8.その少年、あるいは危険人物
「あいつのこと? 大っ嫌いだよ」
主婦たちが去ってからさほどの間もなく、半ば入れ替わるようにして3人の中学1年生はやってきた。先ほどと同じく藤棚の下のベンチで、だが今度は英樹もそこに座り、近い目の高さで話を聞く。そのほうが子どもたちも話を聞かれているという感覚が薄く、いくぶん緊張せずに話してくれるだろうという、彼なりの気配りだった。
それが当たったのか、中学生たちは物おじすることなく本音を聞かせてくれている――今のように。
「健一君のこと、君のお母さんは礼儀正しいけどごく普通の子だって言ってたけど、どう?」
「あいつは大人が見てるところではいい顔をするんだ。いつもは冷やかしか嫌がらせしてばっかりなのに。『君たちはおかしい、普通じゃない』ってよく言うけど、おかしいのはお前だよ……そもそも普通ってなんなんだって話だ」
先ほど聞き込みをした主婦の息子が、苦虫を噛み潰すような表情で吐き捨てる。チェッカーズカットの不揃いな前髪が落ち着かなげに揺れた。
「具体的にどんなことされてるのか気になるけど、もし答えるのがしんどいなら無理には聞かないよ」
「あまり詳しいことは……ごめんなさい。すぐ話とか班活動に首突っ込んでくるくせに協力する気は全然なくて、それを注意したらすぐキレるやつなのだけは言っておきます。そうだ、それとたまにくだらない嘘をつきます」
「そうそう。『今度おばあちゃんに沖縄に連れてってもらうんだ。いいでしょ、せいぜいお土産楽しみにしときなよ』みたいな。しばらく経って『土産は?』って聞いたらめっちゃ慌てんの」
こんがり焼かれた肌とがっしりとした手足から、スポーツに打ち込んでいることがうかがえる少年が会話に割り込んでくる。10月という時期にしてはやや頼りない印象がある半そでカットソーの、フロントボタン部分をつまみながら。
「教えてくれてありがとう。そんなになのか」
「そんなにです。あいつは変だ。だから……」
語気強く断言した主婦の息子は、次の瞬間急に口ごもった。上下で揉み合わせるような唇の動き、ぎゅっと何度もつむる両目。頭は深めに垂れている。きっと、これを言ってもいいものかという葛藤に襲われているのだろう。
相手が発言するのを遠慮しているときは、決して自分から催促せず、話す気になるまでじっと待つ。柔らかな態度で。それは、英樹の身につけた数少ない会話技術のひとつ。
やがて両側からふたりの少年が、こぶしを握って「大丈夫だ」というようなジェスチャーをした。
そっと笑む彼らに背中を押され、主婦の息子は顔を上げる。最初はまだためらいの尾を引くようにじわじわと、途中からは一息に口が開いた。
「だから僕は、全部あいつが自分でやったんだと思ってます。頭だけはいいですから。理由はわかんないですけど、もしかしたら構ってほしかったとかじゃないかなって」
誰もが息をのんだ。皆で少年を見守る穏やかな空気は瞬時に引き裂かれ、少しの間静寂が支配する。その静寂を破ったのは、長身の少年の声だった。感謝と驚きが均等に入り混じった、心ごと吐き出すようなかすれ気味の声。
「だいたいそんなことだろうとは思ったけど、本当に打ち明けちゃうんだな……。自分からは言えなかったけど、俺もおんなじ気持ちっす」
「僕もです」
きっちりとした七三分けの、メガネをかけた真面目そうな少年も同調する。自分から言い出せなかった分を補うかのように、しっかり何度も首を縦に振って。
「もし本当にそうだとしたら、パンフレットの件は考え直す必要があるかもしれないな……確かめるのは難しいだろうけど」
「それはそうだよなあ。僕だっていきなり『お前やったんだろ』とか聞かれたら、とりあえず否定しちゃう気がします」
「警察みたいに証拠を見つけちゃえばいいんじゃないでしょうか? 本物はもう捜査をやめているみたいですから、飯塚さん……でしたっけ? が代わりにやれば」
「いやいやそんなこと……」
まあできなくはないだろうな、とは言えるわけもなく。あくまで健一と対話してボロを出させるための情報収集とはいえ、わずかだが探偵として蓄えた知識とメソッドをうまく活用できれば、あるいは。
なんだかさっきも似たようなことがあったが大丈夫かと、左隣に座っている連れに目をやる。少女はひどく身体を震わせながら真下を向き、何も聞いてはいないようだった。危惧したようなデジャブは起こらない。されど、こちらのほうがより心配になる。
美穂がここまで取り乱している理由に若干の心当たりがあった英樹は、何度も背中をさすってやった。
「ごめんな」
