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メッセージ ~12人目のフットボール~

作者: ふくこもり

 ボールが曇天の空へ蹴り上がる。

 そのボールは蹴人に向かって、放物線を描く。蹴人は、自分が飛び上がったときに最高点でボールに触れるように、ポジションを調整した。

そこに相手チームの選手が、体をぶつけてポジションを奪おうと激しく競り合ってくる。蹴人は自分に向かってくるボールに、亀のように首を伸ばして飛んだ。相手も負けじと、少し遅れて飛んだ。

 しかし、先にポジションを取って有利だったのにも関わらず、蹴人はあまりにも簡単に相手に飛ばされ、地面に倒れた。相手はヘディングでボールを処理し蹴人のほうを軽く見ると、鼻で笑って悠々と走り去っていった。

 試合終了を告げる笛が鳴り響く。蹴人は地面に倒れたままだった。地面のじゃりっとした心地悪さを頬で感じる。かっこわるすぎだろ……、と呟いて、空を仰ぐ。その雲で覆われた空のように、蹴人の心を灰色の感情が満たしていった。


 試合は一対一の引き分けに終わった。この試合は、蹴人達三年生にとって最後の大会直前の大切な練習試合だった。

「次から選手権が始まる。今日は帰ってしっかり体を休めるように」

 いつも試合後に長々と話をする監督からは、それだけ告げられてチームは解散した。雨が降ってくるかもしれないと思ってのことだろう。

 蹴人はみんなと一緒に帰る気になれず、一足先にそそくさと試合会場を後にした。

 駅までの左右が田んぼの田舎道を歩きながら、下唇をかむ。なんでこんなにチームの役に立てないのだろう。

 高校生になってからだった。自分の思うサッカーができなくなったのは。昔はこんなことは考えたことがなかった。

 初めてサッカーボールを蹴ったのは幼稚園の頃だった。この頃住んでいたアパートの駐車場で、同じアパートに住んでいた高校生がボールを蹴っていた。蹴人が興味を持って見ていたら、「一緒にやるか?」と声をかけてくれた。これが初めてボールを蹴った瞬間だった。

 それから毎日、その高校生にボールを一緒に蹴って遊んでもらった。しばらくしてその高校生は引っ越してしまったけれど、それからも毎日、母親に買ってもらった新品のボールがボロボロになるまで、ずっとコンクリートの壁に向かってボールを蹴り続けた。

 そんな蹴人は、小学校に入ってすぐに地元のサッカーチームに入った。今まで一人でボールを蹴っていた蹴人は、瞬く間にチームでするサッカーにのめり込んだ。仲間と協力して、パスを回し、声をかけあってゴールを目指す。そしてみんなで必死になって勝利をもぎ取った時の喜び。そんなサッカーの多くの魅力に取り憑かれていた。そして小学校の六年間、キャプテンとしてチームを牽引し、この時には完全にサッカーが生活の中心になっていた。

 中学校でも当たり前のようにサッカー部に入部した。一年生から監督に評価され、一年生で唯一のスターティングメンバーとして三年生達と共に勝利を目指した。今考えると、この時が一番自分の輝いていた時だったと、蹴人は思う。プレーに思い切りの良さがあった。相手との一対一になると、迷わずにフェイントからのドリブル突破で得点を量産していた。

 二年生になって夏を越えると先輩たちが引退し、部の最高学年となった。この時もみんなの推薦で、蹴人はキャプテンになった。そんな順風満帆なサッカー人生を送っていた。

しかし、この頃から蹴人は少しずつ違和感を覚えていた。周りの同級生達は少しずつ体に変化が起こっていた。身長が伸び、制服はつんつるてんになり、練習着の上から見ても分かるくらい筋肉がつき始めていた。

それなのに、蹴人は全然身長が伸びなかった。もちろん小学生の頃に比べたら伸びたのだが、元々身長の高いほうではなかったので、周りよりもまだまだ小さかった。

 蹴人はこのまま身長が伸びないのではないかという不安に駆られていた。サッカーはバスケほどではないにしてもサイズがとても重要なスポーツだ。世界最高峰の選手の一人に、リオネル・メッシという選手がいる。彼は、普通ではサッカー選手としてはやっていけないくらいの低身長だった。だからこそ彼は、世界中の人に夢を与える存在だった。しかし、それでも彼の身長は169cm。蹴人の身長は157cmだった。

