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8 ドラゴンともふもふ

今回はトメさん視点です。

 硝子の器と箸をテーブルに置くと、綺麗に空になった皿の数々に向かい、葉月は両手を合わせて一礼した。


「ごちそうさまでした。はあ、美味しかった」

「ごちそうさまでした。本当に、美味しかったですね」


 葉月に続き、満足そうな沙流渡(さるわたり)が食卓に向かって目礼する。


 本日の昼食は素麺だった。


 木の箱に入った貰い物がある、とトメが葉月に教えると、ユカリと沙流渡にも意見を聞いたうえで、葉月が素麺にしようと言った。


 トメが素麺を茹でるのを受け持ち、葉月と、意外なことに沙流渡が、素麺以外の惣菜を作り、薬味を用意していた。瑞々しいキュウリの細切り、錦糸卵、トマトの薄切り(これに関してはトメがドラゴンの爪で包丁では難しい薄切りにした)、焼きナスの酢味噌和え、ネギや大葉の薬味二種、と皿を並べた。


 葉月と沙流渡の(ひと)二人(ふたり)だけでなく、ユカリも無言無表情ながらも好奇心が満たされたようであったし、トメも久々の素麺だったので満足した。葉月と台所に立ったことも楽しかった。


「それに、念願のトメさんの器で食事ができて、嬉しかったです」


 葉月が素麺のつゆを入れた器をもう一度両手で持ち上げた。


 氷を刻んで彫り上げたような無色透明の硝子の器である。四年前の夏、硝子の扱い方に慣れてきたころ、露姫様から「氷のような、涼しげな器が欲しいのう」とねだられて作ったものだ。十個ほど作っただろうか。五個を一セットとして、半分は白露神社の露木さん宅で使われている。


 今見ると、拙い部分もあったりするのだが、そのときの自分だからこそ表現できた味わいもある。それは今の自分には作り出せないものである。


 それを使って喜んでくれる人がいることも嬉しいし、喜んでくれたのが葉月であったことは、さらに嬉しい。


 どうしてだか、初めて逢ったときから、葉月の笑顔にはほっとさせられるのだ。心の奥の、より深いところから、柔らかく、暖かくなるのだ。


 当時、こちらの世界のことを何一つとして知らなかったトメは、これは一体どういうことなのだろうか、と露姫様に相談をした。


 露姫様はにやっとして一言。


「一目惚れだの」


 もちろんトメは『一目惚れ』がいかなるものか知らなかったので、物臭気質には珍しく、露姫様にしつこくしつこく問い質した。一目惚れとは。恋とは。こちらの世界の人々が交わす想いとは。


 過去、何人ものドラゴンたちを監督した経験のある露姫様は、慣れた様子でつらつらと説明をしてくれた。


 その説明を聞いたトメは、なるほど露姫様のおっしゃる通り、自分は葉月に恋をしている、と納得した。


 会えれば心が躍り、微笑みを向けられれば歓びが胸に満ちる。言葉を交わせれば楽しくて仕方ない。硝子を扱っているとき以外は葉月のことばかり考え、葉月が何者かに奪われでもしたら、と想像するだけで落ち着かなくなる。


 平均寿命五百年というドラゴンは、なまじなことでは伴侶を得ることはない。精神性が高いことと寿命が長いことから、そうそう子を成さなくても種の存続に関わるような事態に陥らないからだ。


 トメは二百年以上生きているが、同世代のドラゴンたちのご多分に洩れず、伴侶を迎えたこともなければ、子を成したこともなかった。


 この人の世、日本にやって来て、生まれて初めて恋に落ちるという経験をしたのだった。


 当然、なにをどうしたら良いのかもわからない。ドラゴンの世界では恋愛小説やドラマといったものはなかったし、周囲の知り合いのあいだでも恋の駆け引きとやらは行われていなかった。


 露姫様も一目惚れや人の恋について説明してくれたものの、それはあくまで露姫様主観のものでしかなく、実際に葉月と一緒にいるときに参考になるような意見は一つもなかった。


