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5 始まりはまったり

 もふもふの魔力は恐ろしい。


 ――いつの間に私ってば、ユカリさんとの同居にOKしちゃったんだろう……。


 一週間の旅行を目安に、葉月はボストンバッグにせっせと着替えやお泊まりセットを詰めていく。これが詰め終わったら、ビジネスバッグにノートパソコンやペンタブレット、資料などを詰めていかなければ。仕事はいつもデスクトップパソコンでしているので、どうしてもやりづらいときには、仕事をするときだけ自宅に戻ることにすればいい。


 ――恐るべし、もふもふの魔力……。


 犬にしろ、猫にしろ、鳥にしろ、もふもふ+純粋なつぶらな眼差しとは、なんと罪深いものなのだろうか。


 ――でも、可愛いからしょうがないよね……。


 そう自分を慰めなら、葉月はせっせと手を動かす。さっさと引っ越しを済ませないと、仕事の予定が押してしまう。納期ギリギリになって睡眠時間を削るとミスも多くなるので、そんな事態はできるだけ回避したい。


 ――いざとなったら、露姫様にユカリさんの相手をしてくれるよう、お願いしよう。


 露姫様はとても面倒見のよい龍神様なので、どんな些細なことでも相談に乗ってもらえるという安心感がある。


 ――それに、トメさんもいるし……って、ぅぁあぁああぁあぁあああぁぁ……っ!


 心のなかだけで絶叫しながら、バスタオルを抱きかかえて葉月は床のうえをゴロゴロと転げ回った。


 トメさんの家で、トメさんと同居する。


 それが葉月にとって、ユカリと一緒に暮らすことよりも驚愕の展開なのである。


 もちろん、火を使う人ならざるものであるユカリがいるので、露姫様だけでなく、ドラゴンのトメさんが一緒にいてくることは、とってもとっても心強い。


 ユカリが沙流渡とともにやって来たときも、トメさんは葉月を守ろうとしてくれていた。普段、あまり意識していないイケメンな横顔が凜々しくて、正直、胸がキュンとした。


 だがしかし、そんな自分が恥ずかしいし、いい歳してキュンとしていたなんて知られたら、と考えると非常に気まずい。


「……トメさんの家でご厄介になっているあいだは、平常心を保たなければ……!」


 頭がボサボサのままモソリと起き上がり、葉月はバスタオルをボストンバッグに詰めていく。


 ――わたしはトメさんに恋愛感情を持っているわけじゃないんだよね……。


 トメさんの容姿が人間にとって破格に美しく整っているので、条件反射のようにトキメキを誘発されているだけなのだ。人間よりも遙かに精神性の高いドラゴンであるがゆえに、彼らからすれば幼い子供のような人間に、手取り足取り、優しく面倒を見てくれているだけなのだ。


 ――よし、ここまでちゃんとわきまえていれば、妙な勘違いをすることもない。……はず。


 そもそも、葉月が相手をするのはトメさんではなくユカリである。


 トメさんの家で同居するならば、もう小さなインコの姿になる必要もないので、もふもふの魔力で惑わされることもないだろう。


 ――ユカリさんに、グラスの扱い方を教えて、長く使ってもらえるようにすればいいだけだ。


 教えることはさして多くない。日本に来たばかりだという話だったが、最低限のことは沙流渡(さるわたり)が都度、教えているようであったし、ユカリが自国に帰るまで、担当者として一日に一度は様子を見に来るとも言っていた。


 掴み所のない、浮世離れしてはいても、沙流渡は人である。担当者としてユカリのことを理解してもいるようだったので、彼からもフォローしてもらえるかもしれない。


 葉月は一週間を目安にしているが、もしかすると、二、三日で用件が済むかもしれない。


 ――いやいや、できるだけ短い日数で終わるようにしないと。


 長引けば長引くほど、トメさんとの同居期間が長くなる。


 ――おかしな勘違いをする前に、竜遊舎(りゅうゆうしゃ)お暇するのだ……!


 葉月はそんな決意を胸に、ボストンバッグとビジネスバッグを両手にさげて、意気揚々とドアを開けた。


「……」

「おはよう、葉月ちゃん」


 ドアを開けると、そこにはいつもの藍染めの作務衣を着たトメさんが立っていた。


「荷物があるだろうから、迎えに来た」


 晴れ渡った青い空を背景に、スカイブルーの髪とマリンブルーの目をしたイケメンが眩しい。葉月は目をしばたたかせる。


 ――う、朝陽よりも眩しい……! まさかの不意打ち……!


