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7.その少年、極めて普通

 野球やサッカーなどをして遊ぶにはやや狭いが、それでもひと通りの遊具と遊ぶスペースはある、ごく普通の児童公園。土管のトンネルで貫かれた砂山の存在が特徴といえば特徴か。

 その黄緑から黄金色に染まった藤棚の下、古ぼけたベンチが横並びに2脚。それぞれに2人ずつ主婦とみられる女性が座り、話に季節外れの花を咲かせていた。

 広場では小学校低学年から中学生までくらいの年のバラバラな少年たちが缶蹴りをしているから、その子らの保護者なのだろう。


「ちょうどいいな。美穂」

「はーい。静かにするの」


 不審に思われてはならない。植木の間にある入り口から素早く状況を確認して、あくまでも自然なそぶりで藤棚に向かって歩き始める。

 今まさに隠れている子を探しに行こうと走り出していた赤白ボーダーシャツの少年が、立ち止まっていぶかしげにこちらを見てきた。脇をグッと締めておびえる美穂。彼女を遮るように前に立って、英樹としてはにこやかなつもりの微笑みで受け流す。

 少年は最後まで探偵から腑に落ちなそうな視線を外さないまま、どこかぎこちない足取りで茂みの向こうへと消えていった。


 その様子が目に入っていなかったらしい主婦たちは、まだ愉快そうに世間話を続けている。藤棚の近くまで来て、胸ポケットに入れたボイスレコーダーのスイッチを押してから、丁寧な口調で声をかけた。


「すみません、沼田市役所市民課の飯塚と申します」

「はい、なんでしょうか?」


 この中ではもっとも若そうな、30歳前後の小柄な女性が柔らかい表情で返事をする。それ以外の人たちは、先ほどの少年ほどではないにしろとまどいと警戒がうかがえる表情。

 いかにもなスーツ姿で自分たちのテリトリーに現れた役所の者と名乗る人物が、なぜかふんわりとした雰囲気・服装の幼げな少女を連れているとあっては、この反応も当たり前といえる。


「2週間ほど前、この沼田市でも痛ましいことに連続毒殺事件の被害者が出てしまったことは皆さん知っておいでかと。それを受けて私たち市民課では、この13歳の男の子が被害に遭った件をベースとして取り扱った『自動販売機の中に買っていない飲み物が入っていても取らないようにしましょう』という趣旨のパンフレットを作ろうという話になりました」


 手紙が送られてきてから、数日という突貫で練った会心の大ぼら。口調によどみはない。あー、と納得したような声をかすかに上げる者もいる。


「そこで、実際に街の方々にお話を聞いて参考にすることにしたわけです。よろしければご協力いただきたいのですが。なお、メモも取るのですが正確を期すためにこの会話は録音いたします」

「あたしはかまいませんけど……」


 派手そうな印象の、ぎょろっとした大きな目と厚い化粧が目を引く女性が他の主婦を見回す。各々が軽くうなずき、承諾の意を示した。


「ご協力ありがとうございます。遅れましたが、こちらお受け取りいただけますでしょうか」


 ビジネスバッグから若干もたつきつつ取り出す。

 お世辞にも写りがいいとは言えない写真が載った名刺と、小ぎれいかつ見やすくまとまった原案。両方ともが、幾度となく架空の名刺や資料などを依頼しているデザイナーに、普段のよしみで懇願して一日で作らせたもの。血と汗と無理じいの結晶である。

 主婦たちはそれをそっと受け取り、納得したようにように目を通している。

 ある程度以上の信用を得た。今自分は、一介の市役所の職員であり、公務員様である。アンダーグラウンドでろくでもない探偵という職業ではない、普通の社会人に。まともな職業人に!

 眉と口元は上がり、装った自分に酔いながらも、頃合いを見て本題を切り出そうとした。


「お目通しいただけましたでしょうか。よろしいようですので、まずは――」

「待ってください。その子は、どういう?」


 忘れていた。聞き込みの依頼という名のワンマンショーをおっぱじめようとしていた探偵に見えていたのは、観客の主婦たちのみ。すぐ裏でずっと彼のスーツの裾を引っ張っていた同行人のことは、完膚なきまでに忘れていたのだ。