それでも中学ではまだ自分はやれているという自信が、蹴人にはあった。身長は技術でカバーできる。その技術が自分にはあると。

 そして蹴人は、サッカー古豪の公立高校に進んだ。かつては全国大会出場も果たした、浦和清逸高校――清高だ。浦和は、埼玉サッカー発祥の地と呼ばれるほどに歴史があり、強豪ひしめく地区だ。蹴人の地元からは少し離れたところにあるが、大好きなプロサッカーチームの本拠地である浦和でサッカーをすることが、蹴人の小さな夢だったのだ。

 しかし、そこで蹴人を待っていたのは、フィジカルを生かした激しいパワーサッカーだった。ボールを持った瞬間に間合いを詰める厳しい守備。ガツガツと激しく体をぶつける空中戦。背が高く体格の良い選手達が、スターティングメンバーとして試合に出場していた。

それからしばらく先輩の試合のための雑用をこなしつつ多くの高校の試合を観ているうちに、蹴人は私立と公立の高校のサッカーの違いを知った。

 私立高校は推薦制度をフルに使い、中学の時から有名だった選手やJリーグの下部組織から多くの優秀な選手を集めていた。そのために技術の高い選手がそろっていた。美しいパスワークで相手を翻弄し、少しでも隙があれば鋭いドリブルでディフェンスラインを切り裂く。すべてのサッカーファンをワクワクさせる創造的なサッカーをしていた。

 それに比べ公立高校は、推薦制度がないため入学してきた選手達を育てる以外に方法がない。それゆえに試合に出ていても技術がない人がちらほらといるようだった。だからそういう人達は、身長と筋肉が隆々とした身体を生かして泥臭いサッカーをしていた。

 蹴人には公立高校のサッカーは合わなかった。もちろんパワーサッカーが悪いわけではない。激しいサッカーには迫力があるし、チームのスタイルはそれぞれだ。しかし、身長も体格もなく技術で勝負する蹴人と公立高校のサッカーは噛み合わなかったのだ。

 そして蹴人は三年間、先発選手の十一人に選ばれることなく、ベンチを温める十二人目の選手として苦い思いをしてきたのだった。


 蹴人は清高のグラウンドに向かっていた。練習や試合後にボールを蹴ることが、蹴人の日課だった。

緑色のネットに囲まれたグラウンドが見えてくる。

 ゴールの右側にある入口からグラウンドに入る。サッカーコートの右側に用具倉庫、左側に的当て板がある。蹴人は、倉庫からボールを一個取り出すと的当て板に向かった。

 的当て板に向けて右足でボールを蹴りだす。ダンと鈍い音を出してボールが跳ね返ってくる。今度はそのボールを左足で蹴る。ダン。右足。ダン。左足。ボールの芯を捉えたときに広がる足の甲のじんとした痛みが心地いい。

 蹴人が夢中になってボールを蹴っていると、入口からグラウンドに入ってくる人影があった。

 その人影はだんだん蹴人に近づいている。

「やっぱりやってたか」

 その声に蹴人は振り返る。

 石狩豪だった。

「いつものことだろうよ」

 そう言った蹴人の顔がほころぶ。

 豪は、高校入学以来蹴人が一番気を許している人だった。180cmを越える身長に筋トレが趣味だという肉体を持つ豪は、一見恐い印象があるが中身は心優しく情に厚い、いうならば漢という字がよく似合う人だった。

 豪がにやっと笑う。

「ほら、こいよ」

 豪はすっと腰を落として右足を前に斜めにかまえる。豪はいつの間にか、蹴人とゴールを結んだ直線上に立っている。

 蹴人は待ってました、と言わんばかりにボールをちょこんと蹴りだすと、豪に向かってドリブルを始めた。

 豪の目の色が変わる。ボールを刈り取るディフェンダーの目つき。少しでも隙を見せれば喉元に食らいつかれそうな威圧感が、蹴人の気を引き締める。

 蹴人と豪の距離が少しずつつまっていく。三メートル。二メートル。一メートル。

 豪は蹴人が抜きにいけないちょうどいい間合いを保ちながら、少しずつ後ろに下がっていく。

 蹴人は細かくボールに触り、左右に揺さぶる。しかし、豪はつられることなくどっしりと構え、隙をうかがいつつ間合いを保つ。しかし、この揺さぶりは蹴人が仕掛けた罠だった。

