99 突き立てよ神の牙を
虹色の雨が降り注ぐ。それが毒を纏っていることなど、エスティアの右目がすぐに教えてくれたことにより、すぐにわかる。シュティレの手を引き、すぐにその場から飛び退き躱す。
雨が降り注いだそこは城の残っていた床を跡形もなく溶かし、腐臭のようなものが立ち込める。ドロドロと生ものが腐ったようなそれにエスティアが顔を顰めたその時、シュティレがポツリと呟く。
「エスティアの目はこう見えてたんだね」
「え……?」
その言葉にエスティアが振り向く。その姿に思わずみほれそうになった。虹色の雨を見ながらシュティレが噛みしめるようにそう言って微笑む姿があまりにも美しかったから。
だがすぐに気を取り直し、エスティアは表情を強張らせる。まさか、アレが見えるのか、と聞き返そうとして、エスティアは彼女の体を守るように漂う黄金の魔力を見て納得する。
おそらく、彼女の魔力が視えるようにしてくれているのだろう。エスティアは降り注ぐ雨と翼をはためかせコチラをジッと見下ろすドラゴンを見据えた。
その表情は実に幸せそうであり、戦いに赴く人間の顔とは思えない。そんな彼女の姿にシュティレもフワリと幸せを噛みしめる。
「綺麗でしょ?」
「うんっ、とっても」
剣を構えたエスティアがその言葉が聞こえると同時に駆け出す。シュティレは即座に指揮者のように手を動かす。すると、天へと向かう氷の階段がエスティアの前へと現れる。それはドラゴンまで向かう道だ。
エスティアは飛び乗るように三段と飛ばしで氷の階段を駆け上がる。ドラゴンが駆け上がって来る彼女を階段から吹き飛ばそうと大きく翼をはためかせる。だが、彼女はまるで風など受けていないかのように駆け上がる。
理由は簡単。シュティレがその風を魔術で打ち消しているからだ。気づいたドラゴンは大きく息を吸い込み高く飛びあがり剣を振り上げたエスティアへと大きく口を開く。
鋭い牙が並んだ口から吐き出されるは全てを飲み込むほどの黒に塗りつぶされた炎。チリチリとした熱とザラザラとした砂の感触が体を撫でていく。このままでは、その炎によって焼き尽くされるかその砂によって体を木っ端みじんに引き裂かれるかもしれない。だが、エスティアの顔に恐怖は全く浮かんでいない。冷静に剣へと魔力を流す。黄金色に輝きを放つ剣が風を巻き起こす。
「斬り裂けェェェェェエエエエエエエエエエエッ!」
剣と炎がぶつかる。だがそれは一瞬。すぐに黄金色に輝く氷の剣が炎を切り裂く。ドラゴンはもっと火力を強めようと大量に炎を吐き出すが――
「凍りつけッ!」
『――ゥァァァッ!?』
吐き出された炎が凍り付く。炎を伝ってそれは喉まで凍り付いたのだろう。ドラゴンは声にもならない呻き声を上げる。エスティアは今だといわんばかりに魔力を放出し落下速度を上げ、氷を砕きながらドラゴンへと迫る。砕けた氷がまるで雪のように辺りへと降り注ぐ。
「ッァァァアアアアアアアッ!」
その顔面へと剣を振り下ろす。凄まじい音と衝撃波が轟き、空気が震える。だが、ドラゴンの顔には傷一つかない。エスティアは喉が潰れるほどの咆哮を上げる。すると、彼女を包み込む黄金の魔力が眩いほどの輝きを放ち煌めく。その姿はまるで黄金の炎のようだ。
黄金の炎がドラゴンへと食らいつく。その次の瞬間、黄金の炎はドラゴンの白濁した透明な肌を焼き始めた。ジリジリと溶かす様に燃えていく顔面にドラゴンが苦しむように咆哮を上げ、激しく首を振る。
「――うわっ」
さすがにこれを防ぐことのできないエスティア。吹っ飛ばされ宙へと投げ出されてしまう。すかさず体勢を立て直すと、シュティレの作ってくれた氷の土台へと降り立ち、今だ黄金の炎によって顔が焼かれ続けているドラゴンを見下ろす。
