石船、湯船
「水、行くよー、みんな、気をつけてねー」
河面から透明な蛇が、にゅるりと立ち上がる。
見守る牧童達や一門の連中の目の前を、大人の身の丈程の太さがある長々とした胴体が通って行く。
とても身体を支えられそうにない小さな後足が、音も無く一歩づつ進み、その後にこれまた長い尻尾が高く掲げられながら、居並ぶ男たちの頭上で左右にユラユラ揺れながら続く。
「ピザンテガロアの若様は、一人でコレをやりなさるか」
口をあんぐりと開けて、一門の男が驚いている。
彼は長く詰めていた西の国境線任務から内地に戻されたばかりなので、大規模魔法は見慣れているはずだが、それでも驚くのだからマーガスはおかしいのだろう。
マーガスの言い分によれば、この姿は蛇ではなく『とーよー』のドラゴンだそうだ。
水で出来ているので分かりづらいが、確かに二本の角があり、ぎょろりとした目玉があり口からは牙がのぞき、鋭い鉤爪を持った四肢も備えている。
だが身体は細長くシルエットは魔獣蚯蚓に近く、長大な身体と比べれば腕は細く短く、翼も無い、なぜそこまで細部にこだわるのか謎だが、呆れた事に体表の鱗まで表現している。
去年の雨季、マーガスはこの水蛇の背に石船を乗せて、ここから王都まで行ったらしい。
船頭も居ない無人の、石を切り出しただけの巨船を十隻、整然と並べて川を下らせたそうだ。
今、領内の川沿いには船を切り出した後、更に拡張した貯水池と畑が、五つずつ並んでいる。
「意味が分からん、おかしいだろ」
屋敷の警備を担当していた者によれば、去年ダリルが実家へ戻った後、ピザンテガロア領を訪れた商人が、マーガスを子供と侮って何やら失礼な言動をしたらしい。
『カッチーンと来たからさー』
と言う理由で、船十隻分の石材を、問題の商人も含めた、複数の建築資材を取り扱う問屋を集めて、王都で競りに掛けたという。
安定して注文が入るおかげで、領内の男達は後回しにするはずの副業を、前倒しで始めることになってしまった。
と、言っても元々牧童の男たちは、石工としては正真正銘の素人だ、いきなり鑿と大槌を持たせても、売り物になる品質の石材は切り出せない。
本職の石工が雇えない貧乏領なので、午前中に領主が直々に魔法で切り出した石を、村の男たちが穴の底から担ぎ出している。
マーガスが『逆階段ぴらみっど状』と呼んでいる、露天掘りの巨大な穴は、大人の身の丈程の段差部分では、転落防止に柵状に石を削り残しているのが、仕事が細かい。
どこまで掘っても同じ岩質の石が採掘できるが、あまりに深く掘りすぎると何しろ物が重量物だ、男たちが運び上げるのが負担になるので、ある程度で見切りをつけて、畑か貯水池にする。
今回は、採掘跡を貯水池にする為、水を注いでいるのだ。
元々マーガスは、領内の特産品を売り込む販路拡大のため、前伯爵に融資していた金貸し達に、王都だけでなく商品を取り扱ってくれそうな、国内外の商人を紹介させていた。
『国に元本だけは保証されても、我領が潰れたら困るでしょう?どんどん商品が売れて経営を立て直して、借金が早く返って来たらもっと嬉しいよね?』と、
更に、有益な取引相手だった場合のみだが、紹介料の支払いも確約して(自分から)書類にも残したそうだ、但し支払いは十年後で。
抜かりないことに、紹介されて来た商人が、詐欺師まがいの悪質な輩ならば、逆に罰金を取れる内容らしい。
「普通貴族というのは、代々取引のある御用商人に、領内の生産物を全部預けるものだよな?ベルハン」
「御用商人は二人いたそうですが、預かった品物を予定していた金額で売り切れないと、その赤字分を商人が自腹を切るんですよ。
わずか七年で領を傾けた先代様に引きずられて、一人は身代を潰して夜逃げ、一人は若様の代になってから泣きついて、御用商人を解いて頂いたそうで」
その他にも、領外から仕入れてきた生活必需品を、村人たちに売りつける商売も、独占できる立場にあったはずなのに、二人共が潰れるとは。
そして領内で石材が生産されるようになったのを聞きつけ、金貸しの紹介状を持った商人が、遥々王都からやって来たらしいのだが。
貴族の若様に相場なんぞは分かるまいと、既に同じ大きさの板状に切り出され、そのまま建材として使える状態の石に、全く見合わない安値を付けたらしい。
『堆肥を売った帰りの便で買ってきた、廃土より安い値段をつけやがってさ』
ふふふとマーガスは笑った。怒らずに笑った。
マーガスは貴族の身分を嵩に着て、不当な高値で売りつける奴ではない。
逆に『貴族のくせに良心的な価格で商売する』、という方針が商人共に舐められることになったらしい。
まだ十二歳の少年だったし、後見人になれる親族男性もいない。
「親族どもは、マーガスが追っ払ったから居ないのだが」
頼りになる男手として、貴族院から派遣されている役人が居るはずなんだが、屋敷の空き部屋のどこかに住みつき、ダリルはこの四年姿を見たこともない。
ダリルの方も指導役に国内を引きずり回されて、年中この領にいるわけではない。
秋の納税時期に(つまり赴任期間が終わる時だけ)、陸路で物納する王都へ行く荷馬車の列に、同行する馬車だけを護衛する連中が見ている。
『いやー、最初の年に来た奴なんか、同行してきた部下や護衛全員の経費を負担させようとしたり、個人的な買い物の請求書を回してきたりしたけど、三か月もすると部屋に引きこもるだけになっちゃうね、仕事してほしいのにさ。
今年来た人なんか最初から大人しいよ、ウチってさあ、左遷先としては最終評価部署なんだってことが、最近になって知れ渡ったらしくて』
二年連続で、赴任当初は自分が領主になったかのように、錯覚する様な輩ばかりが来ていたようだが、引きこもらせるような何をした?