 突如、蹴人が仕掛ける。左右の足で二回ボールを素早くまたぐと、足裏でボールを転がしてからのダブルタッチ。そのまま右に抜け出そうと蹴りだす。豪はボールを突こうと、左足を伸ばした。

 蹴人はそれを見逃さなかった。左右への揺さぶりで少しずつ開いていた。そして左足を伸ばした今、そこには大きな隙ができていた。

 ボールを豪の股下に通す。そして蹴人は左側に抜け出す。

 完全に後ろを取られた豪は、その場で棒立ちになった。

 蹴人の前には無人のゴールが見えた。ゴール裏には雲の隙間から少しだけ日差しが覗いていた。ああ、気持ちいい。人を抜いてゴールが見えたこの瞬間。蹴人はこの光景がなによりも好きだった。

 蹴人がゴールに向かってボールを力強く蹴りだす。

 ゴールネットが揺れ、ボールが落ちる。足の甲にじわじわと痛みが幸福感とともに広がる。

「股抜きかよ! お前、ディフェンダーがやられて一番屈辱なことだぞ! わざとやってんだろ!」

 豪が走って蹴人に突進する。

「痛いわ! たまたまだよ、狙ってなんかない」

「ぜってー嘘だ!」

 また豪が突進する。

 グラウンドに二人の笑い声が響いた。


 少しのじゃれ合いの後、蹴人と豪は少し距離を取ってパス練習を始めていた。二人の間でボールが行き交う。

 蹴人が豪の右足に向けてパスを出す。パス練習は簡単に見られがちだけれど、実はかなり奥深い練習だ。相手のどっちの足にパスを出すか。強さはどのくらいか。つま先のほうでボールを蹴るのか、かかとのほうで蹴るのか。その少しの違いで、パスにメッセージがこもるのだった。だからこだわり始めると終わりが見えない。髪の毛一本の厚さほどにこだわれ。それが監督の口癖だった。

「おい、聞いてんのかよ」

 ボールに集中していた蹴人は、その声で我に返る。

「悪い。なんも聞いてなかった。なんだっけ」

「だから、なんでキャプテンはほとんどお前にパス出さないんだって話。出したとしてもだいぶ雑なパスだし。いじわるじゃね?」

 蹴人の胸がチクリと痛む。

 蹴人のチームのキャプテン、窪田巧は、世代別の日本代表に呼ばれているほどの実力者だ。ポジションは真ん中、いわゆる司令塔で、蹴人の憧れである浦和のプロチームの入団もすでに決まっている。ここ数年、低迷を続けていた清高が全国大会を狙えるチームに復調したのも、巧の入学が大きかった。

「下手なやつにパス出したくないんだろ」

 今日も練習試合だから控えの蹴人も後半の途中から出場したが、巧からパスが出たのは一、二本だった。

「お前もさ、ドリブル巧いんだからもっとガツガツ仕掛ければいいのに」

「いや、俺なんかのドリブルじゃ抜けないよ」

 昔と違い、今はパスを貰っても、後ろに下げるか横パスをするかぐらいしかできなかった。相手を抜く自信なんて全くなかった。相手を前にした途端、ボールを取られる恐怖に支配されてしまっていた。

「控えの俺なんかのことより、自分のこと心配しろよ。俺に股抜かれるようなディフェンダーがうちの先発なんて、ゾッとするわ」

「うるせぇよ!」

 蹴人は、わはははは、と笑いながらも、あの灰色の気持ちがまた心に広がっていった。


 とうとう蹴人達の最後の大会――冬の全国高校サッカー選手権大会が開幕した。全国大会に駒を進めるのは、各都道府県から一校と東京からの二校の計四八校だ。

 蹴人達の高校が全国大会に出場するには、まず埼玉県予選を勝ち抜かなければならない。埼玉県予選は約一七〇校が出場する。その中で優勝して初めて全国大会に出場できるという、とても狭き門だった。

 清高は、今までの大会の成績のために一次予選を免除されていて、二次予選からの参加だった。埼玉県予選は、一次と二次の予選に分かれていて、二次予選は五四校のトーナメント戦となっている。