叫び声を上げ続け首を激しく振り続けどうにか炎を消そうとしているようだ。エスティアは静かに剣を構えると、一気にドラゴンへと落下していき――すれ違いざまにドラゴンの片翼を根元から切り落とした。
『ィィィィィアァァアアアアアアアァァァァッ!』
斬り落とされた片翼と共に地面へと落下したドラゴン。ズシンという音が轟く。
だが、まだエスティアの攻撃は終わっていない。着地と同時に踵を起点に振り返ったエスティアはそのまま両足で跳躍。弾丸のような速度で撃ちだされた彼女は、そのまま地面で暴れているドラゴンの片翼を滑るように斬り落とした。
血のように黒い砂が噴き出し、ドラゴンが叫び声を上げる。まだ燃え続けている黄金の炎がドラゴンの白濁した肌を溶かし、ボトリ、ボトリ、とまるで解けたロウソクのように地面へと溶けた皮膚が落下し、消滅していく。
トンっとシュティレの隣へと戻ったエスティアは溶けた顔でコチラ睨み、吠えるドラゴンを冷たく見据えた。さすがにずっと燃やし続けるということはできないようだ。溶ける顔と共にチラ、ホラ、と黄金の炎が花びらのように舞い散り消えていってしまう。
シュティレは隣へと戻ってきたエスティアの背中へと軽く手を当てる。トンっと温かいその温度にエスティアはフワリと表情を一瞬だけ緩めると、すぐさま真剣な眼差しで口を開いた。
「やっぱり、アイツの心臓を砕かないと……でも、今のままじゃ」
唇を噛みしめるエスティア。装甲の薄い翼部分は斬り落とすのは容易だった。だが、この剣でも傷一つ付かない頭部を見るかぎり、胴体も同様の硬さだたと考えるのが普通だ。むしろ、心臓がある胴体の方が硬い可能性だってあるのだ。
貫けるのか。不意にそんな考えが浮かんだエスティアはすぐさまソレを振り払うように首を振った。貫けないわけがないという考えを無理やりひねり出したその時だった。そっと彼女の手をシュティレが握る。
「シュティレ……」
「一人でやろうなんて思わないで。私がいるよ」
キュッと握り締められた手が熱を持つ。エスティアは「そうだね、わかってる……でも」と言って瞳を伏せた。
「だいじょーぶっ! 私が何とかしてあげる」
「え……?」
自信に満ち溢れた笑顔。エスティアは瞳を大きく見開く。すると、シュティレは楽しそうにカラカラと笑って彼女の頬に手を添える。
不安など全く感じさせない青色の瞳がエスティアの顔を移す。キラキラとエスティアの黄金と赤紫色がかった青緑色の瞳を反射し煌めく彼女の瞳にエスティアは思わず“私たちの子どもができたらこんな色の瞳の子が生まれたらいいな”と考え、思わず吹き出してしまう。
そんな考えを知るよしもないシュティレは突然噴き出すエスティアを怪訝そうに見つめる。
「むぅ、真面目な話してるのに……」
「ごめんごめん。まさかさ、こんな時に考えるとは思わなくてさ」
申し訳なさそう。だが、どこか幸せそうな表情のエスティアにシュティレは不思議そうに首を傾げ、彼女の次の言葉を待つ。
「シュティレはさ……子ども、何人欲しい?」
「……へ?」
突然の言葉にシュティレは気抜けた声を漏らす。
「最低、二人は欲しいよね。私とシュティレで一人ずつ産んでさ。でも、私的にはシュティレとの子どもなら何人でも欲しいぐらいなんだ――」
「ま、まって! なんで、いきなり……っ」
エスティアの口を塞ぐように手を当てたシュティレは真っ赤になった顔で彼女を見つめる。エスティアは軽く顔を動かし、笑顔を浮かべ言葉を続ける。
「だって、今、考えちゃったんだもん」
「だからって……はぁ」
