101 ずっと会いたかった。もう会えないと思っていた
最愛の両親に抱きしめられながら、エスティアは気持ちよさそうに目を細め、二人の体にすり寄る。温かくて、大好きな香りが体を包んでくれる。
ずっと、この時間が続いたらどんなに幸せなことだろうか。エスティアはそう考えて小さく首を振った。そっと、抱きしめる二人から離れると、寂し気に微笑む二人を見る。
「お母さん、お父さん」
言葉が震える。もっと、話したいことがある。もっと、抱きしめて欲しい。だが、ダメだ。黄金の草原がさざめき、風が頬を撫でていく。
二人は無言で見つめる。そんな二人の瞳がどこまでも深い愛に満たされていることがわかっているエスティアはグッと唇を引き結ぶ。
「エスティア」
大きな手がエスティアの頭をポン、ポン、と軽く叩く。ゴツゴツとしていてとても時計職人の手とは思えない。が、彼の手はいくつもの素晴らしい時計を作り上げているからか、その叩き方は思わず眠くなってしまいそうなほど優しく繊細だ。
彼は懐かしむように目を細め、サラサラとエスティアの頭を撫でる。
「大きくなったな」
「……うんっ」
たった一言、それを言われただけなのにエスティアの両目に涙が溜まり視界が歪む。
「どうだ、ちゃんとご飯は食べているか? 一人で大丈夫なのか?」
「ご飯は大丈夫だよ。安心してよ、私は一人じゃないから」
眉尻を下げ、不安そうに聞く彼にエスティアは自信満々に返す。すると、彼の隣に立っている母がエスティアの肩へと手を置く。
「幸せそうでよかったわ。もしかして、あの時一緒に家に来た子と暮らしているのかしら?」
「え!? なんで、知ってて……あ、そっか見ててくれたんだ。そう、あの子はね――私の大切な人なんだ」
幸せそうな声と表情で言い放たれたその一言に二人の表情が凍りつく。エスティアが不思議そうに首を傾げれば、二人はズイッと顔を近づけた。その眼差しは真剣だ。
「大切な人ってことはあれか!? 時間をささげたのか!?」
父はそう言うと母もうんうんと頷く。
「え、あ、うん……でもね、まだちゃんと返事を貰ってないんだ」
ポリポリと照れくさそうに頬を掻くエスティアの顔はわずかに赤くなっている。そう、あの村で言ったはいいが返事を貰う前に色々と起きたせいでうやむやになってしまっているのだ。
返事はわかっている。だけど、彼女の口から聞いてはいない。エスティアの顔を見つめた二人は微笑を浮かべる。
「そうか、じゃあ、もう一回捧げないとな!」
「え?」
彼の言葉に首を傾げる。
「だって、ちゃんと返事を貰っていないのでしょう? なら、もう一度、やり直せばいいのよ。今度は勢いではなく、しっかりと場所や時間を選んで最高の時に」
「お母さん……そう、だよね。あの時は勢いに任せたところもあったし……そっか、最高の時間と場所か……」
「ふふ、本当にその子のことを愛しているのね」
その言葉にエスティアは顔を上げる。黄金色の瞳と青緑色の瞳がキラキラと輝く。
「もちろん。あの子……シュティレのことを愛してるよ」
暫く話していると、不意に父が暗い表情で見つめていることに気が付いたエスティアは首を傾げた。彼はハッとしたように瞳を見開くと、気まずそうに笑って口を開く。
「……ずっと、心配していた。エスティア、お前にはツラい思いさせてしまった、と」
ポツリ、ポツリ、と彼の言葉が草原のさざめきに吸い込まれていく。
「お前を守れなくてごめんな。バカで弱いお父さんでごめんな」
「お父さん……」
今にも泣きそうな顔で口元を歪める彼は見ているこちらのほうが悲しくなってしまいそうだ。その隣に立っている母も同じような表情でいる。エスティアは“やっぱり、ずっと一緒にいると似てくるのかな”と呑気な考えが浮かんだ自分に笑う。
二人は穏やかな雰囲気でいるエスティアに気付くと、不思議そうな顔へと変える。
「お父さん、お母さん。そんなに悲しそうな顔しなくても平気だよ。あの時、確かに私はあの目のせいで捨てられたんだって思ってた」
「そんなことするわけないっ!」
エスティアの言葉にすかさず母は言い返す。その表情は悲痛と自分への怒りで満たされている。エスティアは初めて見る自分の母の表情に少し驚いたが、言葉を続けた。