 突然のことで一瞬頭が真っ白になってしまったが、葉月は必死で動揺を隠して笑顔を貼り付けた。


「……おはようございます。今日も良い天気ですね」

「ほら、荷物をよこしな。重いだろ」

「……あ、ありがとうございます」


 ずしりと重いはずのボストンバッグとビジネスバッグを、トメさんは軽々と引き受けてくれた。


「迎えに来てくれてありがとうございます。助かりました」

「暑いのに、荷物を抱えて歩くのは大変だろう」


 たしかに早朝とはいえ、すでにじりじりと焼け付くような陽射しが照りつけている。もしバッグを二つ提げて歩いていたら、いくら近いとはいえ、竜遊舎に着くころには汗だくになってしまっていただろう。


 葉月が戸締まりを終えると、二人は並んで商店街へと歩き出した。通勤時間は過ぎていたが、朝の涼しいうちに用事を済ませようとする人は多い。商店街を行き来する人が男女関係なくトメさんと擦れ違うたびに目を釘付けにされていた。


 人ならざるものは、人の世のどこにでもいる。宗教的なタブーや教義の解釈が見直されるようになった現代、世界中の国々で彼らは気軽に現れるようになった。


 とはいえ、やはりその国その国の神々の監督が必要とあって、人ならざるものと出逢う機会は多くない。


 まして、人ならざるものが人の姿をとるときは、人ではありえないほどに整った容姿になる。葉月は露姫様やトメさんとしょっちゅう会っているので、なかば麻痺してしまっているが、おそらくいきなり擦れ違った人にしてみれば、芸能人と出逢うよりもさらに衝撃的なはずだ。


 夏休み中だとおぼしき二人の女子高校生だか中学生だかが、スマートフォンを悪気もなくトメさんに向けている。この商店街が露姫様のテリトリー内であることを、たぶん知らないのだろう。


「あれっ? え、なんで、どうして」

「いきなり壊れたぁ、動かないよぉ」


 二人の横を通り過ぎて少しすると、そんな泣き声が背後から聞こえてくた。


 人ならざるものであるトメさんたちから氏子である人々が露姫様の力で守られているのと同時に、トメさんたちもまた人の世からの不利益を被らないように守られている。了承もなく写真や動画を撮られることはないし、SNSで情報が拡散されることもない。


 ちなみにスマートフォンはトメさんが視界からいなくなれば元に戻るし、しつこくトメさんたちに付きまとう人間がいれば、露姫様の守るこの街に入れなくなってしまうのだそうだ。


 ――とは言っても、さすがの露姫様でも、相手が人ならざるものだと、後手に回ってしまうこともあるって話なんだよね……。


 人ならざるものは、その役目が異なるだけで、存在自体は神使であっても、幻獣であっても、在り方は変わらないのだそうだ。強いて言うなら、神と名の付く存在の方が幾分強く、世界の(ことわり)へ干渉できるくらいの違いなのだと、葉月は露姫様から聞いていた。


