで、唇を彼女へと押し当てる。
たった数秒のそれは、彼女に気づいて貰うには十分だったようで。シュティレの大きな瞳から、ポタリ、ポタリ、と大きな滴が零れ落ち、エスティアのシャツを濡らしてゆく。
もう、大丈夫だろうと、エスティアが体を離そうとした瞬間――
「行かないで……」
「え――」
シュティレは、エスティアに飛びつくような勢いで抱き着き、首筋に顔を埋める。グリグリと暫く体温を確かめるようにしていた彼女が顔を上げ、驚きの表情を浮かべているエスティアをじっと見つめる。
その、憂いを帯びた表情にエスティアは見つめ返しながら。やっぱり彼女の瞳は綺麗だなと考えていた。
「エスト……」
いつもとは全く違う、不安げな声色でシュティレは彼女の名前を呼ぶ。すると、彼女は返事をする代わりに、その黄金の瞳を揺らしていた。
二人の顔が自然と近づき――再び、二人は吐息を合わせた。
生きていることを確かめるように。もっと、貴女の体温を感じさせて、生命を、私の中に刻み込んでほしい、今だけは、私だけの貴女に。シュティレの瞳からは止めどなく、涙が流れ落ち、背中に回された腕は自然と彼女を離さんと言わんばかりにきつくなっていた。
暫く続けていると、シュティレは安心したような微笑みを浮かべながら、眠るように意識を手放した。
「ごめん……」
その一言は誰に向かって呟いたのか。きっとそれは、彼女自身もわかっていないだろう。
シュティレをベッドへと寝かせたエスティアは、そっと、部屋を後にした。
三日月が薄く浮かび、東の空からは月を捕まえようと、太陽の光が顔を覗かせ始めていた。
「みんな……」
暗い表情で立ち尽くす彼女の目の前には四人分の、粗末な墓が並んでいた。
そこら辺に転がっていた大きめな石を建てただけの、彼らには到底似合わない墓石に彼女は申し訳なさでいっぱいになる。
そんな彼女の隣には、ドロドロに土で汚れたスコップが置かれている。本当だったら、神父様を呼んで、ちゃんと導いてもらわなきゃいけないのに。崩れ落ちるように、墓の前へと座り込んだエスティアは、一本の鞘に収まった剣を宝物の様に抱きしめ、目を瞑る。
ごめんなさい、守れなくて。ごめんなさい、あなた達のために涙一つ流せない薄情者で。ごめんなさい、ごめんなさい。ふわりと吹いた風はエスティアの頬を撫ぜ、通り過ぎてゆく。
「エスト……」
コートを着たシュティレは、無言で墓石を見つめ続ける彼女の隣へと腰を下ろし、彼女が抱きかかえる剣を一撫でした。
「夢……じゃ、なかったんだね」
「ごめん……もっと、早く帰ってきていれば……ッ」
悔しそうに拳を握り締めるエスティア。そんな彼女に視線を移しながら、彼女は静かに首を横に振った。
「きっとエストがいても、なにも変わらなかった、と思う。死体が増えてただけ……」
「……そっか」
「エストが弱いって言ってるわけじゃないの――それだけ、相手が強かった、それだけ」
そう呟いた彼女は、コートのポケットから、一枚の布切れのようなものをエスティアへと手渡した。
所々、血がついたそれには、王冠を被ったイルカのようなシルエットに魔法陣のような幾何学模様が描かれている。
「これは?」
「よくわからない。でも、フェルターがアイツのだって、エストに渡せって…ッ」
嗚咽を漏らし、顔を俯かせたシュティレを彼女はそっと、抱きしめる。フルフル、と震える体は温かく、自然と彼女の表情は柔らかいものへと変わり。
「シュティレ、君だけでも――生きていてくれてよかった」
自然と出た一言。
もし、全員。いなくなっていたら、私は躊躇なく、この命を捨ていただろう。守れなかった自分を永遠に許す気はないが、それでも、この言葉を彼女に伝えなくてはと。
安堵しきった笑みでそう言いながら、シュティレの頭を優しく撫でる。
「私、わた、し……っ!」
まるで、ダムが決壊するように、彼女の瞳から大粒の雨が降り注ぎ、まるで、赤ん坊の様に彼女は声を上げてその悲しみを吐き出した。
エスティアはそんな彼女をただ、黙って、強く抱きしめるだけだった。
全部出してしまえ、悲しみも、憎悪も、全て。
それは、私が拾うから、君が笑えるのなら、その全てを拾い集めるから。だから、泣けない私の代わりに……そう心の中で呟いたエスティアの瞳は酷く暗く揺らめいていた。
暫く、エスティアの胸元で涙を流していたシュティレが、ゆっくりと顔を上げる。その表情は、まだ晴れ切ってはいないこそ、落ち着いたように、いつもの笑みを気まずそうに浮かべている。
エスティアは、そんな彼女を見つめ、意を決するように、小さく息を吐き、口を開いた。
「シュティレ、私、許せない。家族の……来るはずだった未来を、潰したヤツを、必ず」
スっと、細められた黄金の瞳は暗く。自分の喉から出た声なのかと驚くほど低く、憎しみに塗りつぶされた声。だが、彼女はジッと聞いてくれる、シュティレへと言葉を続けた。
「必ず殺してみせる。生きていることを後悔させてやる。だから――一緒に来てほしい。危険な目に遭うだろうし、きっと楽な旅じゃないだろうけど、それでも……」
黙って微笑みを浮かべる彼女の瞳をまっすぐに見つめ。
「守るから、こんどこそ、絶対に……だから、どうか――私と永遠に一緒に居てくれませんか」
本当だったら、有り金全部渡して、メイコスに預けることだってできる。きっと、その方が私なんかと一緒に居るより遥かに安全だろう。なんたって、元とはいえ、騎士団長を務めていたのだから。
でも、エスティアはきっと、彼女から離れられない。
「エスト……」
シュティレはエスティアの頬に片手を添え、微笑む。
「離れって言っても、離れないよ? いいの?」
「離さないから、どんなことがあろうと、君だけは守る。だから、弱い私を支えて欲しい。頑張って強くなるから」
「うん。私も強くなるよ。貴女と皆の為に」
そう言って二人は小さく笑いあった。
荷物をまとめた二人は、再び墓石の前に立っていた。
「レイ、グレース、オリバー。行ってくるよ」
「いってきます」
三人の墓石を優しく一撫でしたエスティアは、フェルターの墓石の前に立つ。その手には、銀色に輝く剣が握られていた。
太陽の光を反射し輝くそれは、美しく、エスティアは思わず微笑んだ。傷だらけなのに。
「フェルター。君が守ってくれたシュティレは必ず守るよ」
そして、エスティアは銀色の剣を高く掲げ――
「この剣に誓うよ。必ず、みんなの仇を取って、帰って来る。それまでは、この屋敷で……待っててよ」
傷だらけの刃を一撫でし、鞘へと納めたエスティアは振り向く。
さぁ行こう。剣は持った。ならやることは一つ。
すべては憎き仇の為に。
彼女たちは、一歩を踏み出した。