 今日は、その二次予選トーナメントの初戦だった。

 蹴人は試合会場に向かって歩いていた。

「蹴人、受験勉強やってる?」

 隣を歩いているのは、秋山海斗だ。彼は、蹴人と同じ控えの選手である。

「いや、全然できねー」

「昨日もさ、練習終わった後に教室行ったらクラスの奴らめっちゃ必死に勉強しててさ。巧はプロになるからいいけど、俺らはどうなるんだろうね」

 サッカー部は冬の選手権があるために、三年生の引退が遅い。他の部活は夏で引退し受験勉強に励むが、サッカー部はそれが出来ないことを不安に思う人が多い。特に控えの選手や控えにも入れない選手はこの時期、勉強に力を入れ始める人が多かった。海斗を含めた多くの人は、すでに気持ちが受験勉強へと移っていた。

 しかし蹴人は幼少から続けたサッカーから、海斗たちのように簡単には気持ちを移せなかった。だから口を開けば受験勉強の話をする海斗たちが、蹴人は最近少し苦手だった。

 試合会場の門をくぐる。

「なんとかなるだろ」

「いやいや、そんな甘いもんじゃないって。だってさ、佑典だって――」

「ほら、もう集合してるぞ」

「え、嘘だろ。急げ」

 すでに監督を中心に円状になっていたチームメイトたちのもとへ、蹴人と海斗は駆けて行った。

 

 試合の一時間前になると、全員でウォーミングアップを始めた。いつもと同じメニューをこなす。独特の動きをするブラジル体操から、基礎練習でボールの感触を確かめる。基礎が終わると、パスやシュートで少しずつ体を温めていった。

 アップが終わり、監督の周りに集合する。監督が先発の十一人の名前を一人ずつ読み上げる。

「――以上が先発だ」

 蹴人の名前はなかった。

「とうとう初戦だ。緊張するかもしれないが、最初からトップギアで試合に挑め」

 はい! と先発の選手たちが大きな声を出す。それから選手同士でハイタッチをしていく。頼むぞ。気合い入れろ。球際厳しく。ハイタッチをしながら言葉を交わし、徐々にギラギラとした目に変わっていく。

 蹴人はいつも通り名前を呼ばれなかったため、ベンチに腰掛ける。

 選手たちが審判に呼ばれ整列し、人工芝のコートの中央に進んでいく。そして笛と同時にベンチ側に頭を下げ逆側の観客席にも頭を下げた後、選手たちはコートに散っていった。

 晴天の青空のように美しい水色のユニフォームに身を包んだ選手たちが、真っ赤なユニフォームの相手と対峙する。

 蹴人は、その眩しい姿の選手たちをベンチからみつめる。

 ピー、という甲高い笛の音と共に、ボールが蹴りだされた。


 ナイターでライトアップされた清高のグラウンド。冬の冷たい風が体を芯から冷やしていく。いつも通り蹴人と豪は、パス練習をしていた。

「いやー、初戦は難しかったけど、二、三回戦は余裕もって勝てたし、やっとここまできたって感じだな」

 豪が軽口をたたく。

 初戦は正直なところ、劣勢だった。初戦の緊張で思うように体が動かない清高は、一次予選を勝ち抜けて流れに乗って躍動している相手の選手たちの動きに、翻弄されていた。

 前半何度か決定的な場面をつくられた。劣勢の中、前半はなんとか守りきり、後半の初め、豪のロングパスを高身長のフォワードがヘディングに競り勝ち巧にボールを落とすと、巧が鋭いシュートで得点。そしてなんとかその一点を守りきり、一対〇で勝利を収めた。

 そして、二回戦と三回戦。緊張がほぐれ、いつものサッカーができた蹴人の高校は、危なげなく勝利した。

「お前、来週も試合なんだから今日は帰ってやすんだらどうだ?」

「大丈夫だって。ほらほら、クールダウンってやつよ」

 豪はいくら疲れていても、いつも蹴人に付き合ってくれる。蹴人は口にこそ出さないが、そんな豪にいつも感謝していた。

「でも来週が本番みたいなもんじゃん?」

「まあな」

 来週は準々決勝だ。生き残ったチームは八チーム。この試合からプロも使うスタジアムで試合が行われ、埼玉テレビで放送される。

「なんたって相手が、あの昌一だもんな」

 豪がため息交じりに言う。

 昌徳第一高校――昌一は、今埼玉で最も強い私立高校だ。その実力は飛びぬけている。今年、大きな大会は三つあった。新人戦、関東予選、そしてインターハイ。その全てで埼玉県内の優勝校は、昌一だった。