マーガスが貴族院を統括するサダラント卿に依頼されて、『勤務評定』を付けていた事を彼らが知る頃には、既に北海の離島へ島流しか、王家直轄の山岳地帯への陸流しが決定していたそうな。
「子供の評価で島流し、サダラント卿というのはよっぽど、マーガスと気が合うんだな」
「辣腕で知られたフェブルス侯爵の次男でさぁ」
類が友に呼ばれているのか、どうしてそう敵を作る事を。
もとより河川を通行する許可証はあったので、船十隻を連ねても咎められる事は無かったが、川岸よりも高い位置に水面が持ち上がり、その水に乗った石船が、お互いにぶつかり合う事もなく、船体に広告などが書かれていた事もあって、王都では大変評判になった。
雨季ということもあって、雨が降っているのにも関わらず、屋外で行った競りは、多くの野次馬に取り囲まれて、大盛況だったそうだ。
「石で作った船が水に浮いたと、一時はアーレス伯父上たち軍関係者にも注目されたようだが」
ダリルの伯父シグルド・アーレスは、初代当主叙爵の時からの取り決めで、軍に奉職して現在は将軍位を賜っている。
「使い物にはならん、ってことにはなったんですよね」
船の形をしただけの石の箱には、舵を取り付ける事ができず、櫓や櫂だけでは重すぎて操船出来ない、木製の船に比べればしなやかさが足りず、柔らかさ等望むべくもないので、ぶつかれば当然割れる。
「伯父上の話だと、商人の競りに混ざって、軍装や行軍用の乗り物を研究改良する部署が、大真面目に一隻買い取ったそうだがな」
あくまでも石材として売却したので、後日その話題が出てマーガスが物凄く身悶えしていた、何やら悔しかったらしい。
マーガスですら船の運行は難しく、すぐ間近で大規模水魔法を不眠不休で制御し続けなければ、十隻の石船は蛇行する川を曲がり切れずに暴走しただろう。
『出発しちゃってから、あっ、コレ、ヤバイって気がついたんだけどさ、雨季で増水してスピードは出るけど、勢いがつきすぎて到着までの丸一日が、長いこと長いこと、アッハッハッ』
「・・・笑い事じゃない」
それでもマーガスは、集まった商人達と河川管理の役人たちの前では、涼しい顔を貫いたようだ。
「ダリルー、そっちも行くから蓋外してー、どっちかずれてー」
マーガスは、声を張り上げると語尾が間延びする。
「ん、ここもか、ベルハン、そっちを頼む」
「へいへい」
地面に用意された浅い穴から、石蓋を二人掛かりではずし、衝立代わりに溝に突き立てた。
足元の穴は広くはあるが腰丈ほどの深さで、周囲が座れるように階段状に切り出されている。
ダリルたちが場所をあけると、馬ほどの大きさの水蛇が目の前を通り、穴の上でバシャリと崩れた。
「はい火球、みんな火傷に気をつけてね」
ボシュッ、ボシュッと、マーガスと有志の魔法使いたちが、水中めがけて火魔法を打ち込む。
光り輝きながら火球がどんどん小さくなって、後は水が湯になるのを、村人たちが行軍中の料理に使う様な、特大木べらを持って待ち構えている。
「マーガスの魔法の使い方は、やっぱりおかしい」
「なんだよ失礼だな、本物の火と違って、火魔法は魔力が光と熱に変換されているだけだから、水をかけても消えないんだって、説明しただろー」
「ちがう、攻撃魔法を風呂に使うな」
春を飛び越して、夏かと錯覚する程暑い日が続く、一日の作業が終わった夕暮れ時。
石材の運び上げをしていた男たちも、畑や家畜の世話をしていた女たちも、川岸に並んだ露天風呂で汗を流す。
領内の警備に、バルガス家から貸し出されている兵士たちも、交代で手早く湯を使う。
「熱い風呂と川風が気持ちいいですな、小ダリル」
「ああ」
元々は石切り場の作業にあたる男たちに、マーガスが『石材の粉塵を付けたまま、絶対に家に帰るな!』と、入浴と着替えを強く命じたかららしい。
「石の粉を吸い込むと、疫病とは別の肺の病になるって話でしたね」
「マーガスの奴は頭も良いし学があるからな、本当だろう」
鉱山地域でも、似たような病は聞いたことがある。
