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2 招かれざる客

 住んでいるのはドラゴンだが、家を建てたのは人間の建設会社なので、ガスも水道も電気もちゃんと通っている。物臭なトメさんは台所をほとんど使わないので、いつお邪魔してもピカピカだ。


「よし……」


 大きめの鍋をシンクの下から取り出し、なみなみと水を張って塩を入れる。強火で湯を沸かしているあいだに、葉月はトウモロコシの皮とヒゲを剥いていった。


「相変わらず手際が良いな」


 感心したような声に葉月は笑った。


「トウモロコシの皮剥いてるだけですよ?」


 トメさんは自分ではまともに調理などしないが、人がなにかを作っていると興味津々になって寄ってくる。つまるところ、人間の物作りを楽しんでいるのだ。


「手伝う」

「ありがとうございます」


 皮を剥いて根元でまとめたものをトメさんに渡す。トメさんは剥いた皮を短い茎ごと左手で一つに握ると、根元のギリギリのところを右の人差し指で切り落とした。葉月には視認できないが、切り落とす瞬間、指先をドラゴンの爪に変化させているらしい。


 ちまちまと残っていたヒゲも葉月が綺麗に取り除き、沸いた湯に五本のトウモロコシを投入する。あとは落とし蓋をして茹で上がるのを待つばかり。


「トウモロコシは、日本にやって来て好きになったものの一つだ」


 湯のなかのトウモロコシをじっと見つめ、トメさんが呟いた。まるで母親の作るホットケーキが焼き上がるのを待つ子供のよう。夢中になっている横顔が微笑ましくて、葉月はほっこりする。


「美味しいですよね、トウモロコシ」

「ああ。甘くて美味いな。日本に来て、人の姿を取るようにならなかったら、こうしてトウモロコシの美味さを知ることもなかっただろうなあ」


 と、しみじみ言う。


 葉月はトメさんに断って、冷蔵庫に作り置きされていた冷たい麦茶をグラス二つに注いだ。一つをトメさんに手渡し、二人でダイニングテーブルに腰を下ろす。


「トメさんの世界には、トウモロコシに似た食べ物はないんですか?」

「探せばあるのかもしれないが、あちらで人の姿を取ることはほとんどねえし、ドラゴンの姿のままでたらふく食える果物がたくさんあるし、わざわざ探して調理をすることなんざ、まずねえな」

「……ドラゴンのままでたらふく? それって、どれだけ大きい果物なんですか……?」

「そうだなあ、平均でうちの工房の半分くらいってところか」

「じゃあ、果物がなる樹も大きそうですね」

「それが意外とでかくない。果実の重さに比例して、枝は低いところにある。こっちだと、人がカボチャかメロンを収穫するような感じだな」

「あー、なるほど」


 わかりやすい。と同時に、工房の半分サイズのメロンやカボチャから想像して、ドラゴンたちの大きさに気が遠くなる。人の姿にならなければ日本では暮らせないだろう。


「本来なら果物も必要ねえんだが、そこは嗜好品ってヤツだ」

「え、じゃあ、生きていくのに食べなくてもいいってことですか?」

「そういうこった」


 葉月は思わず想像した。飢える心配はないが、食べる楽しみのない暮らしを。うーん、と唸らずにはいられなかった。


「言っちゃなんですけど、それって微妙ですね……」


 トメさんも苦笑した。


「まあな。日本の食の豊かさを目の当たりにしちまうと、ちっとばかし淋しいな」

「しかも今は和食どころか、世界中からいろんな料理が集まってますからねー」

「調理法だけでなく、素材そのものもあとからあとから新しいものが出てくるのには、いつもびっくりさせられている。日本人の食への探究心、貪欲さには脱帽する」


 トメさんの言葉は、苦言ではなく感嘆だった。


「トメさんの好きなものって、トウモロコシと桃と、なんでしたっけ?」

「果物はどれも好きだ。今の時期なら桃と、このあいだは露木さんから白瓜というのをいただいてな、メロンの仲間らしいんだが、さっぱりした甘さでこれも滅法美味かった。ああ、熟すまえのヤツを浅漬けにしたのも美味かった」