「まあやるしかねえだろ! 相手だって高校生だ! 期待してるぜ、豪!」

「そうだな」

 豪が少し真剣な目になる。

「俺な、最後の最後はお前のドリブルが必要だと思うんだよ」

 蹴人の顔が引きつる。

「いやいや、俺のドリブルなんて――」

「昌一には蹴るだけのサッカーじゃ通用しない」

 豪が蹴人を見つめる。

「お前のドリブルが必要だ。だから、準備しとけよ。じゃ、先帰るわ」

 豪は身をひるがえすと、グラウンドから離れて行った。


 次の週の土曜日。場所は浦和駒場スタジアム。蹴人の憧れるプロチームも試合をするスタジアムだ。清高の選手はアップを済ませて、スタジアム内の控え室に集まっていた。

 大一番の試合とあって、一人一人が緊張した面持ちだ。会話もなく、ピリッとした空気が流れる。

 控え室に監督が入ってくる。

 監督は一度、全員の顔を見回した。

「緊張してるか?」

 監督が全員に優しい笑顔を向ける。

「お前ら今、今までの練習を思い返してみろ」

 みんなの顔が苦虫を嚙み潰したような顔になる。ある日は不甲斐ない試合内容で監督の逆鱗に触れ、一日中走らされた。四泊五日の夏合宿では、グラウンド横の下水に吐きながら走った。そして毎日続く辛い練習。

「昌一は間違いなく埼玉で一番強い。でも、お前らはあいつらに負けないぐらいの辛い練習を超えてきたと俺は思う。お前らならできる。自分たちを信じろ、行ってこい!」

 怒声のような選手たちの返事が控え室に響く。立ち上がった選手からグラウンドに向かった。

 先発の選手が全員出てから、蹴人も控え室を出た。暗くひんやりとした廊下を歩く。スパイクの裏が、カツカツという乾いた音を響かせる。

 豪の言葉が頭を横切る。お前のドリブルが必要だ――。 


 試合が始まった。今日も空は雲に覆われていて、蹴人はベンチから試合を眺めている。今までの人工芝とは違う天然芝の上を、選手たちは懸命に走り回っていた。

 清高は明らかに劣勢だった。深い緑色のユニフォームを身に着けた昌一がボールを持っている時間は、清高に比べて圧倒的に長かった。

 昌一のパスワークは見事だった。清高の選手がボールを取りに行っても、小気味いいテンポでパスを回し子供をあしらうようにかわされる。だから清高得意の空中戦までもっていくことができなかった。

前半を半分過ぎたころ、監督から全員アップしろという声がかかった。選手交代によって状況を打破したいのだろう。ベンチのメンバーはアップを始めた。蹴人は海斗とアップをしていた。その時だった。

「おい! 今のはまずいぞ」

 海斗が緊張感のある声で言った。

 蹴人は振り返ってグラウンドをみる。

 水色の選手が一人倒れている。右サイドの攻めのポジションの選手だった。

 タンカが運び込まれ、選手がゆっくりとのせられている。

「蹴人。準備しろ」

 監督のその言葉で、トクン、と蹴人の心臓が高鳴る。

 蹴人はベンチに戻り、恐る恐るユニフォームに着替えて準備を始める。

 こわい。

 蹴人は俯いて座っていた。様々な不安が蹴人を襲う。劣勢とはいえまだ点は入っていないこの試合を自分のミスで壊してしまうのではないか。今までの練習はすべて無駄だったのではないか。自分のミスで負けてしまうのではないか……。

「おい!」

 その声に蹴人が顔をあげる。

 海斗だった。その他のベンチメンバーたちも海斗の後ろに立っている。

「お前はサッカーを諦めて勉強に切り替えた俺らとは違って、試合に出られなくても毎日必死に練習してただろ。みんな知ってる。お前ならできるよ。お前にしかできない。だから、下向くな。胸張れよ」

 蹴人は背中を強くたたかれ、それに押し出されるように立ち上がり、歩き出す。こいつら、そんなこと思ってくれていたのか……。

 試合運営のテントに交代用紙を提出し、ラインの外でプレーが切れるのを待つ。

 この外と内を区切る白いラインが、自分を拒絶しているように感じる。入ってくるな。お前のような人間が立っていいような場所じゃない。そう言っているようだった。

 ボールが外に出てプレーが切れた。審判が蹴人に入ってくるように促す。

 蹴人は不安を振り切るように、白いラインを越えて走り出した。

 