得意げな表情でいる彼女にシュティレはため息をつく。今のエスティアにはなにを言っても無駄なような気がしたからだ。シュティレはそっと彼女にキスをすると、小さく微笑む。
「二人で十分だよ。確かにたくさんいたらそれはそれで楽しいかもしれないけど……私ね、すっごく嫉妬深いの。だから、きっと、自分の子どもに貴女を取られてヤキモチ焼いちゃう」
「シュティレ……そっか、そうだよね。私も、きっと自分の子どもにシュティレを取られたらヤキモチ焼いちゃうかも」
「……嫉妬してるとこ、全然見たことないんだけど」
拗ねたようにそう言った彼女にエスティアは笑う。
「見せてないだけ。ほんとはいつも誰かと話してるのを見るだけで嫉妬してるんだから」
「……もしかして、私と同じくらい嫉妬深い?」
その言葉にエスティアはポンっとシュティレの頭を一撫ですると、そのまま背を向けドラゴンへと体を向ける。そして、振り向かずに一言。
「まさか、きっと私の方が嫉妬深いよ」
その言葉がシュティレへと届くのが早いか。体勢を低くし一気にドラゴンへと突っ込んでいく。シュティレは「もうっ」と呟くと両手大きく広げた。
大気を流れる風がシュティレの周りへと渦巻く。春のニオイを運ぶそれは激しく渦巻き急速に辺りの温度を下げていく。そしてそれは氷のつぶてを纏い、一本の巨大な槍へと形を創る。
空間が歪むほどの風と冷気を纏うそれは黄金の魔力に包まれ煌めく。その美しすぎる槍はまるで夏の空に浮かぶ星々のようだ。神秘的でいて、どこか儚げなそれを見上げながらシュティレはスっと瞳を細め狙いを定める。
狙うはドラゴンの心臓部。この一撃でそのまま心臓を貫ければいいが、きっとそううまくはいかない。だから、できることは必ず成し遂げてみせよう。激しく回転する槍を構えたシュティレは両足へと力を込める。槍の圧力が体全体へとのしかかり、踏みしめた地面がへこむ。
体の奥から嫌な音が響く。だが、纏う黄金の魔力が痛みを感じる前にそれをなかったことにするおかげで動きに支障はない。槍を構えたまま一歩踏み出し――
「貫けぇぇぇぇぇぇぇえええええええええッ!」
全力で槍を投げる。空気を貫きながらゴォォォ、という音を立てて黄金の槍がまっすぐにドラゴンへと向かう。その速度はまさに音速というべきか。黄金の軌跡を描きながら迫るそれに気付いたドラゴンがうなり声を上げガードするように熱したバターのように溶けた顔となった口を大きく開く。
ドラゴンは大きく息を吸い込むと、その口から黒い砂を吐き出そうとしたその時――黄金の剣を握り締めた少女の声が轟いた。
「させるかァァァァァアアアアアアアッ!」
いつの間にかドラゴンの懐へと入っていたエスティアは、飛びあがり黄金の剣を力いっぱい振り上げる。岩の様に固く乾いた地面が粉々に砕けるほどに踏み込んだその速度と勢いは凄まじい。まるで、至近距離から大砲でも撃たれたような衝撃を下顎に食らったドラゴンはそのまま仰け反るように開いた口を天へと向けていた。
吐き出された黒い砂は天へと打ち出され、雲を貫き弾け、黒い雨となって地表へと降り注ぐ。降り注いだソレは地面に生えていた草原を枯れ果てさせ、その命を吸い取る。だが、それはすぐに辺りに漂う黄金の魔力によって浄化されてしまう。
エスティアは即座に横っ飛びで背後から迫る槍を躱すと、ドラゴンへと拳を突き出し勝気に笑みを浮かべ叫ぶ。
「いっけぇぇぇぇえええええぇぇぇええええッ!」
高速回転した槍がドラゴンの心臓部へと突き刺さる。次の瞬間、まるで鉄同士がぶつかったかのような衝撃音が轟き、突風が吹き荒れ砕けた地面の欠片などが吹き飛ぶ。
凍てつく冬空のような寒々とした風が吹き荒れ、辺りの温度が急激に低下し、草原にはうっすらと霜がかかる。パキ、パキ、という音がドラゴンの体から響く。
