王宮の女傑
黒鬼さんが勝てない強敵登場。
男性がセクハラ行為に遭うのがお嫌いな方は、後半注意されたし。
マーガスが了承したため、入室して来たのは黒髪を半ばまで白くした、眼光鋭い老貴婦人だった。
「ハイドダール卿、首尾良くお努めを果たし無事の・・・なんという手荒な扱いを!」
女性の出迎えの声に、彼らしくもなくワタワタと、左腕に巻き付けた物を解こうとしていたダリルは、とっさにそれを背中に隠した。
悪足搔きでしかなかったが。
・・・この慌てふためいているのが、さっきまで異世界の王宮のど真ん中で、ひと暴れしていた我が国の将軍で、『セイハ国の鬼神(笑)』・・・
内心突っ込むマーガス達他の三人だけでなく、空気に徹していた警備の騎士も侍女達も、揃って身を竦ませた。
「いや、あのっ、母上!これはですねっ、既に仕立てられてしまった後でですね、長さがありましたので床に引きずって汚しては、と・・・」
老婦人の視線の先、ダリルの左腕にぐるぐる巻きに巻き付けられていたのは、コルサド王国のスゼリナ王女が身につけていたドレスである。
すなわち、奪われた秋藤の反物の成れの果てが、蜘蛛の尻の様な不格好な塊となって、ダリルの黒い甲冑の左腕に絡み付いている。
ダリルの努力も虚しく布の塊には、残念ながら点々と返り血が散っていた、暴れていた時に鎧の腕や胸元に付いていたものが移ったらしい。
「・・・・・・」
二拍ほどの間、ハイドダール卿の左腕を凝視していた老婦人は、一つ嘆息した。
「示しがつきませんから、王宮内で『母上』はお止め下さい、ハイドダール卿」
彼女はハイダ・カロルティナ・バルガス、淡々と言い諭す厳格な横顔は、確かにダリルに似ている。
派手さの無い、まさしく貞淑な賢婦人といった身なりなのだが、腰には何故か使い込まれた剣帯に片手剣を吊るしている。
木剣では無く中身の詰まった金属の塊である、それを身に着けても背筋はピンと伸びて動きに淀みは無く、昨日今日始めた付け焼き刃では無い事が伺える。
生まれも嫁ぎ先も武門の家柄と言う彼女は、三年前侵略者達が国軍の守備を打ち破り、王都にまで押し寄せて来た危難の折にも、夫達の留守を預かる一族の女衆を引き連れて、剣を携えて王宮に駆けつけ、国王の妃達や王太后を守って脱出の道を切り開いた女傑である。
ちなみに頭の名の【ハイダ】は実家のしきたりで付けられた男名前で、それが先頭に来るのは彼女が本来は婿を取って、実家を継ぐ長女だったことを示している。
彼女の夫は、メルバス・シグルドの三男でシグルド・ダリル。
二人の間に生まれた長男がハイドダール・ファーンで、通称(小)ダリル。
そこから後は慣例通りに、次男がダリル・セクタルで、三男がダリル・サルベス・・・と続く、無理矢理というかどう聞いても全面降伏の気配がそこはかとなく漂い、両親の結婚までの経緯と、力関係がうかがえる命名である。
「はっ、申し訳ありません!女官長」
背中に棒でも差し込まれた様に、ダリルが姿勢を正す。
「既に仕立てられ、あちらの王女とやらが袖を通したのは聞き及んでおります、卿に取り戻していただきましたが、もはや晴れの御衣裳には使えますまい」
ファーラとエクードが、せっせと解くのを手伝った白い布の縫い目を、女官長は悲しげにそっとなぞった。
「刺繍を施した真ん中をこの様に鋏を入れるなど、あちらの仕立て屋は余程に腕が悪いのですね」
本来の花嫁の寸法にあわせて、身頃や袖部分に刺繡を施し裁断して、はぎ合せてから縫い目に出来る余白部分を後から刺繡で埋める予定の衣装で、王宮の裁縫師や針子達にも難易度が高く、縫製を最後に回されていた一着だった。
布と同色の糸で刺した、地模様の映え具合を見るための、最初の仮縫いの最中に魔法陣は現れた。
予定していたデザインを無視して、更にあのバカ王女はほっそりとした花嫁よりも、胸も腰も腹も大きく、布をはぎ合せた部分には刺繡糸が大量にほつれていた。
「布一枚よりもまずはアーリシャ様のご無事が第一です、今後あちら側に攫われる事が無くなるのは何よりでございます」
そう口では言いながら、姑の最後の力作があちら側に残されたままだったなら、余程に業腹だったに違いない。
「姑の墓前に報告した後に燃やすことに致しましょう。」
わずか三ヶ月でこちら側から攻め込める術式を組み上げられたのは、多くの者達の努力の賜物ではあるのだ。
「ですが、式と宴席でお召しになるのに、必要なご衣裳の枚数はそろったのでしょう?」
(あっ、バカ!)