「うん、わかってる。あの時の私は不安と恐怖でなにも考えられなかったけど、村に帰って、私の時計を見た時にすぐわかったよ。お父さん、お母さん……」
そっと二人の手を取ったエスティアは太陽のような笑顔を二人へと向け――
「私を愛してくれてありがとう。私、二人の子どもで幸せだよ」
噛みしめるように紡がれた言葉が二人へと届くと同時に、二人は弾かれるようにエスティアを力いっぱい抱きしめた。
ポタリ、ポタリ、と抱きしめた二人の瞳から零れ落ちた滴がエスティアの頬を流れ落ちていく。
「そんなこと、俺たち……お父さんとお母さんだって……ッ!」
「そうよ。エスティア、私たちの可愛い天使。貴女を愛さないわけがないわ。私たちだって」
エスティアの顔をまっすぐに見つめた二人。その表情は大好きで大好きでたまらない笑顔が浮かんでいる。
「私たちの元に生まれて来てくれてありがとう。私たちに貴女という幸せをくれてありがとう」
そう言って二人はもう一度力強くエスティアを抱きしめたその時、エスティアの背後から声が響いた。
蜂蜜色の空から降り注ぐように流れる星々を見上げたエリザは届くはずないとわかってはいても手を伸ばさずにはいられなかった。
なぜ、手を伸ばしたんだろう。手を伸ばさなければと思ったからだ。さらさらと体を撫でていく風が心地よく懐かしい。エリザがフーっと息を吐き出したその時だった――
「なぁにため息なんかついて。幸せ逃げちゃうわよ」
「――なっ」
その声に振り向いたエリザは限界まで目を見開き言葉を失った。見間違うはずがない。シュティレより少し背が高く、肩につかない程度までに伸ばされた少し薄目の金髪。そして、こちらを見つめる青色の瞳は夏の空が反射した海のような煌めきを放っている。
あまりの衝撃で言葉どころか、今自分が息をしていることすらわからない。そんなエリザの隣へと腰を下ろしたリーベはクスリと笑う。
「驚きすぎて声も出ない?」
「……えぇ、それはもう心臓が止まりそうなほどね」
「フフッ。エリザ……元気にしてた?」
その言葉にエリザは「まぁ、元気ね」と返して空を見上げた。
「エリザ、シュティレのことありがとね」
「え……? 何言って、私は貴女の大事な妹に危険な―――んっ」
深刻な表情で言い返すエリザの言葉をすかさずリーベが奪い取る。久々の柔らかい感触にエリザは嬉しさと懐かしさに思わず頬が緩み紅潮する。だが、それは瞬きのような出来事だ。
フワリと顔を離したリーベは微笑む。エリザはそんな彼女の笑顔から思わず顔をそむけた。すると、リーベはエリザの両頬を掴み無理やり顔をこちらへと向かせる。
「謝らないで」
「でも……」
「いーの。今回は貴女に会いに来たんだからっ」
野に咲く花のように素朴でいてどこか儚げな笑顔にエリザの心臓がこれでもかと締め付けられる。きっと、今、昔のことを謝ったとしても許してはくれないだろう。おそらく、余計に怒らせるのがオチだ。
それがすぐにわかったエリザは“やっぱり、叶わない”という言葉を飲み込んだ。
「私に会いに来てよかったの?」
心にもない言葉。エリザはわずかに視線を逸らしそう言うと、リーベはムッと口元を歪めた。
「あー、そういうこと言うのね。せっかく勇気出して会いに来たのに……エリザは私に会いたくなかったの?」
エリザの肩に寄りかかったリーベはそう言って彼女の横顔を眺める。そっと、紫色の瞳に手を伸ばせばエリザは気まずそうに彼女を一瞥し空を見つめたまま答える。
「会いたかったに決まってるじゃない。ずっと、ずっと、貴女のことばかり想ってた……」
隣に顔を向けたエリザ。その表情は泣きそうな微笑み浮かべていた。ギュッと握られた手は離さないと言わんばかりに力強く、リーベも無意識に強く握り返す。
「リーベ、私が貴女を忘れることは永遠にないわ。それほど、貴女は私の世界に入り込んでるの」
「……私の考えはお見通しだったんだ。魔術っていうのは人の心の中でも見えちゃうのかしら」
「魔術にそんなものはないわ。貴女の顔見たら何となくわかったの。だって」
ムギュッとリーベの頬をつねったエリザは不敵に笑う。