 弟のセイが竜遊舎(りゅうゆうしゃ)にふらりと立ち寄ったとき、参考のためにと彼にも尋ねてみたが、なんとも言えない微妙な顰め面で「は? 日本人の恋愛事情なんぞ、オレが知ってるわけないでしょうが」と冷ややかに返されて終わりだった。


 暑苦しそうな真紅の髪と目――ドラゴンの姿なら全身が真紅――をしているくせに、冷たいやつである。


 そんな風のように気ままでドライな弟はさておき、トメは結局、自分なりに優しく葉月に接するしかなかった。


 初めて葉月と出逢ってから、人の常識から外れないよう、適度な距離感を保ちつつ、いつの間にか三年半、それはイコール、トメの片想い期間でもある。


 葉月はどうやら日本人女性としては、万事控えめなタイプらしく、穏やかで礼儀正しくトメに接してくるものの、彼女からこちらへ踏み込んでくるようなことはない。そんな彼女だから心惹かれたのだろうと思うものの、それが時折もどかしくもある。


 だからといって、トメから葉月の方へと踏み込むのは、どうしても躊躇してしまう。


 ドラゴンの常識と、人の世の常識とが、あまりにもかけ離れているせいであった。


 だからトメは三年半の時間を掛けて、少しずつ少しずつ、葉月との距離を縮めていく努力をしてきた。そしてそれはドラゴンの精神性の高さゆえの鉄壁の理性でもって、現在も継続中である。


 しかしここにきて、これまで順調であった葉月との距離を縮めよう作戦に障りが生じつつあった。


 その障りとは『もふもふ』である。


 つい最近まで『もふもふ』とやらがいかなるものであるのかも、トメは知らなかった。


 それは今し方のこと。新しい和室から葉月の声が聞こえてきたので、慌てて工房から上がって和室へ目を向ければ、愕然とするような光景が。


「わあ、もふもふなんですね……!」


 なにを企んでいるのかもわからないフェニックスを、いくらコザクラインコとやらの姿をしているとはいえ、両手で包みこんで頬ずりするとはなんたることか。


 ――俺は、葉月ちゃんと手を繋ぐのがやっとだってえのに……!


 精神性が高いことで知られているはずのドラゴンが、内心では悔しさに歯噛みしていた。現場にいなくとも露姫様には筒抜けバレバレだったようで、ニヤリと笑う気配が伝わってきた。


 露姫様が指摘しなかったこともあるが、トメはその悔しさを引き起こしている感情が、嫉妬だということを知らなかった。


 ただ、面白くない、ということはわかる。苛立つし、ひどく不快だ。


 だというのに、葉月は無邪気にフェニックスと戯れるのだ。


 トメはこんなにも感情に振り回されているというのに。


 ――それが自業自得だってこたぁ、わかってんだけどよ……。


 自分の気持ちは、一つとして葉月に伝えていないのだから。穏やかな笑顔の裏に隠されたドラゴンの片想いを、葉月に察しろという方が無理な話である。


「さっさと告白してしまえばよかろうに。じれったい」と露姫様から揶揄されたこともあったが、トメはいまだに自分の想いを伝えられないでいる。


 ――ドラゴンと人の違いを、もうちっとお互いに知ってからでねえと、駄目だ。


 とてもではないが、その違いが原因で葉月に距離を置かれてしまったら、と考えるだけで怖じ気づいてしまうのだ。


 ――我ながらだらしのねえ話だが、葉月ちゃんのことで後悔はしたくねえからな。


 トメ自身が作った硝子の器が、水を張った盥のなかで氷のような姿で浸かっている。それを一つ一つ取り出して、流水でわずかに残っていた洗剤を流して綺麗にしていく。


 調理は葉月と沙流渡がしてくれたので、洗い物係はトメが率先して手を上げたのだ。


「一人じゃ大変ですから」


 葉月はそう言って、トメが洗った食器を布巾で丁寧に拭き、食器棚へ片付けていく。並んで立っているだけで幸せだと思う自分は、どれだけ葉月に夢中になっているのだろうか。


 トメは次々と食器を洗いながら、突然現れたうえに、なかば強引に葉月の傍らを独占してしまったフェニックスについて、どうしたものかと思案する。


 どのような理由からトメのグラス、それも葉月のものを欲しがっているのか。


 トメが推測するに、フェニックスはトメ――ドラゴンが作ったグラスと、それを覆う葉月の色に惹かれているのだろう。日本語で現代風に言うならば、生体エネルギーのようなもの。古い言い回しならば『気』というもの。


