102 ただいま
サラサラと草原が波打ち、降り注ぐ星々と共に蜂蜜色の空が割れ始め、破片がパラリ、パラリ、と降る。それは別れの合図だ。二人に寄り添うようにしていたエスティアはそっと二人から離れる。
悲しみを表す深い青色へと変化した左目に二人は小さく微笑み、エスティアを抱き寄せた。その温かさは薄れつつある。
「エスティア、貴女は強い子よ。でも、人生というものはツラい物が付きもの。そんな時は、一人で悩まず大切な人に遠慮せず言いなさい。きっと、貴女が頼ってくれることを彼女も望んでいるわ」
「お母さん……うん」
温もりに包まれエスティアは声を震わせ返事をする。
「エスティア、またお別れだが……うーんと遅く来い。最後の一秒まで世界を楽しんでこい。大切な家族と大切な時間を沢山過ごすんだぞ」
「お父さん……うん。私、いっぱい世界を見るよ……家族と一緒に」
体を離し、真正面から両親の顔を見やったエスティアは精一杯の笑顔を作る。それは、余りにも酷い笑みだ。涙を我慢しているせいで唇は震え引きつり、その両目からは今にでも雨が降り出してしまいそうだ。
握り締めた拳は骨の形が浮き出ている。それを見た二人はポンっとエスティアの頭へと手を置き、微笑んだその時――
「エスティア」
背後からフワリと優しい声がエスティアの耳を撫ぜた。顔を上げれば、エスティアの背後を眺める二人は目を細めて微笑んでいた。
体ごと振り向いたエスティアはほぼ反射的に表情を緩めた。その視線の先には、シュティレが立っている。優し気に笑う彼女。おそらく、迎えに来てくれたのだ。
そうだ、帰らなきゃ。エスティアは一歩踏み出して、振り向く。だが、そこには――誰もいなかった。まるで、最初から誰もいなかったかのように、崩れかかる蜂蜜色の空と舞い散る黄金の草原がそこには広がっている。
柔らかい風がエスティアの髪を揺らす。その時、懐かしいニオイが鼻をかすめ、反射的に顔を動かしその香りを追った。だけど、やっぱりそこには誰もいない。
黄金の瞳が流れ星を映し出し、青緑色の左目が黄金の草原を反射し煌めく。エスティアは小さく息を吐き出す。そして、崩れる蜂蜜色の空から顔を覗かせるいつもの青空へと手を伸ばし――
「今度、ちゃんと私の大切な人を紹介しに村に帰るから、待っててね」
返事は聞こえない。だが、エスティアはまるで返事が聞こえたかのように頷く。そして、ゆっくりと振り向き笑顔を浮かべた。
「シュティレ、帰ろっか」
「うんっ」
二人が手をつないだその時、蜂蜜色の空がガラガラと崩れ落ち、いつもの青空が広がる。黄金の草原は光の粒子となって消え去り、青々とした草原が芽吹く。
懐かしさに満ちた風は影を潜め、新しき世界を祝うかのような爽やかな風が吹きつける。二人は世界を照らす太陽と青空を仰ぎ、手を伸ばす。そして、大きく開いた掌を太陽へと翳した。
もう、この世界にエラーやフェイクはもういないだろう。確証はないがわかる。エスティアは自分の中に流れる温かさを感じるように空へと翳していた手を自分の胸へと持っていく。
トクン、トクン、と脈打つ心臓。だが、その音をどこか寂しげに感じたエスティアは自分の中を流れる魔力が無くなっていることに気が付いた。
試しに魔力を呼び出そうとしても、まるで最初からなにも無かったかのようにうんともすんともいわない。ずっと手を繋いでいるシュティレが気付き、首を傾げる。
「どうしたの?」
「ん? いや、なんでもないよ」
両目をなんどかパチクリさせたエスティアは視力になんの問題が無いことを確認すると、心配そうに見つめるシュティレへと微笑む。
「ねぇ、シュティレ」
「な、なに……?」
いつの日にか見た真剣な表情。まっすぐすぎる彼女の眼差しに射抜かれたシュティレは自分の心臓がドキリと跳ねるのを自覚し、思わず頬が紅潮する。黄金の右目とわずかにピンクがかった青緑色の左目は優し気に細められている。
そっとエスティアの手が伸びシュティレの頬へと触れる。壊れ物でも触るかのように伸ばされたそれへとシュティレがすり寄れば、嬉しそうにエスティアの指がピクリと動く。
「シュティレ」
フワリととろけるような笑みを見せるエスティアは噛みしめるように一言。
「愛してる」
ザァ、と風に乗って耳を撫でるその声色はあまりにも甘ったるく優しく、砂糖菓子のようだ。じんわりと溶けるように吸い込まれたその言葉を理解するのにシュティレは時間がかかった。
だが、理解してしまえば早い。心臓が大きく跳ね、体は熱を持つ。どこまでも心地よい熱に浮かされたかのようにシュティレは薄く微笑み、頬に触れているエスティアの手へと自分の手を添える。
触った彼女の手は驚くほどの熱を孕んでいる。よく見れば顔も真っ赤だ。てっきり余裕だと思っていた彼女にシュティレの心にどうしようもないほどの愛おしさが滝のように押し寄せた。