自分も人の事はとやかく言えないが、普段理詰めで政治や策略を巡らせる時は、細かいところまで回り過ぎるほどに回るマーガスの頭は、女心だの恋の駆け引きには役に立たない。
「数だけ揃えば良いと言うものではございません。
戦後処理が未だ終わっていない事情を鑑みて、ありがたいことに奢侈を控えて、私共が用意した品を使っていただく事にはなりましたが、一生に一度の晴れの日に仕立てだけでも最高の仕上がりの物をお召しになって頂きたいのです」
神殿での結婚式と、出席者を入れ替えながら三日三晩続く祝宴で、午前午後と日没以降に着用する分は既に仕立て上がっている。
バルガス家は男児ばかりが生まれる事で有名で、それ自体は武門の家ならば褒められるべき事なのだが。
本家筋である王都屋敷には、隠居の祖父には息子が七人。
次男であるバルガス将軍を除いて、その他の息子達に子(男)がそれぞれ5~12人、あくまでも今現在で今後まだ増えるだろう、年長の息子達の数人は父となり孫(男)も授かっている。
全員が黒髪黒目、顔の彫は深く・身長高く肩幅広く胸板厚くて、例外無く皆脳筋。
戦場に在っては、揃いの黒の具足に身を固めた集団は、敵に恐慌を味方に頼もしさを与えるが、この黒いガチマッチョ集団が、本家屋敷で鍛錬の為に集団で汗を流している様は、広いはずの馬場や道場が狭く見える。
このむさ苦しさは筆舌に尽くし難い。
息子達に嫁が来て、屋敷内の女性の比率が増えつつあると言っても、身寄りの無い娘でない限り花嫁衣装は実家が用意する物だ。
口出しはしづらい。
そして彼女達が産む子供達も、確実に皆男児だろう、女児が生まれる確率は二十分の一なのだ。
(表向き祝福とされているが、ここまで極端だと【男児呪い】とまで言われている)
この世界の衣類は裕福な者が仕立て屋に任せるか、庶民が古着屋で買う物を別にすれば、ハンカチ等の細々した物をから普段着も特別な祝いの晴れ着も、家庭の主婦か使用人の女達が、一針一針手縫いで作る。
嫁入りが決まってからでは、糸と布は蔵に売れる程有っても、満足できる仕立てが間に合わない。
半分傭兵半分農家のバルガス家は全てが自給自足で、農作物や家畜を育てる所から糸も布も手作りする。
だから、祖母とダリルの母と五人の叔母達が、アーリシャ姫の婚礼衣装にかける手間と情熱は、男であるマーガスには予想は出来るが理解は出来ない。
「婚儀の日まで残りわずか、前々日の夜までには神殿にお入りになり、精進潔斎も行わなければなりません。王太子殿下には、本日より婚礼のお支度の為に後宮へお戻りいただきました。
当初の予定通り書類は、緊急に決済を急ぐ物のみ後宮にて処理。
会議の報告は毎日正午中宮にて、宰相様以下三名の方々より奏上する、という事でよろしゅうございますね」
女官長は淡々と言っているが、この三ヶ月で予定が大幅に狂って後宮は今頃てんやわんやだろう。
政務を疎かにしたい訳ではない、国家の威信もかかった即位と婚儀の主役なのだから、次期国王の姿かたちすらも冗談抜きで国家事業だ。
今頃は外見の仕上げに、侍女達が殺気立っているはずだ。
ダリルが今回の報告を上げられるのは、最短でも明日の昼だろう。
(人型の)嵐は過ぎ去った。
「結局あのバカ王女は生かしたままにして来たのか」
誰からともなくため息が漏れ出るのを、マーガスが話を戻した。
マーガスの周囲には紙の束がどんどん積み上げられる。
「鑑定で見たら胎に嬰児がいたからな、あの女諸共殺すのでは殿下がお心を傷められる。
なに、一枚剝ぎ取ったら肉眼で見て分かるほど腹も膨れていたから、あれだけハッキリ衆目に晒してやれば、後は放っておいても幽閉されるだろう」
「社会的には死んだも同然だろう、ソレ」
未婚で身ごもるとはなんとも呆れた話だ、一国の王女ともあろう者が表舞台には復帰不可能の大醜聞だ。
「それを、胸帯と下履き二枚だけの姿で、石造りの壁に磔にして来たのか、容赦無いな」
U字型に形成した人の指程の太さの金具で、ガッチリと両手と首を縫い付けて来たので、救助作業は難航しているようだ、今も魔鏡の向こうから金切り声が聞こえている。