 葉月はトメが作ったグラスを、それはそれは大事に使ってくれている。愛おしんでくれている。もしグラスの色が葉月にも見えるなら、グラスの方でも葉月をとても慕っていることがわかるだろうに。


 氷を削り出したかのような硝子の器を重ね、トメは最後に残ったそれを食器棚に片付けていく。葉月はグラスを出して、ティークーラーから麦茶を注いでいた。葉月とユカリは自身のグラスに。トメと沙流渡の分は淡い水色のグラスに。


「トメさん。はい、どうぞ」

「ああ、ありがとうな、葉月ちゃん」


 葉月が彼女の隣にグラスを置いてくれたので、トメは葉月の隣に座ろうとした。


「あ、ユカリさん、飲み終わりましたか?」

「うむ」


 金髪美女のまえに置かれた、葉月とお揃いのグラスが空になっている。


「じゃあ、洗う練習をしてみましょうか」

「うむ」


 トメが椅子に腰掛けるのと同時に、葉月は椅子から立ちあがる。ユカリを連れて、シンクの方へと行ってしまった。


「……」


 自分の向かいに腰掛けていた沙流渡を、トメは思わず睨みつけてしまった。こやつが竜遊舎にフェニックスを連れてきて、トメの平穏な日々をぶち壊してくれた元凶なのである。


 沙流渡は、といえば澄ました顔で麦茶を飲んでいる。


「おい、古物商」

「はい、なんでございましょうか」


 胡散臭い笑みを返してくる。


「どうしてヤツをここに連れてきた」


「それは、ユカリ様が目を留められたのが、竜遊舎様の作品だったからでございます。以前、一度日本(こちら)にお越しになられた折り、どなたかがお使いになっていた硝子の器を拝見する機会があったようでございます。その特徴をわたくしが伺いましたところ、竜遊舎様のお品物であることがわかりましたので、こちらにご案内させていただいた次第でございます」


「だったら、新しく作ってやったグラスで充分じゃねえのかい? どうしてヤツは葉月ちゃんに固執してやがんだ」

「フェニックスであるあのお方が、どういったものに魅了され、欲するのか、申し訳ございませんが、人間であるわたくしめにはわかりかねます」


 トメはそれ以上追求できなかった。わからない、ということがわかるからだ。


 トメにも葉月が『もふもふ』であるというだけでユカリへの警戒をまるっと解いてしまうのがわからない。


 いや、子犬や子猫、小鳥たちが愛らしいというのはわかるが。


「……あれば、可愛いなどというものじゃねえだろ……」


 ぼそりと呟いてしまう。


 ちらりと葉月の横に並ぶユカリを見やる。葉月のものと自分のものと、グラスを洗い終えて水切りに置くと、ユカリはすかさずインコの姿になった。そのとたん、葉月が笑み崩れる。


 だがあれはフェニックスだ。炎の固まりだ。コザクラインコなどではない。


 腹の立つことに、ユカリは当たり前のように葉月の腕に飛び上がり、ブラウスの五分袖をえっちらおっちら、くちばしと足を使って登っていく。


 可愛い可愛いと絶賛して、葉月は肩に上がったユカリに頬ずりする。


 許せん。


「……クソ、やっぱり『もふもふ』じゃねえと駄目なのか」

「……やはり、『もふもふ』というのが、深山様にとって重要なのでしょうね」

「どうしてドラゴンはもふもふじゃねえんだ……!」


 ドラゴンともふもふのあいだには深くて暗い川がある。いや、川どころではない。底の見えない巨大な深淵が横たわっている。


 一人ぼやくトメのことを、沙流渡が気の毒そうな表情で見ていた。

更新速度をあげたかったのですが、急用が入ったりして思うようになりませんでした。すみません…。

今後は、不定期更新ということにすることにしました…。

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