 藤つるの陰に染まった後ろ首から冷や汗がすっとひと筋。振り返った先の少女の、ぎくっとした様子と一抹の寂しさが混じり合ったような面持ちに思わず助けを求める。

 彼女は、いつの間にかショルダーバッグから出していたルナちゃんをひしと抱いたまま、身体をこわばらせている。何も返さない。きっと、返したくても返せない。

 最初から望むべくもなかったのだ、助けなど。思考を全速回転させて、かろうじて最適解をひねり出した。


「私のね、遠縁の子ですよ。この子の両親が急に親戚内のもめごとの話し合いに呼ばれたというので、見ての通り仕事中ではありますが預かっているのです」


 用意しておいた理由を述べる。質問されたら答えるという当たり前のことをしただけの解決策とも呼べないそれに、お世辞にもうまいとは言えない理由づけ。それでも、案外すんなりと受け止められて。


「さようでございましたか。では……杞憂だったようですね!」

「きゅ!?」


 英樹たちから見て手前側のベンチに座っている、シックなこげ茶色のワンピースを着た育ちのよさそうな女性。

 地に足の着いた上品な雰囲気を醸し出す彼女は、一瞬にしてえさを見つけた獣と化した。さっと立ち上がり、一瞬にして美穂を腕の中に収めたのちになにごともなかったかのようにゆったりと座ったのだ。それを見た他の女性も、待ってましたと言わんばかりに美穂のもとによってたかる。話しかける。頭をなでさする。


「んー! んーっ!」

「なにをしているんですか!」

「私たちみんな息子しかいなくて! だからおとなしそうでかわいい子がね、恋しくなるんです! ねえ?」

「そうですよ! やんちゃ坊主の相手をするのも、それはそれで楽しいんですけど。あーかわいいわね、ほっぺもちもち!」

「この会話、録音されているんですよ」


 そこまでいってようやく、「今思い出したわ」とでも言いたそうな顔で主婦たちは美穂を解放した。文字通りもみくちゃにされていた少女はまだ状況が飲み込めていない様子で、小さく口を開けてぽけっとした顔で固まっている。少しして、困惑の見て取れる表情を見せながら手ぐしで髪を整え始めた。

 そんな彼女を気にしつつ、探偵はとがめを含んだ口調で話を再開した。


「……せめて本人に許可を求めてからにしては」

「たしかにいきなりが過ぎましたわね。じゃあもう一回、こっち来てくれるかしら?」


 明らかに気の進まない様子で、美穂はぎこちなくうなずく。

 それを確認するやいなや、こげ茶のワンピースの主婦は目を見張るほどの勢いで少女を両腕に囲い込み、ひざ上へと収めた。他の主婦からのうらやましげな目線は視野に入っていないのか、美穂の滑らかなサイドテールを()くようになでていく。


「すみませんね。もし特殊なカンケイだったりしたらどうしようかと思って何もしないでいたので、ただの姪っ子さんだと聞いて安心してつい」

「その理屈も私にはよくわかりませんが……とにかく、話を進めましょう。9月27日の事件について、皆さんはどれくらい知っておられますか? 自分でも情報収集はしたのですが、同じ学区にお住まいの皆さんだからこそ耳に入っている話もあるのではと思った次第です」


 反応をうかがうが、どの女性も眉をしかめるようなはっきりしない表情。最初に声を上げたのは、健康的ではなさそうな方向に細身の、赤い眼鏡をかけたおとなしそうな女性だった。


「……わたしはほとんど新聞に載っていたことしかわからないので、どういう事件だったかだけお話ししますね。えっと、下校中に自販機で栄養ドリンクを買ったら2本あった。毒殺事件のことを忘れてたわけではなかったけど、片方を飲んでも平気だったから大丈夫だと思った。2日後、飲み忘れていたもう片方に口をつけたら、変な味がして倒れてしまった。でも、症状はまだ軽いほうでもう退院している……という話だったはずですが、間違っていたらすみません」


 とぎれとぎれに、ひとつずつ思い出して確認するように。順繰りに白い指を折り曲げながら、緊張した面持ちで眼鏡の女性は語る。


「いえいえ、ご説明ありがとうございます。ずいぶんな事件ですよね」

「ええ、本当に。去年はかい人21面相がありましたが、身近で起きたのと人死にが出た分だけ、パラコートのほうがよほど恐ろしくて……」

「21面相はご丁寧に『どくいり きけん』『たべたら しぬで』と知らせてくれましたから。そのぶんだけ、髪の毛1本くらいはマシかもしれません。どちらも極悪には変わりないですがね……」