『ゥィィィィァァァアアアアアアアアアアアアアアアォッ!』
ドラゴンはどうにかしてその槍を受け止めようと両足を踏ん張るが、次第に体が凍りついていく。白濁した肌には霜が張り付き、ドラゴンは凍り付いていきながらも、雷のような咆哮を上げた。だが、それでシュティレの槍がどうなるわけではない。
バキン、バキン、という音を立て、ドラゴンの心臓を守る肉体が凍り付き砕けていく。このままいけば、心臓をも砕いてくれそうだが、そうはいかないようだ。溶けるように消えかける槍を一瞥したエスティアはそんなドラゴンの前へと立ちはだかるように立つと、黄金色に輝く氷の剣を高く掲げた。
体の中に流れる魔力を全てその剣へと流す。だが、まだ足りない。全てだ、この体が空っぽになっても構わない。
グルグルと渦巻く魔力が体から噴き出す。だが、体はこれ以上魔力を使うのは危険だと訴える。エスティアはその訴えを蹴り飛ばし、体全体から残らず魔力をひねり出す。
「……ッ」
体が悲鳴を上げる。両目から赤い涙が流れ落ち、頬を濡らす。エスティアはそんな自分の体を叱咤するように叫ぶ。
「今度こそ全部終わらせる。もう、誰も奪わせはしない……っ! さぁ、全てをくれてやる私の勇者としてのすべてをくれてやる!」
両手で頭上へと振り上げた剣が眩い光を放つ。それは、自身の大きさを膨れ上がらせ、その大きさはドラゴンを優に超えるだろう。
人間が握れる大きさではない。だが、今のエスティアは黄金の魔力によってどんなに傷を負っても全て無かったことにされるおかげで体への負担はほぼ皆無だ。故に彼女は全力を尽くす。
黄金の魔力が竜巻のように渦巻き、それは炎となって渦巻く。熱気が空間を支配し、酸素を奪う。エスティアは苦し気に顔を歪めるが、すぐにニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべ剣を見上げた。
黄金に輝くそれはまるで、アリスを連れ戻しに行ったときに上ったあの塔に似ている。まるで、神の時代の時本来の姿はこうだといわんばかりに光を放つそれは極大の柱だ。
エスティアは小さく息を吸い込むと、一歩踏み出す。それだけで、地面は砕け、熱気が空間を歪める。ドラゴンに突き刺さっていた槍がはじけ飛ぶように消滅する。
『――ルゥゥゥゥアァァァアアアアアアアアアアアアアッ!』
ドラゴンがエスティアへと迫る。ドラゴンは本能的にわかっているのだ。今、目の前にある光の柱は危険だ。アレを受ければすべてを燃やし尽くされる、と。
だが、もう――遅い。全ての準備は整ったのだから。
「聖なる神の炎よ――」
黄金の光が激しく渦巻き甲高い咆哮が轟く。それはまるでフルートの音のように繊細でいて大波が岩にぶつかるかのように猛々しい。聞いた人間は思うだろう。神に仕える獣が、天使が、舞い降りてきたのでは、と。
空気を切り裂き、時空をも切り裂くことのできる神の炎をエスティアは振り下ろす。
「――すべてを焼き尽くせェェェェェェエエエエエエエェェェエエッ!」
神の炎が迫りくるドラゴンと激突。音とも言えない轟音が響き、全てを吹き飛ばす程の衝撃波が放たれる。
熱気が渦巻き、それは周囲の物を焼き尽くす勢いで辺りへと広がるが、それが焼き尽くすのは悪しき肉体を持つドラゴンの肉体のみ。周囲へと広がったソレはまるで陽の光のような温かさしか感じられない。
『――ルゥゥゥゥオォォォォオオオオオオオオオオッ!』
「――ッァァァァアアアアアアアアアアアアァァアアアッ!」
ドラゴンとエスティアの咆哮が共鳴したその時――目も開けられないほどの眩い黄金の光が世界を包んだのだった。