 ――て説明されても、わたしじゃ世界の理なんて、ぼんやりとした雰囲気でしかわからないけど……。


 どこにも寄り道しなかったので、五分も掛からず竜遊舎に到着した。


 カラカラと引き戸を開けて玄関のなかに入ると、ひんやりとした空気に包まれた。これは火や熱を操ることのできるドラゴン――トメさんの能力だ。


「寒くはねえか?」

「すっきり爽やかな空気で、ちょうどいいです」

「そうか」


 廊下に並んで立ったトメさんは、葉月へにっこりと笑う。なんだかとても嬉しそうだ。


「部屋は工房の奥だから、このまま運んでいこう。あと、露姫様が来てる」

「もしかして、初日なので立ち会ってくださるのでしょうか」

「……まあ、当然のことだな」


 わずかに声が冷たく低くなる。露姫様が突然同居を言い出したことを、トメさんはいまだ腹に据えかねているのだろう。


「ああ、あと、沙流渡(さるわたり)も来ている。今日は日暮れまで、ユカリの傍に付いていると言っていた」

「そうですか」


 葉月自身、奇妙な同居の一日目なので、様子を見てくれる者がいてくれれば大いに助かる。


 二人でゆっくりとした足取りで涼しい廊下を抜け、工房に面した和室に入ると、トメさんが言ったとおり、露姫様とユカリ、沙流渡が待っていた。


「おはようございます」


 おはようございます、と表情無く静かに会釈をするユカリと沙流渡に続き、露姫様が張りのある声で挨拶を返してくれた。


「うむ、おはよう。朝からご苦労だったな、葉月」

「いえいえ。うちはすぐ近くですし、トメさんが荷物を持ってくれたので」

「そうか。――トメ、手前が葉月の部屋だ。その方が母屋の台所も使いやすいであろう? なにかあれば、すぐトメに声を掛けることもできるしな」

「はい、お気遣いありがとうございます」

「うむ。あと、電源代わりの鞠蛍(まりほたる)を部屋に棲まわせておいた。使うときはコンセントやUSBを持たせれば良い」

「わかりました」


 マリホタル? と胸のうちでは首を傾げながら、葉月はトメさんのあとに付いて、新しい和室に足を踏み入れた。


 優しい木の香り。柱も床も、新品の木材でできていた。


 葉月が室内を眺めていると、トメさんが部屋の隅に荷物を置いてくれた。


「葉月ちゃん、こいつが鞠蛍だ」


 足元の低いところを、青白く丸い光が二匹、タンポポの綿毛のようにふわふわと浮いている。かの有名な、まっくろくろすけの正反対みたいなものだ。


「……えっと、妖精とか妖怪……みたいなものですかね……?」

「ああ、そうだな」

「露姫様、この子たちにうっかり触って、感電とかしませんか?」


 襖の陰からこちらを覗いていた露姫様に尋ねると、なぜか姫様はニヤニヤしながら強く頷いた。


「安心せい。大丈夫だ。電気が必要なときには、電気を流すように言えばよい。そうでないときは、好き勝手にふわふわと浮かんでいるだけの、無害なヤツらだ」

「へえ、本当に蛍みたいですね」

「うむ。何百年だかまえに、我が家の池にいつの間にか生まれてのう、小さな群れとなっていたのだ。おそらく蛍の魂が、なんらかの事情であやかしとなったのであろうな。それを二匹だけ連れてきた」

「え、群れから二匹だけ離れて、この子たちは寂しくないんですか?」


 すると露姫様のニヤニヤ笑いが、いっそう生温い微笑みになった。


「そういう葉月だから、大丈夫だと思っての」

「はい?」


 すると、鞠蛍がふわふわと葉月の足元に近づいてきて、そのままふわふわと身体の周りと飛び始める。やがて一匹ずつ、葉月の両肩にふわんと舞い降りた。


「好かれたようだの」

「あ、この子たち、熱くもないし、眩しくもないんですね」


 近くで見ると、ますます光でできたタンポポの綿毛だ。もしくはケセランパサランか。


「可愛い……」


 呟くと、ぴと、と葉月の頬に身を寄せてきた。ふわふわな感触が頬を包む。


「えええ、すごい可愛い……」


 言語能力が破綻してしまった。可愛いという単語しか出てこない。


「葉月ちゃん……」


 脱力したようなトメさんの声と、クックックと喉から洩れる露姫様の笑い声に、葉月ははっと我に返った。


「葉月はいつでもどこでもブレないのう」

「……す、すみません」

「良い良い。ここに棲まうあいだ、そやつらを可愛がってやってくれ」

「はい! 喜んで!」


 鞠蛍たちも嬉しいのか、ふわふわと頬に自分の身体を押しつけてきた。可愛い。すごく可愛い。


「よし、ならばトメと葉月もこちらに座れ」


 やや不機嫌な顔になってしまったトメさんと、肩に鞠蛍を乗せてご機嫌の葉月は、ユカリと沙流渡の向かいに座った。


 座卓は四人用なので、仕切りをしている露姫様が一人立ちあがった。


「ユカリの目的は、葉月から人によるグラスの扱いを学ぶこと」

「はい、そうです」


 昨日とは違うマキシドレスをまとった金髪美女が、無表情でこくりと頷く。


「葉月は仕事があるのだったな」

「はい。なので、仕事のあいまにお教えすることになります。仕事中は、脇でわたしがすることを見ていただくようになると思います。あ、でも、仕事の作業内容によっては、家に帰ります。そのときはすみませんが……」

「うむ。そのときは、ユカリはここに留まるように。葉月に付いてゆくことはまかりならん。よいな」

「はい」


 ユカリは素直に頷いた。


 表情がないせいかもしれないが、もしかすると、ユカリは人の仕事というもの自体、よくわかっていないのかもしれない。


 ――うーん、あとは状況に合わせて、露姫様と沙流渡さんからも、ユカリさんに説明してもらおう。


 次いで露姫様は沙流渡へ目をやった。


「古物商。そなたは必ず毎日、ユカリの様子を見に来るのだ。怠ることは許さぬ」

「必ず参りますこと、お約束いたします」


 相変わらず胡散臭い笑顔だったが、沙流渡は丁寧に露姫様へと頭を下げた。


「トメ、そなたは葉月から目を離さぬこと。むろんのこと、わたしも葉月を見ておるが、そなたが傍にいて葉月を守れ」

「当然だ」


 ドラゴンで硝子職人であるけれど、武士に二言はないとばかりに、きりっとした横顔でトメさんは露姫様へ頷き返した。


 ――くっ、やっぱりカッコイイ……。できるだけ速やかにお暇しなければ……。


 ふわふわの鞠蛍を頬にくっつけたまま、葉月は心密かに決意を固める。


「葉月ちゃん、よろしくな」

「はい、こちらこそ、お願いします」


 こうして、葉月と人ならざるものたちとの、竜遊舎での奇妙な同居生活が始まったのである。

投稿ペースもまったりですみませぬ…

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