「白瓜、スーパーで見掛けるようになったのって、ここ数年のことですけど、あれ、美味しいですよね。キュウリとメロンのあいだみたいで、歯応えがあって、さっぱりしていて私は好きです」


 そんな風に好きな食べ物の話をしていると、やがてセットしておいたスマートフォンのタイマーが鳴り響いた。


「あ、茹であがった」


 用意しておいたザルに、トメさんは沸騰したお湯をものともせず、まずは二本、ひょいひょいと素手でトウモロコシをザルに引き上げる。黄色をより濃くしたトウモロコシの粒は、一つ一つが艶々と輝いている。


「葉月ちゃんも食べていくといい」

「わー、ご馳走様です」


 白い平皿を食器棚から取り出し、トウモロコシを乗せたそれとお手拭き、そして塩の小皿をそれぞれの前に用意して、トメさんと葉月はあらためて席についた。


「いただきます」

「いただきます」


 二人でまだ湯気の立っているトウモロコシを手に持ち、かぶりつく。

 瑞々しく口のなかに広がる、トウモロコシのほんのり塩気を帯びた甘さ。柔らかな歯応え。


「……甘い、やばい、美味しい」

「ああ、こいつは美味えな」


 そのあとは二人とも一言も喋らず、ひたすらトウモロコシを囓り続ける。お手拭きを使ったのは、丸々一本食べ終わってからだった。


「あー、美味しかった。ご馳走でした!」

「ああ、美味かったな。ご馳走様でした」


 葉月を真似て、トメさんもトウモロコシの残った芯に手を合わせた。


「あとでまた、やお源さんでトウモロコシを買って、露姫様にもお供えしようと思って」

「そりゃあいい。露姫様も喜ぶだろう。一昨日、西瓜を持っていったんだが、喜んでおられたぞ」


 周りの視線など気にもせず、豪快に西瓜にかぶりつく、たおやかな美女の姿を思い出してしまい、葉月は笑った。


「露姫様は桃とかサクランボとかより、西瓜がお好きですもんね」

「塩はつけない派らしい」

「そういえば、そんなこと言ってましたね。トメさんはつける派ですか?」

「そいつは甲乙つけがてえな。塩をつけても美味いし、つけなくても――」


 ふと、トメさんが口を閉ざした。


「――客だ」

「呼び鈴が鳴るまえにわかっちゃうんですね」


 すごいなあ、と葉月は感嘆の声を洩らした。なにせトメさんはドラゴンなのだから、そんなことができても不思議ではない。


 立ちあがったトメさんは、玄関のほうへ目をやると、わずかにスカイブルーの眉をひそめた。


「……悪いが、葉月ちゃんも一緒に来てくれねえか? 一人にするのは危いような気がする」

「わかりました」


 葉月は一つ頷いて立ちあがった。


「今日、セイがいりゃあ良かったんだがなあ……」


 セイさんはトメさんの弟で、ドラゴンで、陶芸家だ。この家の陶磁器はすべてセイさんが作ったものである。セイさんは普段、(かま)のある地方の山に住んでいて、ここにはできあがった陶磁器を土産に、時折立ち寄るだけなのだ。


