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6 ユカリは意外とあざといかもしれない

 露姫様があいだに入った挨拶を済ませると、「それではトメ、頼んだぞ」と言い置いて、露姫様は白露神社へ帰っていった。


 サンダルをつっかけ工房の土間から裏庭を通って帰っていく露姫様を、トメさんと二人で見送ると、葉月は沙流渡(さるわたり)と並んで座っているユカリの傍へと戻った。


「そうしたら、私の仕事を始めるまえに、グラスで冷たい飲み物を飲んでみませんか?」

「うむ、わかった」


 先にグラスの使い方を教えておけば、葉月が仕事に集中しているあいだも、沙流渡に付き添ってもらいながら、練習できるだろう。


 ちなみに二匹の鞠蛍(まりほたる)は、葉月の肩にふわふわと乗ったままだ。


「トメさん、台所をお借りしますね」


 トメさんは土間で色ガラスの粒が入った瓶を棚から取り出して、作業台のうえに並べていた。


「ああ、葉月ちゃん。今日からはここを自分の家だと思って、気楽にしてくんな。どこを使うのも俺に一々断らなくて構わねえからな」

「はい、ありがとうございます」


 優しい笑顔とともに寄越された提案に、そこまで受け容れてもらっているんだなあとほのぼのしつつ、葉月は頷いた。


「じゃあ、ユカリさん、行きましょうか」

「うむ」


 葉月はユカリと並んで、廊下を歩き出した。まるで秘書か執事であるかのように、ダークスーツを着た沙流渡がユカリのあとに続く。


 葉月もユカリも、昨日のうちに自分のグラスは一度洗い、それをトメさんが台所の食器棚に片付けておいてくれている。台所に入ると、葉月は食器棚へまっすぐ向かった。


「えっと、こっちが私のだから、こっちがユカリさんのですね」


 水色藤色翡翠色金色。小川のせせらぎのようにきらめく美しいグラスの片方を、ユカリに渡す。

 ユカリはぱちりと紫水晶の目を瞬かせた。


「どちらも人の目には同じものだと言っていたが、よく見分けがつくものだ」

「ああ、それはですね――」


 葉月は昨日、グラスの縁を割ってしまいトメさんに直してもらったことをユカリに話した。


「――それで、ここだけちょっと違う色になったので、覚えているんです」

「そうか」


 ユカリは眩しそうに目を細めて、葉月のグラスを見つめる。きっと、今もユカリの目には葉月のグラスがキラキラと煌めいて見えているのだろう。


「ユカリさんは、なにを飲みますか?」


 葉月が冷蔵庫を開けると、なかには色々な飲物の瓶、ティークーラーが並んでいる。トメさんは、独特の臭いがするペットボトルや缶は苦手なのだそうだ。なので、基本的に保存するための容器は硝子製か陶磁器になる。