こうなる可能性を考え漏らしたことを反省しながら、つとめて優しい手つきで。しばらくそれを続けていると、美穂の震えはだんだんと収まっていった。依然顔は上げないままであるが。
ひとまず大丈夫だろうと判断して、少年たちのほうへ向き直る。
「この子のことは心配しなくていいよ。で、どういう話してたっけ?」
「……心配するのもそうですけど、気になるじゃないですか。というか、最初からずっと気になってたんですけど」
「全然話さんし、見たことない子だし。そもそも、なんで飯塚さんと一緒にいるん?」
右方から疑惑の視線が立て続けに向く。英樹は内心焦っていたが、今度はそれを表に出さないよう懸命に努力した。そのかいあって、完璧なポーカーフェイスが形作られている。まるで、表情のない精巧なお面をかぶっているかのように。
ただ――逆に言えばそれだけである。ひとつとして、解決してなどいない。相も変わらず、思考は焦りで満ちている。
『どうしてこんなところまでさっきと同じなんだよ!』
感性と勘が鋭いであろう、年頃の子どもたちである。下手に嘘で切り抜けようとすれば、まず間違いなく追及が飛んでくるという予感があった。ゆえに――
「……この子は僕の近所に住んでてね。どんな仕事してるか気になるってすごく言ってくるもんだから連れていくことにしたんだ。まあこの通り、けっこう人見知りだけど」
嘘ではないが事実でもない、そんな曖昧な言葉で対応することにした。ミスリードを狙いにいった。
「でも飯塚さんもこの子も、やっぱり見たことないです」
「君たちよりもう少し南のほうに住んでるからね。沼田駅とかお城よりもっと向こうだ」
この発言ですら嘘はついていない。ただ、少年たちの想定しているであろう距離と何十倍もの開きがあるだけで。
「じゃあ、ここよりもっと田舎なんですね」
うなずきはしない。すでに身分と名前、それから目的という大きな要素を偽っているのだ。これ以上嘘の上塗りを重ねても、化けの皮がはがれそうになった際の取りつくろいが難しくなるだけだ。代わりに当たり障りのない微笑みで返す。きっと、彼らは肯定の意味合いで受け取ってくれるだろうから。
事実そうなったようで、空気と少年たちの表情は確実に緩んだ。あとは、聞き残したことを尋ねるのみ。そのはずだった。
「全然見ない感じのカッコしてるのはそれでか! 都会だとそういうの流行ってるんかな?」
「なんか澄ましてて変なのー。女の子ってだいたい誰かアイドルの真似してるから、そっちもそっちで好きじゃないけどさ。やっぱり変だよね」
「人の事は言えないと思いますけど。僕らだって、タミヤの髪型にしてるじゃないですか。わざわざお母さんにちょっといい美容院に連れてってもらって。でも、そもそもがこんなにおびえているのもすごくおかしいですよね……?」
切り抜けてなどいなかった。美穂への疑問が直接的な非難へと変質したのだから、むしろ事態は悪化したとさえ言えよう。あまりにも突然に、当たり前かのような態度で、少年たちは牙をむいた。
「ちょっと君たち……!」
「この子はなんか普通じゃない感じがするので。まあ、すみません」
「謝ることないじゃん。どう見てもだいぶ年下だし。ほらほら~お兄ちゃんたちがいくつか質問するからちゃあんとこたえてね? こたえなかったら……」
長身のスポーツ少年は立ち上がると、隣のベンチに座る美穂と向かい合って腰を落とした。ぎょろついた目。美穂の胸のごく近くで、揉むようにひらひらとさせた手。座ったままのうえに元がかなり小柄な美穂と目を合わせるため、つま先立ちでほとんどしゃがむようなつらい体勢。それでも、少年はバランスを崩したり顔をしかめたりせず、嘲るようなぎらついた笑みを浮かべていた。
美穂は――少しも引いていない。それどころか、露骨に怒っていた。
いくら青ざめた頬を膨らませた様子がハムスターのようで怖くなくても、目頭からしずくが流れ落ちていても、口元がけいれんしたようにがくがくと引かれていても、その感情は明らかだった。少年の顔から眼をそらさず、無言で雄弁に訴えていた。
その意気を褒めたたえるべく、探偵は少女の頭にそっと手を置いた。いたわるような穏やかな顔で。そしてそのまま、上半身だけで180度振り返る。
「……お前ら」
「は、はいぃ!」
深く沈み込むような、静かだが重々しい声。いつものだらっとした顔つきを精一杯引き締めて、渾身の冷たい無表情で放つ。辺りの空気は鋼鉄へと変わり、少年たちはたちまちすくみ上がる。ある者は飛び跳ねさえした。