「できることなら、葉月ちゃんのことを客に知られたくねえんだが、仕方ねえ」

「危なくて、私のことを知られたくない客、ですか……?」

「ああ、招かれざる客だ」


 いつもおっとりと笑っているトメさんには珍しく、感情を露わに顔をしかめている。よほど嫌な客なのだ。


 コロンコロンコロンと軽やかな硝子の音が、どこからともなく聞こえてきた。


「いざとなったら、露姫様に護っていただけるようお願いしますから、大丈夫ですよ」

「……そうか。だが、客の相手をしているあいだは、なるべく俺の後ろに隠れていた方がいいかもしれねえ」

「わかりました」


 本来、何人にも傷つけられることのないドラゴンであるトメさんが、こんなにも警戒している。


「用心しますね」

「ああ、そうしたら、手を」

「手?」

「手を繋いでおこう」


 手を差し出されて、葉月は素直に手を差し出した。トメさんの左手と葉月の右手とで繋ぐ。

 それまでの厳しい表情が和らいで、トメさんが微笑んだ。マリンブルーの瞳が眩く煌めいた。


「悪いが、なるべく喋らないようにな」

「……はい」


 軽く手を握られ、葉月は台所から玄関へとトメさんに手を引かれていった。


 ――やばい、ドキドキする。そういえば、トメさんは超絶美形だった……。


 不機嫌な表情からの微笑は大変に破壊力が大きかった。


 普段は物臭を隠そうともせず、おっとりとしていて優しいけれど、わりとぶっきらぼうな言動をする。いわゆる王子様的洗練された立ち居振る舞いはしないので、葉月はすっかり忘れていただのだ。


 ――トメさんの美形っぷりにすっかり慣れたと思ってたけど、やっぱり美形に微笑まれると、どうにも気分が舞い上がるなあ。


 たぶん、手を繋いでいるので、余計に意識してしまったのだろう。


 トメさんの手は、わりとゴツゴツしている。ドラゴンの本当の姿からの影響なのだろう。鉤爪があって、鱗もあるのかもしれない。


 しかし今のトメさんの手は、骨張ってはいるものの、温かく、柔らかい。硝子を溶かすのに火を扱っていても火傷はしないし、ドラゴンなので皮膚自体が強いらしく傷つくこともないそうで、傷痕など一つもない綺麗なものだ。


 ――トメさんと知り合ってから三年半だけど、手を握ったのは、初めて……? うん、初めてだ……。


 照れる。葉月はトメさんの背中から足元へと視線を落とした。


 葉月は今年、二十九歳になった。いい歳して、正直、こんな些細なことで動揺している自分が恥ずかしい。顔が火照っているのがわかるから、余計に恥ずかしくて、頭を抱えていっそ床を転げ回りたくなる。


 そんな状況でないのは、トメさんの全身から伝わってくる緊張感からわかっている。トメさんのことだから、ただ嫌いというだけの相手ではないのだろう。


 葉月は気を取り直すべく、細く静かに深呼吸を繰り返した。これからトメさんが対面する、招かれざる客に集中する。


 玄関に到着すると、廊下から三和土(たたき)の草履のうえに下りたトメさんに続き、葉月も自分のサンダルをはいて三和土へと下りた。葉月はトメさんの背後に隠れ、息を潜めた。


「――どちらさま?」


 トメさんのいつもと変わらない穏やかな誰何(すいか)の声に、引き戸の向こう側から朗らかな男の声が返ってきた。


「わたくしは古物商を営んでおります、沙流渡(さるわたり)と申します。竜遊舎様の硝子製品をながらく探していらっしゃったお客様がいらっしゃいまして、本日は、僭越ながらわたくしがこちらまでご案内させていただいた次第でございます」