 葉月が冷蔵庫のまえの場所を譲ると、ユカリは並ぶ飲物の瓶のなかから白桃のジュースを指さした。


「これがいい」

「桃、美味しいですよね」


 葉月は麦茶だ。

 まずはユカリの分を、と瓶を片手にグラスに手を伸ばしたとき、それまでずっと喋らなかった沙流渡に止められた。


お待ちください、深山(みやま)様。深山様が注ぐのではなく、ユカリ様に注ぎ方をお教えくださいませんか?」

「あ、そうか。わたしがしちゃ駄目なんでしたね。じゃあ、わたしのグラスに飲物を注ぎますから、見ていてください」

「うむ」


 金髪美女が小さく頷く。


 葉月にしてみればどうということもない、日常のちょっとした行動だったが、人ならざるものであるユカリには、新鮮な驚きに満ちた行為なのかもしれない。


 葉月はゆっくりとした動作で、自分のグラスに八分目まで麦茶を注いだ。


「こんな感じです」

「うむ、やってみる」


 ユカリは葉月に教えられるまま、桃ジュースの瓶の蓋を外し、そっと手に持つと、おそるおそるグラスへと傾けた。


 よほど緊張しているのか、ほっそりとした美しい手がぷるぷると小刻みに震えている。小さな子供が初めて飲物を注ごうとする、真剣な姿を彷彿とさせる。


「……もしかして、瓶が重いですか?」


 ユカリはふるふると首を横に振った。


「その逆で、加減をせねば瓶を割ってしまいそうな気がする。少し力を入れるだけで、頼りない感覚が伝わってくる。硝子とはこんなにも脆いものなのか」

「あー、脆いってところは、わたしも同意できます」


 なにしろ葉月は、昨日、割ってしまったばかりだ。


「ゆっくりでいいですから……」

「うむ」


 ユカリは鷹揚に答えながらも、慎重に瓶を傾けてジュースを注いだ。


「注げたぞ」


 瓶をテーブルのうえに置いたときには、白い石を彫りあげたような美しくも硬質な顔立ちから、無表情にも関わらず、やりきった感が溢れていた。


 ――ユカリさんのこういうところが、憎めないんだよね……。


 トメさんが警戒するのが当然のような言動や態度であったら、葉月も同じように警戒して距離を置くこともできるだろうに。対話をすればするほど、一緒に行動すればするほど、不器用な幼い子供や、なにも知らない小動物のようで、突き放すことができなくなってしまうのだ。


 そんな自分を内心で小さく笑いながら、葉月は桃のジュースの瓶に蓋をした。


「ここで飲んでいきますか? それとも、部屋へ持っていって飲みますか?」

「部屋に持っていきたい」

「わかりました。あ、沙流渡さんはなにがいいですか? よりどりみどりですよ?」


 と問えば、初めて素の表情で沙流渡は笑った。意味ありげな笑い方だと胡散臭さ満載だが、そうして自然に笑うと普通に良い人に見える。


「それでは、麦茶をいただけますか?」

「はい」


 葉月も笑い返して、別のほっそりとした淡い水色一色のグラスを二つ、食器棚から取り出した。もちろんこれもトメさんが作ったものだ。それに麦茶を注ぎ、ジュースの瓶とティークーラーを片付けると、葉月はお盆にグラスを四つ乗せて廊下へと振り返った。


「……っ、トメさん……!」


 振り返ったら、優しい笑顔のトメさんが立っていた。


「俺の分も入れてくれたのか。ありがとうな」


 当たり前のことのように、自然な仕草で葉月の手からお盆をさらう。


「工房の和室でいいかい?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 またもトメさんに驚かされてしまった。葉月はトメさんと並んで廊下を歩く。


「いつから台所にいたんですか? 気がついていなかったので、すごくびっくりしました」

「グラスを二つ追加で出したところからだ。……驚かせちまって悪かったな。その、古物商も付き添っていることだし、最初は葉月ちゃんに任せるつもりだったが、ちょっとばかし心配になっちまって……」

「あの、答えにくいことなら秘密にしてもらっていいんですけど、ユカリさんは、どんな種族の方なんですか?」


 龍神である露姫様が目上としての態度だったので、神使か幻獣だろうと、葉月も推測してはいる。


 トメさんは一度肩越しに付いてくるユカリを見やってから、答えても良いと判断したのだろう、静かな声で教えてくれた。


「あいつはフェニックスだ」

「フェニックス……」


 幻獣。火の鳥。伝説の不死鳥。死を目前にすると、みずから火に飛び込んでその身を焼き尽くし、ふたたび火のなかから若鳥となって蘇る。太陽の化身とも伝えられる、神にも等しい存在だ。


「普段は炎の色をした大鳥の姿をしているが、炎そのものにもなることもある。条件があるのか、自由自在なのかは、多種族のことで俺にはわからねえが」

「じゃあ、トメさんのように火を扱うというより、自分の身体が火になるんですね」


 それなら感情の揺らぎによって、故意ではなく火を出してしまうこともあるかもしれない。トメさんが危惧していたのはそれなのだ。ようやく自分が危険だったことが腑に落ちて、なるほどと思う。


 しかし葉月は気を取り直し、トメさんを見上げて笑ってみせた。


「でも、今は露姫様のテリトリー内ですから、きっと大丈夫ですよ。トメさんも一緒ですしね」

「ああ、任せときな」


 トメさんが嬉しそうに笑う。空と海のブルーに煌めく笑顔が眩しい。けれど葉月は目を瞬かせることはなかった。少しは免疫が付いてきたらしい。良かった良かった。


 一週間ほどとはいえ、トメさんと一緒に暮らしていくのに、顔を合わせるたびに眩しさに目をしぱしぱさせてはいられない。


 ――よしよし。わたし、順調に環境適応している……!