 実際に試合に出ると、蹴人は昌一のすごさに改めて驚いた。昌一の選手たちは、グラウンドを上から見ているのではないか、と思わせるほどのパスを平然と出していた。

 しかし、清高の攻撃も徐々に現れてきた。司令塔の巧にボールが収まると、清高の攻撃にリズムが生まれた。巧が左サイドの選手を使って、上手くゲームメイクをしていた。右サイドの蹴人にはまだ一本もパスがきていない。右サイドを使わないことを見抜き、昌一は少しずつ左サイドに選手を集中していた。

 前半四〇分が過ぎ、ロスタイムに入った。ロスタイムは三分。これなら前半は同点で越えられる、と蹴人が少し安心した時のことだった。

 巧がボールを貰う場面で急なターンをみせた。それまで左サイドで回していたパスを巧が右サイドに展開する。

 そのボールは蹴人の足元ではなく、蹴人の大きく前に転がる。蹴人は慌ててボールを追いかけた。

 ボールに追いつき蹴人が顔をあげると、相手のディフェンダーが行く手を阻んでいた。

 恐怖に支配された蹴人の頭に、ドリブルの選択肢はなかった。ここでボールを取られたら攻め上がった選手たちの裏をカウンターで狙われてしまう。それでもし点を取られてしまったら、せっかく守り切った前半を無駄にしてしまう。

 蹴人は体を後ろに向け、味方ディフェンダーにボールを戻した。今はリスクのないプレーで迷惑をかけないようにしなければいけない。これが正しい。そう思って出したパスだった。

 しかし、味方ディフェンダーがボールに触る直前だった。昌一の選手が突如現れてボールを奪い去った。明らかに蹴人のパスを狙っていた動きだった。

 突然の出来事に出遅れたディフェンダーたちは昌一の選手に一瞬で置き去りにされ、ゴールキーパーと昌一の選手の一対一になった。

 昌一の選手が冷静にキーパーの動きを見て、冷静にボールをゴールへ流し込む。ボールがゴールネットに優しく吸い込まれる。昌一の応援団はどっと沸きあがり、喜びの声をあげる。その応援団に点を決めた選手が駆け寄り、抱きしめ合っている。

蹴人は頭が真っ白になった。

 前半終了の笛が高く鳴り響いた。

 清高の選手が重い足取りでベンチへと戻っていく。豪が、まだ前半だよ、いけるいける! とみんなに声をかけて回っているが、重い空気になるのは避けられなかった。

 蹴人はベンチに腰掛け、俯いていた。顔をあげられなかった。みんながうなだれている姿を見てしまったら、この場から逃げ出してしまいそうだった。

 俯いている蹴人に、巧が近づいていく。それを見て、全員に緊張感が走る。

 巧は蹴人の目の前に立つと、蹴人の胸倉をつかんで無理やり顔をあげさせる。それでも蹴人は巧から目をそらしていた。

「お前なんだよ、あの気の抜けたプレーは!」

 巧が怒りに任せて大声をあげる。

「ミスを責めてるんじゃないんだよ。みんな命かけて必死にやってんだから、本気になれないなら今すぐ出ていけよ!」

 普段クールで口数の少ない巧の怒りに、その場にいる全員が驚く。蹴人もそれは同じだった。

 巧は蹴人から手を離すと、蹴人から一番遠い位置に座り込んだ。そして、少しでも疲れを取るためにストレッチを始めた。

 少しの気まずい間の後に、監督が後半の作戦やこんなプレーをしてほしいといったことを話し始めた。

 しかし、監督の言葉は蹴人の耳に全く届いていなかった。さっきの巧の言葉が、蹴人の頭の中で鋭く反響していた。本気になれないなら今すぐ出ていけよ、と巧は言った。今日、この試合に今までの全てをぶつけられているだろうか。多分、できていない。ミスすることを怖がっている。その気持ちの弱さを巧は許せなかったのだろう。

 蹴人、と監督が呼びかけられ、我に返る。気づくとすでに他の選手たちはグラウンドに散り始めていた。蹴人が急いでグラウンドに向かおうとすると、再び監督に呼び止められ、振り向いた。