 古物商の沙流渡はつらつらとそう答えた。それはまるで出し物の口上のようで、葉月にはとても胡散臭く聞こえた。


 トメさんも同じように感じたらしく、眉間にくっきり皺を刻むほど、きつく眉をひそめている横顔が玄関脇に掛かっている鏡に映っている。


「うちは一見さんお断りだ。帰ってくれ」


 取り付く島もない、冷徹な返答だった。凍った金属を鳴らしたかのような冷気漂う響き。背筋がひやりとして、葉月の肌は粟立った。


 ――トメさんも、こんな声を出すことあるんだ。


 小さく息を呑んで葉月が成り行きを窺っていると、ひっひっ、と掠れた笑い声が引き戸の向こうから聞こえてきた。あちらは葉月ほど剣呑なものを感じてはいないらしい。


「ご冗談がお上手ですなあ。まあ、竜遊舎さんが駄目とおっしゃるなら仕方ありません。それなら、こちらの作品をお持ちの方を順にお訪ねするといたしましょう。では――」

「待て」


 間髪入れず、トメさんがからりと引き戸を開けた。

 トメさんが大きく動いたために、葉月にも外の様子が目に入った。


「おお、お顔を拝見しながらお話できるとは、ありがたいことです」


 こちらに背を向けかけていた黒いスーツ姿がこちらへと振り返った。中肉中背の、二十代とも四十代ともとれる年齢不詳な顔立ち。特徴らしい特徴がない男。強いて言うなら、きっちり七三に分けられた髪型が特徴だろうか。


 笑顔だったが目が笑っていない。その目がふっと葉月へと向けられる。葉月は慌ててトメさんの後ろに隠れ直した。


 黒いスーツ姿の男――古物商の沙流渡と目が合った瞬間、葉月は沙流渡の背後に立つ、金髪の美女にも気がついた。


 ――あの人が、お客さん……?


 目にしたのは一瞬だったが、明るいオレンジのマキシドレスを着た、目の覚めるような美女だった。ハーフアップにされている長い金髪は、緩やかに内側へとカーブを描き、ふわふわと夏の微風に揺れていた。


 まさしく真夏の太陽のような(ひと)


 葉月が知る破格の美女といえば白露神社の露姫様だけだ。龍神である露姫様は、古風な長い黒髪の美女である。


 まったく正反対な容姿だというのに、どうしてだか似たような印象があった。


 ――もしかして人じゃないってこと……? トメさんは招かれざる客とか言ってたけど、そのせいで嫌がっているのかも……。


 なぜなら、人でないものと人では物事への感じ方、考え方がまるで違うからだ。


 もちろんトメさんもドラゴンなので、葉月とは物事の捉え方が違う。ドラゴンのトメさん、龍神の露姫様、とそれぞれ個性はあっても、やはり共通する人ならざるものならではの雰囲気がある。


『そういう勘は、無視しちゃいけないよ』


 かつてトメさんと出逢ったばかりの葉月に、そう教えてくれたのは、商店街の青梅酒店(おうめさけてん)のご隠居、鶴子さんだ。鶴子さんは産まれたときからこの街に住み、彼女の氏神様は露姫様である。それゆえに鶴子さんは露姫様との付き合いが長い。先々代の神主さんと同世代なので、今の神主である露木さんより長いお付き合いをしている。


 そんな鶴子さんからのアドバイスを思い出したのと同時に、葉月は確信していた。


 ――トメさんが警戒しているのは、あの金髪の(ひと)だ……。


 古物商の沙流渡という男も浮世離れした雰囲気を持っていたが、それでも人間だった。そう確信できるのは、あまりにもまとっている空気が、沙流渡と女性客とでは違っていたからだ。


「あらかじめ言っておくが、俺が作れるものは限られている。希望通りのものが必ず作れるとは約束できねえが、それでもいいか」

「私は知っている」


 葉月の耳に届いたのは、柔らかな、それでいて通る女声。その響きにはうっとりしてしまうような艶があるというのに、どうしてだか背筋がひやりとする。


「今、この家に、とても素晴らしいグラスがある。私はそれが欲しい」

「ありゃあ他の客のもんだ。売り物じゃねえ」

「では、あれと同じものを」

「似たものは作れるかもしれねえ。だが、瓜二つのものは無理だ」

「では、作ってみせて欲しい」


 微塵の感情も含まない女の声が返ってくる。

 トメさんはしばし沈黙したのち、小さく息をついた。


「……上がれ」


 心底嫌そうな掠れ声だった。

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