「貴女、ずーっと笑顔が硬いもの。いつもは私を見るなり太陽のような笑顔を見せてくれる貴女がそんな顔してたらすぐに考えてることなんて分かるわ」
「はぁ、エリザには叶わないわね……そうよ、本当は貴女に会いに来る気なんてなかった。だって、貴女は私なんか忘れて新しい人生を歩いて欲しいって思ったから……でも」
今にも泣きそうな子犬のような顔をするエリザの頬を撫でそこに口づけを落としたリーベが微笑む。
「貴女には私がいないとダメなのね」
「そうよ。だから、ずっと近くで私を見てなさい」
二人はそう言って小さく吹きだす。ゆっくりと近づく二人の顔。風が囁くように二人の間を通り抜けていく。
「エリザ、好きよ。大好き」
「えぇ、私もよ。愛してるわ、リーベ」
瞳を開ければそこには黄金の草原と蜂蜜色の空が広がっていた。金木犀のような流れ星が絶えず空を駆け巡り、春の陽気のような秋風のような温かくていて寂しげな空気が体を撫でていく。
息を吸えばその寂しさに侵されてしまったかのように涙が零れた。グシグシと雑に拭ったアリスは自分が鎧を纏っていないことに気が付く。
腰を見れば聖剣もない。だが、不思議と危機感はなかった。きっと、この世界を取り巻く空気と魔力が聖剣と似ていたからだ。
「ここは……昔、村長が話してくれた“死後の世界”みたい」
どこの誰が描いたかもわからない絵を見せてくれた村長の話を思い出す。その絵には今目の前に広がっているような風景が描かれていた。
内容は確か、死んだ人間は全てこの草原に降り立ち、当てもなく歩く。すると、自分の生前好きだった場所や人がいる場所を見ることができる。
「とういうことは、私は死んでしまった……?」
そう考えて、話の続きを思い出す。確か、世界を変えてしまうほどの強大な魔力同士がぶつかると、普段交わる筈のない二つの世界が交わることもある。そうなれば、生きていても死後の世界に足を踏み入れることができる、と。
突然の光に包まれはしたが、あれで死んだとは思えないアリスは蜂蜜色の空から降り注ぐ星々へと手を伸ばす。届きそうだが、当然届かない。
「これが、死後の世界……なら、会えるかな」
そう言って、首を横に振る。今、会ったところでなにを言えばいいかわからない。
「……他の人もいるはず」
迎えに行ったほうがいいだろうか。いや、それはやらない方がいいだろう。おそらく、皆会いたかった人と再会を果たしているだろうから。
「それを、邪魔する権利なんて私にはないわね。きっと、エストさんは家族と再会しているだろうし、エリザさんもきっと会いたい人に会っているはず。シュティレだって亡くしたお姉さんにあっているかもしれないし……やっぱり、おとなしくこの世界が見えなくなるまで待っていた方がいいか」
そうと決まれば早い。アリスはその場に寝ころび空をボーっと眺める。こんな姿を他の人が見たらなんていうだろうか。
きっと、エリザは「意外ね」と言うだろう。シュティレは「気持ちよさそうだね」と言って隣に座るだろう。そして、彼女は……
「エストさんは黙って隣に寝ころんでくれそう」
それがすぐに想像できたアリスは一人笑う。いつも優しく、一歩下がったところから人を見ているようでいつの間にか先頭へと立ち、手を引いてくれる大切な……大切な、なんだろうか。
「戦友? いや、何か違う。エストさんは戦いが嫌いなのだから、戦友は少しおかしい気がする……ならば、仲間?」
そう呟き、胸がさざめく。仲間でもないのなら、なんなのだろう。うーんと唸りながら、考えたその時、アリスの脳裏にシュティレの姿が浮かんだ。
「あぁ、そうか……そういうことか、私はエストさんのことをもう家族のように思っているのか」
位置づけするなら、頼りになる彼女は姉だ。楽しそうに自分の姉のことについて話すシュティレの姿を思い浮かべながら、口角を上げる。
「ふふ、帰ったらシュティレに話してみようかな。エストさんのような姉が欲しいって。そしたら、なんて言うだろうか、笑ってくれるかな」
そんなことを一人喋っていると、アリスの耳に声が響く。
――アリス。
呼ばれた彼女は振り向き、驚きに瞳を見開いた。