「エスティア」
名前を呼べば、彼女は嬉しそうに微笑む。その表情から、彼女はこれから自分が何を言われるかわかっているようだ。シュティレはフワリと撫でるように吹く風に後押しされるように自然と口を開き――
「愛してる。この世界で誰よりも、貴女が好きです」
風が吹く。温かい風が。
エスティアとシュティレは何も言わずに顔を近づけ、口づけを交わした。
鋼鉄の鳥の背に乗り、空をかける一行。
見下ろす世界は青々としており、命の風が吹く。世界へと散った黄金の魔力が世界に命を吹き込んでいるのだ。
エリザはその光景を見ながら、シュティレと共に眠りこけているエスティアへと視線を向けた。気持ちよさそうに眠る彼女からは、もう以前のような禍々しい魔力などは感じられない。隣に座っているアリスも彼女の魔力が視えなくなっているようだ。その表情は気まずそうに歪んでいる。
「世界を守る代償に全ての魔力を失うなんて……」
「そうね。……でも、彼女にはその方がいいのかもしれないわね」
エリザの言葉にアリスは表情を緩め「そうですね」と答えた。それに、全ての魔力が消えたわけではないようだ。アリスの瞳には彼女の体からチラリと一瞬だけ魔力が漂うに気付き、そっと見なかったことにする。
「もう、彼女に戦う力は必要ありませんもんね」
キュッと腰に収まる聖剣の柄を握る。復讐を終え、ついでに世界まで救ってしまったのだ。もう、これ以上彼女に戦えなど誰が言えるだろうか。これからは、穏やかな日常を過ごしてもらわなければ。
だから、もし彼女たちの日常を壊す者が現れた時は……アリスは空に輝く太陽へと手を伸ばす。そして、眠る二人へと顔を向ける。その表情は真剣だ。
「これからは、私が貴女たちの日常を守ってみせますから。勇者としてではなく、こんな私を仲間と……家族と呼んでくれた私として」
噛みしめるように呟き伸ばしていた手を自分の胸へと持っていき祈るように瞳を閉じた。その様子を眺めていたエリザは小さく息を吐き出し輝く太陽を眩しそうに仰いだ。
鋼鉄の鳥が翼をはためかせ、速度をグン、と上げる。行先はシャールの城だ。アリアナに全てを報告しなけらばならない。そして、これからどうするのかも話さなければいけないなとエリザは呑気に命が芽吹く地上を見下ろす。
「エリザ」
「あら、エスト。起きたの? そのまま起きないのかと思ってたわ」
緑色に変わる大地を眺めていると、名前を呼ばれたエリザは肩越しに振り向き軽口を飛ばす。魔力を回復するために深い眠りについているシュティレの頭を優しく撫でながら軽く肩を竦めるエスティアは案外平気そうだ。
まぁ、魔力という存在が体から無くなってしまったのだから、体の疲労しかないのだろう。若干眠たげな瞳のせいで少し幼く見える彼女にエリザは“なんだか可愛いわね”と心の中で笑う。隣で振り向いていたアリスも似たようなことを考えているようだ。その表情は柔らかい。
「シャールに向かってるんだよね?」
「えぇ、そうね。もう、エラーがいないことを報告しないといけないし、この世からは魔王はいなくなってしまったからその報告もしないといけないし。色々とやることはあるのよ英雄さん」
エリザが僅かに笑みを見せると、エスティアは気まずそうに頬を掻く。
「それなんだけどさ……シャールにはさ、二人で行ってきてくれないかな?」
その一言にアリスは不思議そうに首を傾げる。だが、エリザは表情を変えることなく諦めたように太息を吐き出す。
「はぁ、なんとなくそう言うと思ってたわ。別にいいわよ」
「ありがとう。それでね、もう一個お願いがあるんだけど……アリアナに伝えておいてよ。私たちのことは心の中にしまっておいてって」
その言葉にアリスは弾かれるように噛みつく。
「それは! 貴女たちの活躍が永遠に闇に葬られるということですよ! いいのですか!?」
エスティアは満足げに頷く。だが、アリスは納得いかない。心の中にしまえとはすなわち、彼女たちがやったことが大衆に知られることはないということだ。
「貴女たちは世界を救った英雄だ! それだけのことをしたのだから祝福されるべきです! しまっておけだなんて……なら、誰が世界を救ったというんですか……っ!」
「アリス……」
「だって、だって……確かに貴女たちは復讐のために戦いに飛び込んだのかもしれない。……だけど、貴女たちという存在は私では救えなかった人々と世界を救ったんです……っ! それなのに……っ」
握り締めた拳が震える。悲しみと怒りの混ざったそれはグチャグチャで、アリスはうまく言葉を紡げない自分を呪う。彼女たちの功績は永遠に残すべきだ。それほどのことをしたんだ、と。