 一人、胸のうちでぐっと拳を握る。


 工房の和室に戻ると、トメさんはお盆を座卓に置いて、自分のグラスだけを手に土間へ下りていった。


「じゃあ、俺はここにいるから。葉月ちゃん、よろしくな」

「はい」


 お盆から残り三つのグラスを座卓に置いて、葉月は一旦、腰を下ろした。声を掛けるまえに、ユカリは葉月に倣ったかのように向かいに座り、沙流渡はその後ろに座った。


「どうぞ、召し上がってください。わたしもいただきますね」


 葉月が麦茶を一口飲むと、その様子をじっと見ていたユカリは、葉月に促されるよりも早く、グラスを口元へ持っていく。


 ジュースの瓶よりドラゴン製のグラスは頑丈らしく、手は震えていなかった。それでも手を使ってグラスを口元へ持っていくのは、難しいようだった。おそるおそる口元にグラスの縁が触れた。よし、と葉月が思ったとたん、整った綺麗な顎からダバーとジュースが流れ落ちた。


「あっ、ティッシュ、ティッシュ!」

「これを」


 すかさず沙流渡がユカリの手からグラスを受け取り、葉月にきちっとアイロンの掛かったハンカチを渡した。沙流渡自身も、もう一枚のハンカチを手にしている。


「お借りします」


 葉月と沙流渡とで、ユカリの両側からせっせと顎や胸元からジュースを拭っていった。


「お風呂場へ行きましょう。一度、お湯を使った方がいいです。このままだとベタベタになります」


 すると、ユカリは首を横に振った。


「それでは時間も手間も掛かる。手桶か小さな盥にでも水を汲んできてもらえば、それで水浴びをする」

「水浴び?」

「水浴びだ」


 こくりとユカリが頷く。次の瞬間には、座卓のうえに小さな杏色と黄色のコザクラインコが舞い降りた。よくよく見れば、尾羽と風切羽根が青と紫のグラデーションになっている。炎の色だ。その炎の色をしたもふもふな胸の羽根が、一部、べたっと濡れている。


「どうだろうか」

「了解です……!」


 すくっと葉月は立ち上がり、ダッシュで風呂場へ行って、ダッシュで水を浅く汲んだ木製の小さな盥を持って戻った。座卓のうえのコザクラインコへ、すっと盥を押し出す。


「どうぞお使いください」

「うむ」


 頭撫でてのポーズで頷いたが、ユカリは自分からは入らなかった。じっとつぶらな目で葉月を見上げる。見上げる。見上げる。可愛い目力のまえに、葉月はコザクラインコの望むところを察して、両手をインコのまえに差し出した。


「よ、よろしいのでしょうか……」

「うむ」


 よいしょ、こらしょ、とインコは葉月の手によじ登る。羽ばたけは飛び上がれるはずなのに、ヨチヨチよじ登るとはあざとい。あざといと言えば、先程のおねだり目力もあざとかった。可愛いから許すけど。


 葉月はもふもふのインコを両手で持ち上げ、そっと盥のなかへ下ろした。

 よいしょ、こらしょ、と水に足を下ろすと、インコはふわっと丸くなった。次いで、ぷるぷると全身は震わせる。


「冷たくて、気持ち良い」


 小さな翼を拡げて、ぱちゃぱちゃと水を浴び始めた。

 可愛い。すごく可愛い。


 沙流渡がいることも、トメさんが工房からこちらを見守っていることも忘れて、葉月はにへらと顔を緩ませた。可愛らしいユカリの水浴びをにこにこしながら眺めていた。


「……くそ、鳥ってやつらはどうしてこう、あざといんだ……」


 そんなトメさんの悔しそうな呟きは、葉月の耳には届かなかった。

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