 監督の目がまっすぐ蹴人を見つめる。蹴人はその目を見ることができず、俯いて立っていた。少しの間があり、監督が口を開いた。

「巧はな、チームの誰よりもお前の実力を信頼しているんだよ」

 その言葉に蹴人は思わず顔をあげる。

「巧のメッセージに耳を傾けてみろよ」

 監督は柔らかい口調でそう言うと、蹴人の肩をぽんとたたいた。


 後半戦が始まった。泣いても笑ってもこの試合はあと四〇分で幕を閉じる。

 清高はあいかわらず高身長のフォワードにロングボールを蹴り、そこから左サイドを使った攻撃を続けていた。右サイドにボールは送られず、昌一の選手も左サイドに密集して守備をしていた。

 蹴人は守備に奔走しながら、頭の中には仲間たちの想いが波のように押し寄せていた。豪は、蹴人のドリブルが必要だと言った。ベンチの海斗たちは、お前にしかできないと言った。そして監督は、巧が誰よりもお前の実力を信頼していると言った。そして、巧のメッセージに耳を傾けろと……。

 蹴人は思う。自分のことを信頼していないのは、自分だけなのではないか。このままミスを恐れ、萎縮したままでいいのか。みんなの期待に応えなきゃいけないんじゃないのか。

 突如、膠着状態だった試合が動いた。巧がボールを受けると二人の選手をドリブルで置き去りにした。慌てて他の選手がフォローに来るが、そのせいで空いた左サイドにボールを出した。左サイドの選手がライン際で絶好のボールを受けると、そのまま駆け上がっていく。昌一の選手が追いかけるが、間に合わない。左サイドから中に向けて、低めの鋭いボールがあげられた。

 昌一のディフェンダーとゴールキーパーの間をボールが抜けていく。

 そのボールに一人の選手が走りこんでいた。

 巧だった。

 しかし、それはぎりぎり足が届かないようなボールだった。一瞬ベンチに落胆の雰囲気が流れる。

 巧はそのボールに頭から飛び込んだ。

 ボールは巧の頭に当たり、ゴールネットを揺らす。

 応援団の歓声が地鳴りを起こしたようにスタジアムに響き渡った。

 蹴人はあっけに取られてそのプレーを見ていた。ドリブルで二人抜いてからの全力のロングラン。全身を投げてボールに食らいついたダイビングヘッド。普段クールな巧が全身で熱い気持ちを見せた、執念のゴールだった。

 立ち上がった巧と蹴人の目が合った。

 巧がまっすぐ右腕を伸ばし、蹴人を指さす。

 巧の真剣な眼差しとまっすぐ伸びた人差し指が、蹴人の心に矢のように突き刺さる。

 すぐに巧は、駆け寄った清高の選手たちに抱きしめられながら倒され、もみくちゃにされた。


 巧のゴールによって同点となった試合は、さらに熱を増した。

 ベスト8という不甲斐ない結果を残せない昌一の攻守は、さらに激しくなった。清高の左サイドからの攻めは勢いを失った。さらに左サイドに選手が密集し、巧がボールを持つとすぐに二、三人の選手に取り囲まれた。昌一の王者の意地だった。

