16、汚嬢様、悪女として立ち上がる! 後編
「わかったか? オレの知り合いで彼女に合いそうな相手を探してやっていたから、その話をするために屋敷に出入りしていたんだけだ。馬車で一緒に移動していたのは、相手との顔合わせのために案内していたところを見たんだろう」
「でも、納得がいかないことがあるのよねぇ。私の口からオスカーに伝えてもいいかしら?」
「…………っ」
青ざめた顔で唇を噛むリューシア夫人と、冷えた眼差しを向けるミアを見て、オスカーが眉をひそめる。
「なんの話だ?」
「あなたと喧嘩別れのようになってから、リューシア夫人が私に会いに来たのよ。自分の立場は愛人で構わないから、オスカーとの仲を認めてほしいと頼みにね。これはオスカー自身も望んでいることだと言っていたわ」
「なに? リューシア、どういうことだ?」
「ふふっ……ただの嫌がらせです。あなたが最初から見ていたのはその方だけですものね。わたくしに求婚した時も愛してなんていなかったのでしょう? お互いそれで納得していたはずなのに、わたくしだけがいつしかあなたに本気になっていた」
大粒の涙を零して、リューシア夫人が嘲笑う。オスカーは険しい表情で口を閉ざす。彼女の想いにまったく気付いていなかったはずがない。それでも選ばなかったのは、自分では幸せに出来ないと思っていたからだろうか。
「そうだな。オレはお前を愛してはいなかった。だが、お前の為に新たな相手を探してやるくらいの情はあった。お前に応えてやれないオレが、唯一してやれることだったからな」
オスカーは冷静に答えると、かつての恋人をじっと見つめている。その横顔からはなんの考えも窺い知れない。はっきりした答えに、リューシア夫人が表情を歪める。
「ずっと聞きたかったことがあるの。『家に逆らってまで、オレを選べるのか?』とあなたに聞かれた時に、夫を選ばずあなたに応えていたら、わたくし達はずっと一緒にいられたのかしら?」
「たとえ一緒にいても、オレの心はミアのものだった。それだけは変わらなかっただろう」
淀みのない答えを聞いて、リューシア夫人は涙を拭うと強い目がミアを睨む。これが本来の彼女なのだろう。嫉妬に燃えた目を、ミアは恐れもなく見つめ返す。
「わたくし、ミア様に嘘をついたことは謝りません。あなたが憎いの。憎くて恨めしくて、あなた達の婚姻なんてつぶれてしまえばいいと思ったわ。だって、あなたはわたくしがオスカーから一度も与えられなかった愛情を、ずっと昔から与えられているのだから。ご機嫌よう、皆さま。……さようなら、オスカー」
最後に優雅な礼をして、夫人が去っていく。泣き崩れて喚かなかったのは、恋敵の最後の矜持だろう。ミアはあえて言及することも応えることもせずにその背が消えるまで眺めていた。
パチパチと拍手が場違いにも楽しげな拍手がした。こんなことをするのは、もちろん親友であるフィネアだ。
「素敵でしたわぁ~。恋敵の心をばっきばきに折ったミィの手腕も素晴らしかったけれど、オスカー様のミィに対する愛の深さにもきゅんっとしましたわぁ」
「いやぁ、一時はどうなるかと思ったけど、丸くおさまってよかったよかった。ところで、先程の減俸のことだけど、もちろん取り消してくれるよね?」
笑顔でオスカーにそう聞くのは、理不尽な罰を受けたブリードである。オスカーは自分の副官に半眼を向けた。
「お前が正直に答えたら考えてやらんこともない。オレにミアの噂を吹き込んで怒らせたのはわざとだな?」
「さすがだね。やっぱりバレちゃったか。普段の君ならミア嬢の剣の秘密にすぐ気づいたはずだ。だから冷静さを失くしてもらいたかったんだよ。怒った人間は注意力が散漫になるからね」
「まったく……お前達が手を組むと碌なことをしないな。ミア、二度とこいつとは会うんじゃない」
「あんたに言われたくないわよ。いいじゃないの。お友達として今後もお付き合いしたいわ。ブリードはあなたの婚約者に手を出すほど愚かな方ではないでしょう?」
「……密室の中で二人だけで会うのはよせ。使用人でもいい、必ず誰かを入れてくれ」
「うふふ、わかったわ」
仕方なさそうにため息をついてオスカーがしぶしぶの体で了承してくれた。なんだかんだ言っても、ブリードを信用しているのだろう。彼の暗躍のおかげもあって、こうしてミアの怒りも静まったわけである。
「ミア様、催しものも終わったことですし、皆様とご休憩なさっては? そちらに具合が悪そうな方もいらっしゃるようですし」
ラグがミアから剣を受け取りながらちらりと視線を向ける。その先には、無言で胃を押さえているディオンがいた。見るからに限界の様子だ。
しかし本人は死にそうな顔色でよろりと踏み出す。
「私もお嬢様のご婚約者に挨拶をせねば……っ」
「兄上、水をいただいて胃薬を飲みましょう」
「その状態で挨拶しようっていう根性は素晴らしいけれど、無理する必要はないわよ。オスカー、あなたももう知っているでしょうけど、こちらの二人はジョルの兄君方よ。律儀に挨拶しようとしてるのが、兄のディオンで、隣で支えているのが貿易商をしている弟のクルス。どちらも私の手助けをしてもらっているわ」
「なんともおかしな縁もあったものだな。お前達もミアを主に選ぶとは、さぞ苦労していることだろう。先ほどは悪かった」
「いえ、こちらこそご挨拶が遅れて申し訳ありません。ご婚約おめでとうございます。また、愚かな弟がご迷惑をおかけした件については、大変申し訳なく……」
「オレに謝罪は不要だ。こちらにとっては降ってわいたチャンスとなっただけだ。結果、こうして欲しい女を手に入れたわけだからな」
腰を抱かれたミアは、上機嫌に口端を上げる婚約者に苦笑を向けると、パンパンと手を叩いた。
「それじゃあ、皆でティータイムにしましょうか。お互いの親睦を深めましょ?」