 毒がかかわっている、未解決、という共通点はあれど、性質をまったく異にするふたつの大事件。誰しもが、晴れない顔で思いを馳せる。


「脱線してしまいました、続きがあればどうぞ」

「わたしからは特に。被害に遭った子……道場(みちば) 健一(けんいち)くんでしたっけ。その子は息子とは年が離れていたはずですし、小学校の学区も違うので、ここからはもっと接点のある方におまかせします」

「じゃああたしが。たしか福井のほうだったか、世間様から同情してもらいたかったからって自分でドリンクに殺虫剤混ぜて飲んだバカな男がこないだ捕まったでしょう?」

「ありましたね。テレビのニュースで見て愚かだなあと思いましたけど、まさかあのときは、自分がこの毒殺事件と関わることになるとは思いもしませんでしたよ。おかげで面倒な仕事だけ増えて給料は増えない」


 冗談めかしてはいるが、本音である。まごうことなき本音である。落胆の色が濃い顔つきも、当然心からのもの。ベンチからのあははという笑い声が、ティースプーン1杯分ほど英樹の気持ちをやわらげた。


「話の腰を折ってしまいましたね。すみません、続けてください」

「気にしないでくださいよ。警察は福井のみたく似たような自作自演かもって線でも調べたけど、健一君もお母さん……啓子さんも証言は筋が通っているし、健一君がドリンクを買った時間の少し前に目撃されたらしい黒い服の人物とは体格が違うしでその可能性はないと判断したとか。それに啓子さんはお仕事で施設の利用者さんを送迎していたってアリバイがあるそうですし。啓子さんのお友達から聞きました」


「貴重な情報、感謝します」

「いいんですって。にしても警察ってそこまで調べるんですねえ、おっかない。パラコートが道場さんちにないかまで徹底的に調べたらしいですけど、健一君も道場さんもそんなことする人じゃあないと思いますよ」


 その声と表情からは、同情や気づかいが垣間見える。


「おお。いえね、個人的な興味でどういう方なのか気になっていたんです。お聴きしてもよろしいでしょうか?」

「どうぞどうぞ。健一君とうちのせがれが同い年で、家も近くて。お母さんとはそこまで頻繁にお話しするほどではないですけど、たまーにお茶しに行くくらいは。高級ブランドの服をたくさん持ってるって言ってるわりには、家にお邪魔してみたらクローゼットには安くて庶民的な店の服が多かったりとか、見栄っ張りなところはありますけど。でも明るくてお話上手で、いい人ですよ。片親でデイサービスのお仕事も子育ても趣味も頑張っている人ですし」


 先ほどの抑えたような態度はなりを潜め、早口で流れるようなしゃべり。


「健一君についてもおうかがいします」

「実はね……意外と言うことがないんですよね。どこまでも普通の子って印象なので」

「え……?」


 毒殺犯の手紙では、沼田の事件は健一の自作自演であると断定している。模倣犯のしわざである可能性も十分に考えられるにもかかわらず。

 その言葉を信じるとすれば、いわゆる『普通の子』であるはずがない。あるいは、普通の裏に何かを押し込めているか。英樹はそう考えていた。

 揺さぶられる思考を表に出さないよう、必死で表情筋をコントロールする。


「そもそもインドア派な子みたいで、外で見かけることもそこまで多くないんですよね……。でもお利口で礼儀正しいですし、話すときは冗談言ってきたりもして暗い子じゃないです。目立つ子では決してないですけど」

「私もおおかた似た感想ですね、良くも悪くも印象は強くないです。ただ、息子と体育祭の話をしていて健一君の名前が出たときにぼそっと『あいつ嫌い。僕たちとなかよくなる気がないもん』と言っていたことはよく覚えています。詳しいことまでは聞けませんでしたけど」