 蹴人は、先ほどの巧の姿が頭から離れなかった。ゴールした直後に自分を指さした巧。巧の言いたかったことが今の蹴人には理解できていた。

 清高の長い守備の時間が続いた。豪が必死に大声をあげてディフェンダーに指示を出している。

 昌一の攻めを耐え続け、後半三五分が過ぎた。残り五分。

 昌一の華麗なパスワークが清高のゴールを何度も脅かす。清高のディフェンダーたちはギリギリのところで泥臭くゴールを守っている。綱渡りのような試合だった。

 そして昌一の選手のドリブルを、豪が体を投げ出したスライディングタックルで止めた。清高の選手がそのボールを拾う。

「あがれ!」

 監督が叫ぶ。時間からすると、これが清高の最後の攻撃だった。

 前線にロングボールが放り込まれ、清高の選手が限界のきている足に鞭をうって走り出す。

 蹴人も走り出した。

 少しの混戦後、ボールが左サイドに渡る。しかし、左サイドに密集した昌一の守備は厳しく、前に隙が無い。左サイドの選手はななめ後ろにいた巧にパスを戻した。

 すぐに昌一の二人の選手が、巧の行く手を阻む。

 巧はそのボールをダイレクトで蹴った。

 そのボールは、右サイドの蹴人のかなり前に転がる。

ボールを追いかけながら蹴人は思う。巧のゴール直後のあれは、次はお前の番だ、という巧からのメッセージだ。巧は信じてくれているのだ。そして今までは雑だと思っていたパスや本数の少ないパスの意味も、今なら分かる。いつも大きく前に出すパスは、ボールを受ける前にスピードに乗らせるためだ。左サイドに多くのパスを出すのは、左に相手ディフェンダーを密集させるためだ。右サイドにスペースを作り、そのまますぐにスピードに乗ってドリブルを仕掛けられるように。最高の状態でドリブルに入れるように。

 蹴人の前に昌一の選手が立ちはだかる。蹴人が今持っているこのボールは、仲間全員からのメッセージだった。みんなの想いの詰まったボールだった。期待に応えなければならない。信じてくれている仲間たちのために、もう絶対に逃げない。

 蹴人はぐっと加速した。そのまま昌一の選手にドリブルを仕掛ける。

 細かくボールに触って左右に揺さぶり、それから素早く二回ボールをまたいで足裏でボールを転がしてからのダブルタッチ。そして右に抜け出すようにボールを蹴りだす。

 豪がどこかで自分がやられたことのあるそのフェイントを見て、遠くでにやっと笑った。

 昌一の選手がボールを突こうと左足を伸ばした。

 そして、その隙のできた股下にボールを通して、蹴人は走り抜けた。

 昌一の選手が立ち尽くす。

 蹴人はゴールに向かって走りながら、顔をあげた。

 蹴人の目の前には大きなゴールと、光を受けて美しく輝く天然芝の光景が広がっていた。空には雲を切り裂いたように太陽が顔を見せ、眩い光が差し込んでいる。

 もしかしたら今見ているこれが、世界で一番美しい光景なのではないか、と蹴人は思った。仲間たちが背中を押してくれなかったら、この光景を見ることは一生なかった。チームの仲間たちへの感謝が、蹴人の胸に溢れだす。

 蹴人は仲間たちの想いが詰まったボールを、ゴールへと力強く蹴りだした。






こんにちは、ふくこもりです。

まずは興味をもってくださってありがとうございます。もし最後まで読んでいただけたなら、今まで自分の書いた物語を人に読んでもらえるなんて思っていなかったので、とても幸せです。ありがとうございます。

さて、私は今回が初投稿となります。初めての投稿をするのにどんな物語がいいかなと考えたときに、私の青春のすべてだったサッカーの物語しかないなと思い、これを投稿しました。

スポーツというのは世界一の選手でもない限り、自分より上手い選手がいます。そんな上手い人達を見ていると、焦り、苦しみ、下手な自分を責めてしまうことがあると思います。私も高校生の時、とても辛くて悔しくて、歯を食いしばっているのに涙が出てきてしまうことがありました。

しかし、誰にでもプレーの長所というものは絶対にあります。その自分の中でこれが一番だという長所を見つけ、これしかないんだ! と開き直ることで見える世界はぐんと広がります。

そんなことを物語として昇華してみました。少しでも皆さんの心に残る物語になっていてくれたら嬉しいです。

最後に、是非読んでくださった方は一言でもコメントを残していっていただきたいです。面白かった、つまらなかったの一言でも、内容のダメだし、アドバイスでも構いません。是非宜しくお願いします。

では、また次の投稿でお会いしましょう。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ストーリーの前半を読んでる時は今後の展開がどうなるかなーって思ってたけど、昌一との試合で蹴人が途中から出場してからは流れるように読めました。 自分も小中学生の頃はサッカーやってたので、共…
[良い点] キャラクターが非常に面白く描かれていると思いました。個人的にお気に入りなのは豪ですね、熱い親友は燃えます!また巧という孤高の存在も見逃せないですね、海斗にしても、悩みがあるからキャラクター…
[良い点] とても丁寧で動きのある小説であるだけでなくヒューマンドラマ溢れる作品ですね! 初めてのようですが、これだけしっかりとした描写ができるのであればドンドン書いていって良いと思います!(≧∀≦)…
2018/06/13 22:53 退会済み
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