黙って聞いていたエスティア。その眼差しがあまりにも優し気でアリスはグッと口を引き結ぶ。伸ばされた彼女の手が黄金色に輝く髪を撫でる。
「アリス。君の気持ちはすごく嬉しい。ありがとう……勇者って言い張っても根っこは薄汚い奴隷商人の私を英雄と呼んでくれて」
「そんなこと……っ!」
「だからね」
アリスの言葉を優しく遮ったエスティアが微笑む。今にでも消えてしまいそうな儚げな笑顔。それにギュッと心臓が掴まれてしまい、彼女の瞳から目を離せなくなる。このまま見ていると吸い込まれてしまいそうだ。
そんなアリスの考えなど知るよしもないエスティアはポン、ポン、とアリスの頭に手を置く。
「世界の英雄なんて似合わない。でも、君たちが英雄と呼んでくれるなら――君たち家族の英雄で十分だよ」
「エストさん」
「だから、ね? お願い」
エスティアはアリスの頭を撫でながらエリザへと顔を向ける。紫色の眼差しは穏やかだ。エスティアは思う。もう、勇者としての自分はお終い。これからは、ただのエスティア・リバーモルとしてのんびりと人生を大切な家族と過ごすんだ。
そのために、目立つことは避けたい。そんな考えはお見通しだろう。エリザは軽く指を振るう。すると、鋼鉄の鳥が一声鳴き、急降下を始める。
「エスト」
前を向いたままエリザが名前を呼ぶ。その声色は聞いたことがないくらい澄んでいて優しい。エスティアはそっと、眠るシュティレを抱き上げる。ぐっすり眠っているために起きる気配はない。
「また、近いうちに会いに行くわ」
「うん。待ってる」
地面がある程度近づいてきたエスティアはすぐに飛び降りれるように踵を返す。その時、立ち上がったアリスがエスティアの背中へと寄りかかるように額をつける。
じんわりと温かくなる背中に思わず振り向きそうになるが、エスティアは緑色の草原がさざめく大地を見つめたまま彼女の言葉を待つ。
「やることを終えたらまたすぐに会いに行きます。だから、また……私の頭を撫でてください。名前を呼んでください」
そう言うと同時にアリスは優しくエスティアの背中を押した。トンっと鋼鉄の鳥から飛び降りたエスティアは口元に笑みを浮かべると、そのまま降り立つように地面へと着地する。
その頃にはもう、鋼鉄の鳥ははるか上空へと上昇し、数回エスティアの上を旋回すると、そのままシャールの城がある方角へと消えっていた。それを見送るように天を仰いでいたエスティアは久々に感じる空気を思いきり吸い込んだ。
体感としては一年。だが、いつの間にか五年もの月日が流れてしまった。
「……変わらないね」
ザァザァ、とそよぐ風はあの時と全く変わらない。ここはエラーなどに狙われなかったのだろうか、全く変わらない景色にエスティアは疑問と安心をその顔に浮かべると、そのまま歩き始めた。
暫く歩くと、ずっと腕の中で眠っていたシュティレが小さく声を漏らし、瞳を開ける。まだ、完全に脳が覚醒していないのようだ。
ボーっとエスティアの顔を見上げているシュティレへと彼女は笑いかける。すると、ふにゃりとシュティレは笑い返す。が、ずっと寝ぼけられていては困る彼女はそっとシュティレへと顔を近づける。
「――んぅっ!?」
触れ合う唇。柔らかく甘い感触を味わう間もなく離れるエスティアは真っ赤になって固まっているシュティレへと声をかける。
「体は大丈夫?」
「え、あ……うん」
「よかった。もうすぐ家に着くからね」
シュティレはその言葉が脳に届くや否や、弾かれるようにエスティアの腕から飛び降りる。が、まだ体が本調子ではないせいでよろめく。そこをすかさずエスティアが彼女を抱き留め支える。
「ありがとう」
「どういたしまして」
エスティアの手がシュティレの手を握る。ギュッと握られたその手。シュティレは嬉しそうに表情を緩めギュッと握り返す。
そんな二人の目の前にはいつの間にか見慣れた館の門がある。その奥にはあの日から変わることない姿でいる館。そして、その館の端には石をを立てただけの粗末な墓が見える。
あぁ、やっと帰ってこれた。同時にそう考えながら、二人は少しさび付いた門を押し開く。
ギィ、という音が響き門がゆっくりと開く。二人は顔を見合わせ同時に一歩踏み出す。そして、同時にこう言った。
「みんな、ただいま」
「みんな、ただいま」
その声に答えるように春の陽気が二人の背中を押す。二人はその風に後押しされるように館へと入って行くのだった。
有志勇者となって勇者に復讐します。の番外編である短編集を作りました。まだ、話数は少ないかもしれませんが、少しずつ話を増やしていけたらと思っていますのでどうぞよろしくお願いいたします。
「有志勇者となって勇者に復讐します。短編集」https://ncode.syosetu.com/n0611ft/