「それ初耳なんだけど。本当?」

「こんなことで嘘つかないわよ~」


 雑談が始まる中、英樹は丹念にメモを取る。情報を。突き崩すための情報を。


「他に、思い出したことやこれは言っておきたいということはございませんか? どんな些細な話でも、遠慮なくどうぞ」

「うーん……特にないですね」

「本当に言うことない人たちだもんね」

「そうですか……では、以上で聞き取りは終了とします。突然訪れたにもかかわらず、ご協力誠にありがとうございました」


 不完全燃焼を隠せないやや曇りがちの声ではあるが、深々と丁寧にお辞儀をする。両腕はぴしりと体の横、最後の最後まで誠実に。疑いの心を持たせない。

「礼をされるほどのことじゃないですよ。むしろ、かわいいこの子に癒されたおかげで楽しく緊張せずに話せました。頭上げてくださいな」


 態度が功を奏したのか、どの女性も穏やかな笑みを浮かべている。弟を見るような目線なのだろうか。


「それにしても、警察か探偵の人かなって思うほど手際のいい聞き込みでびっくりしましたよ。経験がおありだったりします?」

「……いやいやとんでもない。そういう小説やドラマが好きなだけで、ただのまねごとですよ」

「まねごとでそれだけできれば十分かと……あれ? どうしたの?」

 こげ茶色のワンピースの女性が、不意に美穂の耳元でささやくように声をかける。彼女は、上くちびるを繰り返し押さえて言葉をこらえていた。頭がふるふると揺れ、今にも漏れ出しそうだ。

『お前~!!』

 内心で声のあらん限り叫ぶ。うかつに動けない探偵は、主婦たちから見えないように苦々しく顔をゆがめるしかなかった。はっとした美穂がぶんぶんと頭を下げているが、鬼の心で目をそむける。

 そむけた先で、『何があったの?』と無言で問う4つの視線が彼を待っていた。


「大したことではなさそうですので、ご安心ください。おそらくつばが変な場所に入ったとかではないかと」

「ならいいんですけど、ちょっと苦しそうだったから心配になって。でもふるふるぶんぶんしてるのかわいかった……」

「よねぇ。ところで、そういうところもかわいいあの子、ちょっと預かってもかまいませんか? まだ聞き込み続けるんでしょう、その間愛で……面倒見てあげますよ」


 聞き込みの間、美穂の扱いをどうするか。彼女がついてくることになってから、ずっと英樹にとっての課題のひとつだった。会心の答えは見つからないまま、暫定で聞き込みを円滑に進めるための道具として使うことを選択したが、あくまで暫定である。罪悪感を抱かなくていい方法が見つかれば、すぐにでもそちらに切り替える予定で。

 だから、その申し出は英樹にとって渡りに船――だというのに。ここにきて良心が立ちはだかる。わずかなうめき声が出るばかりで、言葉が出てこない。

 実際に外に出て仕事を遂行する様子を見たいがためにわざわざ来るといったこの子を、ちょうど機会が巡ってきたからといって厄介払いもしくは監督放棄していいものか。自分の目が届かないのをいいことに、主婦たちが変な愛で方をするのではないか。

 自分は案外過保護で親バカかもしれない……親ではないが。英樹には自覚が芽生えつつあった。 

 それでも、期待のこもっているであろう見開かれたまなざしからは逃げられず。問われた以上、答えなければならず。そもそも、この場合質問に答えるのは預けられる人ではなかろうか。弁解のような押しつけを胸に、おずおずと振り返った。


「美穂は、どうしたい?」

 人見知りの美穂のことだ、押しが強い初対面の人物にほいほいついていくことはないだろう、と。だからその返事は、探偵にとって意外なもので。

「飯塚さんがそうしてほしいなら、するよ?」

 察されて、気を遣われてしまった。予想もしていなかった。

 いや、思い返せば激しいスキンシップの雨にも途中から抵抗らしい抵抗をしていなかったから、存外気を許していたのかもしれない。主婦たちも、距離の詰め方が勇ましいだけで悪人ではなさそうだから。

 ちゃんと考えれば理解できる。美穂に申し訳なくなっただけで。(この場においての)実質的な保護者としてどう接すればいいか、見つめ直したくなったのだ。

 ――それでも、


「お気遣いは大変ありがたいのですが、私はこの子と一緒に行動することをはじめから良しとしていますので」

「たしかに、そうでしょうねえ。ですがなんだか申し訳ないので、そこに息子がいますから、健一君をよく知っていてここに来れそうな子を呼んでくるよう掛け合ってみますね」

「できればお願いしたいです」


 そちらの好都合は、さすがに見逃さなかった。


「ではかけ合ってみますが、もし大丈夫そうなら、邪魔をするわけにもいかないので私たちはおいとましますね」

「なにからなにまでありがとうございます……。改めまして、本日はご協力いただき心より感謝いたします。それから、粗品などがなく申し訳ありません」

 再び丁寧に、60度で礼をする。たっぷりと2秒。礼儀正しい公務員としての態度と微笑は最後まで崩さない。ひざの椅子から立ち上がり、不思議そうにつま先立ちで覗き込んでくる美穂の顔は、見なかったことにした。


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小説家になろう 勝手にランキング
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