遮る物の無い屋外で、わいわい騒ぎながらそんな事をしていれば、当然他の村人たちの目に止まる、試してみれば、湯の中に全身を浸すのは気持ち良い。
今では雨が降らない限りは、夕暮れ時に石切り場周辺の村人全員が、川岸の露天風呂に集まる。
「ぎゃーっ、た、助けてー」
雑巾を引き裂くような男の悲鳴。
「覗きか・・・」
ギラギラと刃物が夕陽を反射しているが、チラリと視線を向けて、その場の全員が直ぐに見捨てた。
「あの声は、村長のトコの四男坊だなや」
「あんなおっかねえ姐さんばっかりなのに、アホだなあ」
不届き者を吊し上げているのは、いずれも女性の傭兵や魔法使いたちばかり、口を差し挟める強者はいない。
普段は転落防止に使われている石蓋を、わざわざ一か所に集めて囲ったその先に、男たちの『夢の園』が手招きして待っている。
最近のピザンテガロア領は、西や東の国境線の紛争に参加している兵士には有名だ。
戦に派遣されたバルガス家の兵士たちが情報の出所で、レガラン家等の他家の武闘派貴族、平民の傭兵団の間では、密かな療養保養地として囁かれている。
ここの石で作った湯船が、捻挫に骨折、刀傷に腰痛や古傷に効くと、もっぱらの評判なのだ。
要望を受けて、川岸の穴がずいぶん増えたが、マーガス自身が接客しなくても、湯治客のメンバーに魔法使いが居れば、各自で好きな時に水と火を入れて、入浴している。
排水の浄化などの後始末をキチンとして、転落防止の石蓋をしっかりすれば、勝手に使ってもうるさく言われない。
幸い、かつて騎獣を買い付けに来た客用として、使っていた宿屋がそのまま残っていたので、領内は十数年ぶりに活気を取り戻している。
「あんな見晴らしのいい場所で、病気じゃないの?」
ドボンッとマーガスが飛び込んできた。
「領主様も大変だな」
領民を守るのも、領主の務め。
「とりあえず牢屋ぶっ込んで来た、お姉さんたちが『切り落として良いか?』とか聞くんだよ、今回でもう六回目だし。
村長の息子だからって、小作人の娘の一人に無理強いっぽい事もしてるらしくて、仲良くなったお姉さんたちが『結束力』を発動しているよ」
目先の誘惑に、我慢が効かないだけの助平ではないらしい。
「切り落とすのは最終手段でしょう、ウチで預かりましょうか?ちょうど西の真ん中がキナ臭いですし」
「バルガス『きゃんぷ』からの、兵役『こんぼ』かー、村長はいい人なんだよ、村長は」
ベルハンからの申し出に、軽犯罪でさすがにそこまではと難色を示し、ブツブツと何気に失礼なことも呟く。
「それよりも揉めてるのはコドリス国だっけ?鍛冶の国、対面のセスカス辺境伯領まで地下水に鉱毒が混ざるとか?」
「こことセスカスの間にある伯爵領でも、被害が若干出てますね、国境際の湖で水棲の魔獣が毒で浮いたって、大騒ぎですよ」
湯の中に居るのに、うすら寒くなって来た。
「お隣までか、嫌な情報をありがとう、ベルハン」
マーガスの顔は当然渋い、目の前を流れる川が別の水源なのが救いだ。
屋敷に戻って夕食後、ダリルは祖父から言いつかった用件を、マーガスに伝える。
「アーレス伯父上が後添いを迎えるので、今まで放置していた練兵場近くの別邸を改修する事になった、石材の手配を頼む」
やもめの伯父は、将軍位にありながら官舎すら使わず、上級士官用の寮を使っていた。
「それはおめでとう、バルガスの爺様には恩義があるから、できるだけ優先的に品物を回すよ、棟梁に必要な石材の厚さと大きさを指定して、って伝えといて。
それでお嫁さんはいつ頃新居入りするの?準備期間はどのくらいある?」
受注の帳簿、と言う物を引き寄せながら、マーガスが質問して来る。
「来月の頭に入籍して、引っ越しもする」
「き、急だね」
「秋頃には子供が生まれるらしいが、そちらは本家で母上たちが万全の体制で待ち受けている。
祖父が言うには冬が来て寒くなる前に、赤子の為にも修繕を終えたい、急な事だし重量物だから、運搬は一門から人を出すそうだ」
今、季節は春である。
「け、結婚と出産と改築祝いが、いっぺんに要るんだね」
次回は五月の五日、男の子のお祝い(本文と関係ないけどw)