(化け物だな、コイツ)
ダリルは素手で打ち込んだが、ドワーフだとてこんな作業は槌を使う。
「だからあちらの王女は、『男の』勇者を呼びたがっていたんですね」
呼び出した勇者と即座に既成事実を結び、多少計算が合わなくても、ソレが父親という事にしたかったのだろう。
エクルードがブルっと震えた。
呼び出されて利用される勇者は、本当に好い面の皮である。
「あれだけ爛れた真似をしていたら、そりゃあ子が出来るさね」
海賊の娘だが、自身の身持ちは固いファーラが吐き捨てる様に言う。
この三ヶ月間というもの、魔鏡の前で向こうの世界を監視していた二人は、見たくもないモノをうんざりする程見ていたのだ。
大姐と呼ばれていた母を、侵略軍側の私掠船との小競り合いで亡くしたファーラは、母に代わって部下の嫁取りの世話はもちろん、場合によっては略奪婚の調停までこなしていた。
手下供の下ネタに動じない程度には、娼館などで何が行われているかは知っている。
「普通無いわよね、女の方が男を寝台に括り付けて、弄ぼうなんてさ」
護衛を務める騎士も貴族であるから、王女に誘われて逆玉の輿かと期待し、室内に引き込まれて五~六人の侍女達にしな垂れかかられてハーレムの夢を膨らませたのだろうが。
職務上の秘守義務として当然だが、この三か月の間に調べた所あちらの近衛騎士は、王族のプライベートを話せないよう契約魔法で縛られているので、被害者にされていたらしい。
「あれは虐待どころか拷問だったな、ただの侍女のくせに、生かさず殺さずを加減する技量だけが、やたらに優れていたんだが」
王女の寝台の上で複数の侍女に圧し掛かられて、鼻の下を伸ばしていたうぬぼれ男が、あっという間に甘い夢が破れて、『え?え?えぇっ?』と慌てふためくさまに、キチンと節度を持って拒絶しなかった男自身の自業自得ではあるが、さすがにマーガスも乾いた笑いしか出ない。
見張りを担当していた者たちも、魔人の瞳越しにつぶさに様子を見ているから虐待と認識しているが。
おそらくこちらの世界でも、話で聞いただけでは男が被害を訴えたところで『いい目を見たじゃないか』と言われるのがオチだろう。
「寝台の上で粗相をされては困ると言う理由で、飲まず食わずで脱水症状で衰弱、更に寝る間も与えず入れ替わり立ち代わり、コトを強要されて体力を奪われる」
敵には一切同情しないダリルも、さすがに眉をひそめた。
最初は魔鏡の前で、あからさまに鈴なりになったりはしないが、交代での見張りをし、喜んでいたこちら側の騎士や役人が青ざめていた。
「引っかかる男も、どうしようもないけどね」
冷たく言い捨てるファーラの声に、男達三人は沈黙した。
愚王の方は即座に治癒魔法をかけた。
両足を切り離したまま切断面を治療されてしまうと、欠損した部分を繋ぎ直せなくなる。
ましてやダリルは召喚によって初めて治癒魔法のスキルが付いたばかりで、戦場での応急処置以上の医学知識が無い。
傷口の面積が大きいので出血量も多く、元々神官でも僧侶でもないダリル程度の腕前では、足の先端まで血液が行って戻って来る、太い血管の処置をキチンとしていない。
今回の厄災を呼び込んだ責任を取らされて、貴族達にどの様に扱われるかは知らない。
一方バカ王女であるが、白日の下に恥を晒してやったが、身体は無傷だ。
「言っておくが非力な女子に手がかけられぬとかではないぞ、三ヶ月前にコルサドの前に現れたアーリシャ、様だとて、見た目はか弱い少女だというのに、あ奴らは何の配慮もせずに自分達の戦争に駆り出そうとして・・・ん?」
話の途中でダリルが振り返った。
彼の背後には、庭に出られる掃き出し窓が有った。
耳を澄ましているダリルに倣って、室内にいる全員が沈黙すると、ピタピタと濡れた裸足の足音がする。
「ファーン兄さまっ!」
庭から飛び込んで来た人影が、ハイドダールの胸にぶつかった。
「「「「エクト様?!」」」」
作中に某被害騎士が、いるんですが・・・ハーレムタグって要ります?
『逆の意味でハーレム』なんですが、なんと表現して良いやら・・・
次話投稿は四月十一日の予定です。