どこか滑稽ですらあるその様子を見る英樹に、勝ち誇りの色はない。内心はひどく乱れていた。
少年たちはナチュラルに美穂を攻撃した。普通ではない、おかしいとなじった。挙句には、辱めようとした。
「そもそも普通ってなんなんだって話だ」
少し前の自分の発言を忘れてしまったかのように。たしかに彼らは弱者であり、被害者であるのだろう。しかし、きっと彼らは自らの内に潜む強者性に気づいていない。己を普通であると感じ、その枠から外れた、相容れないと判断した者を迫害してしまう。徒党を組み、自分たちの『普通』にこだわろうとする。そのことを、まったく自覚していない。
「『君たちはおかしい、普通じゃない』ってよく言うけど」
健一の彼らに対する評価は、そういう面が関係しているのかもしれない。だが――
『俺も、人のことは言えないんだよな』
きっと誰しもが心のどこかには持ってしまっていること。叱責をする資格などどこにもない。言えば言っただけ、同じ強さで自分に跳ね返ってくる。だから彼は『お前ら』のひとことで済ませた。過去の自分を見ているようで、心が悲鳴をあげていた。
叱責がくると身構えていたのか、いやいやをするように縮こまっていた少年たち。急に黙り込んだ英樹をいぶかしんだのだろう、のぞき込むように距離を詰めてきた。
「あっ、なんでもない。どうか今後は気をつけてくれ。それと言い忘れていて申し訳ないが、この子は男の子がちょっと苦手でね」
「……本当にすみません。何かあったんですか」
「ちょっとな。この子のためにも詳しくは言わないが」
またかすかにおびえの表情が戻る美穂に暖かな視線を向けてから、探偵は話をまとめにかかった。
「聞きたいことはだいたい聞いたんだけど、だれか他に言いたいことある?」
「あの……」
おずおずと、ぎこちない右腕の上げ方で意を示すメガネの少年。そのトレードマークは目からずり下がっているというのに、直す様子は見られない。
「どうした? 遠慮しなくていいから」
「健一が栄養ドリンクを買ったっていうちょうどその日、中学から帰ってたら、その買った自販機のそばに幽霊がいたんです」
「幽霊……? なんだって急にオカルトな」
不信感を隠しもせず、しかめ面になる探偵。
「もちろん作り物だと思いますけど、それくらいすごい出来で。怖くてダッシュで逃げちゃいましたもん。別の道から帰りました」
「それ、もっと前にも1回見かけたことあるぞ? 頭かち割られた血まみれのガイコツみたいなやつだよな。どうやってるかはわからんけど、めっちゃカタカタ揺れとった。吐くかと思ったわ」
「そうそう! じゃあ関係ないのかな……。とにかく、本当に怖かったんですよ」
謎やトリックに興味はない。それが探偵のスタンスだが、幽霊騒ぎといえど情報は情報。
2人に1人くらいは読めそうに思える雑な字でメモをとる。
「だれか他に言いたいことある子はいる?」
「僕は特に……みんなは?」
他のふたりも一様に、奇妙にシンクロして首を振る。複数回、小刻みに。
「じゃあ最後に聞くんだけど、健一君が外出しているとしたらどこにいそうか心当たりある? あとで家にうかがうつもりだから、いなかったときのためにね」
「あいつんちの近くにある小さな神社とか……? 俺が直接見たわけではないんですけど、友達がそこでちょくちょく見かけるらしくて」
「近くなら訪問のついでにさっと行けそうか。ここまでつきあってくれてありがとう。いきなりで申し訳なかったけど、おかげでいろいろ知れたよ」
「いいんですよ。……気をつけて行ってくださいね。あいつはいつ何をしてくるかわかったもんじゃないので」
主婦の息子は心から心配しているようだ。へその前でぎゅっと握り合わせた両手からそれがうかがえる。だが、探偵にはそれを真正面から受け取ることはできなかった。自分たちは正義で健一が悪だと、意識的にも無意識的にも考えてここまで来てしまった。自覚なく他人を迫害する少年たちを見て、彼らも自分もあるいは健一も、同じ穴のむじなかもしれないと。そう思えてしかたがないのだ。あるいは、気づいてしまったというべきか。
「気をつけて行ってくださいね」と言われようとも、魔王を打ちのめしに向かう配管工のような気分にはなれやしなかった。
「……わかった。もう一度、ありがとう。じゃあ」
「えっ……お、お疲れ様でした。さようなら!」
「はやいよ、しょちょーさんっ!」
戸惑う少年たちをおいてけぼりにして、足早に立ち去る。美穂の手を引く心の余裕さえもなかった。
公園の広場でこおりおにをして遊ぶ小さな子たちの歓声が、どこか空虚